23.幻の香り
明け方の朝露
妖精の鱗粉
花のゆりかご
金色の蝶
機嫌よく口ずさみながらいつもより綺麗に結えた髪にいつもの髪飾りをつけた。鏡の中に映る表情は、自分でも上機嫌だと思う。とても幸福で、今ならどんなことでもできそうだった。
明け方の朝露
妖精の鱗粉
花のゆりかご
金色の蝶
くり返す音は幼い頃、母から聞いた“おまじない”だ――そのリズムに合わせて、髪飾りについた水晶がきらりと輝いて見えた。
***
指先で角の断面に触れると、でこぼことしていたそこは以前よりもなめらかになっていた。スカーフを巻いた時に上から触った時の感触的にも少しずつ伸びてきているようだ。思ったより早く伸びているのはガーディアのおかげだろうか。
少しずつ気温が上がり、日差しも強くなっている。“星の涙”はあまり環境に左右されない強い植物なのであまり意味がないかもしれないが、いつものように掃除をした後、今日は雨を降らすように水を撒くことにした。
“白い庭”自体それほど日が差し込まない。庭園によっては日当たりがよく、日焼けに気をつけないといけないとティンクがぼやいていた。ミモザもスティナからよく気をつけるように言われている。本来の姿ではないので手荒れも含めてそこまで気にしてはいなかったが、妃選びに参加する以上はスティナの言葉に従わないといけないだろう。
“星の涙”の透き通った花弁が、ミモザが降らせた水を受けてゆらゆらと輝いて見えた。ちらりと霊廟へと視線を向けると、ガーディアはいつものように霊廟の入口に降りる階段に腰を下ろし、いつもと違って書類のようなものに目を通していた。どうやらこの間ミモザに「仕事をしなくていいんですか?」と聞かれたことを気にしているらしい――シトロンから聞いたのだが、とても感謝された。
「わずらわしい気配が消えたな」
書類から顔を上げることなくガーディアがふとそう言った。たしかに今日はあの使用人たちはいなかった。ガーディアに睨まれ恐れをなしたのか、パランティアに注意されたのか理由はわからない。パランティアに報告はしたのだが。
「この近くも立ち入り禁止にした。この間いたヤツらには特に注意しておくようにパランティアにも伝えてある。ここに無関係の者が近づいて欲しくないからな」
ミモザが首を傾げたのに気づいたのか、ガーディアはそう言って霊廟へと視線を向けた。
「……わたしはいますけど」
「ミモザは無関係じゃない」
明言はしないがきっぱりとした口調でそう言ったガーディアにミモザは困った顔をした。
「そんな顔をしないでくれ。困らせたいわけじゃないんだが……」
「ガーディアさまにはわたしじゃなくて、もっとふさわしい方がいると思いますよ」
「妃候補の方にも、ステキな方はいますし」と、ミモザはそっとガーディアから視線をそらした。ガーディアがミモザのことを生まれ変わりだとわかっているなら、そう言えばガーディアが少なからず傷つくのはわかっていた。
でもミモザがそれをガーディアの口からはっきりと伝えられたことはない。ガーディアの恋の話は有名なので、こうやってガーディアと話していてもしかして自分がそうなのではないかと全く思わないのも不自然だ。あまり言葉を重ねすぎても記憶があることがバレてしまう恐れがあったので、ミモザはこうしてはぐらかすことしかできなかった。
「そんなことはない」
きっぱりとした声に、ミモザはやはり眉を下げることしかできない。水に濡れた“星の涙”がどこかさみしそうにしているように思えた。
何となく気まずい雰囲気のまま掃除を終わらせ、それでも今日もガーディアはミモザを“白い庭”の出入口まで見送った。庭の外はミモザが今日ここに来た時のように誰もいない――アーチを出たところでタイミングよく蝶が飛んできて、わずらわしそうにガーディアがそれをふりはらった。ちょうど彼の視線の高さを飛んでいたのだ。
ミモザはぱちりと瞬きをした。ふりはらった蝶は、その瞬きの間にどこかに消えてしまっていた。そして、
ふわりと、花の香りがした。
ミモザとガーディアは同時に顔を上げた。最初に目についたのは、妖精族が好んで着るような薄い布を幾重にも重ねた愛らしいデザインのドレスだった。
