一歩前進
無事に就任式が執り行われた。これでダーウィンは名実ともにハオス国の王となる。
彼が王となった以上、俺も正式に宰相の任を拝命した。
前国王一派を処理した今、父上だけを宰相に残す事はできず、父上は念願叶って母上と共に領地に籠るつもりらしい。羨ましい事このうえない。
因みに前国王並びに罪を犯した側室・子供のほとんどが辺境の地で生涯幽閉となった。
罪を犯していた側室の家も同様で、罪の深さにもよるが貴族位を奪われて幽閉になる者や辺境の地で暮らす者とその罰は色々だ。
ダーウィン曰く、事はエルのお蔭で全て未然に防げた。血を流す必要はないだろう。との事。
優しい王様の誕生だと民衆が喜んでいるので、俺もそれでいいと思う。
罪を犯していない側室と子供は俺に協力的だった事もあり、貴族位はそのままだが王都からの追放は否めなかった。けれどその者達にとってはそれでよかった。これからは心穏やかに過ごしたいと望んでいたから。
王都から離れた地でゆっくりと小さな町を経営してくれたらいいと思う。
因みに第九側室カマエラ様の子はまだ五歳と幼く、子のいない第二側室のオランダ様が引き取って、田舎町でひっそりと育ててくれる事になった。
もとより彼女は王妃様の侍女をしており、王の側室となったのは意に染まぬ事であった。
けれど第一側室がいる現状、自分がならなくてもこれから先側室が増える可能性を危惧した彼女は、側室側から王妃様を守りたいと子は絶対に産まない信条の素、第二側室として暮らしていた。
俺達は罪のない者まで裁きたいわけではない。利害の素、彼女なら立派に育ててくれると第六王子を託した。
そしてカロナ。彼もまた母親の悪行には一切関知しておらず、利用されていた要素が多々見られた為、牢には入れず貴族位を捨ててもらった。その上で我がロティック商会で働いてもらう事にしたのだ。
その話をした時、カロナは目を真ん丸にしていたが、はにかんだような表情でお願いします。と頭を垂れた。そしてまた会ってくれるかな? と聞くので、頑張っていたらな。と言うと笑顔で返した。
メルル嬢、彼女もまたアティを侮辱した罪で修道院に入れられていたが、カロナが望むならそばに呼び寄せてやると言ったが、ブンブンと首を横に振って、むしろ会わないようにしてほしいと頼まれた。
二人の間に何かあったのだろうか? まあ、俺には関係ない事だが。
しかしこれはあくまで決定事項であって、それに伴っての処理はまだまだ山のように残っている。
とりあえずは就任式だけでも無事に終わった事に安堵して、一服入れようと俺は自分の執務室で一息つく。
ここは十五歳の時に賜ったダーウィンの執務室の隣の部屋。俺以外、誰も入らせた事のない俺だけの場所だ。無論、侍女も入らせた事がないので、掃除も自分でやっている。
何故この部屋が必要だったのかと言えば、この部屋にはありとあらゆる情報が詰め込まれているからだ。
俺が幼少の時から集めた情報。この中には自国・他国の機密書類や王家の個人情報に至るまで保存されている。
今回、前国王を罰した時に提示した情報もこちらに保管されていたものだ。
どうしてこのようなものを集めていたのかというと、俺は本気でこの国を出るつもりでいたからだ。
気が付けば同じ年の王子の世話をしていた。家で過ごすよりは城でダーウィンの世話をする時間の方が長かった。ダーウィンが嫌いなわけじゃない。情もある。だけど、どうして俺には自分の時間がないのだろうと不思議に思った。
父上以上に母上と会う事はほとんどない。たまに会う母上は綺麗で優しい。
二歳の頃、母上と会った後に城に連れて行かれそうになった俺は、もう少し母上と一緒にいたいと駄々をこねた。
すると母上は顔をしかめた。
俺は母上を困らせたのだとすぐに引き、城に向かうべく部屋を出ようとした。
その際ちらりと後ろを見ると母上は泣いていた。
それ以降、俺は母上に甘えなくなった。嫌いなわけではない。ただ、一定の距離をとった方がいいのだと思ったからだ。
後から知った事だが、あの頃の母上は毎日泣き暮らしていたという。
俺と引き離されるのは、いくら国の為とはいえ、身を切られる思いだったという。
まあ今思えばどうしようもなかった事だったのだろうが……。
けれど俺の本音は、政より商会の仕事の方が何倍も楽しいのだ。
この国を出て商会の仕事で世界を飛び回れたら、どんなに楽しいだろう。
昔からそんな憧れを抱いていたが、リーファル国に行った時、本当は涙が出そうになった。
何者にも縛られない自由な国。己の力だけで勝負できる国。知力、武力、魔力、全てに秀でた優秀な者がひしめいている国。
