お片付け 1
ここハオス国の王城には、国王の側室達が住まう西棟がある。
その一番奥、中央の部屋には百人は集えるほどの王の居室が構えられている。
今そこには、第四側室とその子第四王女と第五王女・第三王子、それに第六側室とその子第五王子、第八側室その子第七王女・第八王女、第九側室その子第六王子、第十側室と集まっていた。
その中心にはハオス国王が、贅の限りを尽くした大型の椅子に背を預けている。
対峙するかのように国王の前にいるのは、第一王子と現宰相・宰相候補、その後ろには王妃が立ちつくしていた。
その周りには左に国王派閥の重鎮と右には第一王子派閥の重鎮とが睨み合いをしている。
殺伐とした空気の中、声を上げたのはその部屋の持ち主、国王である。
「どういうつもりだ。反乱でもおこすつもりか?」
「よくお分かりで」
ひょいと肩をすくめて答えるのは、四人の中でも一番下位のはずの宰相候補、俺である。
「エルモンド、貴様調子に乗るなよ」
国王は俺を射殺さんばかりに睨みつけてくるが、如何せん、長年の堕落した生活習慣の上でできた体型には、迫力も重圧もなかった。
「長年調子に乗って来たのは貴方でしょう。東方の言葉でこういう場面を、年貢の納め時って言うのですよ。おとなしくダーウィンにその座を譲って下さい。どうせ政なんて貴方にはどうでもいい事なのでしょう」
「この若造が……」
わなわなと口を震えさす国王は、最早幼子の癇癪にしか見えない。
「その若造に全て押し付けてきたのは誰ですか。政と地位は同一なのですよ。地位だけ得ようなどと甘い考えはお捨て下さい」
俺の言葉に王は重い腰を上げ、唾を飛ばさんばかりに怒鳴りつけた。
「貴様、誰に向かってそのような口を叩いておる? 宰相、貴様もだ。愚息を野放しにしおって。余は貴様の最愛の妻、コーデリアの兄だという事を忘れたか? いつでも貴様からコーデリアを奪っても良いのだぞ!」
ドゴッ!
しゅうぅぅぅぅぅ~。
「……何十年、その言葉を吐き続ける気だ。些か飽きた」
宰相こと我が父上の足元を見ると、床が父上の周りだけ半壊されていた。
思いっきり足を地面に踏みつけたのだろう。床が軽い煙を上げている。
その光景に年老いた重鎮連中は、腰を抜かしていた。
「父上、落ち着きましょう。どうせ口だけなのですから。それにもう実権はダーウィンに譲られています。そのような権利、国王にはありません」
「何を……」
「お忘れですか? ケルビア国での話が持ち上がった際、婚約すると同時に王の実権は譲る。とされて一筆書かれているではないですか。それに伴って仕事も一切放棄されたのは国王、いえ、前国王。貴方ですよ」
「!」
国王のみならず、周りの者全員が息を飲む。
そう、ケルビア国の第三王女と婚約させるつもりであった国王は、唯一残っていた王としての一欠けらの仕事までダーウィンに押し付けたのだ。
その一欠けらの仕事さえ億劫になったのだろう。
その際、王としての全ての権利を譲るとしたためさせたのは誰であろう、ダーウィン本人だ。
意に染まぬ婚約を打診された上に、仕事まで全て押し付けられる事になったダーウィンは、ならばせめて婚約と同時に王の実権を譲ると文章にしたためて下さいと願ったそうだ。
そのくらいの利益がないと。とあの自暴自棄になっている状態で考えたダーウィンは、正しく王の器だと俺は嬉しく思ったものだった。
「あ・あれは、ケルビア国の王女との婚約を認めるならばと出した条件だ。ダーウィン、貴様は余にとって何の得もない娘と婚約したではないか。そんなもの、認められるはずがなかろう。無効だ」
「書面にはただ一言、婚約すると同時に。と書かれているだけです。誰ととは書かれていません。無効にする事は不可能ですね」
全員が無言で王を見つめる中、うるさい、うるさいと、王は駄々をこね始めた。
親子だな、おい。とカロナを見つめれば、俺の視線に気付いたカロナはそっと視線を逸らした。
「余が王だ。余が法律だ。貴様らは黙って余の言う事を聞いておればよいのだ!」
「……そう言って全てを思い通りにするのですか? しかし、他国にはそのような戯言通用しませんよ。特にリーファル国にはね」
ビクッ!
