エルモンドという男 7
エルの執務室に行く為に、私は一人で廊下を歩いていた。バディ達が送って行くと言ってくれたのだが、放課後だし第五王子も流石にもう帰宅しているだろうと油断していたのだろう。まさか彼が前から歩いて来るなんて……咄嗟に隠れようかとも思ったが、その場所は一本道。隠れようがない。引き返すわけにもいかず、私はそのまま頭を垂れた。
王子は珍しく一人。そのまま素通りしてくれたらいいものを、律義に私の前で止まる。
「……一人か。珍しいな。いつも傲慢な態度を隠さずに、取り巻きを何人も引きつれているというのに。流石に我儘が過ぎて皆に倦厭されたか」
ニヤリと笑うその顔に虫唾が走る。
『それは貴方でしょ』と言いたいのを我慢して黙っていると「どこに行く気だ?」と聞いてきた。
「こちらの方向は……エルモンドの執務室か?」
途端に険しい顔をする王子に、誤魔化しても仕方がないなと思った私は素直に答える。
「……お手伝いを頼まれましたので」
すまして言うと王子の方がプルプルと震えている。
「何で、お前が……俺には許さないのに……お前だけ……なんで……」
ブツブツと呟くその姿が不気味で、一歩後ずさる。
「何でお前だけ許される!」
「きゃあ」
そう言って私の肩を掴もうと王子が手を上げた瞬間、後ろに引っ張られた。
背中に温かな体温が伝わる。
そっと目をあけると、そこには端正な顔があった。私は安堵の余り力が抜けそうになる。
「大丈夫か?」
労わりのあるその声に、私はこくんと首を縦に振る。
私の肩を支えながら、エルが第五王子を睨みつける。
ビクッと震える王子。
「淑女に手を上げるとは……紳士の風上にも置けないな」
「お・俺は……」
「いくら貴方でもこのような事はないと思っておりましたが、見損ないました。失礼します。行きましょう。お茶でも飲んで心を落ち着かせた方がいい」
そう言ってエルは私の肩を抱いてその場を離れた。
チラリと王子を見ると、彼は俯いて震えていた。
彼はもしかしてエルの事を……。
私は第五王子の事を何も知らない事に初めて気付いた。
執務室に着くと、エルは自らお茶を入れてくれた。エルはお茶を入れるのも上手だなあ。と思いながら美味しいお茶に満足していると、頭をポンポンと優しく撫でてくれた。
「落ち着いたか?」
「うん、エルが来てくれたから何もされてないし、大丈夫」
ニコリと笑うと、エルは苦笑を返す。
「悪かったな。一人で来させて。もう少し早く迎えに行くべきだった」
「ううん、皆が送って行くって言うのを断ったのは私だもの。まさかあんなところに一人でいるとは思わなかったから」
「ああ、いつもなら取り巻きを引きつれているから、何かあればこちらの手の者が動いてくれるはずだったんだが、あいつも一人だとは思わなかった。あんなところで何をしていたんだろうか?」
私は別れ際の彼の姿を思い出す。
「……エルに会いに来たんじゃないかしら?」
「俺に? なんで?」
エルは心底分からないという風に首を傾げる。
「第五王子ってエルに懐いてたりする?」
「さあ? 自分の側近になれってしつこく勧誘されたが……まさか、まだ諦めてないのか?」
私は人差し指を顎に持っていき考える。
「側近かぁ、じゃあダーウィン殿下を裏切れって事?」
「あいつにそんな深い考えはないだろう。単純に俺を利用したいだけじゃないか」
再び先程の姿を思い出す。
「そうなのかしら?」
「何? やけにあいつの事を気にするな。情でも沸いたか?」
ずいっと顔を近づけてくるエルに、私の心臓は早鐘を打つ。
「そんな事あるわけないじゃない。ただ王子は私よりエルにご執心なんじゃないかなって思っただけ」
「気持ち悪い事言うなよ。俺にはそんな趣味はない」
エルはムッとして少し距離をとってくれた。私がいっぱいいっぱいなのに気付いてくれたのかな。
「一人でいると碌な事がないな。王子との婚約破棄が成立したら、すぐに俺との婚約を進めるぞ」
「え?」
いきなりの爆弾発言に、私の脳は思考を止めた。
今、なんて言ったの?
そりゃあ、エルは昔から他の人よりも私の事を大事にしてくれていたから、もしかしたらって思っていたのは事実だけれど、そんなにちゃんと決めてくれていたの?
「……何だ? 不満か?」
チラリと上目遣いで見てくるエルは、いつもの不遜な態度をとりながらも、少し不安そうで十も年上だとは思えない。はっきり言って可愛い。
初めて見るエルのそんな姿に心をときめかせながら、私は慌てて首を横に振る。
「ううん、そうじゃない。そんな事ない。ただ、そんな風に思ってくれていたなんて、今まで口にしてくれた事ないでしょ。だから少しびっくりしちゃって」
「……そうだっけ?」
「そうだよ。え、なに? エル、その事に気付いてなかったの?」
エルは顎に手を置いて考えていた。
まってまって、本当に覚えがないの?
「――あ~、そうか。それは悪かった。でもキュルレス侯爵の了承はもらっているよ」
「へ?」
「初めて会った時に、その旨は伝えておいたんだ。だからアティが十歳になったら婚約しようかって話だったのだけれど、横やりが入っただろう。だから余計に王子からの婚約破棄をもぎ取ろうと必死なわけ。そうでないと、もしもこちらから無理矢理に婚約破棄を決行したら、俺との婚約は難しくなるだろう。もちろんできないわけじゃないけれど、王子をふって俺を選んだなんて噂されたらアティの外聞が悪くなる」
「? 本当だから別にいいよ」
「よくない。この国では男が女を選ぶのは好意的だが、女が男を選ぶのには批判的だ。とくに上級貴族間では侮蔑の対象になる。だから王子がアティをふって、俺がアティを選んだ事にした方が、アティに傷がつかなくてすむんだ」
何かややこしいけど、王命だから断れなかったんじゃなくて(それもあるだろうけど)私の外聞が悪くなるのを恐れての行動だったの?
