わたしはいいんだよ
◯◯高校の、受験会場をいくら見回しても彼女はいなかった。
どうしたんだろう。急に志望校を変えてしまったのだろうか。
受験を受けている途中で、いきなり彼女の声がした。
「わたし、お別れを言いにきたの」
彼女は問題を解いているぼくのすぐそばに立っていた。
「いったいそこでどうしてるんだ」
とぼくは思わず言いそうになる。
一緒に◯◯高校に入るんじゃなかったのか。それで将来安泰じゃないか。
が、ぼくは声を出すと受験に失格になることを忘れたわけじゃない。それもわかった上で、あえて声を出すかどうか。そうする勇気はぼくにはなかった。
とにかくぼくは黙ったまま、黙々と問題を解いているふりをし続ける。
だいたい、どうしてあの試験官は、ここに彼女が立っていることに、全く気づいてないのだろう?
ひょっとしてぼくはあまりの恋しさに幻覚を見ているのか? いやいや、ぼくはそういうキャラクターじゃないでしょう。
そしたら、
「うん。あなたはそのまま問題を解いていればいいの」
と彼女が言う。
カンニングが疑われてしまうので、見上げて顔を見たわけじゃないが、その声から彼女が泣いていることがわかる。
彼女はごちゃごちゃした言葉で続けて言う。
「言い出せなかった。わたしがお化けだって。だって、言った瞬間に関係が終わるんだもん。あっ、ちょっと笑ったね。ううん。だけどこれは冗談じゃないんだよ。こんな大事なときにいきなりやってきて、こんなことを言ってごめんね。だけど今ぐらいしか、言うことができないような気がする。今みたいな、あなたが喋れないときじゃないと、わたしの言いたいことが伝わらない。だって、だって、あなたが口を挟むでしょう。そしたら話が脱線しちゃうでしょう。そしたら、いつの間にか、このままでいいやって、なってしまう。でもよくないのよ。あなたは生きている、わたしは死んでいる。あー。わたしいつになく、言葉が下手くそになっちゃってる。だめだこりゃ。だけど、わたしの言葉が下手くそなだけ、わたしは切実なんだよ。わかるでしょう。それで、それで、それで」
さよなら、元気で。
最後に彼女はそう言って、受験会場から出て行く。
追いかけることができない。
ぼくはその足だけをちらっと見た。
彼女は透けていた。
そして、どうして今までずっと気がつかなかったのだろう。
彼女の履いている赤い靴。
あれは血の色だった。
ねえ、それはないよ。ぼくは彼女を騙されやすいやつだと、ずっと思ってきたが、騙されていたのはどうやらぼくの方だったらしい。
受験が終わった。
なんだか腑に落ちない。
ぼくは迎えが来るまで、ipodで適当に何か聞いていることにする。
すると、
シミュレーション心霊現象
という歌声が耳に響いた。
これは……相対性理論の『ふしぎデカルト』だ。
あなたが霊でも
わたしはいいんだよ
あなたが霊なら
なおさらいいんだよ
わたしが霊でも
あなたはいいでしょ?
わたしが霊なら
あなたはどうする?
どうするかって?
ぼくはちょっと自殺して霊になることを考えたりしてみる。
イヤホンを外す。
誰か知らない人が、
「見て、綺麗な夕日!」
とその辺で言う。
ぼくは悪態をついた。