エルモンドという男 3
十八歳の彼のデビュタントは、令嬢と踊る姿しか確認できなかった。
第一王子と共に人気の高い彼には群がる令嬢方が後を絶たず、次から次へと踊る。
挨拶もままならずイライラを募らせる私の耳に聞こえてきたのは、彼が幼い頃から可愛がっている少女の存在。
「はあ~、流石エルモンド様。踊りも完璧でいらっしゃって、ため息が出るほどお美しいわぁ~」
「そういえばお忙しいエルモンド様が、キュルレス侯爵家には足しげく通っているという噂は本当なのかしら?」
「ええ、何でもキュルレス侯爵令嬢に会いに行ってらっしゃるそうですわよ」
「キュルレス侯爵家の令嬢って確かまだ八歳ではなかったかしら?」
「仲がよろしくて妹のように可愛がっていらっしゃるそうですわ」
「……妹、ですわよね?」
「おほほ、嫌ですわ。妹でなければ何だというのです?」
「そうですわよね、ふふふ。エルモンド様に限ってそのような事はないですわよね」
「ですが、エルモンド様って浮いた噂一つございませんわよね」
「…………」
――何なの、それ?
待ちなさいよ。それっていわゆる幼児趣味。あのエルモンドが?
ありえないわ。でも、もしもそれが本当なら……キュルレス侯爵は中立主義で、まだどこの派閥にも属していなかったはず。
八歳って言ったわよね。ちょうど息子が八歳になるわ。家柄も年頃もちょうどいい。
例え妹のような存在であろうと、私からエルモンドを奪う者は一人でも減らさなければ……。
私は王に頼む事にした。
私の息子、カロナにキュルレス侯爵令嬢をもらえるように。
ただ王は最近、私の元には来ない。王妃の元には一週間に一度は訪れているようだが。
そうして私が以前助けた影から、王妃の閨にだけはエルモンドの影はいないという事を聞きつけ、直談判しに行く。
王妃も巻き込んで泣き落としだ。
そして時間をかければエルモンドに気付かれる。王には朝一番で行動をおこすように、王妃に聞こえないように頼んでおいた。
結果、私はあのエルモンドに勝った。
無事キュルレス侯爵令嬢との婚約を取り付けた私は、久しぶりに晴れ晴れとした気分を味わった。
そうしてそれと同時に、私の手の者を教育係と称してキュルレス家へ送り込んだ。
令嬢をこちらの意のままに操る為に。
普段私はカロナに会わない。カロナを産んだのは、私の地位を固める為。
好きでもない男の子供に母性愛は働かない。カロナがエルモンドとの子供ならば変わったのかもしれないが……しかし、今はカロナもエルモンドとの繋がりに役に立つかもしれない。
なんたってカロナは、エルモンドの妹のような存在を意のままに操れるのだから。
カロナには決してキュルレス侯爵令嬢を甘やかさないように言いつけ、エルモンドを側近にするように言いつけた。彼がいればカロナは王になれるとたきつけて。
カロナは私の言う通りに動いた。けれど一向にエルモンドがなびく事はなかった。
その内キュルレス侯爵令嬢に付けていた教育係が返されてきた。少々やり過ぎたようだ。
仕方がない。そこはそんなに重要視していなかった。
カロナが令嬢を虜にすればいいだけの事。そう思っていたのだが、なんだかんだと言い訳を付け、キュルレス侯爵はカロナと令嬢を会わせなかった。
裏でエルモンドが指示をしている。そう考えた私は何度か王に訴えたのだが、今度は宰相に阻かられた。せっかくカロナと令嬢を婚約させたのに。
カロナは令嬢とは会えないが、エルモンドの元には足しげく通っているようだ。
どうやらカロナもエルモンドを気に入っているのだろう。
それにカロナが令嬢と会えないのも時間の問題だ。
だって貴族の子息令嬢には義務があるから。貴族学校に通わなければならないという義務だ。
十三歳になれば嫌でも顔を会わさなくてはならないのだ。
会ってしまえば、カロナの美貌で令嬢を虜にしてしまえばいい。
エルモンドがそばにいる令嬢にはカロナの容貌は多少見劣りするかもしれないが、エルモンドは所詮十も年上。年若き令嬢には些か物足りないだろう。
これ以上は本人達の問題だ。いくらエルモンドが優秀であろうと人の気持ちは変えられない。
そう、エルモンドを思う私のように。
予想外の事がおこる。
貴族学校に入学したカロナと令嬢が上手くいっていないようなのだ。
令嬢が派手派手しく、キツイ性格になったようで、カロナもそんな令嬢の相手をするのは辛いと言い出した。
そしてもう一つ。エルモンドが教師として学校に通っているのだ。
あのただでさえ忙しいエルモンドが? そんなに令嬢が大切か?
