エルモンドという男 6
私には物心つく前から、最高に素敵で優しくて完璧な王子様がそばにいたの。
私の名前はアルティナ・モリ・キュルレス。侯爵の父をもつ普通の令嬢です。
そんな私の運命を変えたのは、両親に連れられて行った。ロッシィー公爵家の庭園だった。
私は三歳。大人の会話に飽きた私は一人で庭に出た。
侍女が付いてきていたのだけれど、撒いちゃったの。えへっ。でもしばらくしたら永遠に続くのではないかと思う庭園に、不安を感じて泣きそうになっていた。
すると垣根のそばに人の気配を感じたの。
すぐに駆け寄ろうとしたのだけれど、両親に知らない人に近づいてはいけないと言いつけられていた私は、ひょっこりと様子を見た。
目が合った。
その人はすごく綺麗な人だった。
一瞬女性かと思ったのだけれど、すぐに少年だと気付いたわ。
青味かかった銀色の髪と濃紺の瞳。しばし見とれるものの、私はとにかく知り合いにならなければと誰かと聞いてみた。彼はこの家の子供だと教えてくれた。名前はエルだとも教えてくれた。
私は知り合いになれたのだと、嬉しくなって隣に座った。
彼は私の頬を摘まむ。
痛くはないけれど、何となく痛いと言ってみた。
彼は慌てて手を放す。
その姿に安堵を覚えるのと同時に、眠気が襲ってきた。庭を彷徨って疲れたのかもしれない。
私は何故かエルの胸を枕に眠ってしまったのだ。
それから何故かエルが遊びに来てくれるようになった。
私は長女だったので兄ができたようで嬉しかった。
淡い恋心を抱くにも時間はかからなかった。だってエルは優しい。
他の人には厳しい面もあるそうだが、私にはとことん優しいのだ。私だけの王子様♡ そう思っても仕方がないと思う。
エルは忙しい人だったけれど、十五歳になるとますます忙しくしていた。聞けば城内での仕事が本格的になったとの事。
彼はまだ学生。それなのに何故仕事をしなければならないのだろうと不思議に思っていたが、俺がしなければ進まないと言う。
彼の意見に私は真面目に父に問うた。エルがしなければならない程、城は人手不足なのかと。
父は首を振りエルほど優秀な人がいないからと言った。
エルの父である公爵も優秀な方なのだけれど、どうしても現国王との軋轢があり、表立っては動けないそうだ。
だから第一王子を基盤に、エルが手助けをするという形が最も望ましいものであるという事らしい。
父は不甲斐ないなと笑う。大人なのにエルの、少年の肩に押し付けている自分達が。
だからアティはエルのそばにいてあげてくれと、エルの癒しになってあげて欲しいと父は苦笑しながら言った。
私はこの時点でエルの事が大好きだった。
エルが望んでくれるのなら、ずっとそばにいる。頬を摘まんで癒されるのなら、いくらでも摘まんでいいと思っていた。
心の中では何度も大好き王子様♡ と呟きながら。
八歳のある日、第五王子がたずねてきた。
何故か庭を案内してくれと外に連れ出された。
初対面なのに馴れ馴れしいなと思いつつも、侯爵令嬢として両親に恥をかかせるわけにもいかず、貴族スマイルで応対した。
王子は頬を染めてご満悦で帰って行った。
その姿を見送ると同時にエルがやって来た。
白馬に乗った王子様。私はつい「王子様……かっこいい」と口にだしてしまった。
だって初めて見る馬に乗ったエルは、本当にかっこよかったのだ。
その後、私は絶望的になる。
王命で第五王子の婚約者になったという。王命では断れない。
私の気持ちを知っている家族は、私の不運を嘆いてくれた。その上、王子の伴侶になる為の教育係と称して城からやって来た侍女達に、侯爵家はむちゃくちゃにされた。
私は今まで習った侯爵家の教育を馬鹿にされ、一から躾治すのだと鞭で打たれる日々。父には多額の給料をせびり、母や弟達には部屋から出るなと行動を強要し、使用人には横柄な態度をとった。
見かねた父が苦言を呈すと王命だと喚く。
私は絶望的になり、見る見るうちに痩せていった。
私の所為だ。
