破壊衝動の理由
「兄上」
執務室に向かう為、ダーウィンと共に城の廊下を歩いていると、後ろから幼い声が聞こえてきた。
俺はサッと横に避けて控える。
走って来たのは、件の第五王子。
ダーウィンは俺が関りたくないのを感じ取り、俺の前に出て王子の相手をする。
「カロナか、どうした?」
ダーウィンは優しい。俺ならまず、城の廊下を走っている事に注意する。
「兄上、僕に婚約者ができました」
ハアハアと息を切らせながら、満面の笑みで答える八歳の金髪碧眼王子は、他から見ればその場の空気を和ませるほど可愛いのだろう。王子のお付きの従者も、廊下を歩く貴族もニコニコとその光景に目をやる。
ちっ、誰も廊下を走っている事に注意しないのか。思った以上に甘やかされて育っているな。
「キュルレス侯爵の娘でアルティナといいます。フワフワ巻き毛の可愛い子です。おとなしそうだし、あの子となら僕、仲良くできそうです」
このクソガキ、俺のアティを気に入りやがった。
まあ、アティを気に入らない奴がいるはずはないけどな。
俺は心を無にして笑顔で聞いているはずなのに、何故かダーウィンが俺をちらちら見ながら引き攣った笑みを浮かべている。
「よ・良かったね、カロナ。絶対その子をいじめちゃいけないよ。婚約者は他の子と違って大事に大事にするものだからね」
はははっと乾いたような笑みを向けるダーウィンに、カロナはふんっと背を反らしながら言う。
「生意気な事を言ったら躾けますよ。僕の婚約者なんてあの子にしたら最高の栄誉だ。それに感謝しているうちは大事にしてあげます」
――殺す!
一気に膨れ上がる殺意にダーウィンは、ひぃっと声にならない悲鳴をあげた。
幼いカロナは俺の殺気にも気付かずに、頬を染めて得意げに話し続ける。
「初めからお互いの立ち位置はキチンと教えてあげるのが親切だと母上が仰っていました。僕は王子で彼女の父上が望んで結んでやった婚約なのだから、有難く僕に媚び諂うのが彼女の役割だと。彼女は僕の言う事を聞いて当然なのだと。だから僕が躾けないといけないんです。ちょっと大変だけど、仕方ないですよね。僕の婚約者なんだし」
フフフと笑うその顔は、内容を聞いていない者からすると天使だと言うかもしれない。が、言っている事は鬼畜以外の何ものでもない。ペットでも飼う気かよ。
しかしあの女、なにが後ろ盾のない王子が哀れだ。そんな事を口にした裏で、自分のクソガキになんて事を教えてやがる。
この婚約がアティの栄誉だと? キュルレス侯爵から望んだ? 有難く媚び諂えだと? しかも俺のアティを躾けるだと!?
よくもそんな戯言が言えたもんだ。
俺がお前達の思惑通りにはさせない。
不穏な空気を察知したのか、クソガキの従者が若干青ざめながら「母上がお待ちですよ」とここからの退場を促した。
「ではまた、兄上」
突進してきた時と同様にバタバタと走り去る姿を見送りながら、俺は「ダーウィン」と隣でプルプル震えている自分の主に声をかける。
「長期戦で殺る」
「……お好きに」
もうダーウィンは反論しなかった。主の了解は取った。長期戦で完膚なきまでに倒す。
「どうして会えないんだ?」
キュルレス侯爵のエントランスで大声をだすのは、この国の第五王子であり侯爵令嬢アルティナの婚約者カロナ・ジールド・アリフェスタ。直系ではなく側室の子である彼は、王族とはいえ国名であるハオスの名は与えられない。
「婚約を交わしたあの日以来、アルティナに会えないとはどういう事だ? 僕は王子だぞ。わざわざ出向いてやっているというのに、この扱いは何だ。とっととアルティナを連れて来い。婚約者に対する態度を教えてやる」
激怒して叫ぶ彼を前にキュルレス侯爵及び屋敷の執事、侍女がニコニコと対応している。
「殿下、わざわざご足労いただきまして誠に感謝申し上げます。しかしながら先程より申し上げます通り。アルティナは体調を崩して臥せっております。そのような姿、いくら婚約者とはいえお見せするわけにはまいりません。後日改めて下さるよう重ねてお願い申し上げます」
「その言葉五回は聞いたぞ。なんでそんなに弱いんだ? そんな事で王子の婚約者が務まるのか?」
ニコォ~。満面の笑顔のはずなのに何故か背筋に悪寒が走るようなキュルレス侯爵を前に、流石の王子も一歩後退する。
「その通りです。このままでは殿下に多大なる迷惑をおかけするかもしれません。ですから父上である国王様に我が娘との婚約は破棄するよう、殿下自らお伝えしては下さいませんか?」
有無をも言わせぬその迫力に、引き攣りながらも答える王子。
