13、世界で一番可愛い幽霊
説明を終えたウィズは、不機嫌そうに唇を結んだ。
握り締めたままのあたしの手を、ゆっくり引っ張ってボックスに座らせた。
「こんな夜中にひとりで来るなんて‥‥危ないじゃないか」
ちょっと! 危ないのはあなたの手だよ!
なんでそこでいきなり、人の胸ボタン外しますか!?
あっという間に、肩口があらわになる。
「やあん。 ウィズ、エッチ‥‥」
恥ずかしさで身をよじった。
「やだ、外から見えちゃうよ‥‥」
と言いつつ、よく考えたらあたしは全然抵抗してない。
エッチで仲直りできるんならそれでいいと思った。
「もう‥‥ダメだよ‥‥」
とか何とか言いながら、さりげなく協力したりして。
ところが、魔術師はここでもズレてた。
「朝イチで病院行ったほうがいいな、鎖骨も心配だ」
露出したあたしの肩をじっと見て、そう言ったのだった。
そこはあたしが車から落っこちた時にぶつけた所で、内出血と腫れのために、けっこうカラフルな傷になっていた。
この傷を見たかっただけかよ!
夜中にふたりきりで、女の子を裸にして、それしか言うことないんかい!?
怜さんの嘘つき。 全然ダメじゃん。
こんな宇宙人のズレなんて、さっぱり理解できないよ!
風が出て来たらしい。
「ウィザード」の窓から見える街路樹が、蒸し暑い夜の熱気から救われたように枝を震わせていた。
ウィズはあたしの方を見ずに、
「自信がなくなった」
窓の外に目をやったまま、ポツリと呟いた。
「美久ちゃんに怪我させずに付き合う自信がない。
今日はこれで済んだけど、この先いつもっと大きな怪我をさせないとは限らないし、だから‥‥」
「限らないって!? 何よそれ!」
これが、万事お見通しの的中預言者の台詞だろうか!
なんだこれ。 打たれ弱いにもほどがある。
あたしは頭に来てウィズに詰め寄った。
「冗談じゃないわ。
この上、別れ話なんか始めたら、ホントにマジで怒るわよ!
何度も何度も言わせないで。
あたしはウィズに会えたから生きてるの。
ウィズと一緒になれるから頑張れるの。
そのウィズがあたしを殺すなら、それも運命ってもんなのよ」
「運命? 美久ちゃんあんなに必死で逃げたじゃないか。
僕が怖いんだろう?」
ウィズが不満げに唇を歪めた。
「そりゃ怖いし、逃げるわよ。 しょうがないでしょパニクってたんだから!」
あたしは開き直って怒鳴った。
「パニクるってそういうものよ、本人の意志とは関係ないの。
ウィズの暴走と一緒でしょ。
あたしはパニクっても後悔なんかしてない。
ウィズもねえ、いいかげん腹くくって、いつナンドキあたしを殺しちゃっても後悔しないくらいの覚悟決めてよね!」
魔術師は首を振った。
そんなわけにいくもんか。
口に出さなくてもウィズの言いたいことはよくわかった。
でもそれはこれ以上、どうしようもないことなのだ。
「ごめんね、怒鳴ったりして」
あたしはゆっくりと彼の首に腕を回して体を密着させた。
「ね。 教えて欲しいことがあるの。
そこに座っている女の子は、ウィズのことをどうやって慰めたの?」
その時のウィズの顔と言ったらなかった。
驚きと気恥ずかしさがない交ぜになった、複雑極まりない顔だった。
(まあ! ウィズったら、ちゃんと表情筋があったのね!)
いつもの無表情からは想像もつかないような反応だった。
あたしはわざとその目を覗き込んで、からかった。
「あれえ? どうして目を逸らすの?
