王子の婚約
カロナ達三馬鹿トリオが、課題を持ってきたのは結局六時。生徒の帰宅時間ギリギリである。
そうして時間がないからと言って、さっさと立ち去った。
俺は呆れながらもパラリとノートをめくる。あきらかに他人の筆跡を目にして、そんな事だろうと予想はついていたものの、愚かしすぎる行動に溜息をついた。
傲慢で惰性。馬鹿で愚か。これが王の座を狙う男か? ああ、今の王も一緒か。
婚約破棄さえ処理されれば、次の段階に移れるのに……俺は三馬鹿トリオのゴミ……課題を机の上に放り投げ、学園を後にした。。
一目散に向かったダーウィンの執務室では、書類に埋もれたダーウィンがヘロヘロと手を上げる。
「やあ、遅かったねエル。見限られちゃったかと思ったよ」
「遅くなるとリックに託しておいたと記憶しているが……」
チラリとそばにいるリックを横目に見ると、リックは慌てたように首を縦にブンブンとふっている。
「……余りの馬鹿な王室に嫌気がさして、とうとう国外逃亡をしたのかと……」
「馬鹿な王室には同意するが、何で俺が逃げないといけない。俺が国外逃亡するくらいなら王族を国外追放するぞ」
「うん、エルならそうだよね。良かった、いつものエルだ」
ヘラリと笑うダーウィンの力のなさに、俺は眉を顰める。
「どうした? 本当に弱っているな」
「とうとう国王が俺に全部の仕事を押し付けてきた。それに伴って俺の婚約を勝手に決めた」
「……相手は?」
「ケルビア国の第三王女」
チーン! 終わったな。と思わず言ってしまいそうになる相手だった。
ケルビア国、北に位置する小国。四方を山々で囲まれた閉ざされた国。気性の荒い国民性で、常に他国と揉め事をおこしている。なんの旨味もない国だ。ただ一つあげるならば……。
「鉱山か」
「だろうね」
戦争にあけくれていた国がたまたま手にした幸運。それが鉱山。
最近見つかったその恩恵は、近隣の国をも魅了する宝の山だ。
手付かずだった山は、愚かな国王の心も掴んでしまったのか。
このハオス国は、四大国の一つに上げられるほどの大国だ。隣国リーファルには及ばないもののそれなりに肥沃な土地と、繊維織物や焼き物などの確かな技術が受け継がれている。
それに早くから目を付けていた我がロッシィー家では長年、他国を相手に商業の方にも力を入れており、それなりの実を結んでいる。それを国王が妬ましく思っている事は知っていたが、やはり分からない。
「現実問題、第三王女だろう。鉱山があるとはいえ、どれ程の便宜が叶うのか?」
「……第三王女は行き遅れだから、結構な好条件なんじゃないの。向こうも厄介者を片付けられるうえ、大国との結びつきもできるんだから。そうでなければ俺の立場は……」
ううう……と、とうとうダーウィンが机の上に頽れた。
気持ちは分かる。
ケルビア国の第三王女は、俺達より十も年上の三十五歳。その上、傲慢で我儘な国民性を絵にかいたような気性の持ち主。容姿も浅黒く、丸鼻にぼってり唇と腰の括れなど聞いたこともないような体系の持ち主だとか。
俺はダーウィンの肩を、慰めるようにポンポンと叩いた。余りの落ち込み様に揶揄う気力も失う。
「どうしてすぐ俺に知らせなかった? 影に口止めしただろう」
そう、ダーウィンからの手紙の前に影からは、この件において報告が上がっていた。ただダーウィンが口止めをして婚約の相手だけは知らなかった。
俺もダーウィンの口から直接聞いた方が良いと判断して、今まで様子を見ていたのだが。
「だって、宰相がすぐに国王の婚約承諾の書類は間違いだったと早馬で書簡を出してくれたから。事が無事にすめばエルに余計な心配はかけなくてすむと思ったんだ。だけどその返事がまだなくて、これはまずいかと考え始めていたところなんだ」
中々可愛い事を言う。詳細は分かった。書簡を出してから、そんなに時間は経っていないはず。父上の早馬なら間に合っているはずだが……俺は影を呼ぶ。
「至急現状の確認を。意に染まぬ状態ならばケルビア国にて処理を」
「はっ」
瞬時に姿を消した影の跡地を見ながら、俺は脳を回転させる。
ダーウィンの口止めがあったとしても、情報が入るのが遅い。アティの時と同様、俺の情報網にすぐに引っかからないのは何故だ?
