22.白い庭(2)
なんだか押し切られるような形で“白い庭”の掃除をすることになったが、できれば顔を合わせないようにした考えてわざと不定期的に掃除に行くことにした。と言っても、元々の仕事の方が優先なのは当たり前なので意図しなくてもそうなるのだが。
「陛下……」
ガーディアに改めて“白い庭”の掃除を頼まれてから少し日を置いて、ミモザは“白い庭”へと足を運んだ。事前に知らせなかったので、ガーディアには伝わらないはずだ――と思っていたのに。
ミモザが掃除を――掃除と言ってもほとんど地面を花で埋めつくされているので魔法で余分な落ち葉や雑草を取り除くくらいしかやることはないが――はじめてそうしない内に、ガーディアはふらりと“白い庭”に現われた。
ミモザがいることに驚きもしない彼は、どうやらわかっていてここに来たらしい。微笑む彼の機嫌は誰の目から見てもよさそうだった。
「名前で呼んでくれ」
「……ガーディアさま、どうしてここに?」
「ミモザが来るのがわかったから。やっと来てくれたな」
「どうしてわかったんですか?」
「君はドラゴンだろう?」
そうだった……ミモザはしまったという気持ちを思わず顔に出した。彼が星影の竜であることまで考えていなかった。
「星影の竜さまは、誰かまで特定できるんですか?」
「まさか――だがこの国にいるドラゴンは俺とミモザともう一人だけだ」
「もっとも、ミモザならドラゴンの群れの中でも見つけられるが」というガーディアの言葉は聞こえなかったことにして、もう一人はきっと蘭の館のクヴィストのことかとミモザは考えた。
「話をしないか? 君のことが知りたい」
「掃除をしに来たんですよ?」
「……わかっている」
はっきりと告げると、ガーディアはバツが悪そうな顔をした。大人しく霊廟の入口に降りる階段に腰をかけ、掃除をはじめたミモザを見守るように視線を向けた。
「手を動かすのを優先していいから、話をしないか……?」
「それくらいなら……」
ミモザだって別にガーディアを嫌っているわけではない。が、会ったばかりという体を意識しなければすぐにボロが出そうなのでどうしても素っ気なくなってしまう。
魔法で風を起こし、地面いっぱいに広がっている“星の涙”の合間からこの庭を囲む木々からこぼれ落ちた葉や木の枝をすくい上げた。ゴミ袋を広げてしっかりと手で押さえると、風がすくったゴミをその中に落とす。うまく袋に入らなかった分は地道にほうきとちりとりで取り除いた。
「いつもそのスカーフをまいているな」
同じ動作を繰り返すミモザにガーディアがふとたずねた。今日もミモザは母の形見でもあるくたびれたスカーフを頭に巻いていた。
「ずっと気になっていたんだが、角はどうしたんだ?」
ぴたりとミモザは手を止めた。ガーディアの問いかける声は言葉通り「気になったから」以上の感情は見られなかったが、ドラゴンにとって角は大切な体の一部。人間の姿をとっていても残るそれが、まさか折れたとは言えなかった。ドラゴンとしては恥ずべきことだ。
表情を硬くして押し黙ったミモザに、ガーディアは近づいてきた。その表情は心からミモザを案じているようで、ミモザはますますいたたまれなくなった。
「ミモザ……」
「角は……折れてしまったんです……事故で」
渋々と言った口調でミモザは告げた。「事故?」とガーディアは眉をひそめるので、「子どもの頃で、まだ少しやわらかかったので」と補足した。
「子どもの頃のことなら、どうして今も伸びていないんだ?」
「ザルガンドに来る前は人間の国をあちこち転々としていたので、角がないほうが都合がよかったんです……それで、魔法で伸びないようにしていたんです。今はやめたので、これでも少しずつ伸びているんですよ」
「伸ばすのを手伝おうか?」
「えっ? でも……」
「手伝う」ということは、少なからず魔法を使うということだ。角がもし折れたり欠けたりした場合は自然に元通りになるのを待つ方が丈夫で美しい角になるということをミモザは知識として知っていた。
ミモザの困惑を察して、ガーディアは片眉を上げた。
「全て魔力でやろうとするとたしかに脆い角になるし、形も歪みやすいが、少し成長を促してやる程度なら問題ない」
「そうなんですか?」
ガーディアが嘘をつく理由もメリットもないので疑うことはなかった。はじめて知ることにミモザは素直に感心した。もっともその加減はミモザにはわからなそうだったが。
「頭のそれをはずして見せてくれないか?」
ほうきを地面に置いて、ミモザはまだ少しためらう気持ちもありながらゆっくりとスカーフを外した。こめかみの少し上、本来なら二本の角があるべき場所には黒曜石の塊のような生えかけの角は、これでも少しずつ伸びてきている。もう少し伸びたらスカーフなどでは隠せなくなりそうだから、妃選びの時は考えなければいけないだろう。
