悪役令嬢登場
「廊下を走ってはいけません。そのような事、貴族でなくても分かるのではありませんか」
「ご・ごめんなさい。アルティナ様」
「貴方に名前呼びを許した覚えはありませんが」
「ご・ごめんなさい。キュルレス様」
貴族学校、カルファンの食堂へ向かう廊下では、金髪縦ロールの美少女がピンクブロンドの小動物のような雰囲気の少女に苦言を呈していた。
凛とした佇まいに縦ロールという姿は、遠くから見ればキツイ印象を与えるが、その実近くて見ると長いまつ毛に縁どられた緑の水晶は優しく、小ぶりの口は何とも愛らしい。白い陶磁器の肌は損傷なく、華奢な姿態は女らしい曲線を描き、少女から女性へと変わる時期を楽しんでいるようだ。
ただ残念な事に姿態は変わらずとも、その表情は無に等しく、濃い化粧を施され内面に秘めた愛らしさは隠されている。
その少女が話している内容も当たり前の注意をしているだけなのだが、相手の様子からとても酷いことを言っているかのような誤解を与える。
小動物のような少女は震えているのだ。
今にも叩かれるのではないかというように体を小さくして。大きな茶色の目には大粒の涙を溜め、必死で頭を下げている。
縦ロールの少女に三人の友人がついているのも悪かった。
どう見ても数人で一人の少女に無理難題を言いつけ、いじめているかのように見えてしまう。
自然と人は集まり注目を浴びる。
そんな中、一人の少年の声が上がる。
「何をしている」
金髪碧眼の眉目秀麗な少年はこの国、ハオス国の第五王子カロナ・ジールド・アリフェスタだ。
十五歳になった彼は、意志の強い眉に少々吊り上がった瞳でキツイ印象を与えるが、整った容姿には変わりなく、この学園においてもほどほどの人気を擁していた。
その彼が取り巻きを連れて現れた事で、周囲は自然と道をあける。
縦ロールの少女をはじめ、近くの生徒は軽い礼を取る。微動だにしないのは小動物のような少女、ただ一人。
「アルティナ、またメルルをいじめているのか」
キッと睨むようにアルティナと呼ばれた縦ロールの少女に視線を向ける第五王子。
「そのような事はしておりません。廊下を走るなと注意をしただけですわ」
その王子に向かって無表情でありのままを話す少女。
それを見ていた小動物のような少女が、王子との間に割って入る。
祈るように両手を組んで、大きな目に涙をこぼし懇願する。
「カロナ様、ごめんなさい。あたしがアルティナ様の前を通ったから、道を塞いだので気を悪くされたのです。下級貴族の分際で上級貴族のアルティナ様の邪魔をしたから。あ、アルティナ様なんて馴れ馴れしく呼んじゃいけなかったんだわ。ごめんなさい。キュルレス様、お許し下さい。殴らないで下さい」
その言葉に、第五王子の険しい顔がますますひどくなる。
「アルティナ、お前は身分をかさにきてメルルを殴っているのか?」
「あ、ごめんなさい。口を滑らせました。そんな事はありません。あたしは普段から殴られてなんか……ごめんなさい」
「ああ、メルル。隠さなくていい。可哀そうに。そんなひどい目にあっていたのか」
ひたすら謝る小動物ことメルル嬢の肩を抱いて、第五王子は優しく労わる。
――なんだ、この茶番劇?