本来ならば今回の件、ケルビア国が王と接触した時点で情報が入っているはず。ケルビア国が鉱山絡みでキナ臭い事をしていたのは情報として入ってきている。けれどまさかダーウィンとの婚約話を直接王としていたなんて……情報に穴がある。
アティの時もそうだった。いくら影の入り込めない王妃の寝室で話し合われていたとしても、第六側室が王妃の寝室に入った事ぐらいは報告があってもいいはずだ。そして王が朝一番で国命をだしたという事も。
あの愚かな王がここまで首尾よく動けるものだろうか? どうやってケルビア国と繋がりを持った?
俺の影に情報を探らせないほどのプレーンが、王のぞばにいるのか?
いや、もしかして影の裏切り……。
俺は影を複数持っているとはいえ、全員を把握しているわけではない。だとすればその中に裏切り者がいる可能性も否定できない。
「エル、ケルビア国内で処理って?」
俺が自分の考えに没頭していると、隣から遠慮がちな声でダーウィンがたずねてきた。
「間に合わずケルビアの城に婚約承諾の書類が受理された場合、そこで直接破棄した方が早いじゃないか」
「え? それって、城に忍び込むって事? しかも機密書類を保管している重要地域に?」
「手っ取り早い」
「そういう問題?」
ダーウィンが目をひん剥いて叫ぶ。何かおかしな事、言ったか?
「ちょっと待って。それ王族でも無理な注文」
「そうか? 俺の影ならできるぞ」
「……エルの影ってどうなってるの?」
ダーウィンが項垂れた。俺はそんな様子を見て少しは浮上したかと笑う。
「まあ、全員ができるわけじゃないけどな。それより問題は国王だ」
「うん、分かってる」
とうとう国王は自分の利益の為だけに、第一王子まで利用し始めた。これは見過ごすわけにはいかない。
「とりあえずダーウィン、ヘーゼル嬢と婚約しろ」
「うん。って、はあ?」
俺の突然の言葉に、ダーウィンは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「利用されない為には、ダーウィン自身が先に婚約した方が早いだろう」
平然と言う俺をよそにダーウィンは立ち上がり、その勢いのまま机の角に足をぶつけた。
「~~~~~」
「何やってるんだ?」
「な・な・な・なんで知って……」
ああ、ダーウィンは隠しているつもりだったんだな。ヘーゼル嬢が国王に利用されないように。
「ヘーゼル・ウィンター辺境伯令嬢。十八歳。ブルネットの髪と瞳。下に弟妹が五人もいる為、長女気質のしっかり者。辺境伯自身も温厚な性格で、数少ない中立派。領地が遠い為、王都にも余り来ないが昨年、お前の誕生日の夜会で知り合ったのだろう。告白はしたのだからサッサと婚約を結んでしまえ」
俺が全て知っているとばかりに話すと、口をパクパクしていたダーウィンが項垂れた。
「――告白した事まで何で知っているのってエルだからか」
「第三王女と結婚するつもりか?」
「絶対やだよ!」
「なら腹決めろ。俺が直々に動いてやる」
「! エル」
「流石に俺も腹が立っている。国王の思い通りになどさせるものか」
……予定が狂ったのは、アティがカロナに捕まったから。元々は俺達が二十歳になってからダーウィンを王位につけ、現国王を辺境の地に退けさせるつもりだった。けれどそれをしてしまうと、王子の婚約者であるアティまで巻き込まれてしまう。王命である以上、こちらから逃げる事はできない。あくまで向こうからアティを手放さなければ、俺は動く事はできないのだ。
そう思っていたが、あれから七年。王を叩き落とす算段はできている。婚約破棄も秒読みだろう。ダーウィンの件で揺さぶりをかけてやる。見てろよ。これからは巻き返しだ。