俺の言葉に王は固まった。
いや、王だけではない。時が止まったかのように、皆が微動だにしなかった。いや、できなかった。
それほど俺の言葉は皆にとっても予想できなかった事だったのだろう。
俺は脂汗を流している王をじっと見つめて、真相を口にする。
「王、貴方はケルビア国の鉱山も欲しかったが、何よりもあの国の武力が欲しかった。あの国では第三王女が煙たい存在だった。傲慢で強欲な王女は、攻撃性高いあの国においても邪魔な存在だった。貴方はそれに目を付けて、そのお荷物を引き取る代わりに一部の鉱山と他国に戦争を挑むときの補助をあの国に求めた。以前から貴方はリーファル国が欲しくてたまらなかったのですよね。リーファル国のあの肥沃な土地と優秀な人々。知力・武力・魔力において他国を圧勝する力。そしてなによりあの国に住む者達の美しさ。貴方はまだ側室を増やしたかったのですか? 純粋なリーファル国の人間の肌はこの世の者とは思えない絹のような滑らかな肌をしているそうですね。魔力がある為ですかね。貴方は……」
「うるさい、うるさい、うるさい!」
王は俺の胸倉を掴もうと走り寄って手を伸ばす。
しかし、僅か数歩のところで上から何かが降ってきた。
ぐしゃっ。
「ぎえっ!」
蛙を踏み潰したかのような、呻き声が聞こえた後、シーンという効果音が聞こえるかのような静寂が辺りを包んだ。
「……………………」
俺の影が天井から降りてきて王を踏み潰して、俺に頭を垂れていたのだ。
王は見事にヒキガエルのようになっていた。
ダーウィンが溜息とともに俺を見る。
「……エル、やり過ぎ」
「え、俺の所為?」
「エルモンド様に牙をむく者は、如何なる者であろうと許しません」
「俺でも?」
「牙をむかれるのであれば」
プルプルプル。
ダーウィンが必死で首を左右に振る。俺の許可なしに俺の影が、第一王子であるダーウィンと会話する。アバウトだなあ。しかも、影。俺の上司を脅すな。
「エ・エルモンド様、王はその、私欲の為にリーファル国に戦を仕掛けようとしていたのですか?」
おずおずと今まで無言を貫いていた王派閥の重鎮の一人が、声を上げた。
「嘘です。世迷言もほどほどになさいませ。王がどうして他国の女など欲しがりましょうか。これほど愛しき者達がそばにおりますのに……私どもでは不服だと仰りたいのですか?」
それに声を荒げたのが、ドージィだった。
見るとドージィだけではなく、そばにいる側室、全員が怒りで顔を真っ赤に染めていた。
「……王の性質を私達が一番理解しているのでなくて?」
そう言ったのは後ろで控えている王妃様。
この問題には俺や他の男達は口を挟めない。
王妃の一言にグッと声を詰まらす側室達。尚も声を荒げようとするが、どんなにあがいても結局は美しい女を求めずにはいられない王の本質を皆、身をもって知っているのだ。
「も・もしも王が新しい女を求めたとしても何故、戦争を仕掛けるまでいくのですか? 証拠も何もないではないですか。王を貶めようとしているエルモンド様の狂言ですわ。真実であるのならば、皆が納得できる証拠をお見せ下さい」
そう怒鳴るのはやはりドージィ。この女だけは一歩も引く気はないようだ。隣でカロナが母親を止めようとしているが、役者不足だ。
「俺の出番?」
突然、この場にそぐわない凛とした、それでいて少し楽しそうな少年の声が聞こえた。
俺は頭を抱える。
この場には出ないと約束したではないか。
「貴方様の出番はございません。おとなしく見学していると言うからお連れしたのです。絶対に顔は出さないで下さいよ」
「残念。もう出ちゃった」
えへっというような茶目っ気たっぷりな顔で俺の隣に現れたのは、この世の者とは思えぬ美貌の持ち主。黒髪にアンバーの瞳の少年。余りの美しさに息をするのも忘れたかのような空間で、誰かが「天使」という呟きにダーウィンが我に返った。
「リーファル国、第一王子レオドラン・ブルーナル・リ・リーファル様!」
「正解。久しぶりだね、ダーウィン王子」
ニコリと笑うその顔は、皆の思考をとばすには充分な破壊力があった。
「ハオス国王妃には、お初にお目にかかります。レオドラン・ブルーナル・リ・リーファルと申します。以後お見知りおきを」
すっと王妃の手を取り挨拶のキスを送る。
その洗練された姿に、彼がまだ少年であるのを忘れてしまう。そう、少年。彼はまだ十二歳なのだ。
