ダンジョン最下層から帰還した元勇者は、裏切った仲間達に復讐する事にした
気晴らしの連載候補短編です。
暇つぶしにどうぞっ
魔王の居城であった、寂れた古城にて────。
「……は、ぁ、はぁ、はぁ」
腥羶な鉄臭い死臭が辺りに充満しており、鼻をつく。
口から漏れ出る喘鳴が絶え間なく頭の中で反響していた。
身体は鉛のように重く、意識すら朦朧としている。痛みでどうにか意識を繋いでいるが、それであっても、もう長くは保たないだろう。
────血を流し過ぎている。
平衡感覚さえも覚束ない。
だけど、この場から逃れさえすれば。
ふらつく身体をどうにかねじ伏せて、足を動かす。でも、死ぬわけにはいかないと足掻く俺の行動を嘲笑う言葉が、足音と共にやってきた。
「てめえは良い駒だったよ」
それは、俺のよく知る人間の声だった。
背中を預けられる大切な仲間の声。
本来であれば、安堵する場面。
しかし、今の俺はそんな感情に浸れない。
なにせ、やっとの思いで魔王を打ち倒した俺に背後から刃を突き立て、瀕死の重傷を負わせた張本人の一人こそが彼、ベゼラードであったから。
「オレらの目論見通り、勇者としての役目をちゃんと果たしてくれた。だが、てめえの役目はここで終わりだ。これは、あの時から決まってた事だ。あの時、てめえが勇者を志した時から。魔族を憎んだ時から。こうして、ここでオレらに殺される事はよォ?」
勇者としての役目は、魔族達の頭領である魔王を打ち倒した時点で終わった。
それは、理解出来る。
でも、あの時から決まっていた事とは、どういう事だ……?
俺が勇者を志した時から?
魔族を憎んだ時から?
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
もう寧ろ、ベゼラード達が誰かに操られていると言ってくれた方が良かった。
洗脳染みた何かで指示をされていると。
だけど、それはあり得なかった。
洗脳や、誰かに操られている際の特有の反応が、彼からは一切感じられなかったから。
「十年前のあの日の悲劇」
ベゼラードの側にいた眼鏡の男────ヴァルナが呟く。
十年前、俺は家族を失った。
村に押し寄せた、魔族の手によって。
あの日の光景、あの日の憎悪は、未だに忘れていない。
脳裏に焼き付いた炎熱に染まる地獄でしかない光景。思い出も、日常も、家も、家族も、全て何もかもが焼け焦げたあの日の事を、忘れた日はない。
だからこそ、俺はこうして勇者を志し、諸悪の根源である魔王をこうして────
「あれが、本当に偶然起こったと、本気で思ってるのかい? キミは」
「────……は?」
「偶然、勇者の素質を持った人間が暮らす村が魔族の手によって燃やされ。偶然、素質を持った人間だけが奇跡的に助け出され。偶然、復讐心を抱いた平民に、王国が善意で手を差し伸べる。そんな都合の良過ぎる偶然が、本当にあるとでも?」
「魔族が貴方の村を襲ったのは事実よ。魔族と、王国が裏で繋がっていたという事実はない。ただ、あの村に勇者の素質を持った子供がいるという情報を漏らしたのが王国だった、というだけでね」
「嗚呼、あれは数ある虐殺の中でも特に堪らなかったよ、ローグ君……! 大義を掲げ、女子供を正義の名の下に殺せるああいう機会は貴重でね。当時は僕も愉しませて貰ったものだ」
赤髪の魔法使い────ビアンカまでもが会話に混ざる。
過去を思い起こしているのか。
頬をほころばせ、快感に酔い痴れるヴァルナの言葉は、あまりに信じられなくて。
『────子供は皆殺しにしろッ!! 赤ん坊もだ。全員、子供は何があっても殺せ!!!』
セピア色に染まった記憶が、かつての光景と、声を俺に幻視、幻聴させてくる。
確か、あの時村を襲った魔族の一人が、そんな言葉を口にしていた。
子供の一人逃すな、ではなく、子供は皆殺しにしろと。
少し考えてもみればそれはまるで、子供を優先して殺せとも捉えられる言葉であった。
「なん、で」
「だから、言ったろ? てめえはいい駒だった、ってよォ? 王国は、都合の良い『勇者』っつー駒が欲しかったんだ。魔王を倒せる刃であり、かつ、王国が自由に折って捨てる事も出来る便利な勇者がよ」
嗜虐の声音で告げられる。