「まあ、陛下」
日傘の向こうから、軽やかな声がした。どこか記憶の奥をくすぐるような声だった。
「……誰だ?」
ミモザをかばうようにガーディアは一歩前に出た。低い声は警戒心を隠しもしない。しかし相手は全く気にする様子もなく、ゆっくりと差していた日傘を下ろした。
その時、ガーディアがどんな顔をしていたのか――彼の背中にいたミモザは知らない。
きっと、ミモザと同じ顔をしていたのだろう。
日傘を下ろしたその先を、にっこりと笑って愛おしそうにガ―ディアを見るその視線を、ミモザは確かに見たことがあった。そう、遠い昔の記憶だ。
花の香りと共に現れたのは、間違いなくかつての――ガーディアと最初に愛しあった、ミモザの前世の姿だった。
風で木々は揺れているのに、その音が耳に届かない。穏やかな笑みを浮かべる目の前の妖精と、ガーディアの背中を同時に視界に入れながら、ミモザは息をのんだ。「どうして」とガーディアが低くつぶやく声が聞こえた。どうして――他人の空似とか、偶然とか、そんな言葉で片づけられないほどに同じ顔をしている。
遠い昔の記憶でも、はっきりとそれがわかった。ガーディアも同じなのだろう。だからこんなにも困惑している。
でも、
「お前の……名は?」
ガーディアがそうたずねた時、ミモザは心臓にぴたりと氷の刃の切っ先を当てられたような感覚がした。どうして、と、今度はミモザがたずねたかった。
いつだってガーディアは、最初に名前をたずねる――。
どうして、名前を聞くの……? そうたずねることなどできなくて、ミモザはぐっと唇を結んだ。
「静かの森の、フィアレンセと申します」
「……妃候補か」
「はい――“白い庭”に近づくのはあまりよくないと思ったのですが、どうしても陛下にお目にかかりたくて……使用人の方たちがここで陛下を見かけたことがあると噂していたのを耳にしたので、つい――」
頬を染めながらフィアレンセは言った。
「この“白い庭”の近くも立ち入りは禁止だ――今回は見逃すが……」
「そうだったのですね……申し訳ありません」
「いや、今後気をつければいい」
落ち込んだ顔をするフィアレンセにガーディアはまだ困惑が抜けきらない声でそう言った。
「では、わたしはこれで失礼しますね――陛下、ぜひ今度のお茶会にはいらしてください」
「……」
軽く会釈をし、日傘を差し直してフィアレンセが立ち去ると、やっとミモザの耳に風の音が届いた。木々は揺れ、遠くで鳥が鳴く声がする――しかしミモザとガーディアの間には、沈黙が座り込んだままだ。
振り返ったガーディアは、驚いたような、困惑したような、複雑な顔をしていた。自分が今、どんな顔をしているのかミモザにはわからない。彼が何か察するような表情になっていなければいいのだけれど。
「ミモザ、」
「わたし、戻りますね」
ガーディアの言葉を遮ってミモザは軽く会釈をすると足早にその場を後にした。
でも、
その日一日の仕事を終え、風呂に入り、自室のベッドにダイブする。顔だけ動かし横を見れば、部屋の隅に置かれた姿見に映った自分のしょぼくれた顔と目が合った。記憶にはそれなりにはっきりと、今までの自分の顔が残っている――どれも今とは違う顔で、もちろん一番最初、ガーディアとはじめて出会った時の自分も全く違う顔だった。日傘を差し、微笑んでいた妖精の顔と同じ顔……
でも、
眉間にぐっと力が入る。胸の中がもやもやして、大声で叫びたい気分だった。ここが誰も知らない森の中ならきっとそうしていただろう。
「あの妖精、あんな顔だった……?」
今のミモザは前世のどの時とも違う顔をしている。でも、フィアレンセの顔もミモザの前世のどの顔とも違った気がした。もしあんな風に同じだったら、最初に顔を合わせた時にさすがに気がついたはずだ。。
妃候補として参加したお茶会や晩餐会で何度か顔を合わせた時の記憶を思い返そうとしてみるけれど、フィアレンセの顔をどうしてかはっきりと思い出すことができない。フィアレンセはいつも特に会話に参加することなく、静かにその場にいた気はする――それだけの、陰が薄い存在……。
胸の中のもやもやはそれだけが理由じゃないことはわかっているけれど、そのことが妙に気になった。