周りの生徒も一言も口に出来ず、ただ唖然と二人を見ている。
あ、カロナの取り巻きも唖然としているな。
「アルティナ、貴様……」
王子の雰囲気が変わり、少女の肩を掴みかかろうとした瞬間……。
「はい、ここまでです。皆お昼の時間が無くなってしまいますよ。遅刻は厳禁。解散解散」
パンパンと手を叩いて、アティとカロナの間に割って入る。
「……エル」
息を吐くような誰にも聞こえないように漏らす声に、俺はアティの恐怖を感じ取る。
怖かったよな。よく頑張った。
「キュルレス様に淑女の皆さん、午後の授業は私です。教材を運びたいので少し手伝っていただけますか。お礼に昼食はおごらさせていただきます」
アティの背に手を添えながら、ニコリと笑うとアティの友人は頬を染めながら「ぜひ」と言い、満面の笑顔になる。
俺はそのまま立ち去ろうとしたが、それを許さなかったのは第五王子。
まあ、そうだろうな。
「待て、エルモンド。勝手に話を終わらそうとするな」
「……アリフェスタ様、ここでは私は一教師。貴方様は一生徒という扱いになります。そのような態度は褒められたものではありません」
思わず半目になって注意すると、王子はうっと呻き声を上げながら半歩下がった。
「わ・分かっている」
「分かっているならば結構。では失礼します」
そのままくるりと背を向けて去ろうとしたが、またもや声が上がる。
「だから待てって言っているだろう」
しつこいなあ。
「先程も申し上げた通り、これ以上の茶番……会話は時間の無駄です。時間は限られています。実のある時間をお過ごし下さい」
「今、茶番と言おうとしたか? いや、それよりも俺との会話は無駄だと言うのか」
一瞬呆けた顔をした王子は、次に俺を睨みつけた。
「アリフェスタ様ではありません。その女生徒との会話です。私は最初からここにいました。ですからキュルレス様が嘘をついてはいない事は分かっています」
「あ。あたしも嘘なんかついていません」
俺がチラリと目を向けると、一気に顔を赤くしたメルル嬢は慌てて言う。
「ええ、嘘はついていませんが、勘違いをするような発言をしたのは否めません。それも勝手な妄想で。そういう事で無駄だと申し上げております」
メルル嬢は反論しようとしたが、くるっと向きを変えてカロナに抱きついた。
「カロナ様、ロッシィー先生がひどいです。私も同じ生徒なのにキュルレス様だけ贔屓して。やっぱりキュルレス様もロッシィー先生も上級貴族で、男爵家のあたしなんて見下しているんですね。味方は国一番の身分をお持ちのはずなのに、誰に対しても平等でお優しい王子様だけです」
そう言ってワッと泣きつく。
俺は心の中で親指を立てた。この女最高。馬鹿すぎ。女優だなあ。
「エルモンド……先生、貴様はそれでも教師か。いくらアルティナとは懇意にしているからといって目に余る贔屓などして。他の生徒を蔑ろにしていいはずないだろう。メルルに謝れ!」
そして王子。お前はただの馬鹿だ。
ギリギリ先生と言っているが、貴様と言っている時点でアウトだ。しかも謝れだと。
俺がスッと目を細めると、王子の取り巻きをしていた数人がザっと後ろに下がった。
王子の取り巻きはドージィの意向で一応上級貴族で固めている。二人はただの馬鹿。いわゆる太鼓持ちというやつだ。王子のそばにいれば甘い汁が吸えると思っている。残りの内の三人。これは産まれが次男・三男で立場が弱いため、いやいやながら付き合っているという様子。そして残りの二人は俺の密偵だ。俺のいないところでアティに何かされたらたまらないからな。二人にはいざという時にアティを守るように言ってある。
そして俺の前にいるのは、馬鹿王子と馬鹿二人と馬鹿女。
こいつらはいまだに俺の事が分かっていない。俺がどういう立ち位置なのか。王子などはまだ俺を側近の一人にできると本気で思っている。
だからこのような口を平気でたたけるのだ。
「貴方達は私の言っている事が、まだ分からないようですね。アリフェスタ様や君達は次の授業は私の授業だと言っているのです。先月出した課題はできているのですか?」
はっと弾かれたような三人は、みるみる顔を青くしていった。
「期限は三日前だったはず。まだ提出できていないのは貴方達三人だけなのですが、私はこれでも温情をかけているつもりです。ですが流石にこれ以上は……時間は限られていると言った意味がお分かりいただけたでしょうか」
「くっ……も・もう少し待ってくれ」
「では放課後までお待ちします。必ずご提出を。私は城での仕事もございますので、そうですね、四時までにお願いいたします」
「も・もしも、もしもだが、提出できなければどうなるんだ?」
「どうもこうも、減点になるだけです。もちろん、できたからといって何でもいい訳ではありません。中身にもよりますので、皆様の成績では進級の方もどうなりますやら」
「くっ、お・俺は王子だぞ」
「はい、私は教師です。そして宰相候補です。それが何か?」
「も・もういい。持っていく。必ず持っていくから待っていろ。いいな」
「お早くお願いしますね。私は暇ではないのです」
ダダダッと三人は走り去っていく。残りの取り巻きも溜息をついて後に続く。可哀そうに。俺の密偵には後で労いの言葉を掛けておこう。
そして残されたのはメルル嬢、ただ一人。
メルル嬢は上目遣いで俺を見上げながらえへへとはにかむ。何でそこではにかむんだ?