「その為に、てめえには勇者を志して貰う必要があった。だから、てめえの家族には死んで貰った。誰か死ってのは実にイイ。憎悪の感情を育む為の、何物にも勝る要素だ。とはいえ、火をつけて逃げられなくしたのは騎士団の連中らしいがな」
「ちが、う。違う。ちがう。チガウ。違う、ちがう」
この現実が認められなくて。
信じられなくて、俺は否定せんと同じ言葉をひたすらに繰り返す。
認めてしまえば、俺の中にある致命的なナニカが崩れ落ちてしまう気がした。
だから、どうしても認められなかった。
でも、幾ら否定を重ねようと、この悪夢のような現実は一向に覚めてはくれなくて。
「な、あ。ベゼラード。ヴァルナ。ビアンカ。みんな、魔族の、やつらに操られてるんだろ。仲間割れを誘う、なんて、常套手段、だよな。悪、い。どうにか、するから。今、みんなを」
「てめえだってそろそろ気付いてんだろ。いい加減認めろよ。てめえは、利用されてたんだよ。王国に、オレらに、国民に、誰も彼もに利用されてたんだわ。こうして、用済みになった途端に殺されちまうような、都合のいい勇者としてな」
言葉を被せられる。
だけど、ベゼラードのその言葉を無視し、俺はこの状況をどうにかすべく足を動かす。
信じられるか。信じて、たまるか。
仮に、ベゼラードの言葉が本当であったとして。だったら、俺のこれまではどうなる。
俺の人生は、家族は。
俺という存在は、どうなる。
だから、認められなかった。
認めてしまえば、その時点で俺が俺でなくなってしまうと思ったから────。
そんな、時だった。
「────なにを、しているのですか」
驚愕の色を孕んだ声が聞こえてきた。
それは、この現状が信じられないと言っているようであって。
その声のお陰で、俺はどうにか平静さを取り戻す事が出来た。
「ユティーツァ……!! だ、めだ。こっちに来るな!! ベゼラード達がおかしいんだ!!」
薄緑の長髪を揺らしながら、血相を変えて俺達の下へと駆けてくる彼女の名を、ユティーツァ。
森の民とも呼ばれる〝エルフ〟の少女であり、魔族から民を守りたいという志に共感をしてくれた正義感の強い仲間。
彼女は、際限なく押し寄せる魔族の掃討を担っていたが為に、一時的に別行動を取っていた。何より、彼女の能力と魔王の能力は絶望的なまでに相性が悪かったから。
ユティーツァは、どうしてこうなったのか。
その理由を知らない。
だからだろう。
正義感の強かった彼女は、俺の制止の言葉に構わず、悲鳴のような叫びを口にして此方へ向かってくる。
そして、ユティーツァは手を伸ばし────
「コレに傷が付いたら、どうしてくれるんですか」
瞬間、俺の身体の中を冷たい何かが突き抜けた。
じんわりと滲み出す新たな痛み。
身体の中で昇ってくる生温かい何か。
それは、喉元にまで到達し────俺の口から、鮮血が溢れでた。
「ユティー、ツァ……?」
彼女の腕は。
差し伸ばされた手は、俺の胸を貫いていた。
そして、容赦なく引き抜かれた彼女の手には、青白く光る小さな鉱石のようなものが握られていた。
視界に映り込むユティーツァの瞳は、どろりと得体の知れない深い黒に濁っているように見える。一体これは、だれだ。
「私は、これの為にこの十年間を犠牲にしていたんですよ? これの為に、わざわざ聖人の真似事までして付き合っていたというのに。万が一、コレに傷が付いていたらどう責任をとるつもりですか」
ベゼラードに突き刺すような殺意を向けて睨め付けた後、愛おしそうに。
恍惚とした様子で、鉱石のような何かをユティーツァは両手で抱え込んだ。
「ああ! これで漸く、念願が叶います!! これさえあれば! これさえあれば、やっと、私のゴーレムが完成形に近づく!!」
ユティーツァは、主にサポート。
ゴーレムの使役で俺達を支えてくれていた仲間であった。
特に、彼女はゴーレムを使役する事で、俺達を支えてくれていた。
城勤めの錬金術師も顔負けの技量。
己の唯一の誇れる才能であるゴーレムの使役で以て、人々の役に立ちたい。
それが、ユティーツァの口癖だった。
