25.アンナベルとマリエル -トロストのおとぎ話-
妖精の幻術は、ちょっと見かけをごまかしたり、人間を道に迷わせたり――相手を混乱させることが主な能力だ。それに妖精の執念深さが加わると本来の力以上のものが発揮される。と、本には書かれている。フィアレンセはともかくロスソニエルやティンクを見ている限りそれほど執念深さを感じないから個人差があるのだろう……もしくは長い年月を経て、妖精族のそういう性質は消えてしまったのか。
「随分妖精について厳しく書いてある本ですが、同じ国に暮らしていてこの本が問題になったりしないのでしょうか?」
「古い本ですからもう出回っていないのかもしれませんね」
アンナベルは本の表紙をそっと撫でた。
「ここは基本的に中枢区で働く方しか使えませんし、全員利用できるわけではありません――それに、ここの本は個人の物みたいで……持ち主によっては誰も何も言えないでしょうし」
「個人の? この本が全て?」
「一人の物ではないと思いますよ。古い本が多いので、建国より前の物もあるかもしれません」
「まあ!」
マリエルの瞳が輝いた。
「それなら“夜の国”について書かれた本もあるかしら?」
「“夜の国”?」
「ええ、わたしがこの国にいる間に一番調べてみたいことなのです。トロストを含めたベライド近隣国に広く伝わる民話によく出てくる舞台で、とてもおそろしい国とされています。凶暴な怪物が住んでいるけれど素晴らしい宝物もあって、騎士や王子がその怪物を倒すというような伝説がいくつもあるのです」
「はじめて聞きました」
「もともとはベライドの伝説みたいなのですが、わたしが調べた範囲だとアルディモアにはほとんど伝わっていないので、こちらにも伝わっていないのだと思います」
ベライドとトロストは隣国同士だが、その間に三つの小国があり、その一つがトロストだ。その三国は昔ベライドの一部だったため文化的にも共通しているものが多くあるのだろう。
マリエルが場所を移して――図書館がおしゃべりには不向きなのは間違いない――話のつづきをしようと熱心に誘うので、アンナベルはとりあえず今回の収穫をメモにまとめて、場所をマリエルの部屋へと移すことにした。アンナベルが王宮で過ごしているのと同じ間取りの客間だ。
もっとも同じなのは間取りくらいで、調度品などはトロスト風のものでそろえられていた。年頃の令嬢らしく鏡台には装飾品や花をモチーフにした愛らしいデザインの瓶に入った化粧品が並べらている。壁際には国から連れてきたという人間の侍女が三人控えていた。もう何人かいるらしいが、交代で休みの日を与えているのだとマリエルは話した。。
護衛ももちろんいる。室内を守るのは国から連れてきた人間の護衛で、部屋の外にはザルガンドが用意した軍人の護衛もいた。
アンナベルがマリエルの身の回りの人間の多さに驚いていると、マリエルはローズやリリアナの方がもっと侍女も護衛も多いと笑った。自分は貴族の令嬢としては控えめな方だと。アンナベルにソファの一つをすすめて侍女にお茶を用意するよう頼むと、別の侍女が寝室からトランクを一つ持ってきた。
トランクの中身は本やノートなどだ。マリエルが趣味で集めた各国の民話やそれに関する資料らしい。人間の国の書物はザルガンドでもあまり出回っていないのでアンナベルは興味深そうにそれを見た。
「“夜の国”は本当に様々なおとぎ話に出てくるのです。本当に様々な……子どもの頃、寝る前に乳母が読んでくれた物語にはいつも“夜の国”が出てくるので、子ども心にもしかしたら、このおそろしい国は本当にあるのかしらと興味を持ったのです」
マリエルの声がはずむように語った。
「ここにあるのは個人的に集めた“夜の国”が出てくる物語と、その発生について調べた資料です。物語に関してはほとんどがさっきも言った凶暴な怪物を騎士や王子が退治する、というものばかりですが、ルーツは意外とバラバラなのがとても興味深くて」
マリエルが差し出した本を手に取り、アンナベルはそれをパラパラと読んだ。名前の通り一年中夜に包まれたその国にはおそろしい怪物が――その姿は話によって様々だ――住んでいる。怪物は宝を守っており、王女との結婚の条件として騎士や王子がその宝物を奪いに行く。あるいは怪物が王女をさらい、騎士や王子がそれを助けに行く。もちろんその道中には様々な困難が待ち受け、怪物を倒すのも一筋縄ではいかない。
「怪物や宝物はありませんが、この“夜の国”はもしかしてザルガンドのことを言っているのでしょうか?」
「やっぱりそう思いますか? わたしもそう考えていて、この国に滞在している間に何か新しい発見があればいいと思っているのです。確信が持ててもあまり公にはできませんが」
「どうしてですか?」
「実はベライドやトロストは昔からザルガンドに対して偏見が強いところがあって……ザルガンドというより、そこで暮らす魔族の方に対してですね……」
アンナベルは目を丸くした。