私が王子と同じ年だった為に狙われて、家族を辛い目に合わせている。
――甘い匂いがする。
私が顔を上げると、焼き菓子を持ったエルが笑顔で私を覗き込んでいた。
頬をフニッっと摘ままれた私は泣いた。エルにすがって泣き喚いた。
どうしてこんな目に合わないといけないのだと。第五王子となど結婚したくないと。
エルは笑って「じゃあ、この婚約つぶしていい?」と聞いた。
私はコクコク、コクコクと何度も頷いた。
エルが黒い笑みをしていた事には、この時の私は気付かなかった。
教育係が出て行った。エルのお蔭だと父は笑った。
第五王子が私に会いにやってくる。最初の日から会っていない。
王子がやってくるのは教育係が私の手を鞭で打ってからだから、流石に彼女達も会わせたくないらしく、私を病気と称して会わせなかった。
それを使って教育係が出て行った後も、病弱設定で会わないようにしたのだ。
始めたのは向こうから。嘘だと強くは言えないでしょう。
それで諦めてくれればいいのだけれど、と家族は淡い期待をしたのだが、無情にも婚約破棄はされず、日々は過ぎていく。
そんな中でもエルは会いに来てくれた。
相手から婚約破棄を言わせるからもう少し待ってと言う。
私はエルを信じて待った。
後一年で学園に通わなくてはいけない。そうすると否応なしに第五王子と会わなくてはいけなくなる。
暗い思いを引きずっていると、エルからまさかの買い物のお誘いを受けた。
忙しいエルが一日時間を空けてくれた事が何より嬉しい。
その日は存分に買い物をして王都を満喫した。
エルはどこに行っても目立つ。本人は全く気付いていないが、歩くたびに老若男女が振り返る。私はエルの腕を掴んで引っ張る。特に若い女の子の前はサッサと通らないと、隙あらば話しかけようと近づいてこられるのだ。私はどう見たって妹にしか見えないから……。
とっても楽しいけれど、同時に自分がこんなにヤキモチ焼きだとは思っていなかった事が判明してしまった一日だった。
帰りにカフェへ寄ってお茶をした。
エルが何気に私が買った本を気にした。最近流行りのシリーズ本だと内容を細かく説明した。
悪役令嬢の話をした途端、エルが黒い笑みを浮かべた。
エルは私の前ではこの表情を隠すけれど、結構な頻度でしている事を私は知っている。
エルの近況を聞いている時にたまにする表情だ。
この表情も素敵。と思っている私は、エルに対して末期症状だと思う。
家族や使用人の前でエルの計画を聞いた。
私を悪役令嬢にして王子からふってもらおう作戦である。
何でも王子は私の柔らかい雰囲気や笑顔が好きらしい。特に王子に優しくしたつもりはないけれど、貴族スマイルがいけなかったのかしら?
だからその正反対の令嬢になれば、王子は嫌気がさすのではないかとの事らしい。
けれどそれで私が皆に嫌われるのは納得がいかないので、学園の教師やら生徒にも協力を仰ぐらしい。
王子にはバレないように内密で動くそうだが、蓋をあければほとんどの生徒が知っていた。
王子側にも協力者がいた事を後から知った時には、流石に驚いた。
毎朝の侍女の力作で悪役令嬢メイクにフル装備された私は、クラスの皆の力を借りて、王子の前では完璧に無表情な令嬢を作り上げていた。
一年が過ぎて王子が私を嫌悪し、他の女の子といる姿を頻繁に見かけるようになった時にはホッとした。王子のそんな姿を見てエルは、もう少しだな。と黒い笑みを浮かべる。
私はふと気になった。
第五王子と婚約破棄してその後は? 私はこのままエルのそばにいてもいいのだろうか?
エルは私を妹のように可愛がってくれる。
第五王子に意に染まぬ婚約を押し付けられている私に、同情して助けようとしてくれている。けれど、助かった後は……。
エルは二十五歳。今までは仕事が忙しいからと言っていたが、エルこそ婚約をしなければいけない年になってきはず。
だって公爵家の嫡男だもの。このまま結婚しないわけにはいかない。
私はその候補に入れてもらえるのだろうか?




