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2.

「久しぶりだね、トリスタン。白い花の騎士」


 声をかけると彼は破顔した。


「会いたかったよ」


 そう言うと俺を抱擁し、頬に口づけを落とす。


「トリスタン……? え? 円卓の騎士の?」


 アーサーが首をかしげる。白い青年は微笑んだ。


「タカシが私につけてくれた名前だ。初めて会った時に。私には名がなかったから」

「名前が……?」

「忘れてしまっていてね。おかげで存在が消えそうになっていた」


 初めて出会った時、この妖精は、半分消えかけた状態でふらふらしていた。当時十二歳だった俺が話しかけると、記憶喪失である事が判明した。

 妖精の場合、記憶=自分自身という所がある。記憶を失うと言うことは、自分自身の存在を失う事に等しい。肉体にまで影響が出る。そのまま放っておけば、彼は確実に消滅していただろう。


 俺には細かい事は良くわからなかった。ただ名前すら忘れてしまった相手が気の毒だった。だから当面の呼び名をつけてあげたのだ。


 するとその途端、彼の存在が鮮やかになり、輪郭がはっきりとなった。現実味を持った存在になったのだ。あれには驚いた。


 後でばあちゃんが説明してくれた所によると、どうも彼は何かの攻撃にさらされ、『核』の部分を損傷したらしい。『核』とは妖精にとっての本質と言うか、心臓にあたる部分だ。記憶の集中する場所でもある。

 そこを損傷したおかげで彼は名前を失い、存在が希薄になっていた。

 だが俺が新たに名を与えたので、『核』が修復され、存在がしっかりと世界に固定された……らしい。そんな事を言っていた。


『呆れた子だねえ。損傷した『核』の修復なんて、普通は妖精王クラスにしかできないよ』


 何事かが起きたと慌てて様子を見にきたばあちゃんは、しっかりくっきり存在しているトリスタンを見て言った。俺としては単に呼び名をつけただけだったので、何がすごかったのか、今でも良くわからない。


「こいつ、半分消えかかりながら、ふらふらしてたんだ。尋ねたら、名前がないって言うから……じゃあ俺がつけてやるよって。

 そのころアーサー王と円卓の騎士の話が好きだったから、トリスタンの名前をつけた。歌がうまかったから」


 俺は彼の言葉を補足して説明した。


「竪琴の騎士だっけ? トリスタン卿は。人間の名前じゃまずいかって尋ねたら、それで良いってこいつも言ったし。昔はもっと、ちゃんとした名前があったと思うんだけれど……」


