8、本日魔術師は受難の日です
「なんだってこんなに殴るんだ。
女の子の顔をなんだと思っている?」
駆けつけて止めに入った警察は、顔をボコボコにされた林田を見て“タッちゃん”を叱責した。
この暴力男は林田の顔ばかりを殴った後、髪をつかんでガスコンロのとこまで引きずって行き、髪を火であぶって折檻していた。
警官の言葉にもしれっとして、
「顔なんて、もともと痣だらけなんだぜ。
他のところ殴るより目立たねえよ」
と馬鹿にしたように言い放った。
確かに、派手な痣だった。 化粧をしていない状態だと一目瞭然だった。
殴られた跡の隙間からでも、もとの肌の色が青白い痣によってまだらになっていたのがわかるのだ。
少し気味の悪い色の皮膚でもあった。
「その痣のために、きみはさんざんあの父親に虐待されて育ったはずだ。
なのにどうして、よりにもよって同じタイプの男を相手にするのかな」
応急処置を終えて部屋から出て来た林田に、ウィズが低い声で聞いた。
連行された「タッちゃん」のことを林田に聞き、部屋の様子を写真に撮った後、警察はひとまず引き上げと言うことになったらしかった。
ウィズは警察が姿を消すまで、どうも狙って待っていた様子があった。
「話したって、あんたになんかわからないわ。
お綺麗な顔だもの、それだけでみんなにチヤホヤして貰えるんだもの。
私はこの顔色のせいで、同じ顔の姉にまでいじめられたわ。
親は『1人産んどけば充分だったのに、何でこんなカスがくっついてきたんだ』と言って私をゴミ扱いした。
よく来客がある時に古い土蔵に閉じ込められたわ。
友達にもオバケだの妖怪だのと呼ばれて、そのうち人に会うのが怖くなって、自分から土蔵に籠る様になったのよ。
そんな子の気持ち、あんたに解れって言うほうが無理よね」
林田はそう言ってウィズの顔をにらみつけた。
ウィズは無言だった。
彼は彼で苦労して育っており、顔が綺麗だからって何の助けにもならないことをよく知っているはずだったが、ここでその事に触れる気はないようだ。
黙ったままの魔術師に、林田はポツリと
「ねえ、警察に言わないでくれるってほんと」
と、小声で聞いた。
「言っても誰も得しないだろ」と、ウィズ。
それで少し安心したのか、林田は話し始めた。
「私は姉が憎かった。
同じ顔なのに、私を最初に友達の前で化け物扱いしたのはあいつなのよ。
その姉が、酔った父に殴り殺された時、正直いい気味だと思ったの。
罰が当たったんだと思ったわ。
おまけに父は大慌てで、私を土蔵まで迎えに来て、頭まで下げたのよ。
『その顔を治してやるから、お願いだから姉ちゃんになってくれ』って。
そう、父にとって私は、最初から数に入ってない子だったの。
私は小学校に行かずにもう4年も蔵から出ていなかったし、私の存在なんてほとんど知る人は居なかった。
父は私を皮膚移植の専門家に診せて手術の相談をし、当分事故を装って包帯をさせ、姉のふりをさせたの。
そうしておいて、3年以上も経ってから私、つまり妹ののぞみの失踪届けを出したのよ。
私は顔を治してもらえるのならと、頑張って姉の真似をして学校に通ったわ。勉強は蔵の中でも少しはしていたし、事故の後遺症で記憶がなくなった部分があることにして、少々の事はごまかしてしまった。
そうしてみると、私だって案外役に立つし面白みもある人間なのよ。
そうやって私は姉になっていったの。
ところが、父は結局、私に手術を受けさせることが出来なかったの。
あまりにお金がかかりすぎることがわかったからよ。 もともとあんな酒飲みの博打好きに、お金なんか貯められる訳ないんだから。
父は手術をしないことで私が怒って秘密を漏らすのを恐れて、私にペコペコするようになったわ。
大量の化粧品で顔色を隠さなければならなくなった代償に、私は林田家で一番強い人間になったわ。
それで、もとの家を売ったお金を自分の学費に当てて、家を出たのよ」
その会話は、「タッちゃん」のアパートの、居間の畳の上で交わされていた。
