2、意外と深刻な調査だった
次の日の講義は、午後の1コマ目で終わりだった。
「どうしよう、どうしよう、ドキドキして来た」
林田 惠は、教室の机の上にコスメグッズをずらりと並べた。
まさかと思ったが、これからフルコースやるらしい。
まず顔の油をペーパーで除去してから、ファンデーションを念入りに塗り足す。
そのあと全体にボカシを入れ、ハイライト、チーク、シャドウ、マスカラに至るまで全ていじり直した。
もともと薄くもなかった化粧が、さらにガッツリ濃厚になる。
ウィズの言うとおり、これだけ塗れば痣なんかわからなくなるかもしれない。
「うわー、全部持ち歩いてるんだ。
偉いなあ、あたし口紅くらいしか持って出ないよ」
感心して見ていると、
「篠山さんは、しなさすぎ!
確か私より一級上でしょう? その歳でノーファンデはきついわよ。
ハタチすぎたら、スッピンの方がオバサン臭く見えるってよ」
カチンと来た。
そこまで親しい間柄でもないのに、遠慮なく言ってくれるじゃないの。
20歳も21歳もそう変わりはないでしょ!!と思ったが、とりあえず今日は波風を立てまいと思って我慢した。
大体、あたしが化粧をしないのはウィズの好みに合わせているからだ。
彼は過去に辛い経験があって、化粧品の香料、いわゆる脂粉の香りというやつが全然ダメな体質だった。 6月に治療をしたので最近ではパニック発作こそ起こさないが、今でもやはり化粧品の匂いは不快だと言う。
そんな厚塗りしたら、半径5メートル以内に寄って来なくなるぞ。
と、よっぽど言ってやろうかと思ったけど、これも我慢。
「僕が会いたいと言ってるとだけ伝えて。
他の事は絶対言わないで。 もちろんハンカチの話もだ。 絶対だよ?」
ウィズに何故か、しつこいくらいに念を押されたのだ。
それにしても、人のカレシに誘われてこんなに露骨に喜ぶ女って、どこか了見が浅ましい気がするのは、あたしだけだろうか。
予備校の斜向かいにある喫茶店は、適当におしゃれで女の子に人気がある。
たっぷり20分以上遅れて行ったので、ウィズはもう先に来ていた。
丸テーブルにラフな服装で腰掛けている彼は、店の方で雰囲気作りのために準備したディスプレイ用のマネキンみたいに見えた。
驚いたのは、同じテーブルにもう1人の人物が座っていたことだ。
あたしは一度も会った事がない人だった。
ウィズよりもちょっと小柄な感じの中年の男性で、この暑さでは気の毒なくらい、きちんと背広を着込んでいた。
「初めまして、お呼び立てしてすみません。 如月です。
それからこちらは不動産屋の小野塚さん」
ウィズが立ち上がって挨拶すると、店の中にいた女の子たちが一斉に注目した。
「小野塚さんは僕の占いのお客さんでね。
北賀という土地の、“ほのさん”を開発する話があって、相談に見えてるんだ」
「ほのさん」
林田 惠の顔が曇った。
「あ。 やっぱり知ってるんだね」
ウィズは林田に対して、初めから微妙にタメ口になる。
その方が効果的だということを、ちゃんと知っているのだ。
知っててやってるってことは、一種の色仕掛けじゃないのかとあたしは思うんだけど。
「ほのさんってなあに?」
あたしはウィズに聞いてみた。
「正確には、朴の山と言ったらしいね。 里と隣接したちっちゃい山なんだけど、そこの南側を開発する計画が出ていて、小野塚さんはその調査で僕に相談を」
「私の家は北側です」
林田が予想外に固い口調で言った。
あんなにウィズに会えるので舞い上がっていたにしては冷たい態度だ。 まさかツンデレということでもあるまい。
ウィズが“逆に苦労する”と言ったのは正しかったかも。
「家と言っても、先祖が北側のふもとにに窯を持っていたのを継いだだけの土地なので狭いですし、居住するのにも適してません。 あの周辺、確かに家が増えてきてるんですが、正直住みづらいと思います」
「そうそう、大瓶を焼く窯があるんだよね。 今も焼いてる?」
ウィズが笑顔で尋ねると、林田は目をむいた。
「ええ? それはすごく昔の話です、ってかあんまり古すぎでびっくりです。
大正時代にはもうやってなかったって聞いてます。
今時、防火用水に瓶を使った話なんて誰も知らないでしょう?
如月さん、どっからそんな話聞いて来たんですか」
「あれ? そんなに古いの?
僕は“見る”のが専門だから、そういうことはわかりにくいんだな」
ウィズが頭を掻いた。
「見るって、どうやって?」
林田に聞かれて、ウィズはふっと笑い、林田の顔をまともに見つめた。
「こうやって普通に、読みづらい小さな文字を読むみたいに」
いや、そんな表現をされても誰も解らないと思う。
魔術師は遠慮なく相手の顔を直視して、そこから読み取った情報を口にした。
「‥‥なるほど、お父さんの窯、今は閉鎖してるんだね。
ダンボールとボロ布で覆ってある。
林田さんはふたり姉妹で、その山を遊び場に育ったんだね。」
「ちょっと、ちょっと、篠山さん!