ハオス国第一王子ダーウィン・ジールド・アリフェスタ・ハオスの婚約式が開かれたのは、それから二週間後の事だった。
異例の速さで行われたこの式を全面的におしすすめたのは、若き宰相候補エルモンド・マノバ・ロッシィー。
宰相の早馬が、ケルビア国への婚約承諾の書簡をケルビア国内へ入る手前でくいとめ、宰相候補の早馬が代わりに断わりの書簡を携えて城内へ入った。
ケルビア国は怒り狂いあわや戦争かと案じられたが、宰相候補の早馬はもう一通、別の書簡も携えていた。それは鉱山から発掘された鉱石の加工方法の技術を教える旨の書簡だった。
確かに鉱山から採掘される鉱石は、価値のあるものだったが、残念ながらケルビア国では加工技術などもちあわせてはいなかった。その為発掘された鉱石は、そのまま他国へと流通されるため価値は激減し、思ったほどの利益が望めないのが現状である。
そこを上手くついたのが宰相候補だったのだ。
もちろん、技術を教えるのも利益なしとはいかず、技術料として二割の報酬との交渉をもちこまれたが、技術者を十人派遣の上、徹底した管理方法も伝授してくれるとの事。技術料二割を払ってでも確実に利益は上がる。この好条件にケルビア国も相好を崩し、宰相候補と契約を交わした。
ケルビア国との問題をはれて解決した後、数年来の悩みどころだった第一王子の婚約を決行したのも宰相候補だった。
今回の事案は、第一王子の王子妃が空白の為、引き起った事だと主張し、今回の婚約式に至る。
相手に至っては様々な場所から声が上がり、特に王からの声が大きかった。
何故彼女なのかと。相応しい者を余が選んでやると。
それを真っ向から切りつけたのも宰相候補。
至る他国からわざわざ引き入れなくとも今は国内の力を重視すべき。
至る辺境伯はケルビア国との境界の領地であり、今はおとなしくしているもののかの国はいつ何時、問題をおこすか分からない。ウィンター領を強化する為にも必要な事。
至る何よりも二人は思いあっている。側室を山のようにかかえる王が、愛を理解できないのかと。
ぐうの音も出ない王の前で重鎮達は『もうお前が宰相でよくねえ?』と全員が魂を飛ばしていた。
当の宰相は王の横でその光景をニマニマと見つめていた。
引退して、領地で愛しの妻と仲睦まじく暮らす様を想像しているのだろう。とは、後の宰相候補の言。
兎にも角にも第一王子の婚約式は、無事に行う事ができた。
そんな中、夜会を取り仕切る俺の元にドージィが歩み寄って来た。
「エルモンド様、上手くおやりになりましたね」
「ご機嫌麗しく、ドージィ様。流石淑女の鏡。挨拶もなしに言いたい事だけを簡潔に述べる様は、見ていて清々しいですよ。まあ、それが他人に向けての態度でしたら」
厳戒に『挨拶もなしに俺に声かけてくんな』の気持ちを込めて、貴族スマイルで応対する。
サッと顔を赤くするところを見ると嫌味は通じたようだ。良かった。嫌味を理解する頭だけはあったようだ。
「教師ごっこは楽しいですか?」
ごほんっと体勢を立て直し、扇を口元にあて上目遣いでたずねてくる。
誰の所為で馬車馬のように働いていると思っているんだ、この女。むっとして軽く睨んでやるとほうっと目を細めて吐息を吐くドージィ。
変な女だとは常々思っていたが、睨んでいるのに吐息を吐かれたのは初めてだ。
「……以前から美しいとは思っていましたが、益々磨きがかかりましたわね」
「?」
「ダンスを。私にダンスを申し込んでも良くってよ」
何を言ってやがる? 最近、王にも相手にされていないから欲求不満が脳にまで回ったか?
