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初志貫徹・婚約破棄

「アルティナ・モリ・キュルレス、貴様との婚約を破棄する」

「喜んで!」

「言質は取りました。皆様もお聞きになりましたね。では婚約解消の書類にサインを。あ、アティのサインはもう済んでいます。王子もお早く」

「……………………え?」


 時を遡る事、一時間前。

「きゃあ」

 悲鳴とともに階段を落ちたのは、メルル・カッパーナ男爵令嬢。階段を落ちたといっても五段ほどずり落ちたというのが、正しい見解である。

 丁度そこにアティの姿。

 アティは友人とともに荷物を運んでいたようだ。軽い箱のようなものを抱えていた。

「今の悲鳴は何だ?」

 そこに現れたのは、第五王子カロナ・ジールド・アリフェスタ。カロナは階段下で蹲っているメルル嬢の姿を見るなり、駆け寄った。

「どうした、メルル。大丈夫か。何があった?」

 抱き起こされたメルル嬢は、目に涙をいっぱい溜めてカロナにしがみつく。

「カロナ様。あたし、あたし、アルティナ様に突き落とされて……ううう」

「何?」

 カロナはキッとアティを睨みつける。

「それは本当か、アルティナ」

「嘘ですよ」

 カロナの言葉に答えたのは、アティでも友人達でもその場にいた生徒でもなく、野次馬の中から現れた第三者の俺だった。

 カロナが俺を睨もうとした横で、メルル嬢が立ち上がり俺に突進してきた。

「ロッシィー先生~」

 ひらり。

「きゃあ」「わああ」

 ドンッ。

 ガタタン。ボテボテッ。

 華麗にかわした俺の横で、他の男子生徒が巻き込まれてメルル嬢と共に数人が倒れた。

「危ないですね、メルル嬢。皆さん、大丈夫ですか?」

 そう言って俺は巻き添えになった他生徒に手を貸した。

「ひどいですう~。ロッシィー先生。ううう~、あたし足捻ったみたいですぅ」

「何? 大丈夫か、メルル。俺が保健室に連れて行ってやる」

 そう言ってまた近づいてきたカロナに、今度はメルル嬢もしっかりと抱きついた。

「保健室もいいですが、アティの容疑は晴らしてからにして下さいね」

 俺がしらっとそう言うと、カロナは吊り上がった眼をますます吊り上がらせた。

「貴様、それでも教師か。メルルは怪我をしてるんだぞ。先に手当てしてやるのが本当だろ」

「本当に怪我をしているのならばね。それよりも、アティが突き落としたというのは狂言ですよね。可愛い生徒がいわれのない罪をきせられるのは、教師としては黙っていられませんからね」

「……お前の教師としての矜持はどうなっているんだ? メルルが嘘をついているなんてどうして言い切れるんだよ」

「いや、だって……一目瞭然でしょ」

 そう言うとぞの場にいた全員が、うんうんと首を縦に振る。

 カロナは改めてアティを見る。そこには十五段上にいるアティ。そうしてその間には女生徒三人に男子生徒二人という障害物がある。

 その上、アティの両腕は箱でふさがれていた。どうしたってアティが十段下のメルルに手を使って突き落とす事は不可能だった。

「……………………」

 何とも言えない顔でメルルを見るカロナ。

 メルルは慌てて言い訳をする。

「あ・あの、すれ違った時にアルティナ様の肩が当たったんです。それであたしよろめいて、他の人が間に入っている間におっとっとってなって、時間差で落ちたんです」

「……………………」

 ――無理である。

 流石のカロナもこめかみを押さえている。

「信じて下さらないんですかぁ~、カロナ様~」

「メ・メルルがそう言うなら信じよう。俺はメルルの味方だからな。そもそもアルティナの普段の態度が態度だから疑われるんだ。自重しろ。アルティナ」

 とうとう王子は問題の行動の解明を諦め、アティ自身に因縁を吹っかけてきた。

「それは如何なものですか、アリフェスタ様?」

 俺が半目で問いかけると、カロナは顔を真っ赤にしてうるさい、うるさいと怒鳴りつけてきた。

「だ・大体、エルモンド……先生は、アルティナと親しいからといって贔屓し過ぎだ。アルティナの我儘を全部きくから、この女がつけあがるんだ。王子の俺よりも優先するっておかしいだろう。いいか、よく聞け。アルティナは影でメルルをいじめていたんだぞ。嫌味を言うだけじゃなく、物を隠したり水をかけたりと陰湿な事をしてきたんだ。今の階段は違うのかもしれないが、アルティナならやりかねないって事だ」

 これは婚約破棄の断罪イベントか?