 元はかなり古い、力のある妖精だったはずだ。この姿からして、ケルト系なのは間違いない。ひょっとしたら、ダーナ神族トゥアハ・デ・ダナーンの一人だったのかもしれない。

 彼はけれど、微笑んだ。


「そうだね。でも忘れてしまった。今の私は君のトリスタンだ。不満はないよ」


 そう言うと、トリスタンは再び俺を抱き寄せ、頬に口づけた。さらにもう一度。


「トリスタン。くすぐったい」

「すまないね。君と出会うと、どうにも抑えがきかなくなる。私の心は君のものだから」


 アーサーは、なんとも言えない顔でこちらを見ている。


「アーサー。念の為言っておくけど、俺とこいつは何でもないから」

「そうですか」


 明らかに信じていない顔で言われた。


「トリスタン。ちょっと離れてくれるか」

「つれないね、愛しい人」

「わかってて言ってるだろう、アーサーが誤解する」

「私はかまわないが?」

「俺がかまう。離れてくれ」


 そう言うと、残念そうな顔をしてトリスタンは離れた。


「タカシって、浮気者なんですか……」


 アーサーの目が何だか冷たい。浮気ってなに。


「そうではないよ、人間の子ども。彼は深い慈愛の心を持っている。それを誰にでも注いでくれる。それだけだよ」


 晴々とした顔でトリスタンが言う。なんだそりゃ。


「ものすごい浮気者って聞こえます」

「彼の心は誰のものにもならないのさ。私たちは彼に愛を注ぐが、けれど彼の心は私たちのものにはならない。悲しいがね。

 だが愛とは、見返りを求めるものではないだろう? 私たちは心を注ぎ続ける。彼からの微笑みやまなざしがあれば、生きてゆく事ができるのだよ」

「何げに俺が、ものすごーくひどい人みたいに聞こえるんだけど。トリスタン。おまえが説明するとややこしくなるから、ちょっと黙っててくれる……?」


 トリスタンは黙った。俺は困った顔をしてからアーサーを見やった。


「好かれやすいんだよ、俺。昔から。シーリーコート(善き妖精)にもアンシーリーコート(悪しき妖精)にも」

「そうなんですか」

「良く迷い込んでいたし。知り合いも多くなってね。でも俺自身は、普通の人間だから」


 アーサーは、納得いかないという顔をした。


「普通の人間がシーリーコートからもアンシーリーコートからも、好きだ結婚してくれ愛してるって言われるんですか」

「そこまで言ってないだろう、トリスタンは!」

「言っても良いかね? タカシ、結婚してくれ」


 あっさりトリスタンが言い、俺はにこにこしている相手を睨んだ。話を混乱させないでくれよ!


「俺の好みは人間の女の子なんだ。普通の」

「一度結婚してみようよ。私はそれなりに上手だよ。人間の女の子の事なんて、頭に浮かばなくなるよ?」

「さらりと怖い事言うな。俺、結婚するなら女の子って決めてるから。子どもの頃からの夢だから」

「じゃあ、一緒に暮らすだけでも良いよ。君が望まないのなら触れないし、無理強いはしない。ただ、君を見つめる事を許してくれ。私の心が君を愛することだけを」

「とっても心の広そうな事言ってるけど、それだと俺は二度と人間の世界に戻れないだろう。おまえの事だから、俺が根負けするまでどこかに閉じ込めようって魂胆なんだろうが!」

「タカシ……まだあの時の事を怒っているのかい? 私が君を閉じ込めたのは、愛するがゆえだよ。君の上に流れる時間を少しでも遅らせて、そのばら色の頬が曇る事のないように、美しい姿のままでいられるよう、大切にしようとしただけじゃないか」

「閉じ込めてる時点で、ものすごく迷惑なんだよ!」


 存在がはっきりした後、こいつは何を思ったのか、俺を時間の流れない場所に閉じ込めた。他の妖精王にもされた事があったので、『またか!』という感じだったが。無害そうに見えたので油断した。妖精は閉じ込めるのが好き、という事をとりあえず学習した。


 エレン。


 そこでふと、胸が痛んだ。この春に出会った歌姫の面影がよぎる。妖精王の一人に気に入られて、時の牢獄に閉じ込められていた娘。彼女を助けようとして、危うい取引をしたのはついこの間だ。俺はもう少しで、妖精王に囚われる所だった。

