事の始まり
「エル」
俺の名を呼んでやって来たのは、この国ハオス国の第一王子ダーウィン・ジールド・アリフェスタ・ハオス。
俺はその姿を一瞥して、城の廊下を帰路につくためにスタスタと足を進める。
「まて、まて、まて!」
そう言って肩に手を置こうとしたのでスッと避ける。
「おっと!」
ダーウィンは転げそうになりながらも、寸でのところで踏ん張った。
「ちっ」
「おい」
「なんですか、王子? 私に何か御用でも?」
俺は貴族スマイルで対応する。
「まず舌打ちやめろ。あと俺に気付いていたよな。何故逃げる? それと一国の王子に怪我させようとするな」
「……文句の多い男ですね」
「今ここでお前がやった数秒の出来事に対する苦情だ!」
「ちっ」
「……隠せよ、そういうの」
呆れた顔で俺を見るダーウィン王子。
この王子様は俺の幼馴染だ。いくら幼馴染でも本来ならこのような態度、一臣下としてあるまじき行為だが、俺なら許されると分かっての行動だ。
この辺りは四大国で成り立っている。リーファル・ハオス・アリノバ・フォルン。その周りを小国が占めているが、基本この四大国に取り込まれている。
その中でも群を抜いているのが隣国リーファル。この国は一番古い国と言われ、また優秀な者が多い事でも有名だ。そして近頃では珍しく、魔術を保有する者も少なくはない。
学術、武術、魔術にと共に抜きんでているが、その中でも王族は類を見ない人物が多く、肥沃な土地が戦争に荒らされないのは、王族の手腕によるものらしい。
三国はリーファル国の様子を伺いながらも、戦争を起こさない事をモットーとしているかの国に安堵し、協定を結んでいる。
そして俺はそんな国を隣に持つ、ハオス国の筆頭公爵家、嫡男のエルモンド・マノバ・ロッシィー。
我がロッシィー公爵家は二百年ほど前に王弟が降下した家柄で、過去幾度も自国、他国との王族との婚姻があり、王族に次ぐ家柄だ。優秀な人材が多く、公爵領を切り盛りする以外にも国の重要な役目を果たし、幅広い商法にも係わりをもつロッシィー家は、ある意味王族より厄介な家柄だといえる。
かくいう俺も六歳の頃より父から玩具を一つ与えられ、どこまで広げられるか日々挑戦しているところだ。
そして、俺の母親。彼女もまた現国王の妹。だから俺は王族ダーウィンとは、従兄弟同士にあたる。
父は現在、公爵家とは別に宰相の職に就いている。
本当は宰相職など止めて、母上と仲睦まじく公爵領で過ごしたいらしいが、父上の時代は阿呆ばかりでまともに国が成り立たなかったらしい。このままでは国が亡びると思った前国王が母との婚姻を条件に提示してきた事らしい。
その時、断るなら母を他国の王族に嫁がせると言った現国王の息の根を止めようとしたのは、今でも重鎮連中の間では忘れられない記憶となっている。
それを止めたのがやはり母で「颯爽とお仕事されるジル様(父の愛称)素敵♡」と言っておとなしくさせたのは有名な話だ。
今でも困ると無茶ぶりする国王に切れそうになる父を、母がどうにか宥めすかせている状態だ。
それを見ていた重鎮達が、王子と俺が産まれたと同時に兄弟同然のように育ててきたのも、俺に王子との情を移させて逃げないようにし、少しでも早く王子に位を移させて、流れのように俺にも宰相職を継がせようと目論んでいるからだ。
バレバレである。
唯一の救いがあるとすれば、それはダーウィンが国王に似ず、愚かではないという事だ。俺と一緒にいるお蔭で自分の事は極力自分でするように躾けてきたし、阿呆の使い方も教えてやった。人の上に立つという事を、帝王学以上に実戦で学ばせてやった。
そしてダーウィンを産んだ王妃も国王よりよっぽど優秀な人間だった。前国王も王妃も。我が息子の愚かさを知っていたのだろう。王妃には可哀そうだが、ダーウィンを産んだのは功績だ。
しかし、だからと言って俺がこのまま大人しく宰相職に就くかどうかは、いまだに分からない。
「で、何の用ですか、ダーウィン?」
「……さっきの王子の苦情は無視なんだな。ハア~、はっきり言って今でも怖いお前がもっと恐ろしい事になる話なんてしたくないんだけど、王妃命令だから仕方ないよな。後からバレた方がもっと怖いし……」
ピクッ。
「……ほう、私が確実に切れる話をしに来たと、そういう訳ですね」
「だからこえ~よ。言っとくが俺の所為じゃないからな。全てあの糞爺が勝手に決めた事だ」
俺はスッと目を細める。
王子が糞爺と呼ぶのは、国王の事。ダーウィンも不本意なのだろう。
「長引きそうですね。ここではなんですから執務室に行きましょう」
俺はダーウィンを促して、自分達(王子)の執務室に向かった。
俺達は十五歳になると同時に、城に執務室を与えられた。要は一日でも早く王の仕事を覚えて、実質共に替わってくれという事らしい。
基本王子の執務室で王子と二人で仕事をする事が多いが、隣に少し小さいながらも俺専用の部屋がある。こちらは俺のプライベート空間と化し、王子といえども入れた事はない。まあ、その部屋の為に王子を手伝ってやっている感は否めないが。
王も宰相(父)も最近では俺達に仕事を押し付けてきている事も多く、最近の国の重要案件はほとんど俺達が握っていると言っても過言ではない。
因みに俺達は今、十八歳ですが、何か?