動揺したガーディアの顔が脳裏によぎり、ミモザは枕に顔を埋めた。ガーディアが過去から解放されて欲しいと思っているけれど、この気持ちはどうにもならない。
***
「何か、変なニオイがする……」
夕食の席につくなり、シトロンが顔をしかめた。
「俺に言ってるのか?」
「そうだよ――どうかしたの?」
ガーディアの様子がいつもと違うのは誰の目から見ても明らかだった。落ち込んでいるような、それでいてどこか浮ついているような雰囲気をまとっている。「別に何も」と言いながら、ガーディアは大きくため息をこぼした。
「言ってることと態度が真逆だけど」
「……ミモザを傷つけたかもしれない」
「は?」
地を這うような声に、ガーディアはわずらわしそうに手を振った。
「やめろ、無意味な威嚇をするな」
「無意味じゃない。母上を傷つけたらいくら陛下でも許さないから」
「母離れしろ。そもそもミモザの方が年下だろ」
シトロンは唸った。実際はガーディアの言うとおりだし、母とミモザは同じでいて違うのだからそうした方がいいのだろうが、気持ち的にはそうはいかない。しかし下手に話をつづければ、ミモザに前世の記憶があることがバレてしまうかもしれない。
「……それで、これ、何のニオイ?」
「そんなに臭うか?」
今度はガーディアが顔をしかめた。鼻の良さだけならシトロンの方がよっぽど良い。気をつけて嗅げば確かに何か甘さを含んだニオイがした。
「魔力のニオイみたいだけど……ちょっと違うような……?」
「魔力……」
まさか――という気持ちが湧く。しかし確信を持つにはわからないことが多い。
「……次の茶会はいつだ?」
「茶会?」
「妃候補たちのだ」
「えっ? 顔を出すの?」
「ああ、ミモザもいるし」
「……明々後日だけど、母上に迷惑をかけるのはやめてくれよ。あくまで形だけの候補者なんだから」
「候補は候補だろ」
ガーディアがテーブルを指先で叩くと冷めた料理から湯気が上がった。渋々シトロンは料理に手を付けた。結局何があったのかわからずじまいだ。
***
「妃候補の、フィアレンセがどんな顔だったか覚えてる?」
翌日、昼休みにアンナベルと会った時にミモザはそうたずねた。妙な質問だとは思ったが、他に聞きようがなかった。案の定、アンナベルはきょとんとして首を傾げ、「え?」と声をこぼしたが、ミモザがあまりにも真剣だったため「そうですね」といつものお茶会の風景を思い出し、それから彼女にしては珍しく眉間にしわを寄せた。
「改めて聞かれると……印象が薄いというか……あ、その、決して悪い意味ではないんですけれど……」
「やっぱりそう?」
「フィアレンセさんがどうかしたんですか?」
「ちょっと気になることがあって……その、“白い庭”の近くでばったり会ったんだけれど」
「“白い庭”の近くで? それじゃあ、陛下とも顔を合わせたんですか?」
「うん――彼女、陛下と会いたくてわざわざ近くまで来たみたいで……」
「他の候補の方たちが聞いたら怒りそうですね……」
たしかに……ミモザはため息をついた。その問題は考えていなかった。
「それで、その時……なんというか、あんな顔だったかなと思って……別人みたいだったというか」
実際は元の顔が思い出せないので、元からミモザの前世と同じ顔だった可能性もなくはないが……それにしてはもやもやとする。
「何か魔法を使っていたとか?」
アンナベルは言った。フィアレンセは立候補で妃選びに参加している。国王がいたなら少しでも魅力的に見せようと魔法を使ってもおかしくない。
「魔法を使ったなら、一緒にいた陛下が気づきそうな気もして……気づいて無視した感じでもなかったの」
「それもそうですね……陛下より魔力の強い方はいないでしょうし……」
「なんだか気になって……」
「フィアレンセさんは妖精ですし、ティンクに意見を聞いてみたらどうでしょう? 妖精の幻術は魔法とは違うと本で読んだことがあります。もしかしたら魔法じゃなくて、何か幻術が使われたのかも」
「幻術……」
妖精の幻術についてはミモザもよく知らない。魔力の量や強さは関係ないのだろうか?