「これまで、多くの魔物や人間で試行錯誤を繰り返しては失敗し、半ば諦めていましたが────ええ、やはり私の目に狂いはありませんでした。これなら。これならば、私のゴーレムの炉心に相応しい。ああ、こんな事なら初めからこうしておくんでした。百年近く、実験体を用意して手をこまねいていた過去の自分が情けないです」
「……試行、錯誤? 実験、体?」
彼女が何を言っているのかが理解出来なかった。否、そもそも、あの誰よりも優しかったユティーツァが、俺の胸を躊躇なく貫いた事実自体が、未だに理解の範疇を超えている。
「あぁ、ローグさんにはお伝えしてませんでしたっけ。私が使役するゴーレム達は、普通のゴーレムとは違って特別製なんです」
それは、知っていた。
使役が上手い下手の範疇を超えて、ユティーツァのゴーレムは、群を抜いて俺の知識にあるゴーレムよりも圧倒的に強かったから。
その強さに助けられてきた俺だから、そこに感謝の念しか抱いてこなかった。
だけど今は、どうしようもなく嫌な予感がした。
「本来、ゴーレムとは魔力を炉心に込める事で使役が可能となるものです。ですが、それでは本来の性能の半分も出し切れない。だから私は考えたんです。その炉心に、人間や魔族そのものを使ってみるのはどうかなって」
人には、誰しもに魔力が備わっている。
故に、魔力を込めるのではなく、魔力が備わっている人間そのものをハナからゴーレムの炉心に使ってしまえばいい。
童女のような、花咲いたような笑みを浮かべて、ユティーツァは俺にそう告げた。
「でも、有象無象の心核ではダメでした。人体実験までして手間を掛けて尚、私の思い描く完成形には程遠かった。そんな時です。私は貴方に出会った。だから、私は貴方が欲しかったんです。貴方のこの、心核が」
心核とは、心臓部に存在する臓器の一つ。
人体の中で、唯一魔力を生成する臓器だ。
『────お前は間違いなく、後悔する事になる』
どうしてか。
ふと、そんな言葉を脳裏を過った。
それは、俺が打ち倒した筈の魔王が口にしていた言葉であった。
何故か彼女は、相対した俺に後悔すると言葉を残していた。
思い出した途端、血の気が引いた。
魔王は、あの時、魔王という敵を失えば、役目を無くした俺が始末される事になると言いたかったのだろうか……?
いや、でも、どうして。
どうして魔王がそれを知っていた?
「ひひひ、オレぁ、てめえのその顔をずぅっと拝みたかった。正義感に酔い痴れるクソ野郎の絶望に満ちた顔をよォ!! いいか、魔王が死んだ今、てめえの存在はただの邪魔なんだよ。王国にとって、魔王がいなくなってしまえば、救国の英雄っつー立場はただの邪魔でしかねえ。だから、勇者にはここで消えて貰うしかねえんだよ」
「良かったじゃないか。これでキミは、晴れて憧れていた英雄サマだ。悪虐から救った英雄として、これから先も称えられる事だろうね。魔王を討ち取った悲劇の英雄として。キミを実の弟のように可愛がっていた姫様も悲しみに暮れる事だろうさ。もうこれ以上、家族を殺した存在の為に奔走する滑稽なピエロを見る事が出来ないと知ったらね」
────作り、話だ。
何もかもが、作り話。
自分自身に、ひたすらそう言い聞かせる。
だけど、勇者として邁進し、魔法や剣を学んできた己自身が、これら全てが悪い夢であり、彼らは操られているだけ。
その考えを否定してくる。
これは現実なのだと、俺に突き付けてくる。
そして、一瞬でもそれを認めてしまったが最後。俺の中の何かが決壊した。
胸中を締め付ける感情が、熱を伴って頬を伝って微かに落ちてゆく。
「────殺、す」
自分でも驚くくらい低い声だった。
感情の籠る声音は、獣の唸り声にも似ていた。
気付けば、消えかけていた闘志の炎は己の中で燃え上がっていて。
本能的に手にした剣を、力強く握り締める。
もう、死んでも構わない。
だけど、せめて。
死ぬとしてもせめて、こいつらを最低限道連れにする────ッ!!!
「へえ。心核も抉られて、その傷でまぁだ動けんのかよ」
じんわりと滲む突き刺すような痛み。
視界もぼやけて、揺らいでいる。
けれど、関係ない。
「……ッ、ベゼラードォォォォオオオッ!!!」
魔力が身体に巡らない。
しかしそれがどうした。
身体は満身創痍。
しかしそれがどうした。
こいつらだけは、殺す。
何が何でも殺す────!!