 予期せず、いきなり始まったカロナの怒りに、俺とアティは顔を見合わせた。

 アティの持っていた悪役令嬢小説のほとんどに、婚約破棄の前にはこのようなシーンがある。

 ただ違うのは、小説では証拠を集めた王子が仲間と共に卒業などのパーティー場で、悪役令嬢の罪を問うという断罪イベントとして行われるらしい。が、今は何気ない日常の一時。

 しかもアティがメルル嬢をいじめていたという証拠も何もない上に仲間もいない。

 メルル嬢を見ると目がキョロキョロと挙動不審になっている。

 自分が嘘を王子の耳に入れていたことがバレたと言わんばかりだ。

 けれど野次馬はこれでもかと言わんばかりに膨れ上がって、衆人環視の元これはまたとないチャンスだ。俺は心の中でカロナを応援する。ガンバレ、マケルナ、ツッパシレと。

 最後の一言を言ってしまえ!

「こんな女、王子には相応しくない。よって今この時より俺はアルティナ・モリ・キュルレス、貴様との婚約を破棄する」

「喜んで!」

「言質は取りました。皆様もお聞きになりましたね。では婚約解消の書類にサインを。あ、アティのサインはもう済んでいます。王子もお早く」

「……………………え?」

 俺はサッサと王子の前に書類を出す。いつチャンスはめぐってくるか分からない。肌身離さず持ち歩いていたのだ。

 王子は戸惑いながらも、俺に促されサインをする。

「エルモンド様、このような場所においでになりましたか……如何なされました?」

 そこにタイミングよく野次馬を掻き分け、リックが現れた。

 追加で城からの仕事を持ってきたようだ。

「リック、すぐにダーウィンにこの書類を処理するように伝えろ」

「え? え? 殿下にですか……はい、馬をとばしてすぐに処理します」

 リックは訝し気に書類を見て、すぐに理解した。

 貴族の婚姻関係は王族の承認が必要である。その際たるものは国王によるものだが、城の仕事ほとんどをダーウィンと俺とで賄っている現状、ダーウィンのサインさえあれば、この婚約破棄は認められる。

「ちょ・ちょっと……」

 カロナの困惑の声を無視して、リックは走り去っていった。

 そして人を掻き分け、アティが俺に駆け寄る。

「エル、やったわ。私婚約解消できたのよ。自由だわ。これでお父様にも皆にも迷惑かけないですむわ」

「ああ、良く頑張ったな。こんな化粧すぐに取っていいよ。アティは素顔が一番綺麗なんだから」

 そう言って抱き合う俺達に、そばで見ていた生徒が拍手を送る。

「良かったですね、アルティナ様。やっとエルモンド様と幸せになれますね」

「表情豊かなアルティナ様が、無表情を通さなければならなかったなんて、お辛かったですよね」

「おお、氷の貴公子エルモンド様に笑顔が……」

「初めて見た。これでピリピリした城内も、少しは過ごしやすくなるかも」

 俺の所為で城内が居心地悪くなっていたわけではないはずだが、まあ、いい。

 口々に騒ぐ生徒達の中から一際高いヒステリックな声が響いた。

「なんなんだ、これは。どういう事だ。説明しろ。エルモンド、アルティナ」

 引き攣る口元を隠そうともせず、険しい顔で立っているのはカロナ。その横でメルルはキョトンとした顔をしている。

「説明と言われましても、アリフェスタ様がアティとの婚約を破棄するとご自身で言われたのですよね。それでたまたま私が持っていた婚約解消の書類にサインをして下さったので、善は急げと処理したまでの事。それが何か?」

 俺はそっとアティを背に隠し、奴との間に入り込む。

 今にも俺ではなく、アティにとびかかりそうな感じがしたからだ。

「たまたまって何だ? たまたまアルティナのサインが入った婚約解消の書類を、エルモンドが持っていたなんて事があってたまるか。それにこのお前らや周りの喜びようは何だ。王子との婚約が解消されて喜ぶ淑女がどこにいる。それに周りは何を知っているというんだ。エルモンド、貴様アルティナとは兄妹のような関係ではなかったのか。十も離れている年寄りが、ロリコンなんて気持ちが悪い。貴様はそういう類の人間なのか」

「――はあぁ?」

 ビクッ!

 俺が地の底から這い出すかのような低い声で唸ってやると、カロナは見るからに体を跳ねさせた。

 いうに事欠いてロリコンとは……こいつ、死にたいらしいな。

「エル、抑えて。殺人は駄目よ。せっかくここまで我慢したんだから」

 そう言ってアティが俺の腕を押さえてきた。

 こいつ一人いなくなったところで支障は全くないが、確かに今まで我慢したんだ。ここで殺るのはもったいないか。

 俺は教師役の時にかけている眼鏡をはずした。

 空気が一斉に変わる。周りがほうっと吐息を吐く。

「一つ教えてやろう、カロナ。お前が今まで自由に生きてこられたのは、アティや周りが穏便にと俺を止めたからだ。そうでなければお前の祖父のように王宮から追い出していた。けれどアティとの縁が切れた今どうなるか、今一度己の立場をしっかりと考える事だな」

