47.バラガン伯爵
ラングドール・バラガンはベライドの伯爵家の次男として生まれた。継ぐ領地や爵位がなかった彼は、しかし貧しい暮らしだけはしたくないと考え、早くから商売に興味を持ちはじめた。家族もいずれは家を出て行かなければならない次男の自立を応援し、彼は若くして商人としての道を歩みはじめたのだった。
貴族の子息だったため商会などに奉公に出てその仕事を学ぶことはできなかったが、屋敷に出入りする商人や両親の伝手を借りて商売について学ぶと、ラングドール・バラガンはベライドに隣接するアルディモアといくつかの小国の品々を取り扱う小さな輸入店をはじめた。
アルディモアは魔族の国であるザルガンドに隣接する三国の中で唯一ザルガンドと国交を開いていたこともあり、ベライドでは手に入らないような品物が多くあった。その物珍しさから客がつき、彼の商売はうまく軌道に乗ることができた。
商売がうまくいった理由はその品揃えだけではない。
ラングドール自身にもその理由があった。彼はやさしげな雰囲気の美男子で、物腰もやわらかく、少年時代から周囲の評判がすこぶるよかった。そして彼は自身の外見の良さというものをよく自覚していて、それを活かす才覚があった。
彼の客たち――特に女性客たちはみんなラングドールに夢中だった。
彼自身が成長し、商会もまた大きくなるにつれて彼は外見と裏腹にどんどん欲深くなっていった。表向きの評判を落とさないように身分を偽り娼館の経営やそれに付随する人身売買に手を染め、その私腹を肥やしていった。
ラングドールがその男と出会ったのは彼が成人し、家を出た頃のことだった。
男との出会いによって、ラングドールは魔族の中でも特に見目麗しい種族が、普通に人間の外見に優れた者たちよりも高く売れることを知った。しかしベライドは昔から魔族に対する偏見が強く、そういう嗜好の金持ちに飼われている者を除けばほとんど魔族は住んでいなかった。
商品の仕入れのためにラングドールは商売人仲間である魔族のドゥーイの手を借りたり、自ら他国に赴いて仕入れをしたりした。他国――特にアルディモアの、ザルガンドに近い土地には魔族も普通に暮らしている。
魔族といっても中身は人間とそう変わらない――ラングドールは自らの外見の良さを活かして商品たちをダマし時には結婚詐欺のようなことまでしてベライドに連れ帰ると、自らの店で働かせたり顧客に売ったりした。そしてそれは聞いていた以上の利益を彼にもたらしたのだった。
おそらくベライドで彼以上に金を持っている商人はいないだろう。美しい妻を得て娘も生まれ、幸福の絶頂にいた彼は更なる幸運に見舞われた。
家を継ぎ、伯爵となった兄が亡くなったのだ。これは彼が何かしたわけではなく不幸な事故によるものだったが、彼にとって幸いだったのは兄に子どもがいなかったことだった。
思いもよらず彼は伯爵家を継ぐことになり、ラングドール・バラガン伯爵となった。商売は部下に任せつつもつづけており、ベライドの貴族の中でも指折りの資産家だ。更に年ごろになった娘をザルガンド国王の妃候補にねじこむことができ、もし娘がザルガンド王妃となれば、さらなる金と権力を手に入れられると思っていた。
しかし今、ラングドールは彼に利益をもたらすはずの娘にいら立っていた。
昨晩の夜会でのシシーの言動は当然このザルガンドで問題にされた。妃候補として滞在しているにも関わらずシシーには謹慎が命じられ――きっと他にも相応の処罰が下る可能性が高いだろう――ラングドールと妻は明日の昼までに国から出て行くように告げらたため、大急ぎで荷造りがすすめられていた。
財務大臣であるドゥーイからもさすがにどうにもできないと言われ、むしろ国を出るだけで済まされるならばそうした方がいいと促された。シシーの発言をドゥーイも聞いたわけではなかったが、魔獣族の怒りを見るにあの場でシシーが八つ裂きにされてもガーディアは咎めなかっただろうと。そうならなかっただけマシなのだと。
