エルモンドという男 2
私の名前はドージィ・ジールド・アリフェスタ。
私がこのハオス国の王に嫁いだのは十五の年だった。十歳を過ぎた頃から体ができあがってきた私を、父ベーグル子爵が野心の道具として見ていた事には気付いていた。
子爵令嬢である私がこの美貌でどこまでのし上がれるのか。侯爵家がいいところかな、と思っていた私に、父は王との接触を図った。
好色家で有名な王だ。私は父の言うなりに誘惑した。
念願かなって側室になれたのは、出会って半年もたっていなかった。
すぐに王子をもうけたが、その一年後には王は他の誰かにうつつを抜かしていた。
王を愛していたわけではない。子爵家の娘としてはよくのし上がった方だと思う。
こんなものかと過ごしていた日常に、第四側室が子供や侍女達を使って、他の王族に毒を盛っている事を知った。
私にも情報を仕入れる伝手はあった。影という裏で動いている男が怪我をして、騎士に捕まりそうになっているところを気まぐれで助けた事があるのだ。
彼は下っ端でまだ仕事に慣れていなかったようで、しきりに感謝していた。
その縁から彼は城内で何かあれば教えてくれるようになったのだ。
第四側室は毒がバレそうになると、他の王族に罪をきせたりして難を逃れていたらしい。かくいう私も罪をきせられた一人だったようだ。
しかし私のところに騎士が来ることはなく、安穏な日々を過ごしていた私に思いがけない事がおこった。
エルモンド・マノバ・ロッシィー。彼に出会ってしっまったのだ。
噂には聞いていた。王の妹が嫁いだロッシィー公爵家の嫡男。第一王子と共に育ち、その類まれな容姿と頭脳と自国・他国の王族との婚姻を幾度となく繰り返したその血の尊さから、王族と匹敵するあつかいを受けていた貴公子。
十五になった少年を本格的に宰相候補として公務につかせる為、城内に王子と共に執務室を設けられたのは有名な話だ。
そんな彼が信じられない事に城内の庭。それも人目の付かない北の端。木々に埋もれた一角の場所で眠っているのだ。
最初は倒れているのかと思った。体調が悪くなったり怪我をしていたりとか。しかし、彼は自身の右手を腕枕にして、胸の上の書物を左手で押さえ、すやすやと寝息を立てている。
何て無防備な姿。そして、何て何て美しい……。
私が見とれると同時に、彼はその目をあけた。紫紺の目が私を見つめる。
「……何か?」
むくりと起き上がった彼は、胸の上の書物を片付けながら私に問う。
「た・倒れているかと思って……」
「ああ、ご心配をおかけしてしまったのですね。それは失礼しました。少し考え事をしているうちに眠ってしまったようです」
長めの髪をかき上げる仕草は妖艶で、十五の少年のものとは思えなかった。私がその光景に目を奪われていると遠くで声がした。
「迎えが来たようなので失礼します」
そう言って私の横をするりと通り過ぎる。爽やかな柑橘系の香りがした。
木々から現れた彼に駆け寄ってきたのは、彼と同じ年の幼さが残る第一王子。従者はついていないようだ。
「もう、どこに行ってたのさ。一緒に執務室に行こうって言っていたじゃないか」
「子供じゃないんだ。一人で行け。あとこれに目を通しておけ」
そう言って書物に挟んであった書類を王子に手渡す。
「あ、これ。来年の予算案じゃないか。もう出来たの?」
「早めに手を打たないと馬鹿が難癖つけてくる。お前の要望は聞けるようにいくらかの猶予はあけてある。王妃様と相談してもいい」
「……優しいよね、エルは。うん、王妃が孤児院に少し回せないか悩んでいたようだから相談してみる」
「王妃様の慈善事業は許可する」
「あはは、何気にエルって母上びいきだよね」
「彼女だけがこの国の王妃だ」
そう言った彼の表情は、先程私と対峙していた時とは打って変わった優しい顔だった。
あっという間に去っていった彼には、もう私の存在は頭にないようだ。
彼の目に止まりたい。あんな表情をされてみたい……私は初めて恋におちたのだ。
彼と私は五歳の差。彼は十五歳とは思えないほど大人びている。それぐらいなら気にもならないだろう。
私は彼との接点をとる為、彼と最も親しいであろう王妃に接触を図ってみた。
定期的に開かれる王妃と側室とのお茶会。
王妃は争いを避け、できうる限り友好的にと催しているつもりだが、個々の思惑は違う。
どうにかして他者を、王妃を引きずり降ろそうとしているのが目に見えて分かる。
年々その激しさは増していき、私も王妃の主催するお茶会だから飲食を口にできるものの、他者ならば決して口にはしない。
ギスギスとした空気の中、王が新しく迎えた第七側室が口を開く。
「先程ダーウィン殿下をお見掛けいたしました。まだ十五歳ですのに凛々しくあらせられますのね」
「ほほほ、そうですか。ダーウィンも貴方様のような美しい方に見られていたなんて知れば、頬を染めてしまうでしょう」
「いえ、そのような恐れ多い……あの、それでその隣にいらした殿方は……」
ああ、第一王子を話題にしてエルモンドの事が聞きたかったのね。
王妃は目をスッと細めた。
私はその表情に目をやる。まさか王妃も……?
