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魔王さま、今度はドラゴンです!  作者: 通木遼平
第二章 妃選び
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20.はじまりは名前をたずねて




「“白い庭”に新入りの使用人の者が迷い込んでしまったようです」


 パランティアにそう言われ、ザルガンドの王はその形のいい眉を跳ね上がらせた。一気に重くなった部屋の空気に、しかしパランティアは少しも表情を変えることはない。


「“白い庭”のことを知らなかったようで……他の使用人が彼女への嫌がらせのためにわざと“白い庭”を掃除するよう言いつけたようなので、どうか穏便にお願いいたします」

「なぜその使用人は嫌がらせなんか受けているんだ?」

「シトロンの選んだ妃候補です」

「ああ……」


 納得したが、あまり興味のなさそうな声を王はもらした。


「シトロンは?」


 “白い庭”に足を踏み入れていいのは国王以外にはシトロンだけだ。パランティアがその使用人を国王自身に呼びに行かせようとしているのはわかったが、王は言外にシトロンに行かせるように伝えた。


「宰相が不在の今、陛下が思っているよりシトロンは忙しいのですよ。それにそろそろアルティナ様の髪飾りを霊廟に納めてもいいのでは?」


 あの髪飾りは未だ彼の手元にある。王はため息をついた。パランティアが意見を譲らないのはもうわかっていた。


 “白い庭”に新入りを誘導した者たちには厳罰を求め、王は重い腰を上げたのだった。






***






 柱も屋根も扉も雪のように白いそれから、ミモザは目が離せなかった。背の低い建物で、入口は半地下にある。懐かしいような、悲しいような気持ちがミモザの胸の中をこだまし、木々や花たちが風に揺られてささやく声もミモザの耳には届かなかった。

 どこかふらふらとした足取りで、しかし真っ直ぐにその白い建物へと近づいた。“星の涙”が足元をくすぐり、まるでミモザをその方向へと導いているようだった。


「そこで何をしている?」


 一歩、入口へつづく階段を降りようとした時だった。


 背後から突然冷たい水をかけられたかのように、ミモザは固まった。白い建物に惹かれるような不思議な感情は霧散し、その恐ろしく低い声に身を震わせた。いや、正しくは背後から感じるその気配に、だ――魔族は基本的に同じ種族を見分けることができる。ドラゴンならドラゴンを。そして背後から感じる気配はまさに、ミモザよりもはるかに強く、偉大なドラゴンの気配だった。




 そして、何より懐かしい気配――




 ミモザは震える身のまま勇気をもって振り返った。


 まず目に入ったのは、どんな夜よりも艶やかな黒だった。さらりと長く、背中に流れる髪は、しかし無頓着に彼のその整った顔を隠してもいた。その髪の隙間から、夜空に浮かぶ月に似た金色がのぞいている。冷たいまなざしは、真っ直ぐにミモザを射抜いていた。

 そして何より目を引くのが、その美しい白銀の角――ドラゴンたちの王である星影の竜だけが持つ、角だ。遠い昔から、一体何度その美しい白銀に見惚れただろう……。




 ガーディア、




 そう呼びかけそうになった声を、ミモザは飲み込んだ。胸の奥からどうしようもないくらい熱い気持ちが湧きおこってくる。全ての記憶を持っていなくても生まれるたびに惹かれた相手に、全ての記憶を持って生まれた今、どうして惹かれないでいられるだろうか?


 それでも湧きおこる気持ちを必死で抑え込み、ミモザは緊張した面持ちで彼を――ドラゴンたちとこの国の王であるガーディア・ヴァラドール・ザルガンドを見つめた。


 金色の瞳は冷たくミモザを見つめている――しかし一歩彼がミモザの方へ近づくたびにその瞳は訝しげに変わり、やがて誰の目から見ても困惑したようになった。






 できる限り穏便に、という意識はあったものの、やはり大切な庭に無関係の者がいるのはガーディアにとってうれしいことではなかった。自然と顔は険しくなり、発した声もいつもよりずっと低い。

 ここは立ち入り禁止の場所だと言ってすぐに出て行くように告げるつもりだった彼は真っ直ぐに、目の前で立ちすくむ、ドラゴンの気配がするのになぜか角がない、奇妙で小さな存在に近づいた。




 最初は、この手の中にある髪飾りから感じるのだと思った。




 ガーディアが間違えるはずもない、最愛の人の魂の気配だ。かつて彼が最愛の人に贈り、彼女が亡くなった後は娘に譲ったそれは手元に戻ってきてからずっとその魂の気配を発していた。しかし一歩足を進めるごとに、別の方向からその気配を感じるような気がした。


 それならば目の前にある、最愛の人のための霊廟から魂の気配を感じるのだろうか? しかしそこはたしかに彼女が死んだばかりの頃は魂の気配を感じることができたが、四十年近く前に気配はすっかり消えてしまった――それは魂が生まれ変わったことを意味していて、ガーディアももちろんそのことを知っている。

 まさか自分が彼女を見つける前に最愛の人は人生を終えて、ここに戻って来てしまったのだろうか? 彼女に別の相手がいて結ばれなかった時も、彼女の魂はいつも生まれ変わるまでのひと時をこの霊廟で眠りにつく。