あなたの彼、あぶない人ねえ。 会ってすぐこうやって女の子を口説くわけ? 手が早すぎるんじゃない?」
林田が甲高い声で言って笑い出した。
あたしの心臓はナイショでドキドキ頑張り始めた。
この話は、ダミーだ。
ウィズは本人に知られずに、林田の頭の中から特定の情報を読み取る気でいる。
直接聞けば話は早いだろうに、なんでそんな手間をかけるんだろう。
何かあるのだ。
「ウィズはそういうことがわかる人なの。
自分の知らないことや、未来のこととかも見てもらえるよ。
後で占って貰うといいよ」
あたしはできるだけ涼しい顔で言って、冷たいアイスティーを一口飲んだ。
「林田さん、ここだけの話なんですがね」
それまで黙っていた小野塚さんが、深刻そうな口調で話し始めた。
「開発に先立って北賀の住民にいろいろ聞いてみたところ、ちょっとヘンな話が出て来たんですよ。 それで、内密にお話を伺える方を如月くんに探してもらったんです」
「それが私ですか?」
林田はいぶかしげな様子だった。
「そうです、あなたならお願いしたことは守ってもらえるだろうと彼が言うので、ヘンな噂が広がらないで済むと思ったんです」
「何ですか、その、ヘンな噂って」
「幽霊です」
苦いものを丸呑みしたような表情が、林田の顔に浮かんだ。
ウィズは黙ってコーヒーを飲みながら、伏せた睫毛の隙間からその様子を伺っている。
「小学生くらいの女の子が、夜中に山の中を歩いているのを見たという話が、複数件上がって来てるんですよね」
テーブルの上の空気が、冷えて凍りついた。
林田はこわばった表情で小野塚さんの言葉を聞いていたが、怪談への恐怖以外の動揺が彼女にあるのかどうかは、魔術師でないあたしにはわからなかった。
「それはいつ頃の話ですか」
林田の声は、比較的冷静だった。
「話が出たのはもちろん最近ですが、幽霊の目撃はここ10年くらいの間みたいです。
あれ、ということは林田さん、北側では聞いたことがない?」と、小野塚さん。
「はい、知らない話です。
もしかして生きてる普通の子が、家出してふらふらしてたのでは? 子供に登れないような深い山じゃないんですから」
「まあ、そう考えるのが普通の人間ですよね。
こちらもあんまりヘンなイメージがあるところを開発して、売れない物件を量産してしまいたくないもんですから、神経質に対処しちゃってるだけなんで。
でも、そうしたら北側の方が宅地にしやすいってことも‥‥」
「だから、北はだめですよ! 交通の便も日当たりも最悪じゃないですかあ」
林田が大きな声で遮った。
顔は笑顔のままだったが、声の調子は少し尖って聞こえた。
「林田さん、ご両親にアンケートみたいなものを頼めませんかねえ。
出来ればご近所にも配ってもらえればいいんですが」
小野塚さんはカバンの中からプリントの束を取り出した。
「ごめんなさい、うちの両親はまったく人付き合いをしない人たちなので、お役に立てないと思います」
林田は言下に断った。
「すごく内向的な親で‥‥近所といっても話もしないと思います」
「それは、あなたもご苦労なさったでしょう」
小野塚さんはふと優しい声になって言った。
「私が?」
「いや、ボクも2児の父なもんでしてね。
女房見てると、いや子育てってのは大変なもんだ、親だけじゃ出来るもんじゃないんだなって思うんです。 近所や親族や友人を巻き込んで、ようやっと子供の活動範囲をカバーできてるみたいなところがある。
それを、全部親御さんだけでなさったと言うんですから。
ご両親も大変だったでしょうが、あなたもご姉妹も、制限が多くて大変だったでしょう」
林田は一瞬深刻な表情になり、そのあと下を向いて
「別に」
と言った。
「あのへんは田舎で、今時の都会の子育てとは違いますから。
うちなんて、山の中を駆け回って親の顔なんかロクに見ないで遊びまわる子供でしたし、その辺の子たちみんながそうでしたから、特に不自由はありませんでしたよ」
「そうですか」
小野塚さんはそれ以上言及せず、あたしに向かって何か食べるかと聞いたのだった。
林田が帰って行くと、ウィズは大きく息をついて、ぬるくなった水を一気に飲み干した。
「どうです、如月さんわかりましたか」
低い声で、小野塚さんが尋ねた。
「‥‥やっぱり埋めてるね」
ウィズの声も低かった。
「埋めてますか」
「父親がね、瓶に入れて穴掘って」
「ちょっと‥‥何の話!?」
あたしが尋ねると、ふたりが声を揃えて答えた。
「林田 惠の死体の話!」
本作品は前作よりもちょっと長文多めでお送りしておりますが読みづらいでしょうか?
美久ちゃんの一人称で吹雪クンの頭の中を含めた行動を中継するのはとても難しいので、いろいろ試しています。