17.妃候補たち(1)
やわらかな風が王宮内にあるいくつかの庭園を駆け回っていた。風に揺らされてささやきあう緑が自然の日よけを作り、その合間を花々が彩っている。
その自然の日よけの下が今日の茶会の会場だ。テーブルにはレースのクロスがかけられ、食器はひし形の花弁を持つ花が描かれたガラス製のもの。さわやかな香りのするアイスティーと見た目も楽しいひと口サイズのお菓子が並べられている。そこに座る妃候補たちはそれぞれこの場にふさわしい装いをしていた。
その視線が、一斉にミモザへと向けられている。
こういう時に緊張しないのは、人生経験が多いからだろうか? アンナベルがテーブルの下で小さく手を振ってくれたのを見つけ、ミモザは口元を緩めた。
アンナベルは今日もお世辞にも似合っているとは言えない華美なドレス姿だ。色は黄色だったので彼女の濃い茶色の髪には合っていたし、ふわりと軽い生地はこのさわやかな空間にふさわしいだろう。しかしフリルやレースが多く使われた、どちらかと言うと可愛らしいデザインはすらっとした体型のアンナベルに少しも似合っていなかった。
ミモザのとなりにはシトロンが付き添ってくれている。仕事の顔をしているシトロンは、ミモザと二人きりの時と違ってぐっと大人な雰囲気だ。そしてミモザとシトロンの斜め前で、今日、ミモザがはじめて会った魔族が六人の妃候補の紹介をしてくれていた。
彼こそが他でもない、この妃選びを主催したドゥーイだった。財務大臣である彼は丸々とした体格で、機嫌よく候補者を紹介する表情は一見人当たりのよさそうな印象を受けるがその視線はどこかミモザを見下すような色を帯びていた。もっとも、となりにいるシトロンもそんなドゥーイをバカにするように見ていたが。
主観の強いドゥーイの紹介は耳に残らず、ミモザは先日ティンクと三人で買い物に行った時に聞いたアンナベルの妃候補たちの説明を思い出しながら、目の前にいる他の候補者へと視線を向けた。
姿を見るのは髪飾りの一件以来になるイシルマリの王女リリアナは、シンプルな形のドレスの上に薄い生地を重ねる伝統的なイシルマリの衣装を着ていた。冷静な薄い水色の瞳よりもさらに薄い色合いの水色のドレスの上には、美しく緻密な花模様のレースで飾られた滑らかな薄布が重ねられている。真っ直ぐな金髪は陽の光を受けていっそう輝いて見えた。
彼女は何の感情もなくミモザを見つめていた。その視線を受けていると、髪飾りの一件はどこか遠い過去のことのような感じさえしてくる。アンナベルは彼女は王妃になることに特別こだわっていないと言っていた。妃選びの場ではいつも退屈そうにしていると。どうやらイシルマリとしてはこのザルガンドと国交を結ぶことを第一としているらしく、ここに肝心の国王が現れないのであれば当てが外れてしまったのだろう。
リリアナの正面には赤毛の、美しいが気の強そうな女性が座っていた。ザルガンドの暗闇の森と聖女の国アルディモアに隣接するベライドの王女であるローズは、蠱惑的な体をエメラルドグリーンのドレスで包んでいた。季節にあったやわらかな生地が、その色合いをかえって落ち着かせて見せていた。昼間だからか肌の露出こそ少ないが体のラインに沿った衣装は色っぽい。
ローズは同じ王女であるリリアナに対抗心がある様子で、この妃選びの場でもよく強気な態度を取るという。彼女のことはミモザも耳にしたことがあった。彼女にも多少そういう話があったが、彼女が連れてきたベライドの人間がとにかく使用人たちの間で評判が悪いのだ。今だって、ローズはドゥーイの紹介を受けてにこやかにしているが、その灰色の目には使用人であるミモザを蔑む色が滲んでいる。
ローズとは対照的に儚げな少女のような雰囲気を持つのは妖精族のフィアレンセだ。妖精たちが多く暮らす静かの森の有力者の娘で、妃候補には立候補して参加したらしい。どこかぼんやりとしていて、印象に残らない。妖精たちの伝統衣装に似た薄布を幾重にも重ねた愛らしいドレスを身にまとっている。髪に飾られた水晶のような石がついたアクセサリーが、不思議と目についた。
湖の妖精のロスソニエルは詰襟の丈の長い上着にピッタリとしたデザインのズボンを合わせ、膝下までの長さがあるヒールの高いブーツをはいていた。他の妃候補たちのドレスとは違い華美ではないが、それでも袖や襟には細やかな刺繍が施されている。姿勢のいい彼女は軍人で、軍部が牽制のために送り込んだ候補者――これはシトロンからの情報だ――だった。ミモザも彼女には見覚えがあった。前世で、彼女がもっと幼い時に会ったことがある。
