7、林田 惠の暮らしかた
ウィズが釈放されたのは、次の日のお昼頃だった。
喜和子ママが送ってくれたメールを、あたしは予備校の授業の休憩中に読んだ。
キャンセルした仕事を入れ直して食事も取った、特に落ち込んでいる様子はない、との事だった。
ついでに、林田夫妻が正式に逮捕されたこと、新聞やテレビの報道は今夜あたりだろうと言うことが書き加えられていた。
ウィズからもメールがあった。
迎えに行くから就業時間を教えてくれ、と。
出来れば林田と話したいので、付き合って欲しいとも書き添えてある。
あたしは戸惑った。
林田は授業に出ていなかった。
親が逮捕されたのだから無理ないことと思う。
そうなると気になるのは、あたしやウィズがどのくらい林田に恨まれているのかと言うことだ。
夕べの時点で、白骨化した死体が子供のものだと言うことは判明していた。
あたしを送ってくれた若い刑事の話では、10から14歳の子供だろう、という話だった。
「誰のものか、と言うことが判るには、少し時間がかかるよ。
時間が経っていて遺体の損壊率が高いからね。
あの家の子が12歳で失踪しているなら、とりあえずその子ということで歯医者に歯型が残っていないか捜査する。
歯型が一致したらその子に確定するだろうし、歯医者にかかった記録がなかった場合も、大体その子と見られるだろうね」
刑事はそう説明した。
DNAというのは、双子の子供では同一になるそうだ。
ということは鑑定をしたって、双子が入れ替わっているかどうかなんてわからないわけで、ウィズの主張どおり、死体が「林田 惠」のものだと判明する可能性は低いのだ。
あたしは、もうそれはそれでいいんじゃないかという気がした。
事情はどうあれ、林田はもう12年も「惠」として生きている。
思春期という、人生のかなり重要な時期をそうして過ごしてしまった彼女が、今さら「のぞみ」に戻ることにどれほどの意味があるのだろうか。
ただ、ウィズにしたらそんなことは問題じゃないのだ。
彼は、本物の「林田 のぞみ」を、湊社長に会わせたいのだ。
受けると決めた依頼には、とことん真面目にのめり込む彼だから、そこで妥協ができない。
あたしは林田と親しい女生徒に住所を聞き、ウィズと一緒に行ってみることにした。
「ねえ、ホントにテンション落ちてない?」
林田のアパートに向かう道々、あたしはウィズに聞き直した。
「普通だってば、何回それ聞くの?
美久ちゃんは、僕が落ち込んでないのが不満なわけ?」
ウィズは閉口したようにため息をついた。
だって、普通過ぎるんだもん。
専門知識の不足が原因とはいえ、絶対大丈夫と言った予言を、外したわけだし。
酔っ払いオジサンと一緒に、前代未聞の留置場体験をしたわけだし。
ウィズの性格からして、これはけっこうガックリ来ることじゃないかと言う気がするんだけどなあ。
あたしは車から降りるなり、ウィズの腕を取ってピトンとくっついた。
こうしていないと、どんどん離れて行きそうで不安になる。
あたしの魔術師は、世界一完璧な地図を持ちながら、そこを実際に歩いたことのない旅人みたいな人なのだ。
わかっているわかっていると言いながら、ほんとの事は何も知らない。
あたしの心配も、この寂しさも、きっとガラス越しにしか伝わらないのだ。
林田のいるアパートは、よく建ってるなあと感じるほど古ぼけた、木造モルタル作りの2階建て長屋だった。
ひんまがって崩れかけたような外階段が、赤錆で変色している。
「てんぷら長屋だ。
僕が育った家もこんな感じだった、懐かしいね」
ウィズは嬉しそうだった。
表札は「槇村」。
友人の話では、林田は最近になって家を出て、この男友達のところへ転がり込んでいるらしい。
黄ばんだブザーを押すと、ヅーッと古臭い音がした。
しばらく間を置いて、
「誰だよ」
低い男の声が、ドアの向こうから尋ねて来た。
「篠山と申します、惠さんを」
「いねーよ」
邪魔臭そうに一蹴される。
「奥にいらっしゃるでしょう、取り次いでください。
僕らは警察でもマスコミでもないですよ」
ウィズがあたしの後ろから威圧すると、
「いねーって言ってんだろ!」
男が凄んだ。 人を脅しなれた声だ。
チェーンがズガンと音を立てるほど荒っぽく、ドアが開いた。
茶髪、派手な服、無駄に多いアクセサリー、前傾姿勢、だるそうな目つき。
細い隙間から覗いた男の姿は、予想通りヤンキーなどと呼ばれる連中の定番だった。
「林田さん! 今回はいい話だ。
ちょっと顔を出してくれないか」
部屋の奥に向かって、ウィズが大きな声を出した。
「僕の依頼人は、君に1億円の礼金を渡すことを望んでいる!」
「ええ?」
ウィズの話に反応したのは、男の方だった。
「い、1億だってよ、おい、惠!」
体をずらして、部屋の奥へと話しかける。
「騙されないでよ、タッちゃん!