「だが、その刃は届かねえ」
ベゼラードの首を斬り裂く寸前で、肉薄した俺が繰り出した一撃が、ぴたりと停止した。
舌を出し、嘲笑を顔に貼り付けたベゼラードは、避ける素振りすら見せなかった。
それはつまり、俺がこの行動をすると事前に予測していたから。だから、全てを吐露した。
「言ったろ。てめえはここで死ぬんだよ。そこに変更はねえ。ひ、ひひひ、悔しいよなァ? 腹たって仕方ねえよなァ? 仇がすぐそこに居るのに、何も出来ねえのはよォ。てめえの家族をぶっ殺した奴を、てめえは後生大事に守ってたんだよ。ほんっとうによ、今までありがとなァ? 勇者サマ」
転瞬、浮かび上がる魔法陣。
そうか、これの仕業か。
ベゼラードを殺せなかったのは、ビアンカの仕業か。
普段ならば、この程度の縛りなど強引に引きちぎれる。だけど、満身創痍の身体と、心核を抉られた事で、それすら叶わない。
己の無力さが、どうしようもなく腹立たしい。心底、憎々しい。
「そんな訳で、そろそろサヨナラの時間だ」
ヴァルナのその言葉と同時に、俺の足下に新たな魔法陣が浮かび上がった。
見覚えのあるそれは、転移の陣。
「本当は、オレ達が直々に殺してやりたかったんだが、てめえに〝屍人〟にでもなられると厄介極まりねえんでな」
〝屍人〟とは、その名の通り、死んだ人間から生まれる魔物の一種。
主にそれは、死んだ人間から生まれるものであり、死体を焼き払おうが〝屍人〟になり得る可能性は存在している。
だが勿論、〝屍人〟にならないで済む方法も存在する。
聖教会と呼ばれる教会に籍を置く司祭から、死後に清光を受けた者。
もしくは、魔物に喰われたものは〝屍人〟にならない。
後者は、魔物によって魂までもが喰われ、吸収される事で〝屍人〟になり得る可能性が失われるというものだ。
「てめえには魔物共に喰われて貰う。断末魔の叫びが聞けねえのは残念だが、まあそこはてめえのその表情で妥協してやるとするさ」
ベゼラードを先程斬りつけた行為も、蝋燭の最後の瞬きのようなもの。
満身創痍で、最早、どうしようもない。
魔物に抗う手段も、ないに等しい。
「転移先は、懐かしい場所だよ。とは言っても、万が一にも出てはこれねえ場所だがな。それじゃあな、勇者サマ」
「ふ、ざ、けるなッ、俺が。俺達が何をしたって言うんだ……ッ!! 殺、すっ、絶対に殺してやるッ、地獄から這ってでも俺はお前らを殺してやる────ッッ」
侮蔑の視線を向けられながら、その言葉を最後に俺の視界に映る景色は移り変わった。
†
直後、シン、と静まり返った洞窟のような場所に俺の姿はあった。
ただ、ベゼラードの言う通りこの場所に俺は心当たりがあった。
「ダンジョン、最下層……」
それは、勇者が手にする武器────〝聖剣〟が眠るとされる場所ゆえに、二年ほど前にベゼラード達と共に潜ったダンジョン。
その最下層であった。
ここの魔物の強さは、よく知っている。
〝聖剣〟は手に入れこそしたが、俺達はダンジョン自体を攻略はしていない。
ユティーツァやビアンカの力を借りて、ほとんど魔物とは戦わずに〝聖剣〟だけを回収したに過ぎない。
だからこそ、ベゼラードは先程、万が一にも出ては来れないと言っていたのだろう。
腹立たしくはあったが、彼の言葉はその通りだと思ってしまった。
だけど、このまま死んでやる訳にはいかない。たとえ何をしてでも、あいつらを俺は────。
けれども、俺の意志とは異なって身体はいよいよ限界がやって来ていた。
気を抜けば、今にも意識を手放してしまいそうだった。身体の感覚も、殆どない。
「────だから言ってやったのに。後悔する事になると」
ただ、不意に聞こえて来たその声だけは、はっきりと聞こえた。
本来であれば、聞こえる筈の無い声。
それが俺の鼓膜にまで届いた事で、二重の意味で、俺に驚愕を齎した。
「ただ、お前が死にたく無いと言うのなら、同類のよしみで助けてやらん事もない。さあ、どうする。このままくたばるか。それでも尚と生き続けるか」
それは────それは、俺が殺した筈の魔王の声だった。
映り込む不気味極まりない仮面も、何もかもが彼女のものだった。
どうして、ここに居るのか。
どうして、魔王が俺に同類と言葉を投げ掛けるのか。分からない。何も分からない。
だけど、ハラは決まっていた。たとえ、魔王であれ、悪魔であれ、誰であろうと、あいつらを殺せるのであれば俺はもう、何を捨てても構わない。
だから。
「ま、だ。まだ、死ねない゛……!! あいつらを、殺すまで、は……!!」
