1.
榛の木の元を辞して、俺たちはケルピーを先頭に歩いた。アーサーがこちらに来た門となった妖精の輪の場所を、彼が知っていると言ったからだ。
人間の世界との間に道が通じている内に、彼を帰してやらなければ。
なだらかな丘に続く道を、俺たちは進んだ。そこは特に何の変哲もない、くねくねした道が続く場所だった。
「この先?」
俺の言葉に答え、水棲馬の化身がうなずいた。
「ああ、匂いが残ってる」
「歪みとか出てる?」
これに対しては、白い妖精の騎士が答えた。
「それほどは。人の世の時の流れに戻っても、さほど影響はないだろう」
俺はトリスタンの方を向いた。
「念の為に尋ねるけど、その『さほど』って、百年とか二百年単位じゃないよね」
「せいぜいが一晩だよ」
「なら良いけど。おまえらの『ちょっと』とか『さほど』って、軽く年単位だったりするから、油断できないんだよ」
ケルピーが、「人間は、時間に細かいよなあ。別に良いだろ、それぐらい」と首をひねる。
「細かくないと、おまえらに付き合えない。人間は、どんどん変化する生き物なんだから。一年は大きいんだよ」
俺はきっぱりとした風に言った。軽い調子の会話だが、俺やアーサーにとっては切実だ。
「もうちょっとだからな。疲れてないか、アーサー?」
「平気です」
俺に手を引かれながら、子どもが答えた。一所懸命に足を前に動かしているが、その顔には、疲労の色が見えた。それはそうだろう。あんな騒動に巻き込まれて、逃げ回っていたのだから。
俺は足を止めると、アーサーに背中を向け、地面に膝をついた。
「ほら、おいで。おぶってやるよ」
「え、だ、大丈夫です、ぼく、」
「良いから。戻ってからも、家まで歩かないといけないんだぞ。あっちが夜なのか、朝なのかもわからないんだ。体力は温存しとけ」
そう言われても、アーサーはしばらく逡巡していた。けれど、「タカシの言う事がきけないのかよ。言う通りにしとけ」とケルピーに言われ(というか、威嚇され)、俺の首に腕を回し、背負われた。
よいしょ、と立ち上がる。子どもの体重は、軽かった。けれど、体は温かく。ああ、この子は生きているんだな、と思った。
良かった、と。そう思った。
「タカシって……すごいですよね」
背負われながら、子どもがぽつりと言った。
「ん~?」
「優しくて。強くて。勇敢で。どうしたら、そんな風になれるんだろ」
「いや~……俺も、怖い時は怖いよ?」
「そうなの?」
「うん。でも、カッコつけなきゃなって時はあるからさ。大人としては」
「そんな風には、見えないけど……」
「そんなもんだって」
俺は笑った。
「大人ってのは、子どもが大人になっただけなんだからさ」
「タカシの場合はしかし、子どものままという気もするね。無茶が多くて、ひやひやする」
トリスタンが振り向いて言う。
「無茶せざるを得ない状況ってのも、あるだろ」
「君に関わりのない所でばかり、意地を張る。放っておけば良いものを」
白い騎士の言葉に俺は、口の端を持ち上げる。
「そこで放ってしまえるようなら、そりゃ、俺じゃないだろ」
「だよなあ。変な趣味だとは思うけどさ。タカシはそういうのが、タカシだもんなあ」
俺の言葉にケルピーが、うんうんとうなずきながら言う。トリスタンがふう、と息をついた。
「確信犯とは、たちが悪い」
「おまえが危ない状況でも、俺は助けるぞ、トリスタン。無茶でもなんでも」
妖精の騎士に俺が言うと、彼は渋面になった。
「そこでまた、そう言ってしまえる所が余計、性悪だ」
「信じられないのか?」
「君がそうする事は、知っている。わたしに名を与えたのは、幼い君だったじゃないか」
むっつりした顔で言われ、俺は首をかしげた。なんで怒っているんだ。