執務室に落ち着くと、俺はゆっくりと茶を入れる。
ムカつく話をする事前提なのだ。リラックス効果のあるハーブティーを入れておく。
「どうぞ」
「あ、ああ。ありがとう」
ソファに座ったダーウィンの前に茶を置いてやる。
一口すすってほわぁとする顔は幾つになっても変わらない。
「……俺、エルの入れてくれたお茶、好きなんだよなぁ」
「知っている。けれどその緩み切った顔はここだけにしとけよ。外でやったら侮られる。特に女の前ではな」
「分かってるよ。俺は王ほど愚かじゃない」
国王は女で愚かになるタイプだった。
元より短絡的で好戦的な思考の持ち主で、父上にいらぬ事を言って吊るしあげられたのは。数え切れぬほどだ。
この世の中には決して怒らせてはいけない者がいるという事を、学習しない者は愚かと言われても仕方がないと言えよう。
そして現王の愚かさを主張するのは、側室の数だ。
王妃はもちろん、ダーウィンの産みの母親。彼女は小国ヒーリックの王女で、政略結婚で嫁いできた。小柄な体と可憐な容姿は、王を篭絡するには充分だったはずだが、王は部類の女好き。王妃に惚れていても一人では満足出来なかった。
この国は一夫一妻制だが、王には世継ぎを残すという手前勝手な名目上、側室が許されている。それをいい様に利用したのが現国王だ。
気に入るとすぐに連れてきて、現在王妃は一人、側室は十人となっている。王妃が一人というのは、我が父、宰相の有無をも言わさぬ圧力のお蔭だ。でなければ王妃は五人以上という異常事態になっていただろう。この王の女好きは諸外国にまで知れ渡り、なんとも外聞の悪い事になっている。
そうして子供はというと王妃の子、第一王子ダーウィンと第一王女に妹のマルチナが直結の王族として名を連ねているが、側室が十人もいれば子も半端ない。
第一側室に二人、第二側室にはいない。第三側室に一人、第四側室には三人といった風である。はっきり言ってどうでもいい。糞ほど興味ない。と思っていたら、これが重大な件に係わってきた。
「第六側室の第五王子の婚約者にアルティナ・モリ・キュルレス嬢が選ばれた」
「よし、殺す」
「は?」
俺はすぐに影を使って、暗殺者を第五王子に向けようとした。
「まて、まて、まて、まて、お前も待て!」
ダーウィンは俺を止めるのと同時に、影も止めようとした。しかし、影は俺個人の者で、いくら王子といえども命令する事は出来ない。
「えるぅ~、頼むから話を聞いてくれ」
十八歳の半べその王子。そんな顔されると幼い頃と重なってしまう。
ちっ、仕方がないな。
俺は一旦影を下がらせて、ダーウィンにソファに座るよう促した。
俺が入れた冷めた茶をチビチビ飲みながらダーウィンは話始めた。
曰く王太子はダーウィンで決まり。これは揺るがしようのない事実。それは側室達も納得しているという。
当たり前だ。俺達が幼少の時から勘違いした馬鹿が、毒やら暗殺者やらをどれほど送ってきていた事か数知れない。
それを全て弾き返し、尚且つ倍の報復をしたのは、記憶に新しい。流石の奴らも凝りてきたんだろう。最近ではなりを潜めおとなしくなり、そうしてダーウィンの王太子の地位は、揺るがないものとなった。
反対に従順な者には褒美も取らせた。飴と鞭の使いようである。敵か味方か? どちらか得か考えようもない事だ。
それは確実に俺が仕掛けた事だというのに、まだ俺の意向に背く奴がいたのか。
「第六側室というとベーグル子爵の娘か。前王の時代から王の腰ぎんちゃくで甘い汁を吸っていた輩だな。女狂いの現国王を体でおとした下品な女だ。俺達にも山盛りの毒を送ってくれた女だったな」
「全部未然に察知していたエルが、少し怖かった……」
情報確認をする俺の横で、ぼそりと呟く王子。なんだ、意見があるのならはっきり言え。
「最終的に報復として、ベーグル子爵の領地半分と特産品の絹織物の権利を奪ってやって、大人しくなったと思っていたが、それだけでは足りなかったようだ。没落がお望みならそう言ってくれれば良かったのに」
「いや、違う。本当にそうじゃないんだ」
王子はまた涙目でプルプル首を振っている。
「じゃあ、どういう了見でアティに目を付けた?」