「ああ、そうだよな。そうなるよな」
魔王の問いに、肯定で返した。
そこで俺の意識は、ぷつりと途絶えた。
「─────分かるよ。その気持ちは。何せ、私もそうだったからな」
そんな意味深な発言と共に、不気味極まりない仮面に隠されていた女性の顔が俺の視界に映り込んでいた。
†
ゆっくりと、意識が浮上する。
重い瞼を開くと、側には見慣れない妙齢の女性がいた。
誰だろうかと疑問を抱くと同時、意識を失う直前の映像が頭の中で思い起こされる。
そうだ。こいつは────。
「魔、王っ……!!」
「漸くお目覚めか。とはいえ、それは間違っても助けてやった者に対する態度ではないな」
がばっ、と上体を起こす俺を咎めるように彼女────魔王は呆れ混じりに呟いた。
「まぁいいさ。そういう視線にはもう慣れている。それに、こうなった原因は、私にもあるからな」
脳髄の奥にまで染み付いた思想が、魔王という存在を反射的に忌避して殺意を向けてしまった事実に、バツが悪くなる。
何はともあれ、こいつは俺を助けてくれた人間だ。本来であれば死んでいた筈の俺を、こいつはどうしてか助けてくれた。
「それで、何から話したものか」
「……どうしてお前は、生きてるんだ。あの時、俺は確実にお前を斬り殺した筈だ」
喚起されるかつての記憶。
間違いなく、俺は目の前の魔王をベゼラード達と共に斬り殺した筈だ。
だからこそ、俺はああして用済みとして始末され掛けていたのだから。
「簡単な話だ。それは私自身が、ハナから生きていないからだ。死人同然の者を殺せる訳がないだろう。そもそも死んでいるのだから。私は己のスキルによって生かされていただけの亡霊だよ。だから、こうしてお前の前に現れる事が出来た」
魔王が、そもそも死んでいた……?
「そういえば、自己紹介がまだだったな。今は魔王と名乗っていたが、私の名前はアリス。アリス・メルティアだ」
「……アリス・メルティア。ぃ、や、待て。その名前は」
反芻をして、その名を覚えようと試みる。
だけど、その名前を耳にして俺は引っ掛かりを覚えた。なにせ、アリス・メルティアという名前は────。
「そうだ。五十年近く昔に死んだとされる勇者の名であり、国に殺されたかつての勇者。もっとも、その部分は徹底的に秘匿されているがな。兎も角、それが私の正体だ」
……嗚呼、そうか。だから。だから、こいつは、俺を同類と呼んだのか。
「私も同じだった。お前と、全く同じ立場にあった。家族を殺され、憎悪を育まされた挙句、利用されるだけ利用されて殺された。ただ、私はスキルによって生き返る事が出来た。【闇魂】と呼ばれる闇術を扱うスキルのお陰で、な」
だから、彼女は自分自身の事を死人同然と口にしていたのだろう。
「だから私は、復讐をした。アリス・メルティアの〝屍人〟として。それがかれこれ、四十年近く前の話か」
彼らは間違いを犯した。
ゆえに、その間違いが間違いであった事と認識出来るように。
そして、利用された者としての復讐を敢行する為に、彼女はその選択肢を掴み取ったのだろう。きっと、俺がこの場所に転移させられた事にもそれは繋がっていたのだろう。
だけ、ど。
「だが、勘違いするなよ。私の復讐はそこで終わっている。途中で魔王になり代わりはしたが、本来、私は魔王という立場じゃない」
そもそも、こいつさえいなければ俺がこんな目にあう事はなかったのではないか。
指摘をしようとした俺の内心を見透かしてか、魔王から言葉がやって来た。
「……どういう事だ」
「王国の連中は、意図的に魔王を造り出している。邪魔な人間の排除。加えて、王族や貴族達の地位を確固のものとする為。民草の暴動を起こさせないようにする為。その為にあいつらはあえて、魔王を造り出している。まあ、信じるか信じないかはお前次第だがな。いや、お前はもう信じるしかないか。スキルの譲渡は終わっている。なら、私が得た記憶も程なくお前に渡るだろうからな」
「スキルの、譲渡……?」
「心核を抉られ、瀕死の重傷を負っていたんだ。あれは、普通の治癒の魔法などで治る範疇を超えていた。だから、治す為にはこの方法しかなかった。お前の本来持っていたスキルは使えなくなってしまっただろうが、死ぬ事に比べればマシだろう」
「待て。お前は一体、なにを……ぁ、ッ、がっ!?」
瞬間、ズキン、と割れるような痛みが頭に走り、俺は悶絶する。
そして、一瞬にして沸き立つイメージ。
これは────記憶だろうか。
声も、空気も、色も、何もかもがまるで己が体験した事のように鮮明に蘇る。