 エレンは解放された。ただ彼女が囚われてから、百年が過ぎていた。戻るべき肉体も、もはやなかった。

 彼女の魂はだから、行くべき場所を目指した。

 もう二度と会えない。地上では。


「あのー、そんな事が?」


 おずおずとした風にアーサーが言った。俺は気を取り直して答えた。


「何度か連れ去られて閉じ込められた。こいつらの愛情、人間向きじゃないんだ、正直言って。

 なあ、トリスタン。俺はおまえの事、嫌いじゃないよ。子どもだった俺に、色んな事を教えてくれたし。

 でも俺は、人間の女の子が好きなの」

「残念だ」


 ため息をついてトリスタンは首を振った。


「だが私の心は常に君と共にあるよ、愛しい人」

「だからそれヤメテ。誤解されるから。おまえだったら可愛い妖精がより取り見取りだろう。俺みたいな人間をかまわなくても」

「君は特別だよ。どうしてこちらで暮らさないのかな。人の世界は君には、つら過ぎるのではないかね」


 俺はふと、黙った。トリスタンは、知っているよと言いたげなまなざしで、俺を見ている。

 人間の世界では俺は、どこかはみ出している。姿形の問題ではない。どこかに違和感を感じてしまう。


 俺の居場所はここではない……。


 なぜそう感じてしまうのかわからない。ただずっと、その思いがある。どんな時でも。かと言って、妖精の世界に来れば安心かと言うと、そうでもない。俺はここでも異端だ。

 どこにも所属できない者。それが俺だ。

 それでも俺は、人間であり続ける事を選んだ。今後も選び続けるだろう。


「つらいよ。もちろんじゃないか」


 俺は答えた。微笑んで。


「人間の世界は憂いで一杯だ。おまえの言う通り」

「こちらで暮らせば良いのに」

「それはできない」


 きっぱりと言うと、なぜと目で問われた。


「なぜなら俺が人間で、それ以上でも以下でもないからさ」

「タカシ」

「家族が待ってる。俺の人生はこっちじゃなくて、向こうに大半があるんだよ、トリスタン。それは俺のもので、誰かが肩代わりできるものじゃないんだ。どれだけつらくてもね。

 それで良い。それが俺の生き方なんだよ」

「君はそれを、選び続けるのか」


 少し悲しげに彼は言った。


「君の歌が私は好きだった。奏でる音楽も。いつまでも聞いていたいと思ったよ。

 あのまま私と共にここで暮らせば、もっと磨きがかかっただろうに。人の世の醜さは、君を枯らしてしまうのではないかね」

「そうなったら、それはそれだ。俺に力量がなかった。それだけの話だよ。

 詩や音楽は、滅びない所からやって来る。俺たちはただ、それを受け取って世界に解放している。

 教えてくれたのは、おまえだろう、トリスタン。

 同じ事だ。

 俺は、どこにいても俺であり続ける。力が俺を満たしながら世界に向かうのならばそうなるだろうし、俺が枯れ果ててしまうと言うのなら、それもそれだけの話だ」

「私は君が惜しい。決して変わらぬよう、とどめたい」

「俺は嫌だ。ずっと変化を続けていたい。人間にとっての永遠は、変わり続ける所にあるんだよ」


 俺たちは見つめ合った。平行線だ。分かり合える事は決してない。変わらない事で永遠を体現する妖精と、変わり続ける事で永遠を輝かせる人間とでは、相手を思う心の有り様すら違ってしまう。

 そう思っていると、トリスタンが息をついた。


「相変わらず私を魅了するな、タカシ」

「はあ?」


 今の会話のどこに、魅了だの何だのの余地がありましたか?


「逆らえるはずがない。これほどに輝く君に。君の変化は私を捕らえて離さない。それが永遠だと言うのなら、君こそが私の永遠だ」

「あのすみません。言ってる事が良くわかりません」


 何ですかソレ。


「出会って以来、君は私の前で、どんどん変わっていった。固かった蕾が次第にほころび、朝日の中で咲き初めるように、君は美しくなり、日々変化した。目が離せなかったよ。今も離せない」

「美しいは言い過ぎだと思います……」


 固かった蕾ってナニ。花ってナンデスカ。


「タカシ。君こそは永遠に咲き続けるべき一輪の花」


 ……。

 俺はとうとう天を仰いだ。勘弁してくれ。


「相変わらず美辞麗句が絶好調だな、トリスタン……」


 ざわざわする全身を掻きむしりたいのを抑えつつそう言うと、白い騎士は微笑んだ。


「事実を言っているだけだ。君を見ていると、自然と言葉が溢れてくる」

「俺はちょっと、その辺をのたうち回りたい気分だよ」

「おや。称賛が足りなかったかね」

「いやもうヤメテ。かゆい。無茶苦茶かゆい」

「相変わらず、恥ずかしがり屋だね、君は。そんな所も愛おしいよ」


 ささやく彼は微笑むと、宙に目をやった。


「そういう恋人たちの語らいを、邪魔しようとする者。無粋ではないかね?」

「え」


 俺は目を丸くし、次いで飛び上がってアーサーの元に走った。大気が重くなり、黒い影が滲む。ゆらりとゆれたそれは、次第に形を取り始めた。

 黒い犬の形に。

 冷たい影。死の予兆。情け容赦なく命を刈り取るもの。

 ぐるる、と唸って黒妖犬が、その場に姿を現した。赤くらんらんと光る目は、俺にひたと向けられていた。



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