 いや――そうじゃない。




 不安そうに自分を見上げる紫水晶は、光の加減によって色合いを変えた。伸ばしかけた手をぐっと握りしめる。魂の気配を感じるのは、髪飾りからでも、霊廟からでもない――この小さなドラゴンの娘から、たしかに彼女の気配を感じた。ガーディアの最愛、ガーディアの幸福――ガーディアが、唯一求めてやまない魂の気配を。


 いつの間にか“白い庭”の木々や花を揺らしていた風はやみ、辺りはしんと静まり返っていた。そしてまるで注目するように“星の涙”が二人を見つめている。


「名前を――」


 さっきまでの冷たさが嘘のように、薄い唇が穏やかな音を落とした。


「名前を、教えてくれないか?」


 ぱちりと、不安に彩られた紫が瞬いた。






 ガーディアはいつも、最初に名前をたずねる。






 彼女が漁師の娘だった時は、漁師小屋の前で漁に使う網を直している時に声をかけた。その時の彼女はすでに結婚していて、名乗った後は時折空から彼女がしあわせそうに暮らしているのを見守っていた。

 彼女が商人の娘だった時は、客と偽って彼女と出会った。名前をたずねて親睦を深め、内縁の関係ではあったが共に過ごし、共にいられなくなった後はお互いに手紙のやり取りをした。彼女は彼を一番の顧客だといつも言っていたが、それが最愛と同等の意味だと彼は知っていた。

 彼女が一国の王女だった時は、城の魔術師として彼女に仕えた。お互いに想い合っているのはわかっていたが立場上許されず、彼女が他国に嫁ぐ時に別れのあいさつを交わして以降は彼は彼女の母国から去り、二度と彼女に会うこともなくただ彼女のしあわせを祈った。






 ミモザのどんな前世でもそのはじまりは同じだった。






「俺は――“ガーディア”だ」


 そしてこうして彼が自分の名を名乗るのも。


 今までの記憶があることを隠しておきたい……絶対にばれないように。シトロンでも気づいたのだから、ガーディアに対して生まれ変わりではないと否定するのは不可能だとわかっていた。


「……国王、陛下」


 だから、知らないフリをしなければ。ミモザは頭を下げようとして、ガーディアに止められた。控えめに見上げれば彼はやさしく笑みを浮かべている。その笑みは、きっと彼の最愛にしか向けられないものだ。


「ガーディアと呼んでくれ――君の名前は?」

「ミモザといいます」


 「ミモザ」と、確かめるように大切にガーディアはつぶやいた。


「ここの掃除をするように言われました」

「ここは俺とシトロン以外の立ち入りを禁じている庭だ」


 当然のようにガーディアが言うので、ミモザは内心で顔をしかめた。つまりあの三人は立ち入り禁止の場所にミモザが踏み入って、罰されるのを期待していたのだ。


「この霊廟があるからな」

「えっ」


 ミモザは振り返った。霊廟、だったのか――。


「俺の幸いのための霊廟だ。今は彼女の魂はここにないが」


 とろりとした熱をはらんだ金色がミモザに向けられた。やはり彼は気づいている。「パランティアに言われて来たが……あいつ気づいていたのか……?」そうガーディアがつぶやいた言葉は、ミモザの耳に届かなかった。思わず「え?」と聞き返せば、ガーディアはそれだけで表情をやわらげた。


「この髪飾りを届けてくれたそうだな」


 しかし何をつぶやいたのかは結局わからなかった。代わりに、ガーディアはあの聖女の髪飾りを取り出した。


「聖女さまに頼まれたので……」


 髪飾りはちゃんとガーディアに届いていたらしい。シトロンのことは信じていたが、実際にこうして彼の手に渡っているのを見て少しほっとした。髪飾りを見つめるガーディアは少しだけさみしそうに微笑んだ。


「アルティナの母に俺が贈った物を、彼女が死んだ後――あの子がこの国を離れる時にあの子に譲ったんだ……あの子がこれを大切にしてくれたことがうれしい」


 銀色のそれはくすみ一つなく美しい姿を保っている。


「あの子は気づいていたんだろうか?」


 その問いに、ミモザは答えられない。気づいていたことを、知っていたとしても。


「探しに行く前にこうして会えるなんて思わなかった――」

「……陛下?」

「俺の幸い、触れてもいいか?」


 息をのんで、ミモザはガーディアを見上げた。期待を込めた視線を向けられている。


「こ、困ります……」


 とは言え、ガーディアが無理に距離を詰めようとしないことはミモザの今までの記憶からわかっていた。前世で伴侶がいた時は、そのしあわせを壊そうとする素振りさえ見せずに姿を消したことも覚えている。おそらく遠くから見守ってくれていたのだろうが。


 ミモザに拒否されてガーディアはあからさまに肩を落としたが、やはり無理強いはしてこなかった。その代わり、彼は口にした。


「仕事は何だ?」

「調理場の仕事です……基本的には使用人寮の。他のことも手伝ったりします。まだ入ったばかりで……だから、その、今回も……ここが立ち入り禁止だとは知らなかったんです」

「いい、わかっている。他のやつに言われたんだろう? だが、これからも時間が空いた時に掃除に来てくれないか?」

「えっ?」

「ミモザに掃除しに来て欲しい」

「……陛下とシトロンさま以外は、立ち入り禁止なんですよね?」

「そうだ。だがミモザならかまわない」


 どうしてと聞くと、藪蛇だろうか? ミモザは困り果てて眉を下げた。




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