その中で根幹となっていたのは────俺の記憶の中にも存在していた死別の光景。
交錯する、哄笑と侮蔑。
貴族達の嘲笑う声までもが聞こえ、それらが何もかもを上塗りして埋め尽くした。
「お前には、私を殺す権利があった。お前にだけは、私を殺す権利があった。だからあの時、私は殺されてやった」
押し寄せる俺の物ではない記憶の奔流。
それが漸く、落ち着いた頃に魔王の────アリスの声がやって来た。
「たとえそれを許容する事で、お前が地獄の底に叩き落とされると分かっていて尚、私は忠告しか出来なかった。なにせ、お前には私を殺す権利があったから」
先の記憶は、幻覚によるものかと思った。
だけど、それは違うと己の中の憎悪の感情が真っ先に否定した。
これは、本物だと。
嘘偽りのない記憶であると肯定した。
だから、信じる事にした。
信じてしまえば、一見、矛盾しているようにも取れる彼女の言葉の辻褄が合っている事にも気付かされた。
「これは、私の責だ。関与した人間のみを殺した私の責だ。問答無用で、誰も彼もを殺しておくべきだった。情を見せるべきではなかった。だから、お前には私を殺す権利がある」
これは、二度とあの悲劇が繰り返されないように、全てを「殺しておかなかった」己の責任だと彼女は言う。
そして、彼女がどうして魔王になり代わっていたのか。魔王になり代わってまで己の二の舞となる人間が生まれる事を止めたいと願っていたが、復讐者であったが故に、俺にとって復讐対象である人間をアリスの手で殺す事は憚られた。
その結果、こうしてくるところまで来てしまった事も。
「だから、こうして助けて、スキルまで譲渡したって?」
「そうだ」
アリスは言った。
己はスキルによって生かされているだけの死人であると。
そんな彼女がスキルを失えばどうなるか。
それは、単純に────死だ。
「これからどうするか。それはお前が決めればいい。全てを忘れて生きるも良し。お前が新たな魔王になり代わるも良し。復讐するも良し」
「決まってる。復讐だ。あいつらはみんなを殺した。その代償は、きっちり払わせる」
その挙句、俺を散々利用していたんだ。
ただ殺すだけじゃ、生温い。
単に命を奪うだけなんて、慰めにも値しない。あいつらは、出来るだけ惨たらしく苦しめて殺す。それだけは、揺るがない。
「そうか。なら、ちゃんと殺してくれよ。二度と、こんな事が起きないように、ちゃんと全員」
俺がそう返答する事は分かっていたのだろう。いや、そうでもなければ、そもそも今際の際にあんな発言をする訳もない。
彼女から譲渡されたスキル────【闇魂】については、頭に流れてきた記憶が使い方さえも教えてくれる。
だから、問題らしい問題はもうなかった。
それを悟ってか。
アリスは俺に背を向ける。
そして、最後に「すまなかった」と言葉を残してアリスの姿が薄れて掻き消えた。
スキルの譲渡と共に頭の中に流れ込んできたアリスの記憶。その欠片。
そもそもどうして、魔王という存在を造るようになったのか。
勇者とは。始まりは、なんであったのか。
国の上層部は、何を隠しているのか。
スキルの譲渡と共に流れ込む記憶を得て尚、分からない事だらけ。
だから、それを知らなければならないと、思った。
「…………」
アリスの気配が消えて、シンと場が静まり返る。耳が痛くなる程の静寂を前に、色々な想いが俺の中で去来し、追憶を抱く。
ベゼラード達から告げられた事。
アリスの記憶。
様々な喪失感。
でも、頼れる人間は誰もいなくて。
本当の、本当に独りぼっち。
生きている意味はあるのか。
そんな無意味な問答すら己の中で行ってしまいそうだった。
だが、ここはダンジョン最下層。
程なく、魔物の呻き声が薄らと少しだけ聞こえてくる。腹を空かせた魔物の声だ。
「まだ、死ねない」
口にした声に宿るのは、自分に対する無力感と、絶望感と、憎悪と、悲壮と。
「あいつらを殺すまでは、まだ」
愚かな己自身に向けて、出来る限りの侮蔑を行った。
死ぬ訳にはいかなかった。
どれだけ悲しくても。
どれだけ虚しくても、あいつらを殺し尽くしてやるまでは。
お前らに殺されてやる訳にはいかないと、視界の隅に映り込んだ魔物に告げるように。
「────……ッ」
奥歯を、強烈に食いしばる。
どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのだ。
どうして、こんな理不尽な目に遭わなくてはいけないのだ。
俺はただ、家族と平穏に過ごせたらそれで良かっただけなのに。
魔王? 勇者?