ギロリと軽く睨んでやると、プルプルと震える十八歳王子は、王妃から聞いた言葉をそのまま伝えるから、怒らないようにと釘を刺した。
とりあえず最後まで聞く事にしよう。
王妃曰く、第六側室は父ベーグル子爵が力を失い、流石に心から反省したとの事。そして自分よりも子供の事を考えた時、子供の将来が不憫になったとの事。側室として権限はあったとしても、後ろ盾がない王子がこの先城で健やかに育つ事が出来るかどうか。肩身の狭い思いをして苦労しないかどうか、それだけが心配だと言う。
自業自得だと思うが、今は口を挟まないでおこう。
そこで自分は側室をおりてもいいから、王子の後ろ盾をしっかりと立てて欲しいと、王に懇願したらしい。王は哀れに思って側室はおりなくていい。しっかりとした後ろ盾のある婚約者を王子にあてがってやると約束したそうだ。
そうして白羽の矢が立たれたのがアティ、アルティナ・モリ・キュルレス八歳。第五王子と同じ年という事と、キュルレス侯爵は王子派閥のどこにも属さない、中立な立場をとっている高位貴族。人柄も温厚で組みやすいと考えたのだろう。
それを聞いた王妃も慌てて王に忠告したそうだ。
『アルティナ嬢はエルモンドが妹のように可愛がっている子供』だと。だから止めた方が良い。そう続けようとしたのだが、人の意見に聞く耳を持たない王が『ならば尚更良いではないか』と、『妹のように可愛がっている娘の夫に、流石のエルモンドも無下にはしないだろう。最高の相手だ』とご満悦で去って行ったらしい。
――どこまで愚かなんだ。
最後まで聞いた俺は、無表情でダーウィンにたずねた。
「お前のおやじ、殺していい?」
「……流石にそれは……」
「大丈夫。バレない。跡形もなく殺れる。て言うか殺れた」
「本当に出来るから怖い。と言うより、すぐに俺達が後を継がなきゃいけないんだぜ。流石に早すぎる。せめてもう二年は生かして」
「二年も生かす意味がどこに?」
「うん、分かってる。けどいくら愚かでも、そこまであくどい事はしていないと思う」
「俺達に毒を盛った女の息子に、俺の可愛いアティをあてがえ、尚且つ俺にそいつの後ろ盾になれと言う奴があくどくないと。そう言うんだなダーウィンは。へえ~」
「うわぁ~ん、ごめん。ごめんなさい。そういうつもりじゃないんです」
十八歳の王子をとうとう泣かせてしまった。そんなに怖い事を言ったか?
「それに今から王を殺しても遅いんだよ。キュルレス侯爵には朝一番で、国王命令が下されてしまった。その時に顔合わせも終わってる。断れば反逆者として罪に問われてしまう」
「はあ?」
それっていわゆる事後報告ってやつか。
俺はすかさず席を立ち、執務室を出ようとする。
「待ってくれ、エル」
「……ダーウィン、見損なったぞ。俺に全てが終わった後に報告するとはな」
冷めた目で見据えるとダーウィンは、ブルリと身を震わせた。
俺は天井に顔を向ける。
「影、お前も何をしていた」
すぐに影は降りてきたが、影が答えるよりも早くダーウィンが返事をした。
「今のは全て昨夜、王の閨で交わされた事なんだ。母上もまさか母上との閨の場に第六側室が現れるとは思っていなかったし、翌日の朝一番で王が動くとは思ってなかったんだよ。影がつかめなかったのも仕方がない」
基本的に俺は影を数人飼っている。もちろん国王・側室付きの影もいる。が、流石に王妃との寝室は、王妃に対しての配慮として避けさせていた。
まさかそれが裏目に出るとは……こうなった以上、これからは遠慮する事はない。
「仕方がない。王妃との寝室は俺の判断ミスだ。がこれからはそこも解除。一片たりとも見逃す事無く配置しろ。特に側室とのやり取りは、完璧にしておけ。これ以上何かあれば片づけるしかなくなる(もちろん王を)」
「はっ!」
俺の言葉に影は恭しく頭を下げて姿を消した。
「いや、まてまて。あっさりとプライベート零発言をしないでくれ」
尚も言い募るダーウィンに、流石の俺もイラ立ちを隠さずに言う。
「王族のプライベートなんてあってないようなものだろう。そして、そんなものどうでもいい。これ以上俺の足止めをするのなら、お前でも容赦しないぞ、ダーウィン」
「……すみません。いって下さい」
王子の許可を得た俺は、すぐに馬を飛ばしてアティのもとに向かった。