42.招待客(2)
中枢区にも小規模だが軍の演習場がある。埃と汗のニオイに満ちたそこでは今日も若い軍人たちが年配の――と言っても見た目は若い者も多いが――指導者の元で訓練に励んでいた。
そんな演習場に似つかわしくない姿を見つけ、ロスソニエルはグッと眉間にしわを寄せた。汗をぬぐって軍服の埃を軽く払うと、きびきびとした足取りで真っ直ぐそちらに向かっていく。そんなロスソニエルに気づいたのか、穏やかな瞳がロスソニエルに向けられた。彼女と同じ、エメラルドグリーンの瞳だ。
「母様……」
どうしてこんなところにいるのかと、その問いかけを飲み込んでロスソニエルは母を呼んだ。微笑む母はロスソニエルよりも小柄で、いかにも妖精らしい姿をしている。軍の元帥であるケンタオアの妻、プリュイの妹だが、年を重ねても可憐ではつらつとしたところのあるプリュイとは違ってどこかさえない雰囲気をまとっていた。
「どうしてこんなところに? 伯母様のところに行くんじゃ……」
「もちろんあなたの様子を見に来たに決まっているでしょう? ロスソニエル」
母は言った。
「あなたが軍でちゃんとやっているのかいつも心配しているの。あなたは小さい頃から魔力も翅の鱗粉も多くなかったし――」
「わたしなら大丈夫だから。ちゃんとやってる」
「でも――」
ため息をつくのをこらえ、ロスソニエルはさりげなく母親から視線をそらした。あまり母親と長く話していたくはなかった。しかしどう母親をかわそうかそう悩む間もなく、母親の興味はロスソニエルから別の場所へと移った。
「あら」と声をこぼして視線を向けた先には、ケンタオアの姿があった。彼のとなりには体格のいい、暗い色合いの赤い髪をした男がいる。見たことのない鎧だ――ロスソニエルと彼女の母に気づいたのか、ケンタオアは二人の方へ近づいてきた。
「何をしているんだ?」
ケンタオアはまずロスソニエルの母に向かってそう言った。
「家でプリュイが待っているぞ」
申し訳なさそうにする母に、ケンタオアのあきれた視線が向けられていた。小規模とはいえ演習場は演習場だ。用もなくふらふらとしていいような場所でもない。
「ロスソニエルの様子を見に来たの。そちらの方は?」
ケンタオアのとなりにいる男にロスソニエルは改めて視線を向けた。見た目は五十代ほどだろうか? 鎧をつけていない腕などの感じからしっかりと鍛えられた体を持っていることがわかった。ケンタオアはロスソニエルの母にまだ何か言いたそうな顔をしたが、仕方なくとなりの男――ベライドから来た騎士を紹介した。
「ベライドの騎士団長であるフェルナンド殿だ」
「フェルナンド・メラスといいます。この国では女性も軍人として活躍されているのですな」
フェルナンドはベライドの軍事のトップで――王国軍はないが、騎士団がそれにあたるらしい――護衛のためにザルガンドに来たが、ザルガンドの王国軍に興味があり意見交換も兼ねてケンタオアと共に演習場を見学していた。
「王太子殿下が自らザルガンドを訪れると言った時はどうなることかと思いましたが、こうして本来なら見られないザルガンド軍の視察ができたと思えば護衛も悪くはありません」
そう言うフェルナンドの笑い声には、年相応の大胆さがにじんでいた。
***
「お兄様、お会いしたかったですわ」
部屋を訪れた兄、ダライアスと抱擁を交わしてローズは甘い笑顔を浮かべた。自分をかわいがってくれる兄にだけ見せる、甘え上手な妹の笑顔だった。
「久しぶりだな、ローズ。相変わらず美しい」
「そこは更に美しくなったではなくって?」
笑いながら兄と妹は応接セットの長椅子に並んで座った。
「メラス騎士団長も一緒だったのでは?」
「彼はザルガンド軍の視察に行っている。こういう時でないとこの国の様子を調べることはできないからな」