私は策をめぐらす。どうにかしなければこのままでは、エルモンドは成長したキュルレス侯爵令嬢と結婚する。そうして私の存在など毛の先程にも気に留めなくなる。
ああ、そうだ。この国が忙しくなればいいのだ。
エルモンドは宰相候補。国の一大事には小娘の事など構っていられなくなる。
その間にカロナを説き伏せて結婚させてしまえばいい。
頭のいい彼は私の仕業だと気付くだろう。その時にはもう遅い。全て終わっている。
そうして彼は憎しみを込めて、私をその濃紺の瞳で捕らえるのだ。彼の瞳に私が映る。
ぞくぞくする。
私は以前助けた影を使って、エルモンドの目を少し背けてもらった。情報が彼の耳にすぐにははいらないように。
私の作戦は途中までは完璧だった。
王にリーファル国という餌を撒き、ケルビア国と手を結ばせた。
ケルビア国との繋がりは、以前父が武器を闇取引した際に縁を結んだもの。そして利用している影もまた、ケルビアの元諜報員という事で連絡を付ける手はずが出来た。
そうしてもう一人の邪魔な存在。従兄弟というだけでエルモンドをそばにおいている第一王子の泣き顔を見る為に、ケルビア国の頭痛の種を押し付ける事に半ば成功していたのだ。
エルモンドが知るまでは……。
あっという間に覆された。こんなに頑張っているのに、彼はまだ私をその瞳には映してくれない。
それよりもあろう事が、第一王子を別の女性と結ばせて、婚約パーティーまで開いてしまった。
こんなにも簡単にあっさりと。
そうして数年ぶりに見かけた彼は、大人になって益々凛々しくなっていた。
諦める事なんてできない。私はフラフラとそばに寄る。
挨拶もなしに言葉をかけた私に彼は辛らつだった。それでも今この時、私を見てくれている。
私は意を決してダンスに誘った。彼は笑ってくれた。信じられない。
私はフワフワとした面持ちで手を伸ばす。その隣をするりと横切る彼は、何と後ろで淑女と談笑していた王妃を誘った。なぜ? なぜ? なぜ?
エルモンドと王妃はお手本のようなダンスを踊る中、小声で会話をしている。そうして二人してふわりと微笑む。どうして私ではいけないの? どうして?
カロナは学園で暴走した。
訳の分からない男爵令嬢にいれあげて、キュルレス侯爵令嬢と勝手に婚約破棄をしたそうだ。
もちろんそれを逃すエルモンドじゃない。
そうして直の王族が住まう居住区ではなく、側室達が住まう西棟の王の居室に関係者が集う。
その顔触れに私は悟った。全て露わにするのだと。長年にわたる腐臭は、この西棟だけではなく外にまで漏れ出した。そう、私の所為で。だからもう一掃するのだと。エルモンドの表情はそう語っている。
だけど私は最後まで粘る。
こんなどうしようもない王を庇いながら、エルモンドに見つめられる高揚感を捨てられない私は、王と同じく狂っているのだろう。リーファル国の究極の美貌に見つめられても、エルモンドしか見えない私は。
最後まで私の気持ちに気付かないエルモンド。残酷。けれどそれでいい。
今更気付かれて哀れに思われても困る。そう思われるよりは、ふざけた女だと憎まれる方が何倍もいい。その方が貴方の記憶の欠片にでも引っかかるかもしれないから。
カロナにだけは申し訳なかった。結局私に振り回されたのだから。
こんな母親でごめんね。
カロナを見上げると、仕方がないなと言わんばかりに苦笑していた。