王妃も唖然としていたのだが、流石は王妃。一瞬で背筋を伸ばし王妃としての挨拶を交わす。
「あ・ああ、ど・どど、どこから現れて……」
第四側室が顔を真っ赤にしながら、震えた唇に言葉を紡ぐ。
「ああ、隣の部屋で鏡から見ていたのですけれど、私が出た方が話が早いかなあって思って、空間飛んでみました。突然現れたのは演出です。インパクトあったでしょ」
そうあっけらかんと答える美貌の王子に、皆口をパクパクさせている。
「……魔法?」
「そういえばこの国には魔法使いは存在しなかったっけ。因みに私、魔法保有量は国一番です」
ニコニコニコ。
「自分で言うのもなんですが、知力・武力もそこそこのものですよ。なにせ国では〔完全無欠の王子様〕なんて呼ばれていますから」
ニコニコニコ。
「そんな私のいる国に喧嘩を吹っかけてくるなんて、そちらの王様、なかなかいい度胸していますよね」
ニコォ~。
ゾゾゾゾゾゾォ~。
「「「「「も・申し訳ございませんでした!」」」」」
重鎮連中が一斉にひれ伏した。最早証拠などどうでもいい。大国リーファルの〔完全無欠の王子様〕を怒らせたであろう事実だけが残る。
くしゃっ。
「あんまりうちの国の連中、脅さないで下さいよ、王子様」
俺は楽しそうなレオドラン殿下の頭を撫でる。
「エルが言うなら止めてあげてもいいよ」
ニコリと笑って俺に振り返るレオドラン殿下。
「はい、やめて下さい。ありがとうございました。後はこちらで片づけます」
今までの緊張した雰囲気をガラリと変え和みだした俺達に、父上以外の皆が唖然としている。
そんな空気を壊したのは、俺の影の下でヒキガエルよろしくのびていた王だった。
突如、ガバリと影を押しあげて起き上がった王は、一心にレオドラン殿下を見つめいている。そのままレオドラン殿下に手を伸ばそうとする。
俺はレオドラン殿下を庇うように後ろに追いやり、影は再び王を捕える。
かなり興奮しているようで、影に拘束されているにもかかわらず、それに文句を言う事なく叫ぶ。
「ハハハ、これだ、これ。これこそが余の求めていた美しさだ。エルモンドで妥協しようかと思っていたが、お前は余に刃向かいジルとコーデリアが守る為、手が出せなかった。しかし、これこそが美の境地だ。お前、余のモノになれ。一生可愛がってやるぞ」
唾をまき散らせ狂気じみた王を見ながら、誰もが動けずにいた。
俺を狙っていた? 父上が宰相としておとなしく奴に従っていたのも、母上の為だけではなく俺の為でもあったのか? 美しければ女でも男でも子供でもいいなんて狂っていたのか、それとも狂ったのか?
皆が息をのむ中、一人美貌の王子が王に近寄る。
「レオドラン殿下!」
「おお、おお、そうだ。そうだ。こちらに来い。余が足の指まで舐めつくして……」
ドゴォ!!
「ふぎゃっ!」
「「「「「…………………………」」」」」
俺が止めようとする中、王の近くに寄った王子は問答無用で王の頭を踏みつけた。
床にめり込む勢いだが、手加減してくれたのだろう。かろうじて息はあるようだ。ピクピクと痙攣している。
「正当防衛だよね?」
コテンと首を傾げる王子に、俺は親指を立てた。
「もちろんです、レオドラン殿下」
とりあえず王を回収する為、騎士達を呼んだがそれに刃向かったのはドージィだった。
「王をこのような扱い……許されると思っているのですか?」
ぐるぐる巻きにされた王を背に庇い、怒鳴り散らすドージィ。ある意味側室の鑑だな。
まあ、そんな綺麗なものじゃないけれど……俺はすっとドージィの前に出た。
ドージィは俺を射殺さんばかりの目で睨みつけてくる。この目を何度見てきた事か。
「往生際が悪いですね。貴方も見たでしょう。王はもう終わりです。リーファル国の王子に手を上げようとしたのですよ。それだけでも許される事ではない」
「そ・それは、あのような美しい姿を見せられれば、誰だって理性は保てないでしょう。王が悪いわけではないわ」
「え、俺が悪いの?」
ドージィの余りの責任転嫁の言葉に、レオドラン殿下が突っ込む。
「そ・そういうわけでは……」
流石にレオドラン殿下には刃向かえないドージィは、目をキョロキョロさせる。
「どうしても納得できないようですね。では、皆様の罪もここで上げておきましょうか」
「「「「「え?」」」」」
そう言った俺に側室や子供達が動揺を表す。
もういいだろう。長年甘い汁を吸ってきたんだ。ケリを付けよう。