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魔王さま、今度はドラゴンです!  作者: 通木遼平
第二章 妃選び
36/68

35.追憶




 アンナベルとティンクは一足先に休暇を終えて王宮へと戻り、ミモザも明日には王宮へと戻ることになっていた。王宮へ戻ったら、また“白い庭”へ行こう――そしてガーディアと話をしたかった。彼が今まで何を思ってきたのか、今のミモザがどう見えているのか、それを知りたい。ミモザ自身の気持ちの整理もしたい。それでもし、彼が過去に縛られていないと感じることができたらそれは、


「ミモザー!」


 幼い声に名前を呼ばれて、ミモザは顔を上げた。井戸の周りで子どもたちが笑い声を立てている。午前中のさわやかな日差しが中庭を照らしていた。シーツやタオルが入ったかごを井戸の周りに運び、夏場は子どもたちのプール代わりにもなる大きなたらいに放り込んだ。井戸の手押しポンプを動かし水を出すと、すぐに小さな手が伸びてきてポンプを押すミモザや周りにいる他の大人たちに水をかけてくる。

 笑いながら叱って、水がたまったたらいに洗剤を入れるとはしゃぐ子どもたちも次々と靴を脱いでたらいの中に飛び込んだ。晴れた日の洗濯の時間は子どもたちの最高の遊び時間だ。


 子どもの声、日の光に反射する水面、洗剤の匂いを運ぶ風、ポンプを動かしていた手を止めて、疲れた腕をぐっと伸ばした瞬間、その全てが遠くに去って行った気がした。






 まだ朝と呼んでもおかしくない時間のはずなのに、夜の気配を肌で感じる。






「ガーディア……」


 思わず漏れてしまった自分の声にハッとして、ミモザは咄嗟にその少し荒れた手で口元を覆った。

 ささやくように口にした言葉が届いたのだろうか? 気まずそうに顔をそらしていたガーディアは驚愕でその金色を染め、ゆっくりと顔を上げた。




 水が跳ねる音がまた遠くから聞こえてくる――ふわりふわりと風に乗って、シャボン玉が二人の間を通り過ぎていった。






***   ***






 体が燃えるように熱かった。鱗の一枚一枚が軋み、剥がれ落ちていくような痛みだ。あのいけ好かない星影の竜――憐れんだような視線を思い出すと怒りに任せてあのドラゴンの喉元に喰らいつきたい衝動に駆られたが、彼の体は思うように動かずにただ痛めた喉から低くかすれた声が漏れただけだった。


 彼は自分がいつどこで生まれたのが、誰が親なのかわからない。物心ついた時には独りで、気の遠くなるような長い年月を生きてきた。自分が何のために生きているかわからないまま……。

 彼を恐れた人間たちに攻撃されることもあったが、あんな小さく脆弱な生き物がどれほど大勢集まろうと、どんな特別な力を持とうと、彼の鱗の一枚傷つけることはできない。一方で彼はただそこにいるだけで小さな命を滅ぼす力を持っていた。

 しかし諦めの悪い人間も多く、わずらわしく思うようになった彼はやがて退屈しのぎにもなるだろうと人間たちが国と呼ぶ範囲を次々に滅ぼして行った。彼の一吹きは人間の国をあっという間に闇に沈めたが、彼の退屈は終わらない――人間たちにとっては、まさに闇黒の時代だっただろう。




 彼はそんなこと知りもしなかったが。




 ドラゴン以外の力のある種族も、ドラゴンのやることはドラゴンがどうにかするべきだと考え表立って咎めるようなことはしなかった。唯一エルフの王と王妃は彼に滅ぼされた国でかろうじて生き残った人間に少しだけ救いの手を伸ばしていたが。

 彼と同じドラゴンは、彼の力が自分たちよりもはるかに強いことを覚ると口をつぐんだ。そして動いたのは、ドラゴンたちが王と敬い星影の竜と呼ぶ一匹の美しいドラゴンだった。


 彼は星影の竜がドラゴンたちの王であることを認めてはいたが、咎める言葉を聞き入れることはしなかった。誰かを傷つけるのをやめろと言われたところで、自分にどうしろというのだろう? ただそこにいるだけで、勝手に彼の周りにいる生き物が傷ついていくだけだというのに。

