3、熱いキスと冷たい幽霊
小野塚さんは、なんと警視庁の鑑識の人だった。
ウィズがベレッタ刑事に頼んで、警察関係者で非番の人を回して貰ったらしい。
「どういうことなの? ウィズ」
ゆっくり説明して貰わないと、訳がわからなかった。
「氷川さんの依頼を聞いて、湊社長の探している子が、美久ちゃんの友達の林田 惠だっていうことはすぐわかったんだ。
社長の話だと、顔に痣がある林田 のぞみと、痣のない林田 惠は双子の姉妹だ。
で、社長を助けたのは痣のある“のぞみ”の方で、これは8年前に失踪したということになっている。
ところが、占ってみると社長を助けたのは、現在“林田 惠”と名乗っている子じゃないか。 では行方不明の方は今どうなっているのか“見て”みたら、こちらはもう亡くなっている事がわかった。 しかもこのふたりの消息ラインは、途中でクロスして入れ替わってる」
「クロスして入れ替わるってどういうこと?」
ウィズの頭の中での作業は、聞いても理解不能なことが多い。
「つまり痣のない“惠”が死んだ後、“のぞみ”が“惠”に成りすましてるということだ」
ウィズは言いながら、ウェイトレスが注ぎ足してくれた水を、これまた一気に飲んでしまった。
よく見ると、冷房の効いている店内なのに彼はびっしょり汗をかいている。
開放時に体温が上がるので、その影響だろう。
「犯人は父親なの?」とあたし。
「そう、殴打撲殺。 ひどい親だ。 いわゆる虐待致死だと思うよ。
それで今日、目の前で質問して、彼女の頭に浮かんだ物を読ませてもらったんだ。
小野塚さんと相談して、あらかじめ虐待致死と死体遺棄を連想するキーワードを決めておいて、架空の開発の話をした。
ほのさん、小学生の女の子、父親、両親、子育て、幽霊、大瓶、姉妹。 こういった言葉のいくつかに反応して、女の子を瓶に詰め込む画が彼女の記憶から浮上したよ。
たぶん彼女、殺害の現場は見てないんだね。 あとで死体を処分する時に同行して、父親と一緒に埋めた記憶が見つかった。 8年も前のことなのに、鮮明な記憶だったよ」
「8年前って、彼女12歳ね。
そんな子供に、殺人の後始末をさせるなんて‥‥」
「入れ替わったってことは、親だけじゃなくも本人も承知でやったんだろうさ。
虐待の時に故意に他の兄弟を相棒扱いして、共犯意識を持たせる親は少なくない。 つまり、親の作戦なんだよ」
いつもながら、ウィズは虐待者に対しては辛らつだ。
あたしが自分の水のコップを差し出すと、魔術師はそれも飲み干した。
「で? これから掘りますか?」
アイスコーヒーを飲み終えて、小野塚さんが聞くと、ウィズが立ち上がった。
「そうだな、掘ろうか」
「えええ? ウィズが自分で掘り出すの?
け、警察に通報して任せるんじゃだめなの?」
あたしがあわてて大声を出すと、ウィズは笑い出した。
「美久ちゃんが警官なら掘ってくれる? 得体の知れない占い師がさ、『あそこに死体が埋まってます』って通報したら」
「ベ、ベレッタ刑事に頼むとか」
「あの人、管轄違うじゃないか。
まあとりあえず死体が出さえすれば、後は警察がやってくれる。
ただ、僕が1人で掘ったら、『お前が埋めたのか』って言われそうだから、それで小野塚さんに付き合って貰うことにしたんだよ」
さっさとレジカウンターに向かうふたりを、あたしはあわてて追いかける。
「美久ちゃんは先に送って行くからね」
支払いをしながらウィズが言った。
「何言ってんの! あたしも行くわよ!」
「やめといた方がいいよ、きっとグロいし、その恰好じゃ蚊にやられるよ。
受験生は家でオベンキョしておいで」
「気になって何もできやしないわよ。 手伝うから連れてってよ」
ウィズは小さくため息をつき、不意にあたしの肩を抱き寄せた。
熱い唇が耳に当たった。
「‥‥あの子の気持ちになってご覧よ、同級生でライバル意識もあるだろ?
きっと美久ちゃんにだけは知られたくないと思うよ」
「ちょっ、ひ、人が見てるって」
「連絡入れるから」
そういうとウィズは、あたしの左のまぶたにキスをした。
顔から血が噴き出すほど恥ずかしかった。
店中の注目を浴びているのに、ウィズは気にならないんだろうか?