そう思ったが王妃にあるのは第一王子と一緒に育ったという母性愛に近いもの。少し安心して王妃がどうするのか、その行動に目をやる。
「フフ、貴方も目を止めましたか。美しい子でしょ。彼はエルモンド・マノバ・ロッシィー。ダーウィンの乳兄弟にして従兄弟で最も近い存在のロッシィー家の嫡男ですわ。私は彼を我が子のように思っておりますのよ」
扇で口元を隠しているが、笑っていないのはすぐに分かった。彼には手を出すな。と釘を刺しているのだ。
びくりと体を震えさせた第七側室も、王妃の圧力に感づいたのだろう。
「ほほほ、そうでしたのね。少し大人びていらっしゃったのでどなたかと。ロッシィー様の噂は聞き及んでおります。仲の良いご学友をお持ちで、第一王子も心強い事ですわね」
第七側室は賢明にもエルモンドとは思わなかった、自分はかかわらないと訴えた。
皆が扇で表情を隠し、おほほおほほと笑いあう。気持ちが悪い事このうえない。
この様子からして王妃を取り入れ、エルモンドとの接触を図るのは無理そうだ。
どうにかして私の存在を知ってもらいたい。
彼(第一王子)の執務室に近づく。
王や宰相の公務も一部引き受けていると言われている執務室には、重要書類が幾多もある。警備も万全のようだ。
近寄れない空気の中、私は大きな柱の後ろに膝を立てて座り込む。
一目でも会えないか。ジッと扉を見つめるが、扉が動く気配は微塵もなかった。
彼の予定を調べてみた。大まかな事は分かる。
彼は十五歳。昼間は貴族学校カルファンに通っている。そうして学校が終わると城で公務を行うのだ。帰宅は深夜との事。しかし城に泊った事はないらしい。どんなに遅くなろうとも必ず帰宅する。
何故かとその時は分からなかったが、ずっと後に王が彼を狙っていた事が判明した。
彼自身は気付いていなかったが、それを分かっていた両親から一人で城に泊る事は禁じられていたとの事。
どんなに城内をうろついても出会った庭園を散策しても、私が彼に偶然会える事はなかった。
とりあえずもう一度接点を持てれば、知人として執務室に直接赴く事もできる。
そう思っていたのだが、そんな日は来ない。
私の愛情は見向きもしない彼に、歪んだ形に変化していった。
第四側室と同じ毒を手に入れる。以前にも第四側室が私の名を偽り第一王子に毒を盛った事があるので、それと同様に彼の執務室に届けられるお茶のポットに毒を仕込む。
毒に苦しむ彼に、私が毒消しをもって現れる。命を救われた彼は私に恋をするはず。そんな夢想を何度もするが、ことごとくかわされる。
ある日父ベーグル子爵の国に納めるはずの税金の横領が発覚し、領地の半分を没収され、特産品の絹織物の権利を奪われた。
三世代前からの多額の横領は罪が重く、貴族身分の剥奪をされなかったのが不幸中の幸いだった。
私が側室としてあがっているので、平民にするには流石に外聞が悪いとされた為だった。
城内でも権力が薄れた私は彼にすがりたかった。抱きしめてこの場から連れ去って欲しかった。私は強硬手段にでた。
何とか彼が一人で執務室にいる事を突き止めた私は、侍女に金を握らせ警備の目を反らさせて部屋に入ったのだった。
彼は窓辺の椅子に座り、机の上の書類に目を落としたままだった。
一年ぶりに会えた彼は顔つきも精悍になり、ますます魅力を引き立てていた。
会いたくて会いたくて、気が狂いそうになるぐらい会いたくて仕方がなかった人がそこにいる。
けれどいざとなると体は一歩も動けない。
声を出そうにもとにかく力が入らないのだ。
そうしていると彼は静かに顔を上げる。
「……直接殺しに来ましたか?」
「え?」
「残念。ダーウィンはいません。役不足でしょうが、私だけでも殺っときますか?」
彼は何を言っているの?
私は訳が分からず必死で声を出す。
「……会いに来たの。貴方が欲しいの。私のモノになって」
恥ずかしいけれどこれが私の本音だ。
恋など知らなかった。だから父の言われるがまま王のモノになった。だけれど恋を知った。私が欲しいのは後にも先にも貴方だけ。
思いのたけを口にしたつもりだったが、彼はあからさまに顔を歪めた。
「俺を手にしたら息子を王位につけると思っているのか?」
「?」
「みくびられたものだ。俺がお前のモノになる意味が分からない」
彼はジッと私を見る。
侮蔑の表情に私は悟った。
私は貴方が欲しいだけ。けれど彼には届かない。どうすれば届く? 私の気持ちはどうすれば分かってもらえる?
私は自分の体を見下ろす。男が求めた体。ここまで上りつめた体。私はそっと服を脱ぐ。
全てを差し出したら貴方は私の気持ちに気付いてくれる?
上半身をはだけ、ゆっくりと彼に向かって手を差し伸べる。
「私のモノに……唯一の味方に……第一王子ではなく、私のそばに……」
「げえ」
何がおきたのか分からなかった。
彼が体を前のめりにして、机に嘔吐しそうになっているのだ。
気分が悪くなっているのか? 何に? 私の……裸に……?
そうして唖然としているところにバンッと扉が開かれた。
現れたのは第一王子。室内の様子を見て王子が固まる。扉にいた護衛達も固まっていた。
私はどうにか側室としての矜持を保ちながら喚くが、簡単にあしらわれた。
私の一世一代の行動は、羞恥と共に怒りに変わった。
どうして分からないのか。こんなにも彼を必要としているのに。こんなにも彼を欲しているのに。
そうして私は知る。
彼には可愛がっている少女がいるという事を。