足を組み、背もたれに身を預けながらダライアスは言った。ローズと似た美しい顔立ちだが、そこには尊大さと酷薄さが滲んでいる。もっとも彼のその性質を気にする者はこの部屋の中にはいなかった。ザルガンドからつけられている護衛や使用人はすべて部屋の外へ追い出している。
彼はローズが夜会を提案したことを褒めたが、彼女はそれが気に入らないと言うように顎を上げた。「そもそも」といら立った声に、兄はひとかけらも動揺することはなかったが。
「あの商人の娘を候補者として送り込むことを許すなんて、信じられませんわ」
「許さない理由もなかったからな」
悪びれなくダライアスは言った。
「父上の判断だ。それに、あの娘がローズを差し置いて選ばれることなどないだろう? うまく利用すればいい」
「それはそうですけれど」
しかしあの娘は本当にこちらをいら立たせることばかりする。ベライドという国の名前さえ傷つけかねない。「滞在中に、私からも話をしておこう」とダライアスはつづけた。ローズが納得していないのはよくわかっていた。
「それで? ザルガンド国王とはどうなんだ?」
「どうも何も、あの男はちっとも姿を現しませんの」
「姿を現さない? 妃選びに?」
「ドゥーイ卿が勝手にはじめたことで好きにしろとは言ったけれど興味はないそうですわ。茶会は定期的に開かれますが、数回しか姿を現したことがありません」
「まさか妃選びを開きながら誰も選ばないつもりなのか?」
ガーディアが使用人の娘を気に入っているらしいということはローズの口から告げられなかった。あんな身分違いもはなはだしい娘に負けているように思われたくなかったからだ。
「選ばれるのはわたくしよ……」
低い声でローズは言った。
「魔族ではあるけれど、わたくしのとなりに立つのにあの方は充分に美しく、ふさわしいわ……」
「もちろんそうだろう」
妹の髪をなでながらダライアスは言った。
「ローズは誰より美しい。あの商人上がりの伯爵の娘も、イシルマリのいけ好かない王女も大輪のバラの前ではただの雑草に過ぎない」
兄の言葉にローズは顔をほころばせた。
「当然ですわ。わたくしこそあの方にふさわしいのよ」
***
ティンクが丁寧に梳いてくれた髪にそっと触れながら、ミモザは姿見に映る自分の姿を見た。
美しい夜会の夜――ガーディアを思い出させる深い闇に、星々が精一杯瞬いている。名も無き王都はいつもと変わらぬ夜を迎えていたが、王宮はめったに見られない華やかさに包まれていた。
ほとんど使われることのない大広間には揺らめくことのない光をたたえたシャンデリアが天井を飾り、招待された人間やザルガンドの各地に暮らす有力者たちがそれぞれに着飾って、使用人たちが腕を振るった装飾よりも美しく華やかに大広間を彩っていた。
その大広間からは少し距離はあったがいつも妃選びの準備に使っている部屋で、今日もミモザは身じたくを整えていた。他の妃候補もきっとそれぞれの部屋でいつも以上に気合いを入れて準備をしているのだろう――アンナベルはそうでもないだろうけれど。
薄い紫色の爪を整えた指先が、髪から角へとたどっていく。ゆるやかに曲がった角はすっかり生えかわっていた。思ったより早く元通りになったのは、ガーディアが手伝ってくれたおかげだろう。黒曜石のような二本の角の先は、ミモザの瞳の色に似た紫色の水晶のようになっている。珍しい造りの角だった。と言っても、ミモザは両親とガーディアとクヴィスト以外のドラゴンに会ったことがないので、「他にない角」と幼い頃に父に言われた言葉だけがその判断材料だったが。
ドラゴンが人の姿をしている時、角と爪、それから髪の美しさを特に気にする。角や爪は言うまでもなく、髪は本来の姿の鱗と同じ色をしており、その美しさはそのまま鱗の美しさにつながるからだ。だからミモザも夜会まで髪や爪の手入れはかかさなかった。