「あ、ああ、いや、僕も悪かった。そうだな。臥せっているのならば仕方がない。また日を改めるとするか。アルティナ嬢によろしく伝えてくれ。次は会える事を願っている」
来た時の迫力はどこへやら。バタバタと走り去っていくその後ろ姿は、九歳の子供とはいえ小物臭い。
「ご苦労様です。キュルレス侯爵」
「ああ、エルか。殿下にも困ったものだ」
はあ~と、ため息をつくその背に声をかける。
「ご家族が談話室でお待ちですよ」と言うと「そうかそうか、エルもおいで」といそいそと向かう。
本来、この方は可愛い方だ。先程の圧をかけるような態度は似合わない。それでも演技をするのは、この方も今の状況をよしとしていないがためだ。
談話室に入るときゃあ~っと言って侯爵に抱きつくのは、アティの双子の弟と妹。トニーとジニーだ。
後ろで夫人がご苦労様と夫を労う。
「ああ、癒されるぅ~♡」
双子をスリスリとしながら言う侯爵に、申し訳なさそうな声が落ちる。
「……ごめんなさい、お父様。私が殿下に会えば済む話なのに」
アティが眉を八の字に下げながら、侯爵に謝る。
「アティが謝る事はないよ。私が侯爵にお願いした事だ」
「いやいや、二人が謝る事じゃない。私だって彼との婚約は腹の底からごめんこうむりたいのだから。王命でなければなにをおいても断るものを」
苦虫を潰すような顔をする侯爵の背を、夫人が撫でる。
「で、あの侍女どもは王宮に返すことができたのですね」
「ああ、ありがとう。エルのお蔭だ」
俺がたずねると侯爵はホッとしたように表情を和らげる。
婚約当日に俺が馬で駆け付け、アティと遠乗りに出る時に後ろで文句を言っていた女、あれは王宮からつかわされた侍女だった。今後王子の婚約者として恥をかかないよう教育するためにつかわされたという。あれを含めた三人。
我が物顔で乗り込んできた侍女どもは傍若無人にふるまった。
侯爵令嬢として育ったアティの全てを否定し、王妃教育かといわんばかりの教育。鞭を打たれた手のひらを見た侯爵が「やり過ぎだ!」と苦言を訴えれば、王命だと言い、逆らえばどうなるかと圧をかける。
それを聞いた俺は、その侍女三人が王命とは名ばかりの、実際には第六側室ドージィの命令で動いている事の証拠をつかんだ。それだけではなくその三人はあくまで王宮の侍女として籍を置く為、給金は王宮からもらっているはずが、侯爵からもふんだくっていた。
俺は王族の名を語った不敬罪と給金の二重取りの横領の罪で、三人を罰するつもりだったが、罪を公にしない代わりにおとなしく侯爵家から手を引く事を条件とした。
横領はドージィのあずかり知らぬ事だったらしく、ドージィが裏で手を回した事だけをあげて城に送り返した。向こうも公にすれば困る事から、抵抗する事なく撤退したようだ。
ドージィにすれば幼い頃から教育し、反抗する意思をなくして王子の手駒にしようとしていたのだろう。そしてあわよくばアティを人質に、侯爵家を自分の自由にしようとしていたのかもしれない。
とことん浅はかな女だ。
今アティを王子と会わせないようにしているのは、できるだけ二人に情をもたさない為だ。
二人の第一印象は好意的なもの。
三侍女の襲撃によりすっかり怯えてしまったアティは、王子に会わないようにとの俺の願いにあっさりと頷いてくれた。
侯爵も初めからドージィに利用される事を分かっていたから、逃げられるものならなんとしてでも逃げようと俺に協力的だ。まあ侯爵の事だから、ただ可愛いアティが泣かされないように動いているだけなのかもしれないが。
しかし、このまま会わない設定は子供だから許される事。いつまで引っ張られるか。さっさと諦めて婚約破棄すればいいものを。
「おい、お前。兄上の従者だったか? キュルレス侯爵と親しいらしいな。アルティナと会わせろ!」
突然、執務室の扉の前で待ち伏せされ、声高に命令してきたのはクソガキこと第五王子だ。
執務室を守る護衛二人は、手を取り合って震えている。
クソガキの侍従はいないのか? こんな野生児野放しにしやがって。
「おい、聞いているのか? 王子を無視するとは何事だ」
クソガキは俺が微動だにしない事に腹を立てた様子だった。
仕方がないので俺は貴族スマイルを顔に張り付ける。
「これは失礼しました、カロナ殿下。キュルレス侯爵とは父を介して親交がございますが、他家の事に口出しできるほど、私のような若造に権限はございません」
「ちっ、つかえない奴だな」
ピキッ。
おっと、血管が切れそうになった。落ち着け、俺。
「最初から無理だと言うな。情けない。駄目もとでいいからやってみろ。上手くやれば兄上の従者なんかより俺の側近として飼ってやる」
ピキピキッ。
やべ、本気で血管切れる。
