27.ガーディアのいる茶会
声を上げて驚いたのはシトロンなのか、ティンクなのか、あるいは両方だったかもしれない。緊張から強く響いている自分の心臓の音のせいで、ミモザにはよくわからなかった。意外なことに、アンナベルは落ち着いた表情だった。
「アンナベル……驚かないの?」
「前に陛下にお会いした時、陛下の様子からそうじゃないかと思ったんです。ミモザは、前世のことを覚えているんですね」
「ちょ、ちょっと待って、前世って……まさか、ミモザが物語にもなっている陛下の……?」
ミモザはうなずいた。
「陛下の恋の相手は、いつも人間だって……」
「今まではそうだったけど、今回は違ったみたい」
苦笑いするミモザに、二人はシトロンの様子をうかがうように見た。
「シトロンさまは知ってたんですね?」
「……そうじゃなきゃ、妃候補なんて頼まない。俺にとっては実の両親のようなものなのに、全然関係ない者が候補とはいえ陛下の伴侶になろうなんて――」
「す、すみません……」
「あ、いや――君は悪くないけど……すまない、言い方が悪かったな……。それで、フィアレンセの顔が違うって何の話なんだ?」
困惑するシトロンにミモザは“白い庭”の前でフィアレンセに会った時のことから順を追ってシトロンに説明した。
「それで陛下が……」
「どうかしたの?」
「実は、妃選びの茶会に出るって突然言い出して……母上と何かあったんじゃないかと思って聞きに来たんだ」
「母上って呼ばれてるの?」とティンクが耳うちでたずねたので、ミモザはうなずいた。
「妃選びに顔を出すつもりなら、もしかして“白い庭”でのことを気にしているのかも……」
“白い庭”でのミモザとのことを気にしたのか、それともフィアレンセのことを気にしたのかはわからないが。
「何日か前に、陛下から魔力に似たニオイがしたけどそのせいだったのか……」
不快な感覚を思い出すようにシトロンは顔をしかめた。
「陛下はミモザがそうだって知ってるんですよね……?」
アンナベルの言葉からそう考えティンクがたずねた。
「ああ――だがあの妖精は母上が生まれ変わりだと知らない。もしかしたら、自分がそうだと名乗り出るつもりなのかもしれないな……陛下がそれを信じるかは別として」
「動揺はしてたけどね」
「えっ……動揺してたの?」
「まあまあ」となだめるようにミモザはシトロンの肩をなでた。
「願いを叶えるっていう“妖精の雫”に、たとえば、陛下の大切な人の姿になりたいって願ってその姿になって、陛下からしてみれば昔の恋人と同じ顔の相手が生まれ変わりですっていう雰囲気出して近づいてくる――それで陛下が動揺したなら、イケそうだって思うんじゃない?」
「フィアレンセさんは妃候補に立候補したくらいですし、もともと陛下に対してお慕いする気持ちがあるのかもしれませんね……」
「わたしが言うのもなんだけど、妖精って執着心が強い種族だし、陛下が好きならどんな手を使っても振り向かせたくなると思う」
「どんな手を使っても……」
心臓が重くなったような感覚がしてミモザはそっと胸元を抑えた。
「姿を変えるだけで終わるのかな……」
「何にしても、今の時点であの妖精が陛下に対して魔法のようなものを使っているのは問題だ」
「そうですよね……相手が相手ですし」
ガーディアに対して魔法を使おうなんて無謀な真似をする者はこの国にはいないが、普通に考えて国王相手に魔法を使ったり幻術を使ったりして何の罪に問われないはずがない。
「明日は俺も陛下と一緒に茶会にいるつもりだから気をつけておく。その“妖精の雫”っていうのは――」
「フィアレンセがつけている髪飾りの、水晶みたいな石のことなんだけど……」
ミモザはアンナベルに引き継ぐように視線を向けた。
