34.その延長線上に
やるべきことをきちんと片づけ、今日もガーディアが引きこもって声をかけても返事さえしないことに肩を落とし、シトロンは中枢区内の軍部の詰所へと向かった。日は傾き、日勤の者と夜勤の者がそろそろ入れ替わりをはじめている。
シトロンの姿を見て会釈をする者、気軽に声をかける者、冷たいまなざしを向ける者、様々だったが特に気にせず目当ての者を探していた。シトロンが目当てのクリーム色の髪を見つけた時、相手もシトロンの姿を見つけた。
「エメ、ちょっといいか?」
軍人にしてはやや細身のその男は使用人頭のパランティアの息子で、スティナの弟であるエメだ。スティナとエメの母親がガーディアの娘であるアルティナの乳母をしていた縁で、まだ幼かったシトロンも世話になり、スティナとエメの姉弟ともよく遊んだ。
エメとは気が合い、今でも親しい。「どうした?」と人懐っこい表情を向けたエメに、シトロンは少し気まずそうな顔をした。
「今晩、空いてるか?」
「空いてるけど」
「ちょっと出かけないか? おごるから」
「別にいいけど、どこに行くんだ?」
言いづらそうに口の中でつぶやいた言葉はエメにはよく聞こえなかったらしい。「何?」と聞き返され、シトロンはそれでも低い声で答えた。
「第二区の……花街に……」
「えっ? いいけど……シトロンがそこに行くの、珍しいな」
行ったことがないわけではないがエメの言うとおりシトロンはあまり花街には赴いたことがなかった。恋人に困ったことがないことと、魔力の強い魔族は自身の寿命が長いせいか基本的に淡泊らしいことが理由だった。
エメは軍部の付き合いで利用することもあり、恋人がいない時はお気に入りの娼婦を作ることもあるらしい。ちょうど今はそういう時期で、蘭の館に行きたいのだというと少し渋い顔をされた。
「蘭の館までつき合うのは無理かも。シトロンはあんまり行かないから知らないかもしれないけど、通っている娼婦とか男娼がいる時に他の相手を買うのは嫌がられるんだ。疑似恋愛みたいなところあるからさ。浮気と同じ」
使用人寮の最上階にパランティアの家族は暮らしているため、軍人だが中枢区勤務エメは自宅から通っていた。荷物を置いてシャワーを浴び着替えたエメはますます軍人らしくない。背はエメの方が高かったが、全体的な体格はシトロンの方がよほど軍にいそうだった。
さすがに花街に行くとは言いづらく、飲みに行ってくるという名目で二人はそろって出かけて行った。空は菫色で、夜の気配は強まっていた。
「とりあえず花街までは一緒に行くよ。それでいいだろ? 何か用事があるのか?」
「ちょっと人に会いに……悪いな」
「いいよ。俺はお気に入りの子がいる店に行くから。他の客がついてたらそこで飲んでるよ。“春風の庭”って店だから、蘭の館の近くだし」
「わかった。用事がすんだら一度その店に行く。エメがいなかったら王宮に帰るから」
「帰るのか? ああ、今は恋人がいるんだっけ?」
「えっ?」
「使用人の子と噂になってるのを聞いたから……金髪の、妃候補の子だと思うけど」
シトロンはぎょっとした。確かに妃候補になってもらったこともあってよく顔を合わせるし話もするがミモザはシトロンにとって母なのだ。それが噂になっているなんて……ガーディアに知られたらどんな顔をされるかわからない。とはいえ、まさかミモザが生まれ変わりだと勝手に言うわけにはいかないので「恋人じゃないし、恋人はいない」とシトロンはうなるように答えた。
花街はすでにそれなりのにぎわいを見せていた。ほとんどの店は一階が酒場になっているため、飲みに来る客も多いからだ。軍人らしい団体がにぎやかに杯をかわしている横を通り過ぎ、エメとは蘭の館の近くで別れた。
蘭の館は他の店と比べると落ち着いた雰囲気が漂っていた。店に入るとすぐにテーブル席をすすめられたが、それを断って奥にあるカウンター席へと向かった。カウンターを担当している従業員は魔獣族で、シトロンと似た形の耳をしていたがどうやら狐の魔獣族のようだった。