そんなもの、知らない。どうでもいい。
俺はただ、掃いて捨てるほど存在する平凡な村人のうちの一人で良かったのに。
「……返せよ。返してくれよ、俺の家族を。俺の……ッ」
その懇願は、誰にも届かない。
大気を微かに揺らして、何事もなかったように消えゆくだけ。
それが、どうしようもなくお前が悪いのだと言われているような気に陥って。
「ふざ、けるな。ふざけるな。ふざけるなああああぁぁぁあああああああ!!!!!」
血を吐くように、俺はあらん限りの力を振り絞って喉を震わせ、叫び散らした。
今はただ、自分の中に渦巻く殺意に身を委ねる事しか出来なかった。
そうでもしなければ、辛うじて繋いでいた自我さえもが崩れてしまいそうだったから。
そして俺は、ただただ魔物を殺した。
これっぽっちも気が晴れぬと知って尚、壊れた機械のように、ただただ怒りを振り撒いて殺し回る事しか出来なかった。
* * * *
「────勇者? あぁ、勿論知ってるとも。一年前に魔王を倒した勇者ローグだろう? 魔王と相討ちで死んじまったらしいが、勇者ローグは間違いなく英雄だよ。そんな事、誰だって知ってるさ」
「じゃあ、勇者ローグの仲間だった者達について、あんた何か知らないか?」
「別に構わねえが、どうしてそんな事を?」
「デカイ借りがあるんだ。一年前に、勇者一行にとんでもなくデカイ借りを作ってね。それを返したいんだよ」
「ああ、そういう事か」
たまに居るんだよ。お前さんみたいな人はよ。と俺の問いに対して酒場の店主であるスキンヘッドのオヤジは納得してくれる。
そして、事情は分かったと言って再び語り始めた。
「けど、ユティーツァ様はもう王都にはいないし、ビアンカ様やヴァルナ様も領地に帰っていて王都にはいないぜ。この王都で会えるとすればベゼラード様くらいだろうが、あの人も忙しい人だからなあ」
「忙しい?」
俺の知っているベゼラードは、面倒事を徹底的に嫌う人間だった。
幾ら貴族の出とはいえ、彼ならば魔王を倒した勇者に付き従った人間という事実を持ち出して、好き勝手してそうだったんだが。
「おうよ。ベゼラード様は、亡き勇者であるローグの意志を継いで、魔物や魔族の討伐に精を出してくれているお方でなあ。こうしておれらが酒場で普段と変わらねえ生活を送れているのも、ベゼラード様のお陰ってわけさ」
「へえ、そうだったのか」
外套を目深に被り込んでいた俺は、俯きながら感情一つ篭らない声音で返事をした。
俯いた理由は、顔の上半分を隠して尚、表情を見られると拙かったから。
今にも笑い出してしまいそうな表情は、きっと目の前のオヤジからすれば理解の埒外にあると思ったから、俺は隠した。
「とはいえ、兄ちゃんは幸運だったな」
「幸運?」
「流石に会話をするのは無理だろうが、一目見るくれえなら、三日後なら出来ると思うぜ。なにせ、その日は凱旋だからな」
────戦争でもあったのだろうか。
疑問符を浮かべる俺に、オヤジは言葉を重ねて説明を続けてくれる。
「魔王が死んで一年経った今も、各地で残党が暴れてるんだ。ベゼラード様が、その残党の厄介な魔族を倒したのさ。だから、その凱旋が王都で行われるんだ」
「成る程なあ。それで、凱旋か」
スキル────【闇魂】を受け取った時に、アリスの記憶からベゼラード達に限らず、王国の騎士達も全てが俺にとって敵である事は分かっている。
分かってはいたが、その真偽を確かめる良い機会なのかもしれない。
加担した人間は、一族郎党皆殺し。
出来る限りの痛苦を味わわせて、苦しんだ末に全員死ね。
その考えは未だ色褪せず、変わりはない。
特に、ベゼラード。ヴァルナ。ビアンカ。ユティーツァの四人の殺し方だけは、この一年で考えに考え抜いた。
楽になど、殺してやるものか。
あいつらは。あいつらだけは、絶え間なく痛苦を与えた挙句、生きたまま魔物にでも喰わせて、出来るだけ惨たらしく、焼き殺────。
「それは、めでたいな。ああ、めでたい。きっと、死んだ勇者ローグもベゼラード様に感謝してる事だろう。自分が最後まで遂げられなかった役目を受け継いでくれた彼には特に」
脳内を埋め尽くす殺意の衝動を抑え込み、俺は平然と嘘を口にした。
でも、理由は違うが感謝はしている。
俺がこうして殺す前に、死なないでくれた事にだけは、感謝している。
「色々とありがとう。助かったよ」
どうやって殺したものか。探したものか。
悩んでいた俺からすれば、三日後にそんな催しがある事は幸運でしかなかった。
同時、疼く殺意の衝動。