お釣りを返そうとしたウェイトレスの女の子が、トマトみたいに真赤な顔で石像化していた。
家で夕食を終え、お風呂に入ってから参考書を開いたが、やっぱり何も頭に入らない。
どうしたって考えてしまうのだ。
あたしの恋人は、今この瞬間、山の中で死体を掘っている。 しかもあたしのクラスメートの父親が殺した娘の死体だ。
ああ考えがまとまらない。左のまぶたが熱すぎる。
ウィズの唇が触れた部分は、いつまで経っても熱っぽく疼いて、そこから意識を引き剥がすことを許さなかった。
死体発掘のイメージの不気味さや危機感とそれは奇妙に連動して、あたしを興奮状態にしていた。
恋だろうか、恐怖だろうか。
痛いような切なさに胸がきしんで、なんにも考えられなくなる。
これが初めてのキスでもないのに、あたしってこんなに純情だったかしら。
彼が好き。
彼が大好き。
それだけのこと、もうとっくに結論の出ていること、相手にも伝わっていることなのに、なんでいちいち盛り上がってテンパってしまうんだろう。
たった一瞬の唇の感触を、記憶の中で繰り返し反芻しては顔を覆ってため息をついている自分が、我ながら可愛いやら馬鹿馬鹿しいやら、どう対処していいんだかわからなかった。
ウィズの残留思念が、まぶたの裏からあたしを誘惑する。
8時になっても連絡がないのでメールを入れたが、ウィズから返信は帰って来ない。
そのまま9時を回っても、魔術師に電話はつながらなかった。
9時半になって、携帯に連絡をくれたのは、ウィズではなくて喜和子ママだった。
ウィズの養母で、「ウィザード」の経営者でもある人だ。
「吹雪さんまだ帰って来ないんだけど、どこへ行ったか知らない?」
陽気な彼女には珍しく、深刻な口調だった。
「占いの予約時間でお客様も見えてるのに、連絡ひとつないのよ。
こんなことは今までなかったの。 美久ちゃん、何か聞いてない?」
「仕事に遅れた?」
そんなはずはない!
ウィズはダラダラ生活しているように見えるけど、仕事に対してはクソがつくほど真面目で熱心だ。
しかも予約の客と言うのなら、30分の1の確率で厳選したクライアントのはずだ。
そうそうないがしろにするはずがない。 今頃はとっくに帰って来ている予定で、彼は“ほのさん”に登ったはずだ。
「北賀。北賀の、朴の山‥‥だっけ」
とりあえず喜和子ママに場所を教えて電話を切ったが、さて何をしたらいいのかわからない。
まさか事故に遭ったりしてるんじゃないだろうか。
小野塚さんの携帯ならつながるかもしれないと思い、番号を聞くためにベレッタ刑事に電話した。
呼び出し音を聞きながらも、イヤな想像が次から次へと浮かんで来る。
山の中で車ごと転落したんじゃないだろうか。
穴を掘ってる間に崖崩れに遭ったりとか。
野犬に襲われたりとか。
むしろ単純に遭難したりはしていないか。
刑事は電話になかなか出ない。
頭を抱えて目を閉じた途端、あたしは息を飲んだ。
目の中にウィズが見える。
両目をギュッと閉じると、左目の中にウィズがいた!
何か必死に話そうとしている。
いや、叫んでいるけど聞こえないだけなのかもしれない。
目を開けると、映像は消えた。
あたしは部屋の中を見回した。
するとウィズはちゃんといた。
消えたのではない。 室内の普通に見えている景色に邪魔されて、はっきりしなかっただけなのだ。
目を凝らすと、部屋の隅にウィズが立っていた。
半分透けたようになって、手招きをしている。
左目をまた閉じると、何かを話そうとするさっきのウィズが見える。
「何‥‥これ」
あたしの左目に、何か魔法がかかっている。
間違いなくウィズのしわざ、あの時のキスの後遺症だ。
あの一瞬で、彼はあたしの左目になにか仕掛けをしていたのだ。
でも‥‥でも、この映像はなんだろう!?
心臓がバクバクと悲鳴を上げ始める。
ウィズは連絡を入れると言った。 これがその連絡だとしたら、彼はどうなっているのか?
「もしもし、お嬢か? すまん、シャワーを浴びとった。
仕事が長引いて今帰ったんだ、何かあったのか」
ベレッタ刑事が急いだ様子で電話に出てまくしたてた。
「おい、お嬢?」
「ウィズが死んじゃった!!」
あたしは震える声を張り上げた。
「死んだかも! 死にかけてるかも!
お願い助けて、ウィズのとこへ連れてって!」
体がガクガクして、床に膝をついてしまった。
「だって、幽霊が見えるんだもの!!」