アンナベルの話だと、ロスソニエルは亡くなった王妃――ミモザの前世のことを崇拝していて、この妃選びもここにいる妃候補たちのことも嫌っているらしい。当たりも強く、少しのことでも厳しい口調で責めるのでローズとよく言い争いになるのだという。
人間の国から来た候補者の中で唯一王族ではないマリエルは、アルディモアとベライドに挟まれた小国トロストの公爵家の令嬢だ。要所要所にフリルやリボンが使われたスカートの膨らんだドレスは愛らしく彼女の顔立ちによく似合っているはずなのに、どうしてかちぐはぐな雰囲気がする。
アンナベルはフィアレンセと彼女はあまり茶会などで発言することがないためよくわからないと言っていた。とはいえ、マリエルはその緑色の瞳を好奇心できらめかせながら観察するような視線をミモザへと向けていた。
「ミモザといいます。よろしくお願いします」
長いテーブルの、ミモザから見て左側の手前からアンナベル、マリエル、リリアナが座り、反対側にはロスソニエル、フィアレンセ、ローズが座っている。一番奥の上座の席は空席だったが、そこに座るべき男の姿はない。
ミモザはアンナベルの隣に座った。視線をかわせばアンナベルは控えめに微笑んだ。
「それで」
ゆったりとした口調でローズがたずねた。
「国王陛下はいつお見えになるのかしら?」
「もちろん、すぐにお呼びしますよ。ローズ王女殿下」
ドゥーイの答えにロスソニエルが鼻で笑った。
「呼びに行ったところで陛下がここに来るとは限らないだろう」
ドゥーイはにこやかなままのようだったが、ミモザから見ても明らかに表情が強ばったように思えた。少し間を開けて立っているシトロンもうんざりとした顔をしている。よくあることなのだろう。
「……ここに来る前に一度お声がけしましたが、陛下は今日もお越しになりません。一応この後、私が再度陛下にお声がけしますが期待はなさらないでください。それでは――私たちはこれで失礼します」
シトロンはそう言って、ドゥーイと共にその場を去って行った。残されたのはミモザを含めた七人の妃候補とその侍女や護衛たち、それから給仕のために控えている使用人だけだった。
冷たい視線にさらされながらも席についたミモザに口火を切ったのはロスソニエルだった。「一体、財務大臣も秘書官も何を考えているのか」と厳しい声がミモザにぶつけられた――いや、実際は茶会にいる全員に向けて彼女は言ったのだろう。
「妃候補を増やすなど、陛下にふさわしいのはたった一人だけだというのに」
「まあ、どなたのことかしら?」
含みのある口調で返したのはベライドの王女であるローズだった。悠然と構え、目の前のアイスティーが入ったガラスカップを持つ彼女は指先まで手入れが行き届き、美しい。しかし彼女の灰色の瞳にはどこか蔑んだ色があった。そしてそれは、ロスソニエルやミモザだけでなくこの場にいるリリアナ以外の全員に向けられている。リリアナに対してそんな態度を取れないのは、同じ一国の王女であり、国同士の力もほとんど同等だからだろう。
「まさかご自分だとおっしゃっているの?」
「そんなわけがないだろう。お前たちより素晴らしい方を知っているという話だ」
「でもその方はこの場にいらっしゃらないのでしょう?」
ローズは言った。ロスソニエルが言うのは間違いなく亡くなった王妃のことだとローズや他の候補者はもう知っていた。ローズは先代王妃を崇拝しながらも妃選びに参加しているロスソニエルを皮肉っているのだと話してくれたのはもちろんアンナベルだ。実際目の当たりにして、ミモザもそれをよく理解できた。
「亡くなった方のことをいつまでも引きずるのは国王陛下のためにはならないのではなくて? ドゥーイ卿も国王陛下には前を向いていただきたいとおっしゃっていましたわ。あなたはそうではないようですけれど」
「あの男が考えているのは金のことだけだろう」
ロスソニエルはローズを睨みつけた。
「あら、財務大臣がお金のことを考えるのは当然のことでしょう?」
しかしローズが態度を崩すことはない。もっとも、その視線はますますバカにしたようにロスソニエルに向けられていたが。
「話をはぐらかす努力をする前に、もう少し陛下のお心に寄り添う努力をなさったら?」
「陛下はこのようなことを望んでいらっしゃらない」
シトロンの話では「好きにしろ」と言っただけのようなので、望んでいないと言い切ってしまうのはどうかと思う……王妃がいらないのはたしかだろうが。ミモザも前世でこのザルガンドの王妃となったのは一つ前の人生の一度きりだ。彼が他の誰かを伴侶にした話もない。
ローズとロスソニエルの会話を聞き流しながら、ミモザはアンナベルと目の前の茶菓子を楽しんでいた。ここにも花の砂糖漬けがある。流行っているのだろうか?
