エピローグ 魔術師とコスプレを
赤いスカートの女の子を見た翌週の日曜日。
いつもなら,暑さで眠りを妨げられて不快な目覚めに始まる朝が、この日は爽やかに始まった。 もう秋が近いのだ。
毎年毎年、夏が終ると思うと、急に損をしたような気になるのは何故なんだろう。
夏の全国模試の結果が思いの他よかったので、1日だけ受験勉強の休暇を取ることにした。
お気に入りの服を着て、髪型をゆっくりチョイスする。
厳選した無香料コスメを使って、ちょっとだけメイクもした。
自分を、一番好きな自分に仕立てる。
これって元気回復のコツだと思う。
それから、一番好きな場所へ行って、一番好きな人と会う。
つまり、結局普段と同じように、ウィズのところへ押しかけるだけなんだけど、それが一番の充電になる。
大好きな人がいる女の子は、みんな解ってくれると思う。
占いの仕事は客商売だから、深夜になることも多く、午前中訪ねて行くとウィズは寝ていることがほとんどだ。
勝手に部屋に入って、彼が起きるまでに掃除と食事の支度をしてしまおうかな。
そんなことを考えながら、ウィズの部屋の玄関ドアの前に立って、ぎょっとした。
室内で掃除機の音がする。
何やら甲高い話し声もする。
こんな朝っぱらから、ウィズの部屋に女がいる!!
焦って何度も鍵を入れ損ねた。
玄関に踏み込んでも、人の姿はない。
足音を忍ばせて入って行くと、掃除機の音に混じって、聞き覚えのある声が、ダイニングキッチンの方から聞こえて来た。
「やあだ、煎餅じゃなくて、全閉よ、ゼ・ン・ペ・イ。
受信用のアンテナを畳んじゃったら、彼って性格変わるのよ。
前にも一度見たけど、凄まじい笑い上戸よねえ。
起きたら腹筋痛くて泣くわよ、あれは」
この声!
この声って、まさか。
「レイミ先生!」
あたしはダイニングに駆け込んだ。
そして、腰を抜かしそうになった。
ダイニングでは、ひとりの女性が床に掃除機をかけていた。
その人が着ているのは、なんとアキバ系のセクシーメイド服。
ミニスカートにひらひらレースの恥ずかしいコスチュームだが、さほど違和感なく着こなしている。
あたしを振り返った顔は、やっぱりレイミ先生だった。
統合前の、朝香 怜の第2人格。
だから正確には怜さんと同じ顔なんだけど、女装の状態を見るとやはり女の人にしか見えないし、それはつまりレイミ先生にしか見えないということなのだ。
でも、人格を統合した時点で、彼女は消えてしまったはずではなかったか。
「レイミ先生‥‥再発しちゃったんですか?」
あたしは恐る恐る聞いた。
「なんで‥‥こんな時間にウィズの部屋に来てるんですか?
ゆ、夕べ何があったんですか」
レイミ先生はウィズが好きだった。
もしかしたらウィズと何か色っぽい事件があって、それを機に再度分裂したんじゃないか。
えらい事になったと焦って、メイド服のエプロンに取りすがった。
「ばあか。 レミじゃない、俺だよ」
いきなり男の声で言われた。
近くに寄ってしげしげ見ると、顎のあたりにうっすらと髭が見えたりして。
「怜さん!? 何やってるんですか!」
「賭けに負けたんだよ」
ふくれっつらで、怜さんは頭を掻いた。
「負けたヤツが、この恰好で勝ったヤツの部屋を掃除するってことで、飲み比べをしたんだ‥‥3人で」
「3人? ウィズと、怜さんと‥‥?」
「あたしよお」
キッチンキャビネットの中で声がした。
信じがたい物体がそこで皿洗いをしていた。
オタリーマンの白井さんだ。
超肥満体のボディにはメイド服がフィットせず、枕カバーの代わりにマスクを着せた枕、という感じになっている。
「オハヨーございますう、奥様ぁ。
ダンナサマはまだオヤスミでいらっしゃいますけど、あたしお起こししましょうか?」
甲高いオカマ声で言いながら、やけくそみたいに泡を立てて食器を洗っている。
言いたくないけど、人間に見えないぐらいキモい。
「あたしたちの失敗でしたわあ。
賭け事で負けたことはない、なんて吹雪クンが豪語するもんだから、ついムキになっちゃったのよねえ」
「白井さん、前にも1回飲み比べで負けてるんでしょ?
結果わかってるのになんでやるんですかもう」
あたしが言うと、怜さんが掃除機のスイッチを切ってわめいた。
「だから、今回はくっそ甘いカクテルで勝負したんだよ!
