エルモンドという男 8
私の名前は、ジルゲイト・マノバ・ロッシィー。公爵家当主にして、ハオス国宰相の職に就いている。
ハッキリ言おう。この国の王家は屑だ。
今私が主君と掲げている王は、過去の王族の中でも上位三名に上げられるほどの屑だ。
一位は誰かなど考えたくもない。
実は我がロッシィー家は二百年ほど前に王弟が降下し、その後も幾度となく自国・他国の王族との婚姻を繰り返した名門の家柄だ。
そして我が最愛の妻も王の妹と、王家とは切っても切れない間柄でもある。
ロッシィー家は家柄もさることながら、個人の能力も高い者が多い。
ある者は知略に、ある者は武力に、そしてある者は商売力に……とそれぞれの方向にて結果を残している。
今思えばロッシィー家が力をつけるにつれ、それに比例して王家の能力は低下していったように考えられる。
そして私は知略にたけていたらしい。成人した後、王の命令により十五年上の王太子の側近にされた。
その頃はまだ、王家として威厳は保たれていたかと思う。
確実におかしくなったのは、私が主として仕えた王太子だ。
この王太子は、王がまだ若き頃、薬を盛られ床を一緒にしてしまった侍女との子である。
薬を盛られた事が判明したのは、子が産まれた後の事だったという。
この侍女は没落寸前の男爵令嬢の娘だった。父親がギャンブルに手を出し、資産を使い切り、国に納める税にまで手を出そうとしていたらしい。
しかし子を産むと同時に娘は亡くなり、王は侯爵家の娘を王妃にした。
この国では過去に王位争いで内部紛争をおこした暗い過去があり、その為王位継承は女性も含めた順位制と決められており、あきらかに下級貴族の、それも後ろ盾のない第一王子が王太子として立ってしまった。
当時はかなり揉めたようだが、心優しい王妃が自分の子として育てるようにと、王太子自身にはその身分を秘されるように言及した。
その為我が妻、本当の王妃の娘は王太子の直の妹として扱われる事になった。
王も王妃も王太子に本当の事が言えず、遠慮して育てた結果が屑のできあがりである。
本当の母親、男爵家の父親の屑の血なのか、育て方なのか王太子は誰の意見も聞かない。
かくいう私も十五年上という遠慮もあったのか、彼を制する事ができなかった。
それでも王も王妃も、王太子があれではいけないと苦肉の策で、小国ヒーリックの聡明でありながら美姫だと有名な王女を、王太子妃として迎えた。
王太子は王太子妃に夢中になり、これで国は落ち着くかのように思えた。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
王と王妃が相次いで崩御してしまい、王太子妃が王妃として立派にこなしていくほど、王は女遊びに狂いだした。
そうして私が前王との約束通り婚約していたコーデリアとの結婚の話をした時、王はとんでもない事を口にした。
第二王妃を娶ると。そんなことは許されないと反論した私に、それではコーデリアとの婚約は破棄すると、コーデリアを他国に嫁がせると――そうして私はブチ切れた。
私は王の私室を半壊し、王を縄でグルグル巻きにした後、サンドバックよろしく木に吊るした。そのまま拳を振り上げると、可憐な声が耳を潤す。
「ジル様、王を殴ってはジル様の手を痛めてしまいます。それにこんな王でも手にかけてジル様が処罰を受けるような事があれば私、悲しくなりますわ」
「コーデリア、すまなかった。罰が下ってこの国を出る事になったらついて来てくれるかい?」
「もちろんですわ。ジル様のいらっしゃるところが私の生きる場所ですわ」
私は国を出る気満々だった。
私はどこの国でも生きていけるし、コーデリアがいれば百人力だった。
けれどそれを止めたのは王妃と重鎮連中だった。
私がいないとこの国は起動しなくなる事を、この者達はよく分かっていたのだ。
そして他国よりわざわざ連れてきた王妃一人に重荷を背負わせる事もできなかった。
結果、私が折れる形で王の結婚は認めたが、王妃は一人。これは絶対で、どうしても迎えるならば側室としてだと約束させた。
まさかそれ以降、十人にまで膨れ上がるとはこの時、誰も予想できなかった。
私とコーデリアに待望の子供ができた。親の欲目だけではない。今までに会った事のないような美しい赤子だった。
同時に王と王妃にも子ができた。王は側室を迎えながらも、王妃の事は大事にしており、王妃との間に子ができぬうちは他に子はつくらないようにしていたというのは唯一の利点だ。
