43.夜会(1)
「いつもアンナベルがお世話になっています」
「こちらこそ――」
母とミモザのやりとりに、アンナベルは気恥ずかしそうに頬を赤らめた。
国王であるガーディアが訪れて開始のあいさつをするまでは正式に夜会ははじまらない。客たちはそれぞれ親しい者や久しぶりに会う者、仕事の関係などで思い思いに立ち話をしていた。王都から離れた場所で暮らす種族の長たちもいるため、話はつきない。
一方で、人間の客たちはザルガンドの国民が見慣れぬ姿を持つ者の多いこともあってどこか落ち着かない様子を見せていた。彼らは人間同士、それぞれの思惑を持って会話をしている。
アンナベルの父であるドゥーイもまた彼自身の思惑――というよりも商売の話で、人間も含めた種族に関わらずあちこちに声をかけている。本来なら妃候補であり娘でもあるアンナベルのエスコートをするべきなのかもしれないがそれを放棄していたので、アンナベルは幸運にもこうして母と共に夜会に参加することができた。
おっとりとした雰囲気の母をアンナベルは大切に思っている。父が選ぶ似合わないドレスではなく落ち着いた雰囲気のアンナベル好みのドレスを身にまとい、彼女は母のとなりで肩の力を抜いていた。ミモザもそれを感じたのか、やわらかい笑顔をアンナベルに向けてくれた。
体の弱いところがある母は母の父、つまりアンナベルの祖父がドゥーイを気に入ったのを縁にドゥーイと結婚したのだが夫婦仲はお世辞にもいいとは言えなかった。父は母やアンナベルに対して高圧的なところがあったし、それ以外の時はお互いに無関心でその関係は冷めていたからだ。
とはいえ、父が高圧的だからと言って母がそれを恐れているかと言えばそうではないこともアンナベルは知っていた。父であるドゥーイは母に声を荒げたり怒鳴ったりすることこそなかったが母が反抗すると明らかに不機嫌になり面倒だったので母は父の前では大人しく従順な態度でいる。父がいない時は父に逆らえない性格のアンナベルを心配してくれて、今日も派手な衣装を用意するつもりだった父にアンナベルの祖父が用意してくれたと嘘をついてアンナベル好みのドレスを用意してくれた。
「こういう形の夜会はアルディモアから聖女様――亡くなった王妃様が嫁いでこられてから行われるようになったのです。王妃様が亡くなられてからは行われなくなりましたが……」
シトロンと共に会場に入ったミモザだったが、ガーディアが入場する際はシトロンはガーディアの傍に控えるということで今はアンナベルとその母親と共にいた。大広間の壁際でのんびりと煌びやかな光景を見ながらアンナベルの母は若い娘たちにやわらかな声で話をしてくれた。
「男性が女性をエスコートして参加するというのもその時からはじまったことなので、エスコートの方がいなくてもそう気にすることはないですよ。でもミモザさんは独りでいたら男性たちが放っておかなそうね」
「そんなことは……」
「いいえ、ここにドラゴン族の方がいたらみんな落ち着かない気持ちになったのではないかしら? でもザルガンドにはあまりドラゴン族は住んでいないのですよね……」
「わたしもアルディモアで生まれたので、両親と陛下以外には一人しかドラゴンの知り合いがいません」
そういえば蘭の館のクヴィストもドラゴンだったとアンナベルは思い出した。それに、ミモザほどアンナベルはドラゴン族を見かけたことがないわけではなかった。
「おじいさまのお店でも見かけたことがあります。あの方たちはザルガンドの方ではなかったのですか?」
「星明けの山脈に暮らしている方たちね。若い方だとザルガンドにも遊びに来るみたいだけれど、この国で暮らしているわけではないの。詳しい事情は知らないけれど、ドラゴン族の方は陛下のことが苦手な方が多いと聞いたことがあるわ」
アンナベルの母が言った。
「この子の祖父――わたしの父ですが、ザルガンドで商売をしているのです。王都にも支店があるからぜひ利用してね」
「はい、行ってみたいです」
「こういう場で着る衣装も扱っていて――アンナベルが子どもの頃は衣装を扱うお店によく連れて行ってとせがまれたの。種族によって好むデザインや生地が違うから見るだけでも楽しかったのでしょうね」
「お母さま!」
「ミモザさんの今日着ているドレスも素敵なドレスですね。ドラゴンの方らしくて」
「そうですか? よかった」
アンナベルの母の言葉にミモザはほっと息を吐いた。
「自分もドラゴンなのにドラゴンらしい衣装がわからなくて……色々な伝手を頼ってこのデザインにしたんですけど、少し不安で」
「ご家族の方は?」
「早くに亡くしてしまって、母が生きていればおしゃれのことももっと聞けたんですけど」
「そうなのね、ごめんなさい」
「いいえ、気にしないでください」
「衣装もミモザさんもとても素晴らしいわ」
「きっと陛下も見惚れますね」
ミモザは目を丸くしてアンナベルを見た。アンナベルの母はその様子に二人の気持ちを察したのか、微笑ましくミモザに視線を向けた。頬が熱くなるのを感じ「アンナベルったら」と軽く小突かれ、アンナベルは彼女にしては珍しく声を立てて笑った。
その軽やかな笑い声を途切れさせたのは、ザルガンド国王の入場を告げる声だった。
シトロンと共に会場に現れたガーディアは、美しい一つの夜だった。