それらをひた隠しに、俺は酒場を後にした。
そして、それから三日が経過して。
つつがなく行われる筈だったベゼラードの為の凱旋に、俺は外套姿のまま割り込んだ。
用意された道のど真ん中で、俺は立ち尽くしていた。なんだ、なんだと騒ぎ立てる騎士や民の言葉も無視して、俺は声を張り上げる。
「久しぶりだな、ベゼラード」
出来る限り、多くの人間に聞こえるように、俺は喜悦をあらん限り込めて発した。
一定数の人間は、よく知る俺の声。
なにせ、かつて勇者と呼ばれ、散々称えられていた者の声だ。
一年の時が経ていようと、分かる人間には分かってしまう。そして、分かってしまったが最後、他人の空似とは思えなくなる。
特に、事情を知っている連中ほど、次第に血の気が失せていた。
だから、その可能性を確信に変えてやる為に、俺は顔を隠していた外套を脱いでやる。
転瞬、馬車から丁度顔を出したベゼラードと視線が交錯した。
「────……なんで、てめえがここにいる? そもそもどうして生きてやがる。幻覚、か……?」
まず初めに、幻覚を疑っていた。
まるで、あの時とは立場が逆転している。
あの時は、俺が幻覚を疑っていたから。
だから、笑みを深めずにはいられない。
「決まってる。復讐をしにきたんだよ。お前だけじゃない。騎士も民も貴族も、王だろうと、全ての人間に。安心してくれよ。お前らは、簡単には殺さないから。うんと痛めつけて、うんと苦しめて苦しめて苦しめてから殺して、生き返らせて、また殺してやるから」
一年も音沙汰がなかったのだ。
それも、ダンジョン最下層に転移させられていた。万が一にも生きている筈はないと信じて疑っていなかったのだろう。
俺も逆の立場であったならば、そうしたと思う。だから、彼らの反応は仕方ないものであった。
「……へっ、おいオイ。本物かよ。どうやってあの状態から生き延びやがった……!? ぃや、今は関係ねえか。でも、てめえぬかったな? あの時と今はちげえ。それに、てめえのスキルは、俺らにゃ効かねえ事を忘れた訳じゃねえよなァ……!?」
下品に顔を歪めながら、ベゼラードは俺に侮蔑の眼差しを向けてくる。
元々俺が勇者として選ばれた理由は、俺が【聖域】と呼ばれるスキルを持っていたから。
それは、魔族や魔物に対して強く効果を発揮する反面、聖教会の司祭から祝福を受けた者に対しては一切効果がないスキル。
ベゼラードの言葉の意味は、つまりそういう事だった。
俺が魔王を倒せたにもかかわらず、彼らに殺されかけた理由も、全てそれが原因。
ただ。
「おい、騎士ども。勇者ローグを騙るその人間を捕らえろ。抵抗するなら殺して構わねえ。ああ、俺の戦友を騙り、あいつの死を侮辱するやつは許せねえ!! 死んだあいつの為にも、このオレが────」
「────黙れよ、クソ野郎が」
万が一にも負ける事はない。
そう信じて疑わないベゼラードが出てくると同時、抜け抜けと紡がれていた筈の言葉が最後まで言い終わる前に中断される。
一瞬にして場に降りる剣呑な空気。
重々しいそれは、瞬く間に場に席巻し全てを呑み込む。
たった一人の例外すらなく、誰も彼もが硬直し、言葉一つ発せない。
「死ねるか。死にきれるか。あれだけ虚仮にされて、家族を殺されて、何も出来ずに死んでたまるか……!! お前らだけは、何があっても殺すと決めた。ベゼラード。ヴァルナ。ビアンカ。ユティーツァ。村を焼いた騎士も、全てを計画した貴族も。知っていて尚、見て見ぬ振りをした貴族も、王族だろうと、誰だろうと殺すと決めた!! そうでもなければ、俺がこうしてお前の前に姿を現す訳がないだろ」
突き動かす理由は、堆く積もった憎悪の感情ただひとつ。
「だから今度は、俺がお前らの大切なものを奪ってやる。壊してやる。殺してやる。そのために、俺はあの時、生き延びた。その為だけに俺はここにいる。こうして生きている」
────【闇魂】────。
心の中で唱えると同時、俺の足下を中心としてぶわりと【闇】が広がり、そこから這い出るように白骨の手ががしゃりと音を立てて掛かる。
それは、死霊の業。
この一年で、【闇魂】の使い方は粗方理解した。その上で、強く思った。
これほど、殺す事に特化したスキルも世界に二つとしてないと。
「そんな事は、お前が一番知っているだろ。なあ────ベゼラード」
直後、痛苦に塗れた悲鳴が如き絶叫が大きく響き渡った。
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