6、「ウィザード」に住む幽霊
ウィズの予見は百発百中だ。
少なくとも最終的にはそのはずだ。
でもその過程がどれほどアバウトな道を辿るのか、やってみないとわからない。
魔術師の目に見えるのは、結果としての映像だけなのだから。
連行されるウィズと林田夫婦と一緒に、あたしは県警に行った。
そしてその10分後、大騒ぎでベレッタ刑事を探し回った。
「どうしてあたしだけ先に帰れって言われるの?
ウィズを待って一緒に帰るつもりで来てるのに、この刑事さんが送って行くって」
せかせか歩いて来たベレッタ刑事に訴えた。
若い刑事さんがさっきから車のキーを片手に、いらいらとロビーで待っているのだ。
「そりゃ無理だ。 あの馬鹿は今夜は拘留だ。
さっき捕まった酔っ払いのおっさんの隣部屋にしてやる。
きっと話が合うだろうさ」
ベレッタ刑事はやけに機嫌が悪い。
「ウィズは大丈夫って言ったわ!
大体、捜査協力をしてるのに、なんでそんな扱いをするのよ」
「釣り書きや履歴書の『賞罰』のとこに『罰』は付かんようにしてやるが、すぐには無理だ。
あの馬鹿が妙な実験をやってなきゃ、まだごまかしはついたんだがなあ」
「実験?」
あたしが聞き返すと、刑事は左手に持っていた物をあたしに見せた。
「お嬢には、なんに見える?」
「‥‥汚いメモ用紙」
それは銀行や自動車メーカーが粗品でくれるような、安っぽいメモ用紙だった。
「あのペテン師の手からもぎ取った時には、これが札束に見えなかったか」
「ええ? あの時の1万円札が、これなの?」
「そうだ。 しかもトカレフの言うには、もとから林田家の玄関にあった電話用のメモだと」
「それをお札に『見せて』いたということ?」
「だろうな。あいつ今に、夜中にコンと鳴きやがるぞ」
あたしはほっとした。
「なんだあ、じゃあ初めから現金賭けしてないんじゃないの。
だったらすぐに釈放‥‥」
「ところが、現金を賭けに使ったと林田夫妻が主張しとる。
相手が万札を切ったから、こっちも家具や家を出した、とね。
この場合、口約束でも賭博になるし、もしかしたら偽札詐欺にも‥‥」
「そんな! ウィズったら、なんでそれで大丈夫なんて言うのよ?」
「法律をいい加減にしか知らんくせにヤバイ橋は渡って来とるのさ。
あんな顔して、結構ダークなお育ちなわけだから、怪しげな連中から巻上げて食いつないだ子供時代だったんだろうよ」
あたしは当惑して黙り込んだ。
無罪放免と信じてやったことだったとしたら、ウィズはさぞ落ち込んでいるだろうと思ったからだ。
とても不本意なことだけど、この際知らせなきゃならないだろうなあ。
あたしは若い刑事さんに頼んで、自宅じゃなくて「ウィザード」の店に送ってもらった。
先にメールを入れといたので、占いのお客さんは喜和子ママがお詫びをして帰らせていた。
「逮捕! 拘留! 手錠! 留置場!
ああ、もう頭が割れそう」
喜和子ママは気の毒に、青くなってため息をつき、しばらくカウンターに頭を伏せていた。
それから突然顔を上げると、そばにあった“アーリータイム”をビールの大ジョッキにドボドボと入れ、氷をぶち込んで一気にあおった。
「きゃああ! ママさん、それウィスキー!」
「誰か止めろ!!」
あたしと、カウンターにいた白井さんがその腕にすがりつく。
「もおおぉ、あの馬鹿息子ぉ!」
「わかったから落ち着こう、ママ」
喜和子ママはハアッと息をつき、カウンターの中に仕込んだ椅子に倒れこんだ。
「まったく、なんでなのかしらねえ。
大人しくて優しくて魅力的ないい子なのに、いっつも心配ばかりかけてくれて‥‥」
「躾をされてないからだろ」
いきなり白井さんが失礼なことを言ったので、あたしは目をむいた。
喜和子ママも、さすがにお客様に噛み付いたりはしなかったが、はっとした顔をまともに白井さんに向けた。
「いや違う、ママさんのせいって話じゃなくってさ。
うちの親がしょっちゅう言う台詞があるんだ。
『お前は小さい頃、親の手をかけないいい子だった。 だから手をかけてもらえなかった分、今頃になって小出しに取り戻そうとするんだね』ってさ。
吹雪くんは、いわゆるネグレクト・ベビーってやつだろ?