ミモザのドレスのように厚手の生地で作られた衣装は彼の髪色とは少し雰囲気の異なる黒色で、白銀の角と冷たい光を帯びた金色の瞳がよく映える。シトロンがどうにかして彼を一度上座へと連れて行こうとしたが、ガーディアはそれを無視してその場で夜会の開始を告げた。ほとんどの者が一瞬あっけにとられたものの、すぐに我に返って国王にあいさつをしようと身を乗り出したが、ガーディアは視線を動かすことなく真っ直ぐにミモザの方へと向かってきた。
ミモザが誰に言われるでもなく両手を斜め下に下ろし、頭を下げて礼をすると、ガーディアは少し目を細めてそれを見下ろした。ミモザと一緒にいたアンナベルと彼女の母も精霊族にとって最上級の礼をする。「そうかしこまるな」とどこか面倒そうにガーディアは言った。
「ミモザ……綺麗だ。本当に」
「ありがとうございます、陛下」
「ガーディアと」
「さすがにここではちょっと……」
それよりも真っ直ぐにミモザのところに来て他は無視するのはよくないのではないだろうか? 人間の国の招待客も魔族の招待客も、どこか落ち着かない様子でガーディアを見ている。
「他の方のあいさつを受けなくていいんですか?」
「何故?」
「なぜって……」
ミモザがシトロンへと視線を向けると彼は落ち込んだ顔をしていた。シトロンはガーディアに言われてミモザのエスコートをすることになっていたのだが、ガーディアの入場に合わせて彼の元へ行ったのは入場したらガーディアがすぐにミモザのところに行くのがわかっていたからだろう。
シトロンは当然仕事としてガーディアに客へのあいさつくらいして欲しいと願っていたし、ミモザのところにはその後好きなだけ行ってくれと思っていたのでなんとか阻止をするつもりだった。完全にうまくいかなかったが。
「俺には妃選びなどどうでもいい。今夜はミモザの着飾った姿が見られただけで充分だ」
申し訳なく思いながらアンナベルと彼女の母親を見ると、アンナベルも彼女の母も微笑ましそうにミモザとガーディアを見ている。
「……陛下にそう言ってもらえるのはうれしいですけど、お客さまからのあいさつくらいは受けてください」
ガーディアは心底面倒そうな顔をしていたが、やがてあきらめたように息を吐いた。
「それならエスコートさせてくれ」
「えっ? でもわたしがついて行くのは変ですし……」
「エスコートさせてくれるという約束だっただろう?」
たしかにしたけれど……差し出されたガーディアの腕を見てミモザは悩んだ。でも少しだけ、という話だったはずだ。この様子だと少しにはならない気がする。
「……わかりました」
この様子だとガーディアはミモザが腕をとるまで動かないだろう。シトロンがすがるような視線をミモザに向けていたのもあって、「少しだけですよ」と一応念を押しつつミモザは差し出された腕に自分の手をそっと添えた。それを合図にシトロンが周囲にいた魔族の有力者たちに視線を送り、彼らはやっとガーディアへと歩み寄ることができた。
星明けの山脈のふもとに広がる暗闇の森の中にザルガンドは存在するが、建国前から暗闇の森は魔族たちの安寧の地だった。今でも各種族は元々住んでいた場所で暮らし、ザルガンドの一地方として種族の長など力のある者が各地を治めている。
そんな各地から来た長たちがかわるがわるガーディアへとあいさつをしていった。誰もがガーディアの長かった喪中にあきれた様子を見せつつも、彼がこうして表舞台に立つようになったことにほっとしているようだった。
魔族からのあいさつがキリになったところでミモザはガーディアから離れようとしたが、ガーディアはそれを許さなかった。腕に添えていたミモザの手に黒い爪の美しいガーディアの手が添えられ――というには力強く重ねられ、今度はミモザがあきれた視線をガーディアに向けることになった。
「陛下……」
「エスコート役のシトロンがここにいるんだ。同じことだろう」
「ぜんぜん違いますよ」
どうにかしてほしい気持ちを込めてシトロンを見たが、優秀なガーディアの秘書官は素知らぬ顔をしている。そうこうしている内に、いつの間にか妃候補とその関係者がガーディアの元へ近づいてきていた。
最初にあいさつに来たのはマリエルとその両親だった。マリエルの両親は他の――特にベライドとイシルマリを意識し、人間たちの中で真っ先にザルガンドの国王と言葉をかわしたことに優越感を滲ませていた。
もっとも、ベライドの客人は多少いら立った表情をしているように見えたがイシルマリの客人はそうでもない。こちらを気にすることなく王女であるリリアナと何か話をしているのが見えた。
ガーディアに媚を売るマリエルの両親の声と、それに対するガーディアのあからさまに気のない返事を聞きながらミモザは何となく周囲を観察していた。視線を戻せば、同じように両親の言動に興味を持っていないマリエルと視線が合った。彼女もまた、会場の他のところ――どうやらザルガンド各地から来たそれぞれの種族の特徴を持った招待客たち――に興味を持っていたようだ。
いつまでも媚びと娘の売り込みをしようとするマリエルの両親に、シトロンが半ば強引に会話を打ち切った。両親に連れられて去るマリエルの視線はどこか微笑ましいものを見るようにガーディアの腕に添えられたミモザの手にほんの少し向けられ、ミモザは頬が熱くなるのを感じた。アンナベルは別にして、まさか同じ妃候補のマリエルからもそういう視線を向けられるとは思っても見なかった。