「お・俺は、俺は王太子になる男……そう、母上が……」

「お前の母親の妄想はどうでもいい。己の頭で考えろ。それができなければ、生かしておく意味もない」

「ひっ」

 とうとうカロナは座り込んでしまった。腰が抜けたのだろう。

 震えるカロナを一瞥して、俺は内心溜息をついた。

 こんな精神力でよく国王になんてなろうと思えたものだ。

 ダーウィンは気は弱いが、ここぞという時には力を発する。俺の睨みぐらい震えてもいいが、腰は抜かすな。

 つんっと横から袖を引かれた。

「エル、やり過ぎ」

 めっと言わんばかりに、俺を可愛く睨むアティ。

 俺がどんな状態だろうとアティは必ずそばにやってくる。小さい頃からそれは変わらず。

 俺は目元を緩め、アティの髪を一房すくう。

「この縦ロールの所為で髪が傷んだな。最高のオイルを送るよ。すぐにアティのフワフワの髪に戻るさ」

 そう言って髪に軽くキスをする。キャーという周りの悲鳴は聞こえないなあ。

 アティは頬を染めるとぺちっと俺の胸を叩いた。

 可愛いその姿に癒されながらカロナを振り返ると、メルル嬢が俺に突進してきた。

「ロッシィー先生、ごめんなさぁい」

 アティの肩を抱きながら、その攻撃……突進を交わす。

「きゃあ」

「わああ」

 ドンッ。ガタタン。ボテッ。


 この光景、二度目だな。

 メルル嬢は巻き添えをくって倒れた男子生徒の中から顔を出して、俺を涙目で上目遣いに睨んできた。

 うわっ、凄い計算を感じる。

「ひっどおぉ~い。ロッシィー先生」

「……君は何がしたいんだ?」

「抱きしめてほしいんですうぅ~」

「何故、私が君を抱きしめなければならないんだ?」

「アルティナ様は抱きしめたじゃないですか」

「アティと君とは違うだろう」

「ああ、それは身分差別です」

「個人差別だ。私はアティしか抱きしめない」

「ひどいですぅ~」


 ……なんだ、この頭の悪い会話は?

 はっ、俺まで同類になっている。恐るべし、馬鹿女。

「君がどういう状況で育ってきたのかは知らないが、いくら学内の事とはいえ、アティつまり上級貴族を貶めた行為をした事は分かっているのか。君もそれなりに処分を覚悟するんだな」

「え、なんで? あたし、アルティナ様を貶めたりなんかしてませんよ」

 キョトンとした表情からは、誤魔化そうとしている気配も感じ取れない。本気で分かっていない様子だ。馬鹿なのか、世の中舐めているのか、どっちなんだ?

「君は皆の前で、アティに階段から突き落とされたと言ったんだぞ。しかも王子には長期にわたってアティにいじめられていたという嘘をついていた。これを貶めていなくて何と言うんだ」

「突き落とされたのは間違いで、肩があたったって言いなおしたじゃないですか。それに王子様との会話はちょっと王子様に優しくされたかったから。女の子の可愛い戯言ですよ。もうそんな事を一々目くじら立ててたら、楽しい学園生活が送れないじゃないですか」

 余りの言葉に、その場にいる全員が言葉を失った。

「……君は男爵令嬢だと理解していたが」

「そうですよ。ああ、また身分差別する気ですか? 嫌になるなあ。教師のくせに、フフ、でも優しくしてくれたら許してあげますよ。先生、かっこいいから」

「……私は君に許しを請わなければならないのか?」

「ええ、もちろんです。教師なんですから。生徒が乙女心を傷つけられたと言えば、処罰されちゃうんですよ。嫌ならほら、手を取って助けて下さい」

 そう言って座り込んでいる自分の手を、ひらひらと俺に向けてきた。

 俺の絶対零度の眼差しを見て、周囲の生徒は蒼白になり、カロナに至っては泡を吹いて気絶していた。

「いい加減にしなさい。エルは教師だけれど、宰相候補の公爵子息なんですよ。貴方は貴族として何も分かっておられないの?」

 メルル嬢の暴言を止める為か、俺の暴走を止める為か、どちらもなのかアティが慌てて俺達の間に入って来た。

「ひっどぉ~い、今の聞きました? ロッシィー先生、アルティナ様ったらあたしの事、貴族じゃないって。こんな酷い事言う女が好きなんですか。あたしの方が素直で従順ですし、顔も可愛いですよ。体は……ちょ~っと負けてるかもしれませんが、絶対あたしの方がお得です。先生、この際あたしに乗り換えてみませんか?」

「お前の何がアティより勝ってるって?」

「だから愛嬌で……」

「カロナ」

 ビクッ!

 俺は気絶から意識を取り戻したカロナに向かって言った。

「せめてもの情けだ。死にたくなかったらお前がこの女、どうにかしろ」

 俺はカロナとともにメルル嬢を平民にする事に決めた。

 この感性では貴族でいる事はメルル嬢にとっても不幸であろうと。そしてカロナも。

 罪人として生きていくより、平民でいる方がマシだろうと。

 俺はこれでも多少なりともカロナには同情している。

 あの二人を両親にもった事に。

 さあて、これで子供の問題は片付いた。次は大人の時間だな。

 俺はアティを連れてその場を立ち去る。

 その日のうちに、俺は教師を退職した。学園側とは最初からそういう話だったから。

 無責任? 何とでも言え。

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