14、あきらめの悪さは一種の美徳
朝一番で、ウィズに車を出して貰って病院へ行った。
ウィズはあたしの怪我を気にして、すごく緊張した様子を見せた。
でもあたしがにらむので、一度も「ごめん」と言わなかった。
レントゲンの結果、骨に異常がないとわかって、ウィズがほうっと息をついた時、あたしはいきなり涙ぐんでしまった。
「美久ちゃん‥‥どうしたの?」
「うん」
あたしはウィズの横っ腹にくっついて、肩先に顔を押し付けた。
「馬鹿だったなあって思ったら、おかしくって」
「美久ちゃんはおかしいと泣くの?」
「うん」
ホントに馬鹿だった。
構えてたんだ、ずーっと。
ウィズの恋人になったら、ウィズのために頑張らなきゃいけないような気がして。
他人にはない能力を持つあたしの魔術師は、そのためにちょっとだけ他人とズレた感性をしている。
それを他の人に悪く取られたくなかった。
関係ない人に、ウィズをとやかく批判して欲しくなかった。
彼が傷つかないようにと、そればかり考えてた。
でも、それこそが偏見だった。
健常者が杖に頼って生活できないのと同じ。
どんなに他人とズレて見えても、ウィズは彼の中で当たり前のことをやっていて、きちんと自立しているのだ。
確かに失敗もするだろうが、それは誰でも同じだろう。
あたしはウィズを守るつもりでいて、その実、こうして守られている。
心配と躾は、喜和子ママに任せよう。
あたしはただ、ウィズといる幸せをむさぼることにしよう。
「ねえウィズ、中坊の時の残留思念より、今のあたしの方が断然可愛いよね?」
唐突な質問に面食らって、相手は目を白黒させてる。
「だって、今の方がずーっとウィズが好きだもの!」
「うーん。 じゃあ、今の美久ちゃんの残留思念をどっかに置いておこうか」
「実物に会えるのに?」
「美久ちゃんだって、実物に会えるのに、こないだ携帯の待ちうけ撮影したじゃないか」
「そういう感覚? い、意外と軽いね」
「うん。 今度は僕の部屋に置きたいね」
「部屋にいるところを、思念に残すのね? カウチソファの上で『撮影』とか?」
魔術師は首を振って、あたしの耳に唇を寄せ、囁いた。
「‥‥ベッドの上がいい」
あたしは赤くなった。
「ばか」
下を向いて、彼の肩を小さく叩く。
「だめ? ベッドって他に使うことがないんだ。 好きな恰好でしてあげるから」
「え、えっち」
「いつも美久ちゃんの映像が乗っててくれたら楽しいんだけどな。
そうだ、コスプレしてもいいよ」
「は?」
服着てていいってことは、ただベッドに、普段のあたしの残留思念を乗っけとくって話だったってこと?
うーん。 今のはズレたのか? トボけたのか?
それともあたしが勝手に期待しちゃっただけか?
「どっちでもいいけどね」
思いっきりくっついて囁く。
「ウィズ、大好き!」
待合室にいる他の患者さんたちが、暑苦しそうに目を逸らした。
それから3日後のことだ。
予備校の講義が終ってロビーに下りたところで、気になる人影を見つけた。
林田 惠だ。
彼女は事務室のドアの前に立っていた。
あたしが駆け寄ると、尖った視線で威嚇した。
あたしの方も近寄っては見たものの、何を話していいのかわからず二の足を踏む。
両親の逮捕からその日まで、彼女は一度も講義に出ていなかった。
今日、事務所にだけ出て来たということは。
「林田さん、もしかして辞めるつもりなの?」
小声で聞くと、しぶしぶという感じで返事があった。
「しょうがないでしょう。
大学に行くだけのお金はどこからも出そうにないんだもの。
あ、そんな顔しないでよね。
篠山さんに同情されたって、憎らしさが増すだけで逆に迷惑だからね」
林田は、もう恰好つける気がないらしく、心なしか化粧も薄くなってる。
「逮捕のせいじゃないけどね。 借金よ借金。
今度の件で、警察が家中捜索してくれたでしょ?
隠してあった借用書がそりゃもう出るわ出るわ。
フン、どうせろくなもんじゃないってあきらめてはいたけど、あきれ返る馬鹿親よね」
「大学行くのやめて‥‥これからどうするの?」
「フリーターでもやって、日銭を稼ぐしかなくなるわよ。
なんたって住む家がなくなっちゃいそうだから」
あたしは言うべき言葉を失った。
そんなことをしたらためにならないと、思っても言う権利があたしにはない。
「それとさ。 ‥‥言っちゃったからね、警察に」
林田は横を向いて表情を隠しながら言った。
「え? 何を?」
「ほんとのこと。
あの子が死んだの、ほんとは私のせいなんだって話しちゃった」
「あの子って、‥‥お姉さん? ホントの惠さん」
そういえばウィズが、そんなことを言っていたような‥‥。
「惠も私も小学生だった。
小学校で、絵の具を使うようになった初日のことよ。
ふざけて自分の腕に青い絵の具を薄く塗ったら、顔の痣とよく似た色になったの。
それで思いついて、昼寝をしてる惠の顔に塗ってやったのよ。
あの子が憎らしかったの。
醜い顔になって、私の気持ちが少しでもわかればいいって。
それに、親父が間違えて、一発でも殴ればいい気味くらいに思ったのよ。
ついでに髪の毛とかも私に似せておいたわ。
そしたらあの馬鹿親父、その日に限って正体もないくらい飲んで暴れて‥‥。
いやにしつこくあの子を殴ったのよね‥‥」
林田は暗い表情で床に目を落とした。
泣いているのかと思ったが、涙は流れていなかった。
確かに、簡単に泣いて済むには重過ぎる過去だったと思う。
「それは林田さんのせいって言わないよ」
あたしは心からそう思って言った。
ほんとはずーっと後悔してたんだろうと思うと、こっちまで胸が痛くなった。
「林田さんは、ちゃんと償ってるじゃない。
ふたり分の人生を生きようとしてるじゃない」
林田の顔がちょっとゆがんだ。
「やめてよ。 今でもあんたのことは偽善者にしか思えないんだから。
あんたがいいヤツだ、って思うのはすごくシャクなんだから」
ふたりで下を向いた。 どんな顔を見せていいか、よくわからなかったからだ。
林田 惠が事務室に消えた直後、予想外のことが起きた。
正面ドアから、ウィズが駆け込んで来たのだ。
「待って! 僕が払う!!」
「ウィズ?」
仰天するあたしを軽く無視して、彼は事務室に乱入した。
あわててくっついて入ろうとしたあたしを、ウィズは掌で制止した。
「あとで話す。
美久ちゃんはそこで待ってて!」
閉まったドアの前で待たされたのは、ほんの3〜4分だった。
出て来たウィズは林田に、
「今回僕は、とりあえず立て替えただけだよ。
本当に学費を出して下さるのは、とある『足長オバサン』だ。
1億そっくり渡すと槇村に吸い上げられるだろうから、学費やマンション購入費として振り込む方がいいと提案しといた。
正式に弁護士を寄越すそうだから、細かいことはその人と話し合って確認して」
そう言って、1枚の名刺を渡したのだった。