王妃にはすぐに二人目ができ、一年半ほどは我が公爵家で二人を育てていた。
しかし王が第一王子を公爵家で育てるのはおかしいと苦言を呈してきたので、仕方なく彼を城に帰した。
その後王は何を思ったのか我が子エルモンドを第一王子と一緒に城で育てよと言ってきた。
もちろん我が家は猛反対。相談の結果、第一王子の遊び相手として城に通わすとの事で折り合いをつけた。
エルはロッシィー家でも稀に見る優秀さを見せつけた。
わずか半年足らずで歩いたかと思うと同時に一歳で言葉を話す。
私が仕事の際に連れて行く城では、同じ年であるはずの王子の世話を何くれとやいていた。
帰り際、私の執務室で待たせていると、書類に目を向け助言まで呈してくる頭脳。私は楽しくなって、ついついロッシィー家にある商会を一つ提供してやった。
お前ならどう使う? と。最悪潰れても問題ないものだったので傍観していると、エルは私の予想を遥かに上回る働きを見せつけた。
十歳になる頃には商会で雇っている者を三倍に増やしていた。
その頃には周りの者もエルの実力を認め、他国に逃がさない為、第一王子と共に仕事を押し付けていた。かくいう私もその一人なので、強くは言えないが、この頃には王が仕事を半ば放棄していた為、私では承認を下せず第一王子のもと、エルに補ってもらうほかなかったのだ。
王は私に実権をにぎらせてなるものかと躍起になっていたから、王か第一王子にしか承認が下せないならば、すぐに采配してくれる王子にお願いするほかない。
そしてそれを補助するのも王の宰相たる私が手伝うわけにもいかず、年若い第一王子とエルに重荷を背負わせる事になる。
不甲斐ない。実に不甲斐ない。
エルが少しでも時間のある時、商会に力を入れるのは他国への興味と憧れ、エルはこの国を出たがっている。私はそれを分かっていて何もしてやれない情けない父親である。
そうしてエルが十一歳の頃、王が訝し気な行動をとった。
仕事が終わらず夜になってしまったエルを、王子が自分の部屋に泊めた。
その事にはなんの問題もないのだが、その夜王子が王妃に呼ばれている間、一人になったエルの元に王が許可も取らず勝手に入って来たのだ。
寝台で本を読みながら腰かけていたエルのもとに「一人では寂しかろう。余が添い寝をしてやろう」と言って入って来たという。ちょうど王子が王妃に急かされて戻って来たので問題はなかったようだが、次の日に王妃からこの事を聞かされた。
それ以降エルには城に泊る事を禁じ、また王に苦言も呈した。が王は開き直りエルを自分の側近にしろと言ってきた。
頭がおかしくなりそうだ。
私はそれだけは何としても阻止する為、王の言う事に逆らえなくなった。無論、あまりの無茶ぶりには理性よりも本能が先に動く為、殴り飛ばしてでも止めたが……。
そんなエルが十三歳の頃、キュルレス侯爵の令嬢と婚約します。と報告してきた。
そういう気持ちが持てるようになったのかと私は喜んだが、待てよと思い直す。
令嬢は確かまだ三歳のはず。思わずジト目でエルを見る。
まずい、エルが忙しすぎておかしな方向にいっている。令嬢に迷惑をかけるわけにはいかない。親としてどう止めるべきか……私の気持ちが伝わったのか、エルが目を細める。
「勘違いしないで下さい。私は令嬢に恋心をいだいているわけではありません」
「では、何故?」
「都合がいいからですよ。学園に通いだしてから私の周りはコバエでいっぱいです。ただでさえ学業と仕事と商会でいっぱいなのに、これ以上避ける時間はありませんから。婚約者をもてば少しは収まるでしょう。けれど年近い者を選べば本末転倒。その者に時間をさけねばなりません。まだ幼女である令嬢ならばそこまで私に固執しないでしょう。さらに言えば侯爵はどの派閥にも属していません。父上とも懇意にされているようですし、人柄も文句はありません。そして彼女も素直な可愛らしい子です。弟のような存在としてダーウィンを育ててみたので、今度は妹として育てるのも面白そうです」
……突っ込みどころ満載の息子の言葉に私は頭を抱えた。
まず、学園の令嬢達をコバエと呼ぶな。うっとおしいのは分かるが。それに幼女ならば婚約者でも相手にしなくていいというものではない。そして第一王子を弟として育てていたなんて初耳だ。どうりで王子は王妃に似て優秀なのに、どこか卑屈に感じるのはお前の所為なのか?