きっと一生分の手間を、ここで調整する運命なんじゃねえ?」
喜和子ママの顔がぱあッと明るくなった。
目が覚めたばかりの子供みたいにまばたきを繰り返す。
「この家で、わたしのとこで、一生分のモトを取ってる‥‥?」
「そうなんじゃねえ?」
敬虔なクリスチャンである彼女は、それを望んでウィズを引き取ったのだろう。
自分のもとで幸せを取り戻して欲しいと願っているだろう。
「そうね、それなら、わたしも望むところだわ!」
喜和子ママ、嬉しそうに言って立ち上がった。
「白井さん、すごい。
たまには役に立つことも言うんですね!」
あたしも嬉しくなって、白井さんの水割りのお代わりを作ってあげた。
「たまには、だけ余計なの!」
文句を言いながらも満更でもなさそうに、白井さんはぽちゃぽちゃのほっぺにえくぼをつくった。
場が和んだのであたしもホッとして、喜和子ママが作ってくれた新作おつまみの試食をした。 ついでに何気なく店内を見回して‥‥。
小さな悲鳴とともに立ち上がった。
カウンターから一番遠い、ボックス席。
入口近くのその席に、何かぼうっと白いものが見える。
(人が座ってる!?)
黒いシートに、白っぽい人影がぼうっと浮かんでいるのだ。
それも、あたしの左目にだけ見える!
ウィズの仕込んだ“魔法の目”にだけ。
それも効力が薄れて来ているのか、はっきりとではなく、かすんでぼんやりとしか見えない。 でも、絶対人間の形をしたものが座っている!
(ゆ、幽霊だ、今度こそ本物の‥‥)
あたしのグラスが、床の上で粉々になった。
震える足で立ち上がり、その白い影に近寄って見る。
怖かったけど、確かめずにいるのはもっと気味が悪かったのだ。
近づいても、はっきり見えるようにはならなかった。 でも輪郭から、多分女性の影だということはわかった。
それも、あまり年寄りでない感じの小柄な影。
「美久ちゃん」
声をかけられて、初めて気付いた。 喜和子ママがいつの間にかあたしの隣に来ていた。
「美久ちゃんも、あそこに何か見えるの?」
「‥‥『も』?」
「吹雪さんは見えるみたいなの。 何かいるのね? あそこに」
ママはまさしく幽霊の座っているボックス席を指差した。
「わたしがいる時にはやらないんだけど、開店前に来た時とかね。
一人になるとここに立って、あのボックス席に向かって、何か言ってるのよ」
「話しかけてるの!?」
「そう、それも聞いたことないような優しい声を出すのよ。
だから1回からかったことがあるの。 『美人の幽霊でもいるの?』って。
そしたら答えは‥‥」
「『幽霊なんて存在しない!』」
あたしと白井さんが同時に叫んだ。
これは結構有名な話だ。
うちの魔術師は、いかにもいろいろ見えそうなクセして、幽霊の存在を信じない。
彼に言わせると、霊と呼ばれるものの2割は気の迷いで、残りの8割は“残留思念”ということになるらしい。
「霊って怨念でしょ?
つまり『恨み系の残留思念』なんだから同じものなんじゃないの」
以前、ウィズにそう聞いてみた事がある。
ウィズは渋い顔で否定した。
「全然ポイントずれてるよ。
残留思念は過去の思いの痕跡で、本人が今では忘れてしまっていることでも、読んでみたらその場に残されている。
霊は現在まで思いが残っている場合に出る。
だいたい残留思念に人格なんてないんだし」
喜和子ママの話がホントなら、ウィズは人格のないものに話しかけていることになる。
そんな馬鹿なことってあるだろうか。
「あんた、誰?」
あたしは恐る恐る、白い影に声を掛けてみた。
しまった、返事したらどうしよう! と一瞬後悔した。
でも、なんの反応もなかった。