24.アンナベルとマリエル -図書館にて-
中枢区にある王宮図書館は他の建物とは渡り廊下などで繋がっていない独立した建物になっている。星宮に次いで古い建物で、壁は一年中緑を茂らせる蔦で覆われていた。入口から入る時は同じ植物を這わせた緑のアーチをくぐることになるのだが、アンナベルはそれがまるでおとぎ話の中に入り込むような気分になれて好きだった。
本の精霊が司書としている以外、誰の気配もない。本棚と本棚の間をぬけて目的の場所へとたどり着く。繊細な金色のインクで草花をモチーフにした模様が描かれた本が多くあるその区画は、妖精についての資料がそろっていた。
適当に一冊を手に取り、パラパラとめくりながら妖精の幻術についての記述を探す。昼にミモザと話した後もフィアレンセのことを思い返してみたが、やはりその顔をはっきりと思い出すことはできなかった。もしかしたらそれも幻術のせいなのだろうか?
それらしき記載を見つけて手を止める。妖精の幻術は魔法と違って魔力によって行われるわけではなく、妖精の持つ翅の鱗粉にその力があること、人間の世界にいる力が弱い悪戯好きの妖精が特に好んで使うことが書かれていた。
ザルガンド――というより、この名も無き王都で暮らす妖精族は普段は翅をしまっている。生活するのに邪魔になるからだ。これは他の種族でも同じで、本来はどんな姿の魔族であっても基本的には皆、人間と同じ姿を取っている。アンナベルは妖精の翅をほとんど見たことがなく、翅の鱗粉というのがいまいち想像できなかった。蝶と同じイメージでいいのだろうか……?
魔力量が個人で違い、魔法の得手不得手があるように妖精の幻術もその力量には個人差があるらしい。その辺はティンクに聞いた方がいいかもしれない――めぼしい本を何冊か手に取り、アンナベルは窓際にいくつか置かれたテーブルへと向かった。妃選びで王宮に滞在している間は図書館の利用許可を得ているがここにある本は基本的に貸し出しされていない。どうも、個人の持ち物を中枢区を利用する魔族なら誰でも読めるように図書館という形で置いているらしかった。
図書館は周りも緑で囲まれていて、窓からほとんど日差しが差し込まない。魔法の灯りがふよふよと浮いていて、本を読むのにちょうどいい明るさを保っている。アンナベルが席に着くと、すぐそばにその灯りがいくつか集まってきた。
ミモザは――
ミモザは、どうしてフィアレンセの顔が違うかもしれないということを気にしているのだろう? たしかに国王に幻術が使われたとなれば大問題だが、ミモザが気にしているのはまた別の理由からのように感じた。
古い時代の妖精が気に入った人間を幻で惑わし、木の中に閉じ込めてしまったという昔話がある。銅版の挿絵の妖精が、翅から何か粉のようなものを振りまき、木のうろに入った人間はどこかうつろな表情をしている。
「あら」
静かな空間が破られた。アンナベルが顔を上げると、この図書館を囲む木々に似た色の瞳と目が合った。
「アンナベルさま」
「マリエルさん」
妃候補の一人マリエルは人間の国トロストの貴族の令嬢だ。ローズの国やリリアナの国よりも小さな国の出身で王族でもないが、マリエルの家はアンナベルの父ドゥーイ卿の商売仲間だったためその縁で妃候補となったのだ。
「こちらで会うのははじめてですね」
「ええ、マリエルさんもよく図書館にいらっしゃるんですか?」
「はい。ザルガンドに来たからにはこの国のことを色々と知りたいと思って許可をいただいたのです」
マリエルの腕には何冊か本が抱えられていたが、この国の地理についての本ばかりだった。アンナベルはマリエルに目の前の席をすすめ、テーブルに広げていた本を自分の手元へと寄せてあげた。
「そのお話、小さい頃に読んだことがありますわ」
アンナベルの手元を見てマリエルが言った。「もっとかわいい絵柄の絵本でしたけれど」と苦笑いが漏れる。
「人間の国にザルガンドの話が?」
「はい、ただおとぎ話として、ですが……」
「おとぎ話?」