 二匹はついに争いになり、彼が他のドラゴンたちよりもずっと力が強く星影の竜に深手を負わせることはできてもその力はわずかに及ばず、今、こうして鬱蒼と生い茂る名前も無い森に墜落して倒れ伏している。


 自分はこのまま死ぬのかと彼は思った。もうかすれた声も出ない。あの憐れむような目が最期に思い出すことなんてとても耐えられなかった。どうせ死ぬなら、あのドラゴンを王の座から引きずりおろしてやりたい――


 燃えるように痛む体、その鱗の一枚に、不意に痛みとは別の感覚がしたのはその時だった。


 首を動かす力もなく、彼は横腹に感じるその奇妙な感覚の正体を確かめることができなかった。決して不快ではない。その感覚はゆっくりと横腹から胸の方へ動き、一瞬なくなったかと思うと今度は首をたどり、やがて彼の口元の近くで止まった。

 ほとんど閉じかけていた目を、ゆっくりと開いた。そこまでこれば首を動かさなくてもその感覚の正体がわかるはずだ。






 その時はまだ、小さくて脆弱な人間の女がすぐ傍に立っているとは思わなかった。






「まだ動いたらだめよ」


 咎める言葉はその女のやわらかな声のせいかそういう風には聞こえなかった。ただほんの少し震えているように思え、そこから彼女が本心では彼を恐れているのが感じ取れた。

 それでも女はあの日から毎日のようにここへ訪れては彼の大きな体に丁寧に薬を塗り、水やお世辞にも充分とは言えない量だったが食事を与え、甲斐甲斐しく世話を焼いた。彼が自分はこの辺りの人間の国をいくつも滅ぼしたドラゴンなのだと脅しても女はそのことを咎めただけだった。憐れみではなく怒りやあきれを滲ませた瞳は、不思議と彼をいら立たせなかった。

 女は決して彼の元を訪れるのをやめようとはしなかった。本心では彼を恐れていたとしても――彼が悪いドラゴンでも、傷ついた姿を放っておくことはできないのだとそう言って。


「それにわたしたちはどこの国にも属してないの。あなたの被害にあった子も幸いいないわ」

「……わたしたち?」

「もう少し奥に入ったところにある家で子どもたちと一緒に暮らしているの。みんな親を亡くして……あなたは知らなかったみたいだけど、この辺りの国は戦争ばかりしていて親を亡くした子どもがいっぱいいるのよ」


 背中に薬を塗り終えた女は疲れを見せながら息を吐いた。彼の体は人間一人で手当てをするには大きすぎ、毎日一部分ずつ薬を塗って、全ての場所に薬を塗ったらまた最初に戻ってをくり返している。


「今日はここまで。明日はこのつづきね」


 それを苦労とは思わないように、女はにこりと笑った。「帰ってご飯を作らないと」と言う女の顔色が少しずつ悪くなっているのに彼はちゃんと気がついていた。




 ざわりと風が森を駆け抜ける。




 女は舞い上がった木の葉に気を取られるように空を見上げた。生い茂った木々の葉が空をほとんど隠してしまっている。しかし隙間から見えるその色はとても澄んだ色をしていた。逆にその隙間から降りそそいだ金色の太陽は、女の横顔をちらちらと撫でていた――


「えっ」


 ほんの、数秒のできごとだったはずだ。


 女は言葉を失い、目の前の光景を見た。ここに横たわっていた黒い大きな体がすっかり消え去っている。代わりに女の目の前に、頭に二本の漆黒の角を持った、長い黒髪の美しい男が立っていた。黒いドラゴンと同じ冷たい金色の目をした男だった。


「えっ」


 女はもう一度困惑を言葉にし、瞬きをして男を見上げた。男は不機嫌そうに女をじろりと見やった。


「何だ?」

「あ、あなた……ドラゴン?」

「そうじゃなきゃ何なんだ」

「人間の姿にもなれるのね……ずっとその姿でいられるの?」

「元の姿に戻ろうと思わない限りは」

「それならこんな森の中じゃなくて家に来て! 子どもたちはにぎやかだしちょっと狭いけど、ちゃんと清潔にしているし傷にもいいと思うわ。それに手当てだって――」


 女はぴたりと言葉を止めて男の整った顔をじっと見つめた。


「もしかして……わたしが手当てしにくいと思ってその姿になってくれたの?」


 何を言っているんだ? と言わんばかりの視線を返され、女はたじろいだ。「と、とにかく……」と言葉をつづける。


「家に行きましょう」


 少し歩くと森の中に古い平屋が立っていた。漆喰の壁と石の屋根を持つその小さな家の周りは最低限草が刈られてはいたが、壁の一部は蔦で覆われ、屋根にもちらほら緑が見え、今にも森に飲み込まれそうだった。

