4.
「アーサー。君は黒妖犬と出くわして、逃げ切った。自分でも不安だろうに、俺が迷い込んだんじゃないかって、気づかってもくれたね。
俺の名前にしたって、きちんと意味を尋ねて、正しい発音をしようとしてくれた。勝手に縮めて、自分の好きなように呼んでかまわなかったのに。
本当に弱虫な子どもは、そんな事はしない。本当に弱虫な子どもは、自分が一番だと思っているから、何でも自分に都合の良いように変えようとするよ。君は、そこにあるものをそのまま見ようとしてくれている。わからない事はわからないって、多分、素直に言えるだろう。
少し話しただけでわかった。君の心は強い。そうして、妖精たちの事が受け入れられるほどやわらかい。
弱虫な子どもは、自分の常識が壊れるのが嫌で、目の前に何かあっても拒否してしまう。君にそれはなかった。君は、君の事を弱虫だって言った人間たちよりも、ずっとずっと強い人間だ」
アーサーは目を丸くした。それから赤くなった。
「ぼく……、でも。強くなんか」
「俺の言う事が信じられない?」
俺はにっこりした。
「俺はこれでも、色々見てきている。妖精も、人間も。さっきからずっと感心していたんだよ。君がとても落ち着いていて、俺に対しても気づかってくれているから。君、とってもカッコいいんだよ、アーサー」
アーサーは、真っ赤になった。
「え、ええっと」
「本当だよ。人間の強さって、腕力じゃないんだ。意志の強さ。それもね、ただ強いだけでは折れてしまう。柔軟さがいるんだよ。それが強さを支える。心が柔軟ではないと、知識を得ても使いこなせない。知恵がそなわらなくなる。
優しさのない強さは本物じゃないって言葉、聞いたことない?」
アーサーが首を振る。
「そういう言葉があるんだよ。『強さとは力ではない。ただ強いだけでは無慈悲に陥る。優しさを持たない強さは本物ではない』」
どこで聞いた言葉だっけ、と自分の記憶を検索し、ああ、タイニー・ケイティの言葉だったと思い当たる。ただひたすら強さを求める悪の妖精に、人間の少年がつかまった回だった。自分は弱虫だと嘆く少年に、そして強さのみを求める悪の妖精に対して、彼女は毅然としてそう言ったのだ。……こう考えると、使えるアニメかもしれない。
しかし純粋な少年には、感慨深い言葉に聞こえたようだ。
「ただ強いだけでは無慈悲に陥る……優しさを持たない強さは本物ではない……」
目がきらきらしている。彼からの尊敬のまなざしに、俺はちょっと居心地が悪くなった。だってこれ、アニメからの受け売りだし!
「あー、とにかく。君の話。おじさんの家から外に出たの?」
咳払いをしてから尋ねると、アーサーはうなずいた。
「うん。昼間は村のお祭りを見ていたけれど、夜は駄目だって言われた。ちょっとのぞいて見たかっただけなのに……」
後悔をふくんだ言葉だった。けれど俺は首をかしげた。
「祭りって?」
「ミッドサマー・イヴのお祭りだよ。タカシは見てないの?」
「夏至祭……? でも夏至は十日以上前……時差? いやそうじゃないや。旧暦か、ひょっとして?」
グレゴリオ暦の夏至は、六月二十一日だ。ミッドサマー・イヴは聖ヨハネ祭として二十四日に行われる。ただユリウス暦を使っているのなら、日にちがずれる。
「七月にあるの?」
「変だなってぼくも思ったけれど、この辺りでは普通なんだって」
「村の