「安心して下さい。今は口約束だけで、令嬢が十歳になったら正式に婚約を提示するつもりです。今はただコバエ駆除に協力していただけたらそれで結構です」
だから、学園の令嬢……以下略。
エルに全てを押し付けていた私は、せめて王からエルを守ろうと動いていたつもりだったが、もしかしたら私のそんな行動はエルには必要ないのかもしれない。
エルが十八歳。学園も無事に卒業しデビュタントも終え、この頃にはほとんどの実権をにぎっていた第一王子とエルは、いつでも王位を引き継げる状態だった。
ただ第一王子にはいまだに婚約者が決まっておらず、先に伴侶を得てからの方が良いと言う意見があり、様子を見ている状態だった。
それが覆されたのはあと二年たてば正式にエルの婚約者になったであろう令嬢が、第五王子に王命で横取りされてしまった事だ。
怒り狂うであろう我が子を想像していた私は少し拍子抜けした。
冷静に「アティと婚約するならば第五王子を躾けるか」と悩んでいた。
「それでいいのか?」とたずねると「アティが気に入ったようなので」と淡々とした答えが返ってきた。
口約束とはいえこの五年間、楽しそうに令嬢を構っている姿を見ていた私は、十の年の差も大人になれば気にならないだろうとこの婚約に前向きな気持ちでいた。
妻も令嬢を気に入っていた。それなのにあっさりと引いたエルを見て、私はまた息子の事が分からなくなった。
しかしそれも杞憂だった。第六側室によって邸内を無茶苦茶にされたキュルレス侯爵や令嬢が、どうにかして婚約破棄してもらおうと躍起になり始めたのだ。
その好機を逃さない息子は嬉々として動き出した。やはり私の息子か。と嬉しく思っていたが、その動きは思った以上にのんびりしたものだった。
私は息子に問うた。
「いくら王命とはいえ、こちらから婚約破棄してもお前ならどうとでもできるだろう?」
「できますよ。けれどそうすればアティの名に傷がつきます。箝口令はしけても人の口に戸は建てられませんから、そういう噂は後々響くんですよ。私はアティを傷つけたくはありませんから」
初めて聞く息子の令嬢への気持ち。
私が動くのはエルにとって邪魔しかないだろう。私は息子を信じ、全てを任せる事にした。
そうしてエルが二十五歳の時、息子と第一王子は勝負にでた。
ケルビア国の件でこの国を一掃すると。
私は協力を惜しまない事を約束した。そうしてエルにたずねる。
「もう腹は決まったか?」
「……腹を決めるのは、重鎮方ですよ」
ああ、違いない。今まで放置していたのは私達大人だ。腹は決めたつもりでいたが、足りなかったようだ。私も改めて腹をくくるとしよう。