「すまない、ミモザという従業員がいると思うんだが呼んでもらえないだろうか?」
「ミモザ? 誰だろう……? 俺、通いなので従業員全員覚えてないんですよ。ちょっと待っててください」
狐の男は軽い口調でそう言うと、別のスタッフにカウンターを任せて店の奥へと行ってしまった。しばらくして、彼は別の男を伴って戻ってきた。背の高い、ねじれた角を持った男はクヴィストと名乗った。
「ミモザをお呼びとのことですが、先にお名前をうかがっても?」
「王宮で秘書官をしているシトロンだ。ミモザがケガをしてすぐに休暇に入ったと聞いたから、様子を見に来たんだが……」
それらしい理由を並べるとクヴィストは納得して「こちらにどうぞ」とシトロンを店の奥へと案内した。一瞬身構えたが、進んだ先にあったのは中庭で、奥に別の建物がある。どこかで子どもの声が聞こえ、シトロンは一瞬そちらに気を取られた。
「この蘭の館で働く者の子どもたちですよ。遊びたい盛りでいつもにぎやかで――店の方には声が届かないようにしてあるんです」
「あなたが魔法を?」
「ええ」
「ここの店主なのか?」
「いいえ、店主は私の妻です。と言っても、籍は入れていませんが……私は押しかけ旦那ですね」
ほがらかに笑うクヴィストは、初夏の風のようだった。
シトロンが案内されたのはクヴィスト曰く“家”の応接室のような部屋だった。ミモザを呼びに行った彼を待ちぐるりと部屋を見渡せば、年季の入った家具と美しい風景がが目に入った。風景画は家具やその絵を飾る額縁と違って新しく見えた。
ノックの音がして振り返ると、そこにはミモザが一人で立っていた。紫色の宝石のような瞳がくるりと光り、驚いたようにシトロンを見上げた。それでも後ろ手にきちんと扉を閉めたミモザが片手間でサッと部屋に防音の魔法をかけるのにシトロンは気がついた。
「シトロン、どうしたの?」
「母上……」
思いのほか元気そうでほっとしながら、シトロンはソファに腰を下ろしたミモザのとなりに座った。
「母上が蛇の巣をすぐに退院したと聞いて……ケガの具合もわからないし、心配で、それで」
「そうだったの? パランティアさんに、伝言を頼めばよかった……心配かけてごめんなさい。ケガは大丈夫だから」
「でも陛下がやったんだろ? あの傷……」
「わたしもドラゴンだし、こう見えて丈夫だから。宝石竜は特に表皮が硬いから見た目より平気だったの」
「それならいいんだけど……」
ペタリと耳を下げたシトロンの手に自分の手を重ね、安心させるようにぽんぽんと叩いた。
「彼はどうしてるの?」
「陛下は部屋にこもってる。母上を傷つけたこと、ショックだったみたいだ……当然だけど」
最後のひと言は厳しい声だった。
「そう……」
「傷が平気だったなら、どうしてこんな突然休暇なんて取ったの? それに……」
「それに?」
「その……母上が帰った場所がここだって聞いて、驚いて」
そういえばシトロンには話したことはないかもしれない。隠しているわけではないし採用時に提出した書類には記載があるので知っているかと思ったが、使用人のことはあくまでパランティアの管轄で、国王の秘書官であるシトロンには本来あまり仕事上接点はなかった。
「アルティナが亡くなって、ザルガンドに流れ着いた時にはだいぶボロボロで……ここのファレーナさんに拾われたの。王宮で働く前まで住み込みで下働きをさせてもらってたから」
「そのファレーナさんがここの店主?」
「そう。すごくお世話になって――生まれた家はもうないから、ここがわたしの実家みたいなものかな」
どこか遠くを見るようなミモザが悲しげで、シトロンは重ねられたままだったミモザの手をぎゅっと握った。不思議そうにシトロンを見たミモザはいつもと変わらない。そのことが、何となく不安だった。