もしかしてもう浮気しちゃった?」
「美久ちゃん」
「うん?」
「笑わないよね?」
あたしはうなずいた。
ウィズは決心したらしく、あたしの額に掌を当ててしばらく目を閉じさせた。
そうだ、いつかもこうやって、火事の時の映像を見せてもらった。
「あれ? そう言えば もともとこのやり方でよかったんじゃない。
だったら人前でいきなりキスする必要があったわけ?」
気がついたまんまを口に出したら、耳元で大きなため息が聞こえた。
「もう‥‥何でそういうこと、いちいち突っ込むかなあ」
何だか知らないけど、ウィズがずいぶん困ってるらしいことはわかった。
目を開けると、隣の席にあの白い女の子の影が浮かび上がって来た。
今度は両眼ともにはっきり見える。
セミロングの髪の毛を、ふたつ結びにした女の子だ。
白一色だと思っていたのは、半袖のブラウスとライトグレーのジャンバースカート。
あたしの通っていた中学校の制服だった。
その子はボックス席のソファに浅く腰掛け、唇を噛み締めて携帯を見ていた。
その携帯にも見覚えがあった。
何故そんな怖い顔をしているのかも、涙が浮かんでいる理由も、あたしにはわかった。
初めて買って貰った携帯だった。
いじめグループに属してない、たった一人仲良くしてくれていたクラスメートにだけ、こっそりメアドを教えた。
ほかに友達と呼べる子は、校内にいなかった。
だのにその日から、受信ボックス一杯にいやらしいメールが並ぶようになった。
誰も近づいて来なくなった教室で続けられた行為を、いじめと呼ぶ人はもういなかった。
それはただの冗談と、少し極端な日常という名前をつけられ黙認された。
人間は醜いと思うようになった。
自分は弱くて下らない生き物だと思うようになった。
「ウィザード」の扉を押す時、いつもまず涙をぬぐった。
このドアの向こうは、あたしが違う人間になれる世界だ、そう思って笑顔を作った。
肺の中を新しい空気で一杯にして、元気で店に入って行った。
「ただいま! 喜和子ママ、ウィズは?」
大好きなフレーズを口にしながら。
ただひとつ、携帯だけが悪夢の日常をこの店に持ち込むのだった。
ここでこんな汚いメールは読みたくない!
あたしはこの日、携帯のアドレスを変えたのだ。
「僕が今まで見た中で、一番可愛い残留思念がこれなんだ」
ウィズが恥ずかしそうに言った。
そんなこと言われても、あたしにはどこが可愛いのかわからなかった。
両目と鼻の頭を真っ赤にして、怖い顔で泣きべそをかいてるあたしは、どう見てももの凄くみっともなかった。
「ウィズって趣味悪い‥‥」
「そんなことないよ、こうするんだ。
‥‥美久ちゃん!」
ウィズはあたしの幻に向かって、大きくない声で呼びかけた。
するとあたしは、ぱっと笑顔になってこちらを向いた。
ほっぺたをパラパラと涙がこぼれ落ちた。
「可愛いだろう?
明らかにベソかいてたのに、声かけたら本気で笑ったんだ。
あんまり気に入ったんで、しょっちゅうここで声をかけてたら、思念が強化されて消えなくなっちゃった」
「こ、これがそんなに可愛いかなあ?」
「可愛いよ」
やっぱりあたしには、みっともないとしか思えなかった。
でも、この時のウィズの気持ちはわかる気がした。
自分が声をかけただけで、何もかも振り捨てて喜んでくれる女の子がいたことが嬉しかったのだろう。
「僕は嬉しい」という思いが、「きみが可愛い」という言葉にすり替わっている。これはとてもウィズらしいすり替えだと思えた。
何も考えずに、自分を受け入れてくれる存在があればいいんだ。
それが、ウィズのパニック脱却のキーワードなのだ。
心配するのでなく、注文をつけるのでなく、応援するのでもなく。
つまり必要なのは、たった4文字の言葉。
だ・い・す・き。
Tシャツに胸ボタンついてるデザインのものはたくさんあるんですが、この書き方だとブラウス風‥‥?
ちょっと悩んでしまいました。こういうことがしょっちゅうあります。実際着せてみるわけにいかんものでしょうか。