「なので正直、ベライドのローズ王女がいらっしゃるのは意外でしたわ……もちろん、昔に比べたら今は多少マシになりましたけれど、アルディモアの手前もありますものね」
「わたしはザルガンドのことが好きですわ」とマリエルは微笑んだ。
「そうだ、妖精が出てくるお話もいくつかありますよ。この民話集にはさっき図書館で見た挿絵のお話もあります」
子ども向けに書かれた民話集だった。先ほど図書館で見た銅版画とは違う繊細で美しい挿絵が入っている。妖精と人間が恋人同士になり、妖精の国に人間を連れて帰る。そこで他の妖精に見つからないように木のうろに人間を隠すのだ。最後には二人で別の国に逃げしあわせに暮らす――という話になっていた。
「幻術の記述はないんですね」
「このお話だと二人は想いあっていますから」
マリエルはページをめくった。
「こちらのお話には妖精の幻について書かれています――でも、図書館で見たのとは少し違いますね」
むかしむかし――人間の農夫が妻と共に森の近くで暮らしていた。森に住む妖精は妻を自分のものにしたいと考え、農夫が薪を集めに森に入ると妖精の力で農夫をロバの姿に変え、自分は農夫に化けるのだった。
農夫に化けた妖精はロバを連れて妻の元へ戻る。ロバは森で迷っていたところを捕まえた、小屋につないでおくようにと妻に言い、農夫に化けた妖精は家の中でくつろぎはじめる。
妻はロバを小屋に連れていくが、ロバはぽろぽろと涙をこぼす。どうしたのかと妻がたずねても、ロバなので答えることはできない。小屋の屋根にとまった小鳥たちが森で起きたできごとをうわさしているのを聞いて、妻はロバが夫だと気がつく。小鳥たちにあわをたっぷりと与えた妻は妖精の宝物について聞き出す。その宝物の力で、夫はロバに変えられてしまったのだ――。
「この挿絵……」
ページをめくっていた手をとめて、アンナベルは二枚の挿絵を見比べた。どちらも妖精が描かれていて、一枚目は森の中で農夫と会ったところ、二枚目は妻とロバが小鳥の話を聞いている小屋のとなり、母屋でくつろいでいるところだ。
「どうかしたのですか?」
「この二枚の挿絵で、妖精が持っている宝石なんですが……フィアレンセさんの髪飾りに似ていませんか?」
「そうですか? 言われてみれば、たしかにちょっと似ていますね」
「何か――妖精族に由来があるのかしら……」
アンナベルは考えた。もしそうなら、フィアレンセの姿をはっきりと覚えていないことにも関係があるのかもしれない。この物語の妖精も、挿絵の宝石で農夫の姿に化けているくらいなのだから。
「フィアレンセさまもこの物語の妖精のように実は姿を変えているのでしょうか?」
マリエルはお茶請けに用意された焼き菓子を一つつまみながら首を傾げた。
「でもそうだとして、わたしたちがフィアレンセさまの姿をはっきりと思い出せないのはどうしてでしょう……? 誰にとってもそうなら、妃選びという点では不利になってしまうのでは? あの方は立候補で候補者になったと聞きますし、わたしたちと違って陛下に選ばれたいという気持ちがあるのだと思うのですが……」
「そうですね――実はミモザが昨日たまたまフィアレンセさんに会ったそうなんですが」
アンナベルはまだフィアレンセに会っていない。次のお茶会は明後日なのでどこかでばったり会わない限りそれまで顔を合わせる予定はなかった。
「その時、顔が違う気がしたそうなんです。ただ、元の顔が思い出せないみたいで……わたしもそれでフィアレンセさんの顔が、あまり印象に残っていないなと思ったのですが」
「まさか別の顔になるために、自分の顔の印象をなくした?」
「そうですね……ミモザの話しかまだ聞いていないので、はっきりとは言えませんが……思い込みかもしれないですし……ただ、ミモザが気にして、なんだか不安そうに見えたので」
「心配されているのですね」
心から友人の心配をするアンナベルの姿をマリエルは微笑ましく見つめた。
「でもたしかにどんな顔だったか思い出せないと、変わったかどうかは確信が持てませんよね……」
「ミモザには何か気になることがあるみたいなのですが……」
「フィアレンセさまの姿が本来の姿と違っているとして、もしかしたらミモザさまはフィアレンセさまの変化した後――と言っていいのでしょうか? そのお顔に見覚えがあったのかもしれませんね」
「そうですね――そうかもしれません」
それだけではないような気もしたけれど、こればかりはミモザに聞いてみないとわからない。教えてくれるかは別にしても。
「色々と、お話を聞いてくださってありがとうございます、マリエルさん」
「いいえ、もし何かあればいつでもわたしでよければ力になりますからおっしゃってください」
アンナベルはマリエルに感謝をした。お礼に“夜の国”について調べるのを手伝うことを約束すれば、マリエルは好奇心をきらめかせて満面の笑顔をアンナベルに返したのだった。