コロのやつ、途中から『甘いよ甘いよ』って泣いて壊れやがって。
それなのに結局全然アルコール回んねーんだ、どういう肝臓してるんだろうな!」
「怜ちゃん、あたし悔しいわぁ」
「‥‥白井さん、女言葉もうやめませんか‥‥二日酔いに響く、吐きそうだ」
メイド服のふたりが並んでいると、かくし芸でコントでもやってるみたいだ。
「もう‥‥男3人で何やってんだか」
あきれ返りながら、内心でホッとした途端、笑いの発作に襲われた。
あたしはその場に座り込んでしばらく笑い転げた。
寝室のウィズを見に行くと、ベッドにたどり着く前に、いきなり抱きつかれた。
「美久ちゃん美久ちゃん美久ちゃん美久ちゃん苦しいよー」
わー。 こっちも明らかにテンションがおかしい。
どうやらベッドに寝ないで床の上にいたようだ。
「口の中が甘ったるいよ、気持ち悪いよう」
「はいはいはい、つらかったね」
「バニラホイップクリームの中で、裸で寝たことある?」
「あるわけないでしょ」
「今、ちょうどそうなってるキモチ。上からブルベリーソースもかかってる感じ」
「さいでっか‥‥」
すがり付いてくるウィズの体重を支えきれず、ベッドに尻餅をつく。
「みんなでいじめるんだよ、人のグラスにシロップ溢れるまで入れるんだ。
アルコール入る隙間もないんだ、酔うわけないじゃないか」
酔っ払いは、やることめちゃくちゃだな。
「もう僕は甘いもの食べないからね。 一生口にしないからね。
もし無人島に流れ着いてキャラメル一個しかなかったら、いさぎよく絶食するからね。
もし冬山で遭難して、ふたりで板チョコ一枚しか残ってなかったら、美久ちゃん全部食べていいからね。 ねえ、美久ちゃん」
「はいはい」
「‥‥キスしてくれる?」
「お?」
つかみづらいテンションに目を白黒させている間に、ベッドにひっくり返されてしっかりキスされた。
心臓が爆走した。 ウィズからこういうアクションを起こすのは珍しい。
「口が甘いんだ」
「はあ」
それがキスの理由かい。
「あいつら、ベッドまで使い物にならなくしてくれたし」
「え? 汚したの?」
「違う!あの恰好でふたりで眠りこけたんだ、この上で!」
「‥‥何かいけないの? 寝ただけでしょ」
「あんなとんでもない映像を焼き付けてくれたら、他のものが見えなくなっちゃうじゃないか。 僕は残留思念を、集中力で紙縒りを縒ってそれで手繰ってるのに」
いや、ものすごくわかりにくいから。
つまり、メイド服の印象が強烈過ぎて、あたしの癒し系の残留思念を置いても見えない、と言って魔術師は憤慨しているのだった。
なんかもう‥‥へんなオトコだなあ。
「よしよし、何か他の場所を考えようね」
仕方がないから、寝転がったまま頭を撫でてあげていると、
「こおら! 人前でいちゃつくんじゃねえッ」
怜さんが入って来て怒り出した。
「美久ちゃんの残留思念なら、俺が取って置きを提供してやる。 来い!」
そう言って怜さんは、ウィズの腕をつかんで部屋の外に出て行く。
その恰好で外に出て平気か、怜さん!
「すげえな、怜くんは。
さすがに僕は、この服で部屋を出る勇気はないなあ」
白井さんが感心している。 あたしも、白井さんには絶対部屋を出ないで欲しいもんだと、人類の平和のために切に願った。
10分してもふたりが帰って来ないので、気になってあたしも外へ出た。
なんだかイヤな予感がしたのだ。
ふたりはマンションの1階、「ウィザード」の入口にいた。
店の重厚な扉の前で、ウィズがしゃがみこんでいる。
怜さんはミニスカートをなびかせて、ウィズの後ろでにやにや笑っていた。
魔術師は膝の上に顔を伏せて動かない。
あたしはウィズに駆け寄った。
「どうしたの? 気分が悪いの? ふ、二日酔い‥‥」
「あははははははは」
唐突にウィズが笑い出した。
いや、多分今までずっと、声が出ないほど笑っていたのだ。
「な、何?‥‥何がおかしいの?」
「あははははははは」
魔術師は震える指先で、ドア近くの植え込みを指差した。
そこはあたしが、怜さんの前で「握り寿司」をやらかした場所だった。
「怜さん!! バラしたわねえ?」
「うーん、コロってやっぱりすごいな。 ちゃんと見えるんだな」
怜さんはやたらと感心していた。
「あはははは、美久ちゃん、僕、もうこれでいいや」
ウィズが笑いながらよろよろ立ち上がった。
「いいって何が?」
「僕の『待ちうけ』、これにしよう」
「はああ?」
「だって絶対、落ち込んでるとき見ると楽しくなるじゃないか」
「やだ!!」
「どうせ僕にしか見えないからいいじゃん」
「やだやだやだ、お願いやめてえ!」
取りすがるあたしを無視して、ウィズは笑い続けた。
降り注ぐ陽射しは、お昼を前にして明るく乾いていた。
夏の終わりのことだった。
その後、「ウィザード」の常連の人の間で、こんなジョークが「流行」した。
「吹雪くんは店の前で鈴虫でも飼ってるの?」
「違う違う、コロボックルがあそこで漫才してるんだよ」
彼がドア前の植え込みに向かって、くすくす笑いながら座り込んでいる姿を、たびたび目にするようになったからだった。
もしもあなたが、そんな魔術師の姿を見かけたら、声をかけずにそっとしておいて欲しい。
ひょっとしたら、彼は何かに疲れていて、それで充電しているのかもしれないから。
そうして今夜、町中が停電するのを、それで踏み留まっているのかもしれないから。
(「魔術師とお茶を」終わり)
もう少し短いものになる予定で始めたのですが、続編と言うのはなかなかコンパクトにならないもののようです。
シリーズとしてはもう少し先まで考えていますが、このお話はこれで完結です。
お付き合い頂いてありがとうございました。