「俺は? 俺は?」
そこでケルピーが声をかけてきて、「ケルピーだって助けるぞ?」と俺が言うと、トリスタンは余計、機嫌悪そうになった。ケルピーは喜んでいたが。
かくん、とそこで子どもの頭が俺の首筋に伏せられて、あれ、と思う。アーサーは、俺の背中におぶさった状態で寝ていた。
「ああ、疲れてたんだなあ……」
抱えなおすと、振動を与えないよう、静かに歩く。
「その子どもの運命に、随分と干渉したな」
トリスタンが言った。俺は、うん、とうなずいた。
「人間だからね」
「どちらが?」
「俺も、この子も。人間だから。だから、互いに影響を及ぼすよ。でもそれは、こんな状況だったからだ。元の時間の流れに戻れば、それまで。俺は俺の、彼は彼の人生を生きてゆく。
それで良いと思う」
元の世界に戻れば、夢だと思うかもしれない。
でも、それで良い。彼の人生は、彼のものだ。
「随分と気に入っている様子なのに。それで良いのか?」
「良いんだよ」
「忘れ去られたとしても?」
「かまわない」
ひそめた声での会話に、ケルピーが立ち止まり、俺たちを見た。
「まどろっこしいな、シーリーコートの話は。タカシはタカシで、好きに振る舞う。それで良いじゃないか」
トリスタンが、馬鹿にしたようなまなざしを浴びせた。
「頭を使わないな、アンシーリーコートは。それだけでは済まないから、こうして話している」
むっとした顔になり、何かを言おうとしたケルピーを俺は黙らせた。
「ケルピー、待て。トリスタン。どういう意味だ」
「そのままの意だ。君は別れれば、それまでと思っているかもしれないが。今回の事で、君はその子どもの運命に、かなり深く影響を与えたぞ」
「そうなのか……?」
「所詮は人の子の運命だが」
息をついてから首を振り、トリスタンは俺を、そしてアーサーを見つめた。
「今からでも遅くはない。その子ども、そこらに捨ててしまわないか」
「トリスタン」
「君が影響を与えた分、その子どもから君へ、何らかの力が道を作る。それがどのような未来を引き寄せるのか、わたしには、判断がつかない」
妖精の騎士の言葉に、俺は眉根を寄せた。
「大したことはないだろう。人と人の関わり合いだ。人の世の、それなりの範囲内での影響に留まる。ほんの数時間だけの関わりなんだぞ?」
「その数時間が、一生を左右することもある」
わずかに目を細めて言ってから、トリスタンはつけくわえた。
「それに君たちは、人間とは言い切れない存在でもある」
「トリスタン」
彼の言葉に眉を上げると、「事実だろう」と言われた。
「伝えなくとも良いのか、その子どもに」
「何を? 君には妖精の血がまじっているって?
必要ないよ。戻れば、もう関わる事もない。彼の場合は、俺とは違う。はるか昔の一滴なんだろう?」
「そうだが。君と出会って影響された」
「あ~……」
アーサーの中の妖精の血が、俺と出会って活性化したりするんだろうか?
「言わないと、まずいかな」
「それは君の決める事だ」
「そりゃ、そうなんだろうけど……。あれかな。こう、俺って残念な人よ! みたいな態度取った方が良い? 幻滅して考えるのもいやだ~みたいな、忘れちゃう方向で」
トリスタンが呆れた顔になり、ケルピーが珍妙な顔になった。
「無理だ」
「無理だな」
二人して断言した。えー?
「だって俺、大したことしてないぞ。今なら、あっさり忘れるんじゃないか?」
そう言うと、二人そろって憐れむようなまなざしをくれた。
「タカシって、馬鹿だよなー」
「君のそういう所は可愛らしく思えるが……たまには目の前の事実を把握した方が良いと思うぞ」
失礼な。
そうこうしている内に、その場所に着いた。