国同士のもめ事になるためさすがにそれはないだろうとラングドールは思ったが、だからと言ってこのザルガンドに無理やり留まる理由は思いつかなかった。本当なら彼の顧客が喜びそうな商品を仕入れて帰国するはずだったのに。もっとも、ラングドールだけならばまたドゥーイの伝手でこっそり入国するのも可能だろうが。
昨日の夜は客室に戻った後、シシーのことを妻と随分話し込んだ。彼の妻は男爵家の出身で美しいがおっとりとした、世間知らずの女性だった。しかし貴族の令嬢としての教育は最低限受けていたし彼女自身もそれなりに教養はあったたこと、ラングドールがシシーがより高位の貴族と縁談が組めるようにと教育に力を注ぐことに賛同してくれたことから、彼らは親として教育面に関しては決してシシーを甘やかしたり妥協を許したりはしなかった。
しかし彼らが思っていた以上に彼らの娘は愚かだったらしい――いや、ここがベライドであればシシーの昨晩の言動は問題にされなかっただろう。シシーは時と場合によって外面を取り繕う能力に欠けていたのだ。
その上、ザルガンドに滞在するにあたってシシーにつけていた侍女がいずれはザルガンドの王妃だとシシーを持ち上げすぎたことで両親の知らないところでシシーはすっかり調子に乗っていた。侍女のパウラは元々ラングドールの妻の実家から妻についてきた侍女で、自身の主を崇拝していたため、妻によく似た外見のシシーのことも溺愛していたのだ。
ベライドの屋敷ではその行動を咎めることができても、離れていてはそれが難しい。年の功もあり気が利くところも確かにあったので悩んだ末に同行させたのだが、完全に失敗だった。
「あの女が悪いのよ!」
両親に散々しかられたシシーが涙まじりに叫んだ。
「あの使用人の女が秘書だとかいう獣をたぶらかして陛下にエスコートされて! 陛下に選ばれるのはわたしよ! そうでしょう!? お父さま!!」
「シシー、選ばれると言ったって、魔族なのよ?」
妻は困惑したように言った。
「魔族でもとてもステキだもの」
シシーはきょとんとした。
「でもあの使用人が邪魔をして……」
「妃候補なのに本当に使用人なの?」
「使用人よ! わたし、働いているのを見たもの。廊下で荷物を運んでいたわ」
ラングドールは顔を上げた。
「どこの廊下だ?」
「えっ? どこかしら……」
シシーが控えていた侍女に視線を向けると、シシーの代わりにその侍女が場所を答えた。何かを聞きたそうな妻と娘の視線を受けながらラングドールは眉間にしわを寄せた。シシーのことも頭が痛いが、あの娘のこともどうにかしなければならない。
しかし考えを巡らせる前にバラガン伯爵家のいる客室に使者が現れた。それはザルガンドの者ではなく、彼らの国、ベライドの王家に仕える使者だった。
***
呼び出されて向かったローズ王女に与えられている客室には、ローズのほかに彼女の兄であるベライドの王太子ダライアスがいた。王家の兄妹は座り心地のよさそうな椅子にくつろいだ様子で座っていて、目の前の机にはお茶の用意がされていた。
「呼び出した理由はわかっているな? バラガン伯爵」
親子ほど年の離れた王太子に、しかしラングドールは背筋に冷たい物が流れるのを感じた。
「そ、それは……」
「お前の娘の言動がどういう事態を引き起こしたのかわかっているのか?」
「まあ、お兄様。伯爵はわざわざご息女を一国の王妃にと送り出す方ですもの。まさかあのような言動をすればどのような事態になるかなんて当然考えていらっしゃいますわ」
にこやかにそう言ったローズの目は当然のように冷え切っていた。自分を差し置いて娘を妃候補に送り出すなど王家がどう思うか考えも及ばない伯爵が、娘が魔族の国で魔族を貶めるような発言をしてどうなるか考えられるわけがないと言っているのだ。