ガーディアの夜空に浮かぶ月のような瞳がじっとその黒曜石を見つめていた。彼の角は――星影の竜の角はほとんど白に近い美しい白銀で、ミモザの角とは対照的だ。無意識に彼の角に視線を向けようとするとちょうど視線が合い、心臓がやわらかな春の風に撫でられたような感覚がした。
「ミモザ、君は――宝石竜か? 君の両親も?」
「はい」
「両親の角はどんなだった?」
「両親の角ですか? 母は紫水晶のような角で、父は黄色の、トパーズみたいな角でした」
「そうか」
ガーディアは一瞬何か考え込むような顔をしたがすぐにその表情を消し去り、じっとミモザの生えかけの角を観察した。「触れてもいいか?」とミモザに断りを入れ、ガーディアはそっとミモザの角に触れた。やさしい魔力がゆっくりと流れる感覚がくすぐったい。それは決して長い時間ではなかったが、たとえ一秒だけだったとしてもミモザの心は落ち着かなかっただろう。
ガーディアはミモザにここで会う時は角を見せて欲しいと言った。ミモザとしても角が元通りになることは少しでも早い方がよかったのでその申し出は断らなかった。
***
“白い庭”に行けばガーディアにすぐ気づかれるのはわかっていたが、調理場や他の仕事との兼ね合いもあって結局庭を訪れるのは不定期になった。ガーディアはまずミモザの角の様子を確かめ、必要そうなら――いつもではない――彼の言う“手伝い”をした。
それが終わると霊廟の入口に降りる階段に座り、掃除をするミモザを見守っている。時折、何でもないような会話を二人はした。ガーディアはミモザが今までどんな風に過ごしてきたのか知りたがった。花街にいたことは何となく口にできなくて、ミモザの話は主にアルディモアで聖女アルティナの傍に仕えていた頃のことが多くなったが、彼はそれをうれしそうに聞いていた。娘の話だから当然だ――ミモザはそれにつられて母親の言葉で話さないように気をつけないといけなかったが。
その日も仕事の合間に“白い庭”へと向かった。いつもは人けのないその道のりに、今日は何故かちらほらと人影がある。ミモザと同じ使用人のようだ。持っている道具を見る限り、庭か掃除の担当だからいるのはおかしくはないのだがミモザは何となく違和感を覚えた。そこにいるのが全員女性だからだろうか?
決して好意的ではない視線が向けられ、ひそひそと話し声が空気に混ざりながら通り過ぎるミモザの背中にいつまでもまとわりついてくるようだった。
“白い庭”の中にまで彼女たちも彼女たちの刺すような視線も追いかけては来ない。それでも入口の方を気にしながら庭の奥へと進んだミモザは不意に進行方向に現れたガーディアに思わずぶつかりそうになってしまった。
「へ、陛下……すみません」
「何かあったのか?」
「いえ……」
何かあったかと言われると何もなかった。「何もなかったです」とミモザがつづけようとした矢先に、ガーディアの視線が庭の入口でもある今、ミモザがくぐって来たばかりのアーチの向こう側に鋭く向けられた。
「陛下――ガーディアさま」
まずい気がして、ミモザは咄嗟にガーディアの名前を呼んだ。
「掃除をしたいので、はなしてもらえますか?」
ぶつかりそうになった時、ガーディアはその手で受け止めるようにミモザの肩をつかんでいた。気をそらせることができたようで、彼は少し焦った声で「すまない」と言い、ミモザから一歩遠ざかった。
いつものように角の状態を確認し、そのまま何もなかったかのように掃除をはじめようとすれば、ガーディアもいつも通り定位置に腰を下ろす。よく感覚を研ぎ澄ませれば、庭のすぐ外に誰かの気配は未だあった。あの使用人たちだろうか?
まさかとは思うが、ここに来れば国王であるガーディアに会えると思っているのだろうか? それで張り込んでいる? でも仕事は? 少なくとも、ガーディアは庭の中に直接転移をして来るし、帰る時もそれは同じようなので外に張り込んでいても会えるわけではない。
妃候補になったことで一部の使用人からやっかみを受けたのをきっかけに、ミモザは同期のメンバーがそれぞれの部署の先輩から聞いた話を伝え聞いていた。
この十年でミモザたちが採用されるまでに二回ほど採用試験があったそうだ。その時も、国王であるガーディアや今は不在の宰相のように見目麗しい魔族目当てで――狙っている者、ただ目の保養にしたいという者様々だったが――採用試験を受ける者がいた。理由は何であれ試用期間をきちんとこなせば採用されるので、その理由で採用された者も当然いる。
この十年で採用された者たちは国王であるガーディアの姿を見たことがなく、特に狙っているような一部の面子は色々と想いを募らせているらしい。マシな言い方をすれば、と付け加えていたのは誰だっただろう?