「どうしたの? シトロン」
「いや……」
少し眉間に力が入り斜め下を向くと、くすりとミモザが笑う声が落ちてきた。
「そういう表情、彼にそっくり」
「えっ?」
ガーディアはシトロンに父と呼ぶことをなぜか許さず、養子縁組もしてはいなかったが二人は実質父子だと周囲はみなしている。シトロンもそれは知っていたが、みなされているだけで血の繋がりがあるわけでもないし種族も全く違うので当然似ているなんて言われたことがなかった。
胸を過ったくすぐったい感覚は幼い頃を思い出させる。
それはミモザも同じだった。
ほんの少し頬を染め、照れくさそうなうれしそうな顔をしたシトロンの顔を見るとシトロンがまだ幼かった日のことを思い出す。群れから相手にされず、浮浪児として生きてきたシトロンはやわらかな寝床や温かい食事、ほんの小さなやさしさにも戸惑って受け入れるのにもどこか遠慮と照れを見せた。そんな時、いつもこんな表情をしていた……。
*** ***
最初は本当にただの子犬だと思ったのだ。親犬とはぐれてしまった子犬――魔力は感じたが、人間にだって魔力を持つ者と持たない者がいるのだから動物だってそうであってもおかしくはない。ガーディアに魔獣だと指摘されて驚いたが、それならなおさらアルディモアよりザルガンドに来た方がいいだろうと思った。
アルディモアは近隣国の中では魔族に対して寛容だったが、その傾向が強くなったのは他でもない自分がガーディアと結婚したからだと彼女は自覚していた。自分の持つ、国を守り豊かにする聖女としての力は魔族の国であるザルガンドへの対抗策だと密かに見なされていたのを知っていたからだ。
ベライドなどに比べれば偏見はなく、こちらが何も知れなければザルガンドから何かすることはないこともきちんと理解していたものの、やはりザルガンドの強大な力は隣国としておくには恐ろしいものだった。
彼女がガーディアに見初められた時、王家はすぐにその結婚に賛成した。彼女自身、ガーディアに惹かれていたから問題はなかったが、きっと王家は彼女の気持ちがガーディアに向いていなくても結婚を推し進めただろう。結果、聖女の力がザルガンドへの対抗策だという事実は闇に葬られ、アルディモアはザルガンドと同盟を結ぶことができた。
この汚れ切った小さな金色の狼を、ザルガンドに着いたら彼と相談して信頼できる者のところに預けるつもりだった。そうしなかったのは腕の中のこの子が、居心地悪そうにしながらもどこかほっとしたように見えたからだ。
気のせいかもしれない――でも、一度そう見えればもうその子をどこかへやってしまうなんてことは彼女にはできなかった。
最初はその子――シトロンを邪魔者扱いしていたガーディアも元々子どもが好きなのか、少しずつシトロンを気にかけるようになっていった。彼女もシトロンを慈しんだ。ごく普通の三人家族のような関係に、彼女はしあわせを感じていた。
傍から見れば、ままごとのような関係だっただろう――シトロンに母と呼ぶように言ったのだって、自分がただそう呼ばれたかったからだ。でも照れ臭そうにそう呼んでくれるシトロンをいつしか本当に息子のように思うようになっていた。彼との間に子どもが望めないとその時は思っていたから、その分彼を立派に、愛情をもって育てようと――もちろんそれは、ガーディアとの子を妊娠したことがわかっても、変わらなかった。
「シトロン……わたしたちの子……妹を、守ってあげてね……」
現実が受け入れられないのか、どこか呆然とした面持ちのシトロンと、生まれたばかりの赤ん坊をこの腕で一緒に抱きしめてあげたかった。
子どもたちの成長を、ずっと傍で見て、一緒の時間をたくさん作ってあげたかった。
赤ちゃんはどんな子に育つのだろう? 血のつながりはないはずなのに、どことなくガーディアに似てきたシトロンは、どんな大人になるのだろう?