「申し訳ございません、王太子殿下、王女殿下……娘にはよく言って聞かせました。私と妻は明日の昼までには帰国しなければならない身の故、娘への対応はこのザルガンドの妃選びが終わり、娘が帰国してから行います」
「お父さま!?」
案にシシーは選ばれないと告げたラングドールに声を上げたシシー本人だった。娘をひと睨みして黙らせた彼に向って、あきれたようなため息が落とされた。
「当然でしょう? バラガン伯爵令嬢の言動で、わたくしの立場まで微妙になったらどう責任を取るのかしら?」
「ローズ、そんなに険しい顔をしてはせっかくの美しい顔が台無しだよ」
やさしい口調で妹にそう言った王太子だったが、ラングドールに向ける視線は冷たかった。
「しかし妃選びに終わりが見えない以上、帰国してから責任を果たすというのも随分と気が長い話だ」
「……もちろん娘には妃選びでローズ王女の力になるようよく言い含めておきます」
「そんな! お父さま、わたしだって妃候補なのに……!!」
「黙れ、シシー」
「なんて厚かましいのかしら」とローズがささやいた。
「バラガン伯爵、伯爵はよく知っていると思うがこのザルガンドには我が国では手に入らない価値ある物が多い。この国と繋がりを持つことは国にとっても有益だ」
王太子は言った。
「王家としては当然、ローズを妃に推したい。しかしバラガン伯爵令嬢の言動で他の候補者の後れを取ったと考えるべきだろう。その遅れを取り戻すためにも妹には助けがいる」
「もちろん、娘のシシーがローズ王女の手足となりましょう」
シシーは未だ訴えるように父親を見ていたが、彼女の言い分は通用しない。そもそもこの事態を引き起こしたのはシシー自身なのだから。
「バラガン伯爵令嬢」
王太子はベライド中の貴族の令嬢を夢中にさせるような魅惑的な笑みを浮かべた。
「君がローズの力となれば、君がこの国で起こした問題は帰国までに帳消しになるだろう。魔族というものがどういう存在であれ、この国が存在する以上はそれなりに取り繕わなくては。そうだろう?」
「それは……」
「魔族たちが怒っているのは事実。君に何の咎めも無いとなれば国同士の問題に発展しかねない――しかし、ローズが王妃なれば別だ。それにもし君が君の問題行動を帳消しにする以上の働きをしてくれれば我々ももちろんその分は対価を与えるつもりだ」
「私の婚約者は未だに決まっていないからね」とつづけられた王太子の言葉にバラガン伯爵一家は目を丸くした。思いもよらぬ展開だった。
***
一時はどうなることかと思ったが、まさかベライドの王太子の妃の座まで手が届く範囲に来るとは思わなかった。もっとも王太子に婚約者がいないのは事実ではあるがシシーが正妃になれるとは限らない。それでも妃の一人になれば自分の権力が増すことは確実だとラングドールは考えた。
シシーには改めてよく言い聞かせなければならないが、いくらザルガンド国王の見た目がよくても魔族は魔族。ベライドの王太子の妃になれるのならばそちらを選ぶのは明白で、実際シシーの頭の中はもうベライドの王太子のことでいっぱいのようだった。
あとは帰国しなければいけない明日の昼までになんとかあの娘を見つけるだけだ。夜会では知らないフリをしたが、見つけた以上は絶対にこのままにしておくわけにはいかなかった。
***
「あの娘が役に立つとは思えませんけれど」
ローズは新しく淹れたお茶に口をつけながら兄に言った。
「あんなことを言って、本当に役に立ったらどうするつもりですの? わたくしは嫌よ。あんな小娘が王族に一員になるだなんて」
「私は私の婚約者がいない、と言っただけだよ」
「まあ」
「だからあの愚かな娘を婚約者に、とは言っていない。もちろんローズの言うとおり、あの娘が役に立つとも思っていない」
王太子は鼻で笑った。
「まあ、捨て駒ぐらいにはなるだろう」