そうして王子は簡単に俺の前に現れた。
商会の名で赴いた俺の本当の正体など、この時には知る由もなかったはず。それなのに気軽に俺のそばに寄って来た。
「ロティック商会の商品は、良いものが多い。商品も人も。私は貴方の商会が好きですよ」
「!」
そのような褒められ方をしたのは初めてだ。
まだ年端も行かぬ少年に、圧倒的な地位と力のある者に、俺が見定めた商品だけではなく俺が選んだ従業員まで認められた。そうして子供特有な素直な行動で好きだと言ってくれる。
俺は泣きそうになりながらも、ぐっとこらえた。
「貴方様のような美しい方に好きだなどと言われたら、勘違いしてしまう者が多々いるでしょう。余りそのような軽口はお控えになった方がよろしいかと」
「……貴方も勘違いしますか?」
探るような瞳で俺を見上げる。あ、これは経験ありまくるな。
「いえ、私は。恐れながら私は王子の足元にも及びはしませんが、美しいと言われて育ってきておりますので、王子の気持ちは少なからず理解できるかと。ですから余り素直な表現は避けるべきかと苦言申し上げます」
俺が頭を垂れながら、お叱りは素直に受けると態度で示すと、クスリと笑う声がする。
「面白い方だ。初対面の私の心配をしてくれるのか?」
クスクスと笑う声は、軽やかだ。どうやら罰する気はないようだ。
「それなりに痛い思いはしてきておりますから」
「そうだな。そう考えると初めての先輩かもしれないな。少し聞いてもいいか?」
「私でよろしければなんなりと」
殿下は俺の顔を真正面で見ながら聞いてくる。
「私は多くのものをもっている。だから皆が私から何かを得ようとする。その最たるものがこの容姿だ。しかし私とて簡単に摂取されるわけにはいかない。その際には相手を傷つける場合もある。悪意ある者には何の感情も抱かぬが、たまに後悔するに至る者もいる。その場合も私は、私と私の立場を守る為に動かなくてはいけない。そのような場合の心情を貴方はどのように処理されていますか?」
思った以上に深刻な王子の言葉に、俺は溜息をつく。
「……貴方はお優しすぎるようだ」
「え?」
俺は立ち上がり、ビシリッと王子に人差し指を突きつけた。
「いいですか、殿下。相手の意に染まぬ事を強要する者は、どんな理由があるにせよ敵だ。遠慮する事も罪悪感を感じる事もない。徹底的にやれ!」
「………………」
唖然とする王子に俺はコホンと一咳し、顔を近づける。
「これは私の信条です。私は聖人君子ではない。他人の気持ちに寄り添っていたら体は幾つあっても足りない。私でこれなのだから殿下など、全てをその身に受けていたら壊れてしまいますよ。いいのです。自分の気持ちを優先しても、私達は人間なのですから。嫌なものは嫌だと、嫌いなものは嫌いなのだと。口で言っても分からない輩には鉄拳制裁。それの何が悪いんですか。二度と刃向かってこないように潰すのも優しさですよ」
「………………」
俺が持論を唱えると王子はまだ呆然としていた。そうしてぷはっと声が漏れる。
「ハハハハハ、そんな事を言われたのは初めてだよ。貴方は本当に面白い。優秀でもあらせられる。貴方にこの国での自由を与えましょう。そうですね、自国での立場はどのようなもので? それに見合った位は授けます」
今度は俺が唖然とする番だった。
はい? 何を仰っているんですかね、この王子は?
貴族位をそんな簡単に、しかも他国の者に与えて言い訳ないじゃないですか。殿下はかなり優秀なはずだが、ちょっと心配になってきた。
「ご心配されなくても大丈夫ですよ。貴方の振る舞いを見ていましたが、かなり高貴なお育ちをしておられますよね。粗野なふりをされていますが、分かる者には分かると思います。それにとても優しい方だ。貴方の商会が好きだと言ったでしょう。ちゃんと店に貴方の思いが現れています。自由には憧れるが、貴方の立場や周囲の者も捨てられない。だからこの国での自由をあげるのです。そうですね、私の指南役として。それでいかがです?」
……この方の底は計り知れない。王になるべくしてなられる方だ。
リーファル国が栄えている理由の片鱗はこれか。この国には絶対に逆らってはいけない。
俺はダーウィンに忠誠を誓う者だ。けれども心の主君をもってみるのもいいかもしれない。それが許されるのならば、この国に俺の自由があるのならば、俺はハオス国でおとなしく宰相になれる。
レオドラン殿下は俺に借りがあると言ったが、それ以上に俺は……ふっ、ダーウィンには絶対に言えない事だな。
そうして俺はダーウィンと共にこの国を支える為、今日も馬車馬のように働かなければならないのだった。