「たしかにこんな候補者ばかりでは、国王陛下も気乗りしないのでしょう」
「ねぇ、リリアナ王女殿下?」とローズがリリアナに同意を求めたが、リリアナは肯定も否定もしなかった。ベライドとイシルマリは――これはアンナベルから聞いた話ではなく、妃候補になることになって、ミモザが自分で調べたことだ――ザルガンドに隣接する三国の内の二国だ。アルディモアの両隣に位置し、アルディモアを交えての交流はあるがこの二国間にはそれほど積極的な交流はなく、その仲は良くもないが悪くもないという様子だった。当然、王女同士の仲がいいはずもない。
「新しい王妃を選ぶ場だというのに、候補者に軍人や使用人がいるのでは……」
「人間の国ではどうか興味もないが、この国では生まれや職業は問題にならない」
「もっとも」とロスソニエルはつづけた。
「使用人かどうかは関係なく、あの秘書官が選んだ候補者などロクな者だとは思えないが」
「ミ、ミモザのことをそんな風に言うのはやめてください……!」
ミモザがロスソニエルの言葉に眉をひそめる前に、アンナベルが立ち上がった。内気な彼女の行動にミモザはその紫色の瞳を丸くしてとなりにいる友人をマジマジと見上げた。
「まあ、珍しい。いつも父親の陰に隠れている方がどうされたのかしら?」
からかうようなローズの言葉にアンナベルは顔を真っ赤に染めた。
「父親の力でこの場にいるようなお前がかばうのもいい証拠だな」
「……わたしのことはともかく、そんな風に相手をバカにした言い方をするのはどうかと思います」
何かを耐えるようにうつむいて椅子に座ったアンナベルを励ますように、彼女の膝に置かれた手をミモザはぎゅっと握りしめた。
「あなただって軍部の後ろ盾を得てこの場にいるんでしょう?」
「それがどうしたというんだ? わたしがこの場にいるのは王妃に選ばれるためではなく、お前たちのように思い違いをしてる者たちを非難するためだ」
「陛下がそれを望まれたのですか?」
ミモザは真っ直ぐにロスソニエルを見据えた。
ミモザの記憶――一つ前の人生の時に出会ったロスソニエルはまだ幼く、純粋にミモザの前世であるこの国の王妃のことを慕ってくれていたように思う。その分、軍部の関係者の子どもたちと共に武術を学んでいたシトロンに当たりが強いところもあったが……そういえば、あの時は結局シトロンを武術を学ぶ場に通わせるのをやめたのだっけ。それを思えば彼女はあのままよくない方向に成長してしまったのだろう。
ミモザは内心でため息を落とした。魔族の寿命は魔力によって変わるので彼女がどうかは実際のところわからないが、長寿の魔族ならばまだ若いうちに入るだろう。それでも百歳を越えていれば充分に大人だ。もう少し考えて発言をするべきだ。
ミモザの言葉にロスソニエルは押し黙った。彼女はこの妃選びを国王が望んでいないと断言し悪いように言っていたが、それに対する軍部の行動だって国王が望んでいないことだ。
「この国や国王陛下のことを考えるのなら、もう少し慎重に発言をするべきです」
「お前に……陛下の何がわかるというのだ。ここで働きはじめて間もない使用人が、陛下にお会いしたこともないのだろう!」
たしかにここで働きはじめて間もない使用人だが、少なくともロスソニエルよりよほど彼のことを知っている。
ミモザはため息をぐっと飲み込んだ。ローズはおもしろそうに事の成り行きを見つめているし、リリアナは興味がなさそうにお茶を飲んでいる。フィアレンセは微笑んではいたが無反応で、マリエルにいたっては興味津々という視線を隠せずにいた。
アンナベルが心配そうにミモザを見たが、安心させるようにミモザは重ねたままだった手をぽんぽんと叩いた。しかしこれからもこの調子がつづくのであれば、うんざりする……国王と顔を合わせなかったとしても妃候補になったのは失敗だったかもしれないと、ミモザは早くも後悔をしたのだった。