そいつらの言うことはでたらめだらけ、大嘘つきなんだから!」
「君らもだ。 ちゃんと部屋にいたじゃないか!」
ウィズがすかさず突っ込んだ。
とうとう林田はキレた。
足音高く玄関に出て来て、男の後ろから顔を出した。
「人を陥れてまでウチの親を捕まえたくせに、よくもしゃあしゃあと顔が出せたわね、このペテン師!!」
ウィズはその林田の鼻先に、例のハンカチをビニールごと付き付けた。
「きみはこれを自分の物だと認めるだけでいい。それで1億がきみの物になる。
この件には警察が介入していない。
僕は君の正体を警察に漏らしてないし、これからも言うつもりはない。
警察は今回の遺体が、惠のものでものぞみのものでも、犯人の供述どおりに信じるはずだ。
そして、きみのご両親はあれを“失踪届けの出ている、妹ののぞみのもの”と言い張るはずだ。 僕との賭けに負けたからね」
「どっちでもいいのなら、私が惠でも不都合ないでしょ」
林田がウィズをにらんで鼻で笑った。
「フン、利口そうに見えてもあんたは大馬鹿ね。
『お前でも姉でもどっちでもいい』なんて言われて、誰が喜ぶって言うの?」
「ああ、やっぱりきみが妹なんだ」
ウィズが指摘した。
「『お前でも姉でも』なら、きみは妹のほうだろ」
「揚げ足を取らないでよ! あなたが自分で言ったことでしょう」
「僕は『惠のものでものぞみのものでも』って言ったんだ」
林田は大きく息を吸い込んだ。
そして満身の力を込めて、ドアを閉めた。
「おいッ、惠!」
男が何か叫んでいるが、お構いなく鍵が閉められる。
それきりドアは動かなくなった。
部屋の中で言い争う二人の声が、玄関から奥の部屋へと遠ざかって行く。
あたしは横目でウィズを見た。
魔術師は動かない。
何かを待っている表情で、閉まった扉をじっと見ている。
ガシャン!
皿か何かが割れる音がした。
男がまだ大声で怒鳴っている。
続けてドタバタと足音。 椅子を倒したような、派手な音がそれに続く。
林田が、ヒイッと小さく泣き声を漏らした。
「ウ、ウィズ‥‥」
あたしは怖くなって魔術師にすがりついた。
彼の体も緊張していた。 無理もない、彼には室内の様子がドア越しに見えるのだから。
「あの男は寄生虫だ。
親の金で仕事もせずに生活していて、だんだん肩身が狭くなったんで自活を始めたが仕事が長続きせず、結局彼女を引っ張り込んでバイト代を貢がせてる。
金が儲かるならプライドなんて捨てるやつだからね。
彼女が1億貰ったら、このままだと全部この男が使い切ってしまうだろう」
部屋の中から悲鳴が響いた。
「ウィズ! 放っとくの!?」
「もう少し」
「ダメよ!」
あたしはドアノブに手を掛けて引っ張った。
もちろん開かない。
ボロ家のクセに、体当たりでも効果なし。
汗だくになってドアと格闘するあたしの横で、ウィズが何をしたのかと言うと、おもむろに携帯を取り出して、警察に連絡したのだった。
しかも2度目の通報だったらしく、待機した警察がいきなり物陰から駆け出して来て、男は暴行の現行犯で捕まった。