ガーディアから衣装を贈られるのを断ってから何となく気合いが入り、ミモザは少しでもガーディアに美しく見られるように努力した。そんなミモザの様子をティンクやアンナベルは温かく見守って応援してくれたのが気恥ずかしかったが。
部屋の扉をノックする音がして、ティンクと共にしたくを手伝ってくれたスティナが返事をし、扉を開けた。入ってきたのはシトロンで、彼の髪の色がよく映える黒の衣装をまとっていた。一見無地のようだが、よく見ると布地とは質感の違う黒い糸で“星の涙”をモチーフにした刺繍がされている。肩からはやわらかな毛皮のマントを流していた。
ミモザの姿を見たシトロンは一瞬ぽかんと口を開けたが、すぐに表情を引き締めた。「したくはできましたか?」と王の秘書官としての口調で彼はたずねた。ミモザは家族もいないので、今日はシトロンがエスコートしてくれることになっている。
「がんばってね」とティンクからのはげましを受けて、ミモザは背筋を伸ばし、差し出されたシトロンの腕に自分の手を添えた。何に対しての「がんばって」なのかはよくわからないが、きちんと背筋を伸ばしてこの夜会を乗り切ろう。
普段ははかないヒールの高い靴をはくミモザにさりげなく気を遣って、シトロンの歩調はゆっくりだ。しんと静まり返った誰の気配もない廊下を大広間へと向かいながらシトロンが視線を向けたのに気づいてミモザは顔を上げた。
「どうしたの?」
「いや、その……」
さっきはスティナがいた手前なのか秘書官の顔をしていたが、今のシトロンは普段のシトロンの顔をしている。
シトロンの金色の瞳孔を持つ黒い瞳がじっとミモザの装いを見つめた。
深い緑色の、厚手の生地で作られたドレスはデコルテが大きく開いている作りだが、首元からその鎖骨のラインも美しいデコルテはドレスと同系色のレース生地に覆われていた。“星の涙”をモチーフにしたレースは偶然にもシトロンの衣装とおそろいで、それがどこかくすぐったい。
複雑な作りのスカート部分はさりげなく裾にいくに連れて広がっているデザインで、厚手の生地の下から折り重なったやわらかな素材が見え隠れしている。
しかし何より、ミモザ自身が美しかった。細いがめりはりのある体も、愛らしさを残した顔立ちも。金色の睫毛に縁どられた紫色の瞳は大きな宝石のようで、毛先に向かって白くなる金髪は神秘的だ。いつもはおろしている前髪はあげられ、生え際まできっちりと見せた角は何よりも美しく、細い銀色の額飾りがそれをいっそう際立たせていた。
「きれいだと思って……」
気恥ずかしそうにぼそりとつぶやいたシトロンに、ミモザは目を丸くした後、花のように顔をほころばせた。
「ありがとう。シトロンもステキよ」
「そうかな? 自分じゃよくわからないけど……」
「その衣装はどうしたの?」
「パランティアさんとソーニャさんが選んでくれたんだ」
「彼じゃないのね?」
「陛下はそんなことしてくれないよ」
ソーニャはパランティアの妻で、アルティナの乳母をしてくれた女性だった。ミモザの前世では、パランティアの補佐――今のスティナの立場だった。今は引退して家のことをしているが、アルティナの乳母をしていた頃、まだ幼かったシトロンの面倒も見ていたらしくその関係で今でも何かと世話を焼いてくれるようだった。
シトロンはガーディアは衣装なんて選ばないというが、意外と口は出したのかもしれない。シトロンの衣装の“星の涙”の刺繍を見てミモザは笑った。ガーディアは昔からシトロンに父と呼ばせなかったり何かとそっけなかったりするが、内心ではシトロンを息子のように思っているのを知っていたからだ。
「でもきっと、自慢に思うと思う」
「母上のことも、きれいだと思うと思うよ。今日の誰よりも」
立ち止まった二人はお互いに見つめ合い、満足そうに笑いあった。