俺はニヤリと笑ってドージィの元に歩み寄る。
ドージィはさも当たり前のように、俺に右手を差し出す。
それを無視して横を素通りする。
俺が手を差し伸べたのは、後方でご婦人達と談笑していた王妃様。ダーウィンの母親だ。
「ご機嫌麗しく、王妃様。ご歓談中、失礼いたします。宜しければ私に、王妃様との今宵の思い出としてダンスを踊る栄誉をお与え下さい」
王妃は俺が来るのを察していたのか、優雅に微笑みを返す。
「まあ、エル。今宵の凛々しさはまた格別だ事。私のような年増を相手にして下さるの?」
「何を仰います。王妃様の美しさはどれほどの年を重ねても衰える事はございません。今宵はその美しさが一際輝いていただけるよう、精一杯務めさせていただきます」
「フフ、嬉しい事。ではお願いしようかしら」
そう言って王妃は俺の手に手を重ねてくれた。
この言葉遊びからしてドージィに絡まれていた事を、理解した上での行動だろう。さすがは俺が唯一認めた王妃だ。
チラリとドージィを見ると憎々し気に俺を睨みつけている。
そうそう、その顔。あんたには真っ黒な腹と一緒のその顔が良く似合うぜ。
丁度、次の音楽が流れ、俺と王妃はお手本のようなダンスを始める。
「夜会嫌いのエルのダンスに皆様、驚いてらっしゃるわ。初めてご覧になった方もいらっしゃるでしょうね。ご存知でして? エルの唯一の弱点はダンスだから、夜会に出席しないのだと噂があったのは」
クスクス笑う王妃は、本当に年を感じさせない愛らしさがある。
「十八歳のデビュタントでダンスは二度とごめんだと感じました。正直、次のダンスはアティのデビュタントだと考えていましたが、王妃様がお相手して下さり助かりました」
俺はその日を思い出す。
何故か次々とダンスの相手を求める令嬢の山。ダーウィンを囮にしても捌き切れず、流石の俺も翌日には筋肉痛を免れなかった。要はへとへとになったのだ。
その日俺は二度と夜会には出ないと心に決めた、まあ、現実問題そういう訳にもいかなかったが。
内心溜息をついた俺に、王妃はコテンと首を傾げる。
「あの方は、まだ貴方を諦めないの?」
十八歳の頃に意識を飛ばしていた俺は、一瞬何の事かと思ったが、すぐに今王妃に助けを求めた現状を思い出す。
「彼女が固執しているのは権力、ただ一点でしょう。私がその役に立つと信じて疑わないのはある意味、執念のようにも感じますね」
「あら、エルはそのようにお考え?」
「それ以外に何か?」
「……いえ、それならばそれでいいのよ。私から彼女を擁護するのは彼女との関係上、難しいですし、私もそれほどお人よしにはなれませんわ」
「? はあ」
王妃はニコリと微笑んで、コホンと先程よりも小声で話しかけてきた。
クルクル回るダンスは、正直周りの声は聞こえない。それでも用心に越しての事だろう。
俺は王妃の言葉に耳を傾ける。
「それよりも今宵の事も含めてのもろもろの件、エルには本当に世話をかけました。ダーウィンの母として心からお礼を言わせて。ありがとう、エルモンド。本当は場を改めて言うのが礼儀なのですが、王の手前……王は今回の件、エルの手柄とはとらえずに内々で収めようとしているわ。私はそれが口惜しい……」
「王妃様。滅多な事は申されませんように。いいのですよ、私の事はお気になされずに。それよりもダーウィンの事が落ち着いた今、そろそろ私も動くかもしれません。ああ、でもご心配下さいませんよう。王妃様の事はダーウィンの母親として私が必ずお守りします」
「……本当にありがとう。でも私は王妃として、この二十五年間あり続けたのに結局、王を諫める事はできませんでした。私も王妃として責任を取らざるわけにはまいりません」
「王妃様の気高さ、私は……いや、俺は大好きですよ。けれどここは甥っ子の我儘を聞いてくれませんか。俺は従弟を悲しませたくはありません」
王妃は本当にあの王の嫁か? と疑うほど気高い。
だから俺はわざと臣下としてではなく、甥という関係性で話し出した。
一瞬、目を見開いた王妃は次に涙ぐみながら、それでも気丈に言葉を続けた。
「……貴方がダーウィンの従弟でいてくれた事に、私は感謝してもしきれません」
「全てが終わったら、昔食べさせてくれたヒーリックの名物、クルミケーキをまた作って下さいませんか?」
「! フフ、そんな事をまだ覚えていてくれたなんて……ええ、いくらでも。そうね、貴方とダーウィン、ヘーゼルとアルティナ嬢の四人を招待してもよろしくて?」
「もちろんです。楽しみにしていますね」
「ありがとう」
ふわりと微笑んだ王妃様は、まるで少女のように可憐だった。