「わたしが覚えている限り、フィアレンセさんはいつもあの髪飾りをつけています。たぶん明日もつけてくるんじゃないでしょうか?」
「わかった。もし気づいたことがあったら、後からでもいいから教えて欲しい」
シトロンの言葉にミモザとアンナベルはうなずいた。「それから――」とシトロンの夜空に浮かぶ月のような瞳がミモザを映す。
「母上は、大丈夫?」
「えっ?」
「前世の姿だって母上の姿なんだろ? 気にしてるんじゃないかと思って……陛下も傷つけたかもしれないって言ってたし……」
紫色の瞳を一瞬丸くしてから、ミモザは苦い笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。気にならないと言ったら、嘘になるけど――」
ガーディアがフィアレンセに名前をたずねた時、たしかに傷ついたかもしれない――顔に出ていたのだろうか? それとももっと別の理由で彼はそう思ったのだろうか? この胸の奥につもっていく重く苦い感情を、表に出さないようにしたいのだけれど。
***
サンルームにやって来たシトロンのすぐ後ろ、そこにガーディアは自然な姿で立っていた。ゆったりとした衣装に、無造作に流された長い髪。瞳だけは鋭く妃候補たちを見つめていた。
「ガーディア・ヴァラドール・ザルガンド様です」
シトロンが不満そうな顔をしてこの国の王を紹介すると、妃候補たちは一斉に頭を下げた。ガーディアは何の感情もなく手を振ってやめさせ、当たり前のように一番端の席にいたミモザのとなりに椅子を持ってこさせて腰を下ろした。今度はミモザが不満そうに眉間にしわを寄せる番だった。
「立ったまま茶会をするのか?」
その言葉に立ったままだった候補者たちは席についた。入口に立っていたシトロンがガーディアの傍に歩み寄る。
「候補者の方の紹介を――」
「自分の名くらい名乗れるだろう? まあ、大して興味もないが」
「陛下」
たしなめるようにそう言ったシトロンに、ミモザはつい同情的な視線を送った。妃候補たちはまだ驚きから抜け出せていない様子だった。ミモザもアンナベルも、昨日シトロンから聞いていなかったらここにガーディアが来たことに驚いてしまっただろう。
さりげなくガーディアの様子をうかがうと、彼はどこかつまらなそうな顔で控えていた使用人が淹れてくれた茶に口をつけている。あんな風に動揺していたのに、フィアレンセにも興味はないのだろうか?
「えっ」とのどまで出かかった声をミモザは飲み込んだ。代わりに、シトロンがミモザが飲み込んだ声を出して驚いた雰囲気が背中から伝わって来た。
何度瞬きをしても、目の前の光景は変わらない。思わずシトロンを振り返ると彼の夜空に浮かぶ月のような瞳もちょうどミモザに向けられたところだった。見間違いではないらしい。ガーディアもいぶかし気に二人を見た。「どうした?」と小声でたずねてきた彼に、ミモザはどう返したらいいのかわからなかった。ミモザの困惑を察したのか「陛下」とシトロンが動揺を押し込めたような声をガーディアの耳元に落とした。
その声に導かれて視線を上げたガーディアの瞳にもまた驚きの色が走る。やはり、見間違いではない。ミモザのとなりにいるアンナベルや、ロスソニエルも三人の視線の先に気がつき顔色を変えた。
フィアレンセだ――。
立ち上がりかけたロスソニエルをガーディアが視線で制した。「シトロン」と背後に控える秘書官にかけた声は冷静だ。シトロンはまだ動揺が残っているようだったが、気を取り直したように妃候補たちを見据えた。
「陛下に自己紹介を」
ローズ王女がシトロンを睨むように見たが、彼にそれは通じない。ただ「陛下がご存知の方も改めて」とつけ足しただけだ。
「ベライドの第一王女、ローズと申します。お会いできて光栄ですわ」
