9、落胆が街を破壊する
「あなたにお任せする以上、占いが当たらないかも知れないとか今さら疑うような気は、私にはありません。
あなた方が割り切って、こちらの申し上げたことだけ調べて提出して下されば、湊への提出方法は私が判断しました。 余計なことを通報して、林田家を崩壊させるようなことはなかったと思います。
あなたにお願いしたのは間違いでした。
その点は私の人選ミスですが、あなたも今後のために、もう少しビジネスのお勉強をなさった方がよろしいんじゃありませんか?」
厳しい言葉だった。
でも間違っているとは言い切れない。
普通の人間が調査したら、多分双子の入れ替わりは発覚しなかった。 したとしても、疑惑で終って、それで誰も不満を持たなかっただろう。
ウィズは見えすぎるために、真実に蓋をすることが出来なかった。
「ご期待に添えず申し訳ありませんでした」
ウィズは一瞬で動揺を収めて立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
穏やかで冷静な動作に、あたしが内心で拍手しかけた時。
目の前のテーブルがガタガタガタッと揺れた。
(地震!?)
あたしは咄嗟に、卓上のグラスを支えた。
「湊社長にも、ご不快のお詫びをお伝え下さい。
それから今回の見料などはご請求しません。 どうか不手際をお許し下さい」
「いいえ、こちらこそ失礼なことを申し上げました。
見料につきましては、実費もかかってますでしょうし、遠慮なくおっしゃってください。
では」
あたしが必死で支えたにも関わらず、この間にグラスが2つ倒れた。
ウェイトレスが飛んで来て、テーブルを拭く間に、氷川さんは立ち去った。
あたしとウィズは、その後姿にもう一度頭を下げた。
ガシャン!
振り向くと、氷川さんが座っていた椅子が、誰も触らないのに横倒しになっていた。
ウィズはふっと息をつくと、時計を見た。
「ああ、もう9時だ。
美久ちゃんごめん、また付き合わせちゃった。 送るよ」
おっとりと微笑むウィズの後ろで、突然バシンと耳慣れない音がした。
熱帯魚の水槽に、大きく亀裂が入っていた。
そこからトロトロと流れ出す水が、ウィズの足元を濡らし始める。
「ウィズ‥‥大丈夫?」
カンのいいウィズが、そういうことに気付かないはずがないのに後ろを振り向く様子も見せないので、あたしが声を掛けると、
「え? 何が」
聞き返すウィズは、いつもと変わらぬ表情だ。
その隣で叫び声をあげたのは、座って煙草を吸おうとした男性客だった。
ライターの火が、突然天井近くまで上がったのだった。
「ウィズ、待って」
カウンターに向かう魔術師のあとを追う。
様子がおかしい。
彼がレジカウンターの前に立つと、誰もいないレジの機械がピーピー鳴って、引き出しを吐き出してしまった。 あわてて駆けつけたウェイトレスは、その引き出しが閉まる時に指を挟まれた。
「ル・ボワール」を出て、ショッピングセンターの店内を早足で歩く。
9時閉店なので、もう店内には「蛍の光」の曲が流れている。
ウィズが通り過ぎると、婦人服売り場のマネキンがドミノのように倒れた。
ディスプレイボードからスカーフが滑り落ち、店員が足を滑らせ、女性客が真珠のネックレスをバラバラに振り撒いた。
「ウィズ待って、待ってってば」
駐車場に早足で出て行く魔術師を追う。
魔術師の横で、駐車中の車が次々とボンネットの口を開けた。
カバの集団アクビみたいになった車の列の中を、ウィズは振り向きもせず歩いて行く。
「ねえ待って、急がないでよ」
息を切らしながら、彼の腕に取りすがった。
「そんなに急いで帰らなくてもいいわ。
ね、お茶を一杯つきあって?」
ボン! と、傍らの車のタイヤが弾けた。
「美久ちゃん、あと5分でここは閉まっちゃうんだよ」
振り向いた彼の目は、ひとりになりたいと言っていた。
その横でふたつめのパンクが起こった。
昔からウィズは、落ち込んだり動揺したりすると他人から離れたがる。
それはこういうことが起こるからなんだろうか?
こんな状態で運転させたら命に関わると思い、あたしはなんとかウィズを止めようとした。
「ウィズは冷たいなあ、今日初めてふたりきりになったんだよ?
ちょっとマッタリしたいとか思わないの?」
頭上の蛍光灯が、突如ガシャンと破裂した。
ガラスの破片が、あたしたちの足元にパラパラ落ちて来る。
「ウィズ、もしかして気付いてないの?
すっごく落ち込んでるでしょう?
ねえ、こんな時にひとりになっちゃ、ダメだよ!」
「美久ちゃんは何を言ってるの?」
ガシャン、とふたつめの蛍光灯が壊れた。
「車の運転、もう少ししてからじゃだめなの?
少し話をしてからスタートした方がいいって、ね?ウィズ」
ガシャン、と3つめ。
ウィズはお構いなしに愛車のドアを開き、乗り込んだ。
まだどこかで蛍光灯が割れる音がする。
「美久ちゃん、乗って」
ちょっとイラついた口調でせかされて、仕方なくあたしも助手席に乗る。
ついに最後の蛍光灯が割れ、駐車場が真っ暗になった。
えーい、奥の手だ。
あたしは運転席のウィズにいきなり抱きついた。
胸のふくらみを意識しながら、体を摺り寄せる。
唇から耳元へ、熱い呼吸を送り込む。
頬から顔の輪郭を辿って、唇にくちづけた。
ウィズも男だから、これは効くはずだ。
とにかく気分を変えてから運転させないと、危なくてしょうがない。
効果は、あった。
ウィズの呼吸は一瞬で乱れ、腕に力が入った。
触れ合った唇から、吸い付くように体を抱き寄せられる。
ウィズのシートに体重を移し、上から抱き締めた。
こっちが襲ってるみたいで、なんだかあたしも興奮して来てしまう。
シートを倒そうとレバーを探っていたら、ウィズがその手を握って止めた。
「美久ちゃん、明日にしよう。
せっかく親公認で付き合ってるのに、遅くなったらまた信用失くしちゃうよ」
「じゃ、じゃあ『ウィザード』まで行って、そこでお茶を一杯‥‥」
「だめ、明日ね」
これ以上は立ち入るな。
ウィズの口調に、拒絶のオーラがからんでいる。
抱き寄せられた時よりも強い力で、押し戻された。
突然、火災警報器のベルが鳴り響いた。
何もかもが誤作動している。
魔術師の体から何か負のパワーが発散されていて、その冷たさに触れた物が汚染されている感じだった。
ああ、誰か助けて。
ウィズの扉が、閉じる!!