「あ・あたしも教材の用意、手伝おうかな。昼食おごって下さい」
は? この状況でどうして一緒について来ようとするんだ?
「貴方は私の授業を取っていらっしゃらないでしょう」
「だって先生がこんなにかっこいいなんて知らなかったから……じゃなくて、先生の授業はちょっと難しいかなって」
「でしたら手伝っていただく必要はありません。授業に必要なものは授業を取っている生徒に頼みます。キュルレス嬢、皆さん、お待たせいたしました。では参りましょう」
そう言って俺はアティの背を押して、素早くその場を後にする。
後ろでボーっとした様子で俺の背を見続けるメルル嬢が、不気味だった。
「アティ、よく頑張ったな。お疲れ様」
「ううぅ、エル、こわかったよう~」
「よしよし、いっぱい食べな。甘いお菓子も用意してあるから。バティ嬢達もお疲れ様。好みのものをご用意させていただきました。時間が許す限りお召し上がり下さい」
学園内にある俺の執務室でソファに項垂れるアティの頭を撫でながら、机にある昼食を令嬢達にすすめ、労いの言葉を掛ける。
「いいえ。そのようにお気遣いいただけるような事、私達は何もしていませんわ」
「アティのそばにいてくれる事が大事なのです。お蔭でアティは一人にならず、様子を見る時間をいただく事ができました」
「アティは私達の友人ですもの。そばにいる事は当然ですわ。でもそのように仰っていただけるなんて、ありがとうございます。遠慮なくいただきますわ」
「どうぞ。私は城の仕事がございますのでそちらの机におります。女性同士のお時間をお楽しみ下さい」
俺はアティ達令嬢をソファに残し、自分の仕事に取り掛かる為、数歩離れた机に移動した。
令嬢達は仕事をすると言った俺に気をつかってか、小さな声で会話を続ける。
十三歳になり、学園に通わなくてはならなくなったアティの雰囲気をガラリと変えたのは俺だ。
フワフワの巻き毛を縦ロールにして、垂れ目がちな優しい瞳を濃い化粧で最大限に上げ、サクランボのような唇には真っ赤な口紅を塗らす。そうして事情を知る者以外の前では常に凛とした姿勢をとらせ、王子の前ではなるべく無表情でいるように徹底させた。
そう、悪役令嬢のできあがりである。
カロナは初対面の時の柔らかい雰囲気のアティと正反対の様子を見て、絶句した。
「貴様はアルティナか?」と何度も聞くカロナに笑いそうになったが、グッと堪えて無表情を作り続けたとアティは言っていたが、近くで見ていた俺からすれば口元が緩んでいたのは分かっていた。
そして協力者は何人かいても、毎日カロナと顔を合わせる事に心配だった俺は、教師として学園内に潜り込んだのだ。
カロナは俺が無能な為、ダーウィンの従者を辞めさせられたと思ったらしく、俺を小馬鹿にしつつもキュルレス侯爵の伝手としてまだ諦めていなかったらしく、手の内にいれようとしてきた。
仕方がないので、今年の教師の人員が足りていなかった為、補助として入った旨を伝え、城での地位は宰相候補として仕事をしている事を教えた。
俺の地位がそこまで高いものと知らずに、最初は驚いていたもののやはり利用できると思ったのか勧誘は引き続き行われている。
さすがあの王と女の子供だ。年々愚かしさに磨きがかかっている。
実はこの学園でアティが悪役令嬢のように我儘で傲慢だと思われているのは、半分にも満たない。
入学時から教師陣は元より、以前よりアティと親交のあった者達には協力を求めていた。そして個人的にアティと接した者は皆アティの優しさに気付く。そう、アティの無表情は王子の前だけだと、ほとんどの者が理解している。
そうして一年ほど前から出没するようになったのが、先程のメルル・カッパーナ男爵令嬢。
彼女は俺の理想通りの行動をとってくれる。
王子の理想通りの可愛い馬鹿な女を演じ、王子の目を自分に向けてくれているのだ。