それでもローズは一番最初を譲らず、美しい微笑みを浮かべてガーディアにあいさつをした。その瞳にははっきりとガーディアへの興味が見て取れた。次にリリアナがあいさつをし、それからマリエル、ロスソニエルとつづいた。
「静かの森のフィアレンセですわ。お茶会に来て欲しいという、わたしのお願いを聞いてくださってありがとうございます」
ざわりと、空気が膨らんだ気がした。ミモザとアンナベルはぎょっとしてフィアレンセを見た。ローズの険しい視線とリリアナの冷たい視線がフィアレンセに突き刺さっている。まるでガーディアがフィアレンセのためにはじめて茶会に出席したような言い方だ――実際そうなのかもしれないと一瞬思ったが、ちらりと見上げたガーディアはこの場にいる誰よりも冷めた視線をしていた。
「お前の頼みを聞いたわけじゃない」
「!! も、申し訳ありません……」
ぞっとするような声に青ざめ、フィアレンセはうつむいた。この間はフィアレンセの容姿にあからさまに動揺していたのに、一体どうしたのだろう? 気まずい空気のままアンナベルが控えめに自己紹介をし、ミモザもそれにつづいた。
ガーディアの金色の瞳がじっとミモザを見つめていた。シトロンが少し心配そうな顔をしたが、彼は黙ってまた入口の近くへと戻って行った。今日はガーディアがここにいるので、シトロンも茶会の間は傍に控えているようだ。
「おそれながら陛下、発言をお許しいただけますでしょうか?」
意外なことに口火を切ったのはリリアナだった。
「何だ?」
「どうして今まで茶会や晩餐に出席いただけなかったのでしょう? わたくしどもは恐れ多くも陛下の妃候補として集められました。役目を果たすことなくただただ時間ばかり過ぎ去る日々は本意ではありません」
「それで? そもそもこの妃選びは財務大臣のドゥーイが勝手に言い出し、俺は好きにしろと言っただけだ。俺には露ほどの興味もない」
リリアナは少し表情を強ばらせた。
「……国を治める者として世継ぎをもうけ、世代を次へと繋いでいくのも一つの役目ではないでしょうか?」
「それは人間の話だろう」
ガーディアは鼻を鳴らした。
「あれこれ理由をつけてそんなに妃の座に興味があるのか?」
「わ、わたくしはそんな!」
「まあ、いつも澄ました顔をなさって自分こそ王妃の座など興味がないという顔をしながらなんて厚かましいのでしょう」
嬉々としてローズが便乗した。
「陛下、リリアナ王女はいつも部屋にこもり本ばかり読んで世間知らずだと我がベライドでも有名なほどなのです。幼子の戯言だと思ってどうぞ聞き流してやってくださいませ。最後に選ぶのは陛下であれば、その過程がいかようでもわたくしは文句の一つもありませんわ」
「陛下は誰もお選びにならない」
ロスソニエルが言い返した。ガーディアは興味がなさそうにミモザの前に茶菓子を運んでいて、アンナベルが何とも言えない視線をそこに向けていた。幸い、他の候補者はガーディアの手元にそれほど気をつけていないようだ。
「陛下がお選びになるのはたったお一人だけだ」
「わたくしだってその話は知っておりますわ。陛下はとてもロマンチストでステキだと思いましたもの――それに、わたくしたちがそうではないと言い切れるのかしら? 王妃様が亡くなられたのは百年以上も前のこと、生まれ変わっているのではなくて?」
「お前のような者があの方の生まれ変わりのわけないだろう!」
「やめろ、ロスソニエル」
立ち上がったロスソニエルに、ガーディアはわずらわしそうに言った。それから冷めた視線をローズへと向けた。
ミモザの目から見てもローズは生まれ変わりの話を知ってはいるものの、そこまで信じてはおらず、おとぎ話のようなもののように考えているように思えた。ローズの瞳の奥がどこまでも冷めていたからだろう。
「しかし、陛下……!!」
ぎろりと睨まれ、ロスソニエルは押し黙った。いくら軍人の彼女でも圧倒的強者であるガーディアに睨まれれば黙るしかないだろう。