あたしはウィズが言ったとおり、林田のプライドを考えて、台所に立ったままふすま越しに聞いていた。
ところが、この見え透いた気遣いは林田のカンに触ったらしい。
「何よ、あんた。
わかりもしないくせに、わかった風にするのやめてよね!」
強い口調で責められて、あたしは言葉が出なくなった。
「篠原さん、あんたにはいつも腹が立つのよね。
幸せそうに楽しみながらお勉強してますって顔して、福祉がやりたいんですって、それが夢なんですってねえ。
いい家庭で育って上等なカレシ持って、何の不自由もなく育ったことがさぞかしご自慢で、こんな可愛そうな家庭は見逃せないんでしょうねえ?」
「よせ」
ウィズが林田の肩をつかんで止めた。
「美久ちゃんのことをきみは何も知らないだろう。
憶測で悪く言う権利はない、彼女はきみに何も悪いことをしてない」
「あら庇ってあげるの、優しいカレシだわね」
馬鹿にしたように林田が言う。
「彼女可愛いものねえ、やっぱり女の子は見てくれがよくなけりゃ‥‥」
「僕は言わないつもりだった!」
不意に低い声で、ウィズが言い始めた。
「さっき言ってもよかったし、この場でも言えることだけど、言わないつもりだった。
僕が気付いてないとでも思ってるのか?」
「な、何よ、急に怖い声出して」
林田がちょっとひるむ。
「林田 惠を、本当に殺した犯人のことだ」
ウィズの言葉に、林田の顔が氷結した。
「これ以上余計なこと言わないほうがいいよ。
おとなしく僕の依頼人に会ってくれるなら、このまま秘密は守る。
ご両親にも口止めをしておく。 もともと子供のしたことだから法的には罪にならないし、手を下したのがお父さんだってことは事実なんだからね。
きみさえいい子にしていれば、どこからもバレないよ」
林田は唇を引き結んで、ウィズの手を振りほどいた。
そしてその手を、そのまま魔術師の頬に叩き付けたのだった。
ウィズの受難は、それで終わりではなかった。
その日の夜8時、更なる受難、それも女難に属する第2波が彼を襲ったのである。
「どうしてそんな勝手なことをなさったんですか!」
依頼人の氷川 淳子女史が、報告に難色を示したのだ。
あの「ル・ボワール」で、2度目の会見をし、一連の報告を聞いた彼女はかんかんに怒っていた。
「さっき5時のニュースで、林田さんのご両親が逮捕されたと言ってました。
社長の湊はそれを見てたいそう心痛の様子でした。
その通報をあなたがなさったの?」
「そうです」
「なんでそんな余計なことをおやりになるの!」
いきなり叱責されて、ウィズは目を瞬た。 なんで怒られたのか、あたしにもわからなかった。
「私は調査をお願いしたのであって、警察と一緒に事実を暴いてくれなんて言ってませんでしょう?」
「死体を見つけたら、通報しないとこっちが罪になるんですよ」
「そんなことは知ってます!
だから、そもそも掘り返す必要がなかったと言ってるんです。
あなたの見たことを、私に報告して下さればそれでよかったの」
「それでなんの証拠もなく、双子の入れ替わりを信じてくださるんですか?」
ちょっと自嘲気味に、ウィズが聞き返した。
そんなはずはない、と言いたげだ。
「あの人、死んでないです。 死んだのは双子の姉の方で、こっちが本物です。
そう言われて、そうですかと礼金を出してくださるんですか?」
「そうですね、そのつもりでしたよ。
でもそうね、仮に信じなかったとしても、その場合はどうするでしょう?
のぞみさんはお亡くなりでしたと湊に報告して、そのご兄弟が今年大学受験ですよ、とでも言えば、湊は受験の費用を応援してお礼の代わりにしたかもしれませんわね。
すくなくとも、林田さんを犯罪者の子に仕立てるより、ずっと親切な処置が取れたと思いますよ」
「でもそれでは、本物の林田 のぞみさんに、社長さんを会わせることが出来ません」
ウィズが言うと、氷川さんは急に立ち上がった。
「あなたの依頼人は、私です!
社長へのケアをあなたにお考え頂く必要はありません!
それは私の、仕事です!!」
ウィズの体が緊張した。
あたしも、息が止まるような気がした。