ガタンッ。護衛二人が腰を抜かした。
「何をやっているんだ、お前達?」
そんな二人をキョトンとしながら見るクソガキ。何も知らないというのは罪だな。
影が動こうとしているのを、俺は溜息一つで止める。
「母上が言っていたんだ。俺はいずれこの国の王になる。だから今のうちにお前も功績を上げて俺の元に来い。俺の役に立てれば、それなりの旨味は保証できるぞ」
「!」
「そんなところで何をしている、カロナ?」
「あ、やべ。じゃあアルティナの事は頼んだぞ。未来の側近」
タタタッと走り去っていくクソガキ。
不思議そうにやって来たダーウィンは、俺の顔を見てひぃっと後ずさった。
「……未来の王が情けないですね。すぐに執務室にお戻り下さい。仕事は山ほどありますから」
そう言ってダーウィンを無理に引っ張る。護衛二人には今の一件は見なかった事にするよう、重々言い含めて扉を閉めた。
「な・何があったの、エル?」
プルプル震えながら聞くダーウィン。俺は拳を口元に持っていきながら考えをまとめる。
「厚化粧はまだクソガキを王太子、しいては王になる事を諦めていないようだな」
「え?」
国に関わってくる話だと一瞬にして悟ったダーウィンは、震えるのを止めて俺に向き直る。
普段は優しい気弱な性格をしているようだが、こと国に関する事となると背筋を伸ばすこの幼馴染を、俺は気に入っている。
「……クソガキが言っていた。厚化粧がいずれクソガキが王になるのだと話していたと」
「どうしてそんな風に思えるんだ。いくら第五王子でも、この国では女も王女になれる為、王位継承権は十位だ。しかも母方の出は下位の子爵家。少しばかりお金を持っていても、今はエルにつぶされてそれさえ危うい。侯爵家と婚約できたとはいえ婚姻してしっかりと後ろ盾になってもらえるまで、はっきりとした支えはない。自分達の立場がまるっきり理解していないのか?」
「王の寵愛は、今はドージィよりも第十側室のバーベラ様にあると聞いているが……」
「うん、間違いない。あの人(国王)は本物の愚か者だから、母上には何でも話すんだ。バーベラ様が愛を囁いてくるだとか、拗ねる姿が可愛いだとか。今はドージィ様には見向きもしていないんじゃないかな」
「……どれだけ……いや、もういい。それより問題はクソガキの行動だ。何か裏があってのものなのか。それとも単に父親に似て愚かなだけなのか」
俺は首を一振りしてクソガキの行動に思考を飛ばす。そんな俺にダーウィンは暫し黙考してから、たずねてきた。
「少し聞こえたんだけれど、カロナが君の事を未来の側近と言っていたのは?」
「馬鹿らしい。俺にアティと会えるよう取り計らえだとさ。成功したら俺を側近として飼って下さるそうだ」
くすっと皮肉気に笑うと、ダーウィンは小さな声で「恐ろしい」と震えていた。
「……けれど、ドージィ様の狙いはやはり君なんじゃないのかい? アルティナ嬢との仲を利用してカロナを近づけ、子供の無邪気さで翻弄し、情を向けさせる。俺よりもそばで守ってあげたいと思わせるようにわざと君の事を何も教えずに近づかせる。だって君にあんな風に近づく子供は、アルティナ嬢以外に初めて見たよ」
「それこそ馬鹿らしい。俺一人を手名付けて王位継承権十位の位置をどうやって一位まで上げるつもりなんだ?」
「できるでしょ、エルなら」
「………………」
ダーウィンは伏し目がちに断言する。それはまるで真実を真実として語るかのような口調だ。
「お前、何年俺と一緒にいるんだ?」
「え、産まれてからまるまる十九年?」
「そうだ。お前が一番分かっているはずだ。俺が人に情ぐらいでそばにいる人間がどうか? つかえない糞みたいな奴のそばにいる気はないし、ましてや下に見られるような事は絶対に許さない。あのクソガキのそばにいて得するような事一つでもあれば何か言ってみろ」
「……エル、口悪すぎ」
呆然と俺を見上げるダーウィンに、俺はニヤリと笑ってやる。
「いい男だね、エル」
「今更かよ」
くすくすと笑いあうとダーウィンは、顔をしっかりと上げる。
「どう動いたら俺はエルの邪魔にならない?」
「……この際、膿は全部出しておこうかと思う。徹底的に潰し、二度と同じ事をする奴らが出ないように。少し時間がかかるけれど、この国を立て直すには必要な事だ」
「本音は?」
「いい加減面倒くさい。一掃して老後はゆっくりと過ごす」
「エルらしい」
ハハハと笑う俺達は、これからの事を話し合う。
のらりくらりと躱してきたが、覚悟を決めた。あんなクソガキやらに利用されるぐらいなら、ダーウィンの宰相にでも何でもなってやる。
ああ、現宰相(父上)の満面の笑顔が目に浮かぶ。