「そんなに外が気になるのか?」
ガーディアがたずねた。
「外のヤツらは最近いつも来ているな」
「そうなんですか?」
「ここが俺とシトロン以外立ち入り禁止なのは誰でも知っている。パランティアも気を遣ってこの辺りには誰も配置していないくらいだ。わざわざ近づくようなバカな真似をするヤツだっていなかった。それなのに誰かが近づけば気になるだろう?」
ただ近くをうろついているだけでさすがに庭に入ろうとはしないから放っておいたのだとガーディアは言った。
「さっき見た時は仕事をしている風でしたけど……本当にいつもここにいるんですか? 毎日?」
「ああ」
ミモザは思わずため息をついた。それならあの外にいた使用人たちはみんな自分の仕事をせず、毎日、この“白い庭”の前に来ていることになる。彼女たちがやるはずだった仕事は他の誰かがやる羽目になったかそのままになっているかだ。もし誰かが仕事を押し付けられていたら――ミモザは途端に申し訳なくなった。後でパランティアのところへ行って解決策を考えてもらおう。ミモザが何か言えばきっと反発されて余計な騒ぎになるだけだろうから。
「誰かの迷惑になってなければいいんですけど……」
「外のヤツらが仕事をしないのは外のヤツらの責任だ。今はどうであれ最終的にはヤツら自身がその責任を負う」
「そうだといいんですけど」
心苦しいのは変わらないが。
「陛下はお仕事をしなくていいんですか? シトロンさまはいつも忙しそうですけど……」
「シトロンは自分で忙しくしているんだ。やらなくてもいいことまで引き受けているせいで……シトロンとは普段から仲がいいのか?」
「えっ……と、仲がいいというか……よくはしてもらっています。妃選びのこともあるので……」
「そうか」
納得したような口ぶりだったが、ガーディアの眉間にはしわがよっていた。余計な勘違いをされただろうか? シトロンにまで迷惑をかけなければいいのだけれど。
「そろそろ調理場に戻る時間じゃないか? 出口まで送ろう」
会話を区切るようにガーディアがそう言った。差し出された大きな手にミモザは眉を下げた。長い指の先には夜空を思わせる暗い色合いの爪がある。いつもはこの場で別れて終わりなのに、外のことがあるからだろうか? でもその差し出された手を、ミモザは取るわけにはいかなかった。
この手を無下にしたいわけではないけれど……。
ミモザは薄っすらと紫色をした、短く整えられた爪を持つ手をぎゅっと握りしめた。水仕事で荒れた指先のかさついた感触が手のひらに伝わる。そして小さく、首を振った。
「出口はすぐそこですよ」
ガーディアは一瞬残念そうな顔をしたものの、無理にミモザの手を取ることはない。彼はいつもそうだ。こちらがそっと距離を置けば、それ以上踏み込んではこなかった。
“白い庭”の近くには当然のようにミモザがここに来た時にいた使用人たちが残っていた。彼女たちはガーディアの姿をひと目見るなり色めき立ったが、次の瞬間にはもうその表情を強ばらせる羽目になった。
星影の竜ほどの魔族はそういない。
呼吸をするたびに心臓が握りつぶされるようだった。ただ彼は冷ややかに彼女たちを一瞥しただけだ。その視線を向けられていないミモザだってその冷たく重い空気が肺の奥にたまっていくような気がしたほどだ。
縫い付けられたようにその場から動けない彼女たちを無視したガーディアが、慈しむような、しかし確かに甘い熱をその夜空に浮かぶ月のような瞳に浮かべてミモザを見なければ、きっとミモザも彼女たちのように顔色をなくしていただろう。
この後、使用人頭のパランティアに、ここ最近“白い庭”の近くで使用人が仕事をさぼっていたと報告しに行くつもりだった――パランティアなら気づいているかもしれないが――でも、
「また会おう、ミモザ」
その言葉は、きっと彼女たちの耳にも届いただろう。ガーディアには苦笑いを返しながら、でもきっと、彼女たちはもうここには来ないだろうなとミモザは思ったのだった。
***
まだ昼間の明るい時間だと言うのに、彼が現われると深い闇色の、美しい夜が姿を見せたようだった。
遠目から見ても艶やかな黒髪、その頭上から生える髪色と対照的な白銀の角。あの美しい夜のとなりにいるのが自分だったらと、どれだけ夢想しただろう。
少女が立ち去り、それを名残惜しそうに彼は見送っていた。その光景をじっと見つめれば胸の奥から湧く、暗いドロドロとした気持ちに蓋をすることはできなかった。