もう子どもたちを抱きしめることどころか、そのために腕を伸ばすこともできないなんて。
*** ***
シトロンもアルティナも、もっと傍にいてあげたかった――傍にいたかった。だからこうして再会し、一緒の時間を過ごせることはうれしく思う。ミモザとしてだがアルティナと過ごした時間もそうだった。でもそれはあくまで、ミモザ自身の気持ちだ。
「シトロンは……」
微笑ましくシトロンを見た紫色にわずかにかげりが帯びる。シトロンの黒い瞳の中の金色の瞳孔は夜空に浮かぶ月を思わせ、それがまたガーディアを思い出させた。
「シトロンは、わたしのこと母上って呼んでくれるけど……やっぱり違うなと思ったりしないの?」
「えっ?」
「前のわたしと……」
シトロンは驚いたように目を丸くしてミモザを見た。
「思わないけど……?」
ぱちりと瞬きをしながらシトロンは何でもないように否定した。見上げた表情はどうしてそんなことをたずねるのか心底不思議そうだ。しかしすぐにどこか気まずそうな表情に変わった。
「いや、その……断言できるほど母上のこと実際はよく知らなかったのかもしれないけど……」
「……ごめんね」
「えっ? あ! こっちこそ、ごめん……悪い意味じゃないんだ」
シトロンが今まで生きてきた中で、シトロンを拾ってくれた母――ミモザの前世と過ごしたのはほんの一時で、彼女が亡くなってからの時間の方がもう長くなっている。一緒にいられなかったことを恨めしく思うことはないが、さみしさは強かった。
「でもわかることもあるよ……見た目はもちろん違うし、性格だってきっとそうなんだろうけど……やっぱり根本的な雰囲気というか、魂のニオイは全く同じだし、それに、」
シトロンの瞳は真っ直ぐにミモザに向いていた。
「母上の延長線上に、今の母上がいるんだと思う」
それはミモザ自身も自覚していることだった。
「そっか……」
シトロンから見てもそうなら、実際にそうなのだろう。そしてシトロンが前世の延長線上に今のミモザを見てくれていることにどこかほっとしたものも感じた。
「母上は、母上って呼ばれるのは嫌だった?」
ガーディアに過去を覚えていることを隠したがっているのもそうだが、もしミモザが前世を切り離して生きているのであれば勝手にそう呼ぶのは彼女に嫌な思いをさせていることになる。
「ううん、そんなことないよ」
「本当?」
「シトロンがそう呼んでくれてうれしい――本当はもっと、傍にいてあげられればよかったんだけど……アルティナにも」
「母上……これから、いてくれたらいいよ。俺の方が年上だけど」
「そうだね」とミモザは笑った。
「記憶がなかったわたしの前世も、同じように見えてたのかな……」
「えっ?」
「前世のわたしの、延長線上に――アンナベルに言われたの。前世のわたしは記憶がなくても今までを積み重ねていった存在だったんじゃないかって」
記憶のあるなしは、もしかしたら大した問題ではないのかもしれない。
「陛下はどう思ってるのかな……」
彼も同じように感じているのだろうか? 今のミモザに対してそうだったとしても記憶がなかった前世の時は? 過去に囚われて、生まれ変わりだからという理由だけで愛していると言っていた? それとも――
「陛下だってきっとそうだよ」
だけどミモザが記憶があることを隠すのはそれだけを気にしているからではないのだとシトロンはわかっていた。二人が最初に出会ってからシトロンでは考えられないほど長い年月がたっている。その分、思うこともあるはずだ。
「……もう少ししたら王宮に戻るから、そしたら少し陛下と話そうと思ってるの」
うなずくシトロンにミモザは微笑み、幼い頃とは感触が変わった金色の髪をやさしく撫でた。