「わたしもトロストと近隣国以外はあまり詳しくはないのですけれど――この国で昔起こったことは、わたしたちの国ではおとぎ話として伝わっていることが多いのです」
マリエルの緑色の瞳がきらめいた。
「この国に来て決して作り話とは限らないとはじめて知りました」
「わたしも人間の国におとぎ話として伝わっているとは知りませんでした。この妖精の話は三百年くらい前に起こったことで、暗闇の森に迷い込んだ人間を妖精が見初めて連れ去ってしまったんです。もちろん不法入国ですから、その妖精は手引きをしたと罰せられたと記録に残っています」
アンナベルは開いていた本をマリエルにも見えやすいようにした。
「この挿絵は少し大げさですね」
「この人間はどうなったのでしょう?」
アンナベルはページをめくった。妖精に惑わされた人間は見つかった時にはもう正気ではなかったと書かれているが、それ以降のことは何も記載がなかった。大体想像はつくが……。
もし国王に幻術が使われていた場合、国王もそうなってしまうのだろうか? アンナベルは恐ろしくなった。いや、でもこの国の王が妖精の幻に負けるなんて想像できない……。
「妖精族の方はみんなこのような感じなのでしょうか? 妃候補の方にも妖精の方がいらっしゃいましたよね?」
「フィアレンセさんとロスソニエルさんですね」
「えっ? あの軍人の方も妖精なのですか?」
「ええ。ただあのお二方は出身が違うので、ひと口に妖精と言ってもいろいろな方がいますから」
「妖精はたしか……自然からお生まれになるのでしたよね?」
「そうです。植物や水、風など様々なものから」
「勉強になりますわ」
マリエルはほうとため息をついた。
「あまりこんなことを言うと問題になるかもしれませんが……わたしが妃候補になったのは、妃になるためではなくこの国に来てこの国のことを知りたかったからなのです」
「まあ、そうなんですか?」
そういえばマリエルとこうやってきちんと面と向かって話すのははじめてのことだ。彼女は妃選びの場でもほとんど発言をしない。よく興味深そうに辺りを見回す視線が印象的で、どちらかと言えば何を考えているのかわからない人間だとアンナベルは思っていた。
「父は――アンナベルさまは父をご存知ですよね? 父はドゥーイ卿にはよくお世話になっておりますし……。父は色々と――あけすけに言えば儲け話を求めて妃候補としてわたしをねじこんだのです。この国はアルディモア以外と国交を開いていませんし、それでいて人間の国では得られないものがたくさんありますから……ザルガンドのものは高く売れると父が出資している商会の者と話していたのを聞いたこともあります」
マリエルは表情を暗くした。偶然耳にしてしまったらしいが、その会話は彼女の父がトロストにザルガンドで手に入る何か品物を密輸しているということに他ならない。そしてアンナベルは、自分の父のドゥーイであればそういう商売に関わっていてもおかしくはないと思っていた。
マリエルはつづけた。
「でもわたしはそういう父の考えはあまり……父を止める手立てを持っているわけでもありません。父に逆らうことができないのなら大人しく従うフリをして、この国で自分の好きなことをしようと思ったのです。もともと個人的にこのザルガンドという未知の国に興味がありましたし、妃候補になれば堂々とこの国に滞在できて、こうしてこの図書館を使うこともできています」
マリエルの父はトロストの公爵で、父ドゥーイの商売相手の一人だ。アンナベルも何度か自宅で公爵のことを見かけたことがある――父の商売相手の人間が父を訪ねてこの国を訪れることは時々あった。アンナベルが父であるドゥーイ卿に思うところがあるように、マリエルも自分の父にあまりいい感情を抱いていないのだろう。
もっとも、アンナベルはマリエルと違って自分自身の目的を持たず父に言われるまま妃候補になってしまった。しかも今は国王にスパイの真似事まで頼まれ、やはりそれも断れなかった。はずむような声でザルガンドへの興味を語るマリエルは輝いて見える。自分にも何かあればいいのに――。