 家の傍には井戸と畑がある。畑では十歳ほどの――痩せているからもっと年は上かもしれない――子どもが数人いて水やりや草むしりをしていた。女が「ただいま」と声をかけると畑の子どもたちの顔が上がる。いつもなら「おかえり」と明るい声で返すところだったが、子どもたちはぽかんと口を開けて女のとなりに立つ男を見た。


 女は森でドラゴンに出会い、傷の手当をしていると子どもたちに話していた。人間の姿で現れた男がそのドラゴンだという説明も、角があるからかあっさりと受け入れ、ドラゴンがここで過ごすことに反対することもなかった。


 家の中に入ると古い絨毯が敷かれた居間があり、奥には食事をとるためのテーブルと椅子があった。キッチンや風呂は裏手にあり、あとは子どもたちの寝室にしている部屋と女の寝室である一番狭い部屋があるだけだ。

 キッチンには勝手口があり、そのすぐ外には木でできた物置があった。薪が積まれ、使い込まれた掃除道具や畑道具が雑にしまわれている。道具類はどこからか拾ってきたらしい。


 奇妙な共同生活がはじまった。人間と暮らすなんて、彼には本来考えられないことだった。ほのかに花の香りがする女の寝室だった部屋を譲り受け、傷の手当を受けながら、彼は人間たちの営みを眺めて日々を過ごした。


「どうしてこんなケガをしたの?」


 ある日、女がふと彼にたずねた。


「星影の竜にやられた」

「星影の竜?」

「俺たちの王だ。白い角を持つ、最も強いドラゴンの称号」

「どうしてそんなドラゴンと戦ったの?」

「俺が人間の国を消し飛ばしたのが気に入らなかったらしい」


 女は眉間にしわを寄せた。


「結局あなたはどうしてそんなことをしたの?」

「退屈だったからだ」

「それだけで?」

「それだけ? 充分だろう? お前たちからは考えられないくらい俺は永い時を生きている――何の面白みも無い時間をだ」

「充分じゃないわ。その国に暮らす人たちはどうなるの?」

「どうして俺が人間なんか気にしなきゃいけない?」


 彼は鼻で笑った。いつの間にか女の手は止まり、信じられないものを見るように彼を見つめていた。


「どうせ戦争ばかりしていたんだろう? お前たちだって、そんな国なくなった方がいいんじゃないか?」

「確かにわたしたちは戦争で家族を亡くしたけど……なくなった方がいいなんて、絶対に思わない」


 女はドラゴンを恐れることなく睨みつけた。その強い視線に、今度は彼が信じられないものを見るように女を見る番だった。


「あなただって退屈だからってそんなことして結局こんな傷だらけになって……バカバカしいとは思わないの?」


 女は再び手を動かし、男の体に薬を塗った。かなりよくなってきてはいるが、女が最初彼を見つけた時、彼はほとんど死にかけているように見えたのだ。


「退屈を紛らわす方法なんて、他にもたくさんあるわ。ここで生活するだけでも忙しくて退屈なんて言っていられないわよ。子どもたちを見ているだけで――ここにいる間は、絶対に退屈なんかさせないわ!」

「何を言ってるんだ?」

「とにかく、ここにいる間は――そういえば、あなたの名前は何ていうの?」


 不意に思いついたようにたずねた女に、彼は眉をひそめた。


「名前なんかない」

「じゃあ何て呼ばれているの?」

「闇黒の竜だ」

「それって……あなただけの名前? 種族の名前?」

「さあな。少なくとも今は闇黒の竜は俺しかいない」


 「そんな呼び方ないわ」と女はつぶやき、首を傾げた。


「それなら、今日からあなたのことをアーゴルと呼ぶ」

「は?」

「古い神話に出てくる神様の名前よ。破壊と再生を司っているの」

「再生……?」

「あなたにぴったりね」


 女の声は、どこまでも楽しそうだった。




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