演じているというのは、別に俺が頼んだわけではない。彼女は入学から一年間、王子と婚約者の様子を見ていて、自分が入る隙間があると確信したのだろう。
元より複数の男に色目を使って虜にしていたのを、俺は知っていた。まあ、あれだけ派手に色んな男といる姿を見せられると馬鹿でも分かる。
そして一年ほど前から狙いを王子に絞り込んできた。これ見よがしに王子の前で転んだり、物を落としたりと。
最初は王子も気にしなかったようだが、潤んだ瞳とボディタッチに二か月ほどで篭絡されていた。
俺の読み通り、可愛くない婚約者より可愛い女生徒を選んだのだろう。
学園というところは、思考を麻痺させる。自分の立場、状況を一瞬にして忘れさせてしまうのだ。
カロナは典型的なその一人だった。
何のためにキュルレス侯爵の令嬢と婚約を結んだのか。自分の置かれている立場は。メルル嬢との身分の違いは。それら全て忘却の彼方なのだろう
自分の父王が身分の低い女をそばに置いている事に勘違いをしているのかもしれない。
今はその勘違いのまま、一日でも早く婚約破棄を言い渡してくれないかと待っている状態だ。
俺は書類に目をやりながら、少し長くなった前髪をかき上げ、、教師役をしている間だけかけている眼鏡をはずす。
「……ほぅ……」
?
俺が顔を上げると、食事をしながらおしゃべりに花を咲かせていたはずの令嬢達が、一心に俺を見つめていた。
「……何か?」
「はっ、いえ、何でもありませんわ」
慌てて手を振る令嬢達。何なのだろう?
俺が不思議に思っていると、一人アティが俺のそばに寄ってきて服の袖口を掴む。
「エル」
アティが口を開いたと同時に部屋の扉がノックされた。
「ちょっと待っててくれ。入れ」
俺が入室の許可を出すと、城から来た俺の従者リック・アンブローヌ子爵が口上を述べながら入室する。
「処理済の書類を頂きたく。それからこれはダーウィン殿下からのお手紙です」
「泣き言か?」
「は、いえ、まあ、そうですね」
クスクス笑いながら手紙を渡すリック。俺は時計を見た。
「今日は少し遅くなる、そうだな、食事がすんだ頃には顔を出す。先に夕食をとるように伝えておいてくれ」
「かしこまりました。エルモンド様も無理はなされませんように」
「俺は好きでやっている。気にするな」
「しかし、このところお顔の鋭利さに磨きがかかっているご様子。お体をおいとい下さい」
リックの軽い口調に、俺は思わず笑ってしまった。
「顔が怖いとアティに嫌われたら困るな。分かった。善処しよう。それと数日後には体をあける。鍛錬場の許可をとっといてくれ。ダーウィンとともに使用する」
「エルモンド様なら許可などご必要なく、いつでもお使い下さいとのお言葉を、騎士団長からいただいております」
「騎士団長のお心はありがたいが、公私混同は控えたい。慣例にのっとった行動を」
「は、かしこまりました」
用事の終わったリックは、一礼し部屋から出て行った。
待たせていたアティに振り向くと、まだ俺の服の袖を握りしめ、下を向きながら呟いた。
「エルは……素敵よ」
「?」
「エルの事、怖いと思ったり嫌いになった事なんか一度もない。いつも私の事考えてくれて一生懸命動いてくれているの知っているから。だからあんまり無理はしないで」
いや、アティの為というより俺がアティを欲しいだけなんだが……まあ、ここら辺は誤解させておこう。アティは俺の黒さを白いと感じてくれている。思った以上に素直に育ったものだ。
悪役令嬢の姿で、天使の発言をするアティの頭を撫でる。
「ありがとう、アティ。無理はしていないつもりだが、リックにも言われたしな。善処はするよ」
ニコリと微笑むとアティは頬を染める。
「時間は大丈夫かい? そろそろ戻らないと遅刻は厳禁だよ」
俺がそう言うとアティも令嬢達もはっとして、慌てて礼をしながら出て行った。
慌てながらも淑女の礼節を弁えた彼女達の態度に、俺はクスクス笑いながらも、束の間の緩やかな時間を堪能し、授業に向かうべく部屋を後にした。