私は改めて両親や皆に感謝した。そうして同時にそこまで私の事を考えてくれていたエルに対しても。
ああ、私はやっぱりこの人の事が好きだなあ。
それから瞬く間に話は進んで行き、落ち着いたら私達の婚約も行われる手はずになっている。
正式に婚約する前に、エルには改めて聞いておかなくちゃ。
だってエルってば私に言い忘れる事がしばしばあるようだから。
エルは初めて会った時に、私との婚約を考えていたという。
私が三歳。エルは十三歳。本気になったのはいつだったのだろう? まさか本当に最初から好意があったと?
私の名前はバディ・ケルネイト。侯爵令嬢である。
私にはアルティナ・モリ・キュルレスという幼馴染の侯爵令嬢がいる。
他にも二人、マルティナ・ノリボオス伯爵令嬢とキャノン・バーグレイ伯爵令嬢と四人、五歳のお茶会で知り合い、意気投合。
とくにアルティナことアティとは親友と呼べる間からだと自負している。
アティは女の私から見てもお人形さんのように可愛く、性格も輪にかけたように素直な為、庇護欲をそそられた三人は、影に日向に守ってあげようと固く誓った。
八歳の頃、突如上がった第五王子との婚約も、私達は当然のように祝福した。が、その直後アティとは一切連絡が取れなくなった。
私達はどうにか会えないかと奮闘し、やっと会えた時にはアティは憔悴しきっていた。
何かあったのかと聞くと、第五王子と婚約が決まった次の日から城から教育係が押しかけてきて、彼女の生活は一変したのだと聞く。
普段は彼女達の監視がきつくて絶対に会う事ができなかったが、エルが手を回してくれてやっと会えたのだと言う。
そこで私達は初めてエルモンド・マノバ・ロッシィー様の存在を知った。
私達に何かできる事はないかと聞くと、エルが助けてくれるから大丈夫だと言う。
そうして暫くすると、本当に問題は解決された。
王族相手に動ける人がいるなんて凄い人と知り合いなんだね。と言うとアティは顔を真っ赤に染め、私の王子様なのだと言った。
私達はそんなアティを見て、エルモンド様との仲を進める為にも、第五王子は敵だと認識した。
初めてエルモンド様を拝見したのは、学園に入学する数日前の事。
アティに呼ばれてお邪魔したキュルレス家の庭園に彼女と一緒にいた彼は、信じられないくらいに美しい方だった。
青味かかった銀色の髪は日に当たり、アティの金髪とは対照的ながらも、まるで一枚の絵のような完璧な風景だった。
私達が声も出せずに見つめていると、二人が近づいてきた。
「バディ・ケルネイト嬢、マルティナ・ノリボオス嬢、キャノン・バーグレイ嬢、初めまして。私はエルモンド・マノバ・ロッシィーと申します。以後お見知りおきを」
紳士の対応に、私達は腰が砕けそうになりながらも、どうにか淑女の礼をする。
クスクス笑うエルモンド様はとても美しく大人で、所作の一つ一つが綺麗で見惚れてしまった私達はいつの間に席に着いたのかも分からなかった。
「アティから君達の事は聞いています。本当に幼い頃から仲良くしてくれていたのだね。ありがとう。そんな君達に頼みたい事があるのだが、いいかな?」
そんな前置きから始まった話は、予想外の事。
アティを全く別人に〔悪役令嬢〕というものに仕立て上げる事だった。
最初は驚いたけれど、第五王子との事で憔悴しきったアティを見ていた私達は、一も二もなく承諾した。
「とても心強い。ありがとう」
エルモンド様はまた、私達にお礼を言ってくれた。
私達が友人のアティに協力するのは当たり前だ。礼など言われる必要などないのだけれど、エルモンド様は逐一言ってくれる。
アティのお蔭で私達はエルモンド様の執務室に入らせてもらったり、食事をご馳走になったりもした。
仕事をしている姿はとても麗しく、髪をかき上げる仕草は最早凶器。
度々見惚れる私達に不思議そうな顔をされる仕草は、十も年上なのにとても可愛い。そしてそのたびに見せつけられるアティとの触れ合い。
ああ、アティはとても大事にされているんだなぁとしみじみ思う。
正直、エルモンド様がアティを守っている姿を見るたびに、羨ましさがないかといえば噓になる。
あんなに大人で素敵な人に優しく守られている彼女を、同じ侯爵令嬢として手放しで喜べない時があった。思春期の淡い初恋だったのかもしれない。
けれどエルモンド様は他に目を向ける事無く、ひたすらアティを気にかける姿はどんなに頑張ったって無理だと悟った。
エルモンド様の目を見ればわかるよね。
だから私は頑張った。幼い頃から決めていた通り、彼女を守るのだと。
いつしか早く二人が一緒になれる事だけを願うようになった。
その空気は学園にも広まり、皆第五王子が婚約破棄を言い出すのを今か今かと待つようになった。
そうして運命の日、拍手喝采の中、婚約破棄は無事に成立された。
私の幼馴染は長い苦労の末、やっと幸せを迎える事ができる。
私はというと第五王子側に潜入していた取り巻きの一人と情報交換をしていたが、その彼ともこれで終わりかと残念だと話していた後に「今度はお互いの情報交換をしませんか」と持ち掛けられた。
今度は自分の為に頑張ろうと心に決めた。