「アンナベルさまのお父上を悪く言う用で申し訳ないのですが、ドゥーイ卿は少しでも多く手ゴマが欲しかったようですわね。父がわたしを妃候補にと卿に頼み込んだ時、保険のようなことを言われましたから」
「それは……父が申し訳ありません」
「いいえ、気になさらないでください。父はわかりませんがわたしは全く気にしていないので……でもアンナベルさまが最終的に選ばれるのならわたしとしては……」
「父の本命はわたしではなく、ベライドのローズ王女かイシルマリのリリアナ王女です――どちらかと言えば、ローズ王女でしょうか?」
アンナベルは困ったように笑った。
「それに陛下はきっと誰もお選びには……」
言いかけて、アンナベルは思いとどまった。今はもう、そうだと言い切れなくなっていたのを思い出したからだ。
「アンナベルさま?」
「いいえ、何でもありません。ただ、陛下はいつもある意味で同じ方をお選びになるのは有名な話ですから」
「生まれ変わりのことですか? ザルガンドに来たばかりの頃、親切な方が教えてくださいました」
マリエルは笑った。
「それもおとぎ話ではないのですね?」
「ええ、おそらくは――その話を元にしたフィクションもたくさんありますが」
「それは読んでみたいですわ。この図書館にはないのでしょうか?」
「たぶんないと思います……第三区の国立図書館にはあると思いますが……」
「そうなんですね……」
「よかったら今度お貸ししましょうか? 個人的に何冊か持っているのです」
「いいのですか?」
「ええ、お部屋にお持ちしますね」
「ありがとうございます!」
うっかり声を大きくしてしまったマリエルは慌てて口を押えた。司書以外は誰もいないが図書館は静かにするのはどの国も共通したルールだ。
「そういえば、アンナベルさまは何か調べものをしてらしたのでは? お邪魔してしまいましたね……」
「いいえ、そんな――そういえば、マリエルさんはフィアレンセさんのお顔を覚えてらっしゃいますか?」
「えっ?」
マリエルはきょとんとしたが、それでも少し考える様子を見せてくれた。
「そう言われると……」
マリエルさんも……。
アンナベルは表情を曇らせた。ミモザよりフィアレンセと顔を合わせた回数が多い自分やマリエルがこうも顔を覚えていないとなると、フィアレンセが最初から意図的にそうしていた可能性は高い。自身が意識に残らないように……ただ魔法を使えば誰かしらが気づきそうだ。
しかし今まで誰も何も疑問に思わなかった。そうなるとやはり妖精の幻術が使われた可能性を疑うべきだろう。幻術にどこまでのことができるかはわからないが……。アンナベルはマリエルを見た。それから――ガーディアのことは伏せて――フィアレンセが自分たちに何か魔法のようなものを使って印象に残らないようにしているかもというようなことを話した。
「それで、妖精の幻術について調べているんです」
「妖精の、幻術……ですか?」
「ええ、魔法とは違う力なのですが……わたしやミモザは妖精ではないので詳しくわからなくて」
「ミモザ……あの新しく妃候補になった使用人のかわいらしい方? 仲がいいのですね」
「ええ」
アンナベルは何となく胸の奥がそわそわした。友人が褒められたこととミモザを友人と呼べることがなんだかうれしかった。
「ミモザが気づいたんです。それで協力して調べています」
「よければわたしにも手伝わせてください」
「えっ、でも――」
「聞いたところわたしにも無関係の話ではないようですし……妖精の幻術というものに興味があります」
はずむような声は、完全に後者が協力の理由であると訴えていた。
アンナベルは思わず笑ってしまった。もちろん図書館なので声を立てず、ほんの少し息を漏らした程度だったが。
「お願いできますか?」
一人より二人の方が幅広く調べられるし時間も短縮できるだろう。ただ幻術への興味だけで手伝ってくれるというマリエルには利用するような気持ちになって申し訳ない気もするけれど――それでも明るいマリエルの笑顔を見たら、少し気にならなくなった。