お茶会は終始ギスギスとした空気のまま進んだ。ローズだけはその後も積極的にガーディアに話しかけてはいたが、ガーディアの反応は案の定いまいちだ。むしろそれでもめげないローズに感服する。
ミモザはそんなガーディアとローズの様子が気になりつつも視界の端にフィアレンセのことを留めていた。フィアレンセはいつものように、ただ静かにそこにいる。いつもと違うことはその瞳がガーディアに向けられていることだけだ――ミモザにもわかるくらい、はっきりと熱を帯びた瞳が。
苦い感情で重たくなった胸の奥がざわめく。
「ミモザ」とアンナベルが気づかうように声をかけてくれたのに、ミモザは何とか微笑みを返した。だけどまさかこんなこと、予想もしていなかった。このサンルームに来た時は確かにフィアレンセの姿はミモザの前世――の一つ、ガーディアと一番最初に出会った時の姿をしていたのに。
それが今はどうだろう――
アンナベルやロスソニエルも驚いていたのは、彼女たちもその顔を知っているからだろう。アンナベルはまだ若い魔族だが、絵姿などで見たことがあるはずだ。フィアレンセは――フィアレンセは、今、自分がどんな姿になっているのかわかっているのだろうか? それともこれは幻術で、こちらがただそう思い込んでいるだけ?
今日も彼女の髪に飾られた水晶のような石が、奇妙にきらめいた気がした。
茶会が終わるまで、フィアレンセはガーディアに対して何もしなかった。候補者がそれぞれ連れてきていた侍女や護衛と共に部屋に戻って行くのを、ミモザとアンナベルは席に着いたまま見送っていた。シトロンはガーディアといるので無理だとしても、ミモザはせめてアンナベルと今起きたことについて話したかった。
「戻るぞ、シトロン」
そんなミモザを気にしながら残っていたガーディアもあきらめたように立ち上がり、控えていたシトロンへと声をかけた。同時に、フィアレンセも立ち上がる。残っている候補者はもう他にいなかった。
「陛下」
震えるような声でフィアレンセがガーディアを呼び止めた。ミモザとアンナベルは息を止めて二人を見た。ミモザの記憶にも新しい顔が、ともすれば媚びるようにガーディアを見上げているのがなんだかいたたまれない。
「先ほどのローズ王女のお話なのですが……」
言葉の一つ一つが大切だと言うように、フィアレンセはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「わたしも、王妃様が亡くなられた後に生まれました」
「……それで?」
金色の瞳が細められる。空を覆う雲はより厚く、雨音はより強くなってきた。ミモザはガーディアを見つめていた。彼は無表情で、どこか注意深くフィアレンセを見つめているようだった。
「いえ、ただ……何となく、お伝えしておかなければいけない気がしたのです――失礼いたします」
通り抜けたフィアレンセは、雨音が満たされたサンルームに花の香りを残していった。
ガーディアは大きくため息を吐いた。それからミモザに一瞬視線を向けると、再びシトロンを促して今度こそサンルームを後にした。給仕をしていた使用人もいない。残ったのはミモザとアンナベルだけだ。
「……あれは、どういうことでしょう?」
アンナベルが困惑したように言った。
「やっぱりフィアレンセさんは、自分が生まれ変わりだと偽ろうとしているのでしょうか……?」
「どうなのかな……」
「それに、あの姿――」
今日の茶会でガーディアが来る前までは、確かにあの日“白い庭”の前で出くわした時と同じ姿をしていたのに――一体、何がどうなっているのか。
「フィアレンセさんのあの姿、亡くなった王妃さまのものでした……」
「うん……」
ミモザの紫色の瞳は雨粒を映しとったように揺らめいていた。