「わたしも午後に図書館で調べてみますね」
「ありがとう」
「いいえ、気にしないでください。妖精の幻術にも興味がありますから」
薄っすらと空に模様を作っていた雲の隙間から太陽の日差しがいつもの王宮の調理場の裏にあるベンチへ降りそそいだ。アンナベルにもう一度お礼を言って、ミモザは昼食のサンドイッチの最後のひと口を口の中に放り込んだのだった。
一日の仕事を終えて寮に戻ると、ミモザは早速ティンクを捕まえた。調理場で余ったチョコレートを手土産に彼女の自室へと足を運ぶ。ティンクの部屋は華やかな色合いと植物をあしらった小物でまとめられていた。窓辺には鉢植えが置いてあり、ハーブを育てている。そのスッとする香りがほのかに部屋を満たしていた。
「聞きたいことって?」
お茶を用意しながらティンクはたずねた。やわらかなラグの上に座り、テーブルの代わりに紙を敷いてそこにチョコレートを広げた。
「妖精の幻術のことを知りたくて」
「また突然ね」
チョコレートはローズ王女のお茶会用に作ったものの形が悪く出せなかったものだ。もちろん味に問題はない。
「魔法とは違うって聞いたんだけど、どう違うの?」
「うーん……違いね……とりあえず、魔力は使わないかな?」
改めてたずねられると答えに困るらしく、ティンクは考えながら説明した。
「妖精族ってほとんどみんな翅を持ってるんだけど、その鱗粉が幻を生み出すの。人間の国に住んでいるような力の弱い妖精は、それで人間をからかって遊ぶんだけど……」
「それって、魔力が強い相手にも充分に効くもの?」
「どうかしら……? 試したことがないけど、効くと思う」
「防ぐ方法はないの?」
「うーん、とりあえず、鱗粉が原因だから鱗粉がなくなれば幻もなくなるけど」
「鱗粉……」
「吸い込ませたり、宙に舞わせたりするんだけど……でも鱗粉って、もともと翅から勝手に出るものなのよね。もちろん、幻を見せるにはそういう意識が必要だけど……防げるかって言われるとビミョウかも」
「わたしもあんまり使ったことないから詳しくないのよね」とティンクは困ったように言った。妖精は基本的に感覚で幻術を使うので、ちゃんとした魔法のようにやり方やその防ぎ方が決まっているわけではないと。
「風とかで、吹き飛ばせないかな……」
「どうだろう? やってみないとわからないかも」
もしフィアレンセが幻術を使って姿を見せかけているなら、物は試しでやってみるといいかもしれない。次のお茶会にガーディアが現われる可能性が高いのならその時にでも。魔法で少し風を吹かせるくらいなら害もなく、効果がなくても問題も起きないだろう。
「何かあったの?」
ティンクがやさしくたずねた。
「えっ?」
「そういう顔してる」
「そう?」
「わたしでよければ話くらい聞いてあげる」
ミモザは返事の代わりにチョコレートを食べた。ティンクに相談したい気もするけれど、前世のことやガーディアがミモザが生まれ変わりだと気づいていることを伏せてうまく話せる自信がない。フィアレンセのことだけ話したとしても、きっとティンクはミモザが国王であるガーディアに恋をしていると思うだろう。
チョコレートの中にはジャムが入っていた。どろりとした感触は、ミモザの胸の中に湧いた感情と質感が似ているけれど、この感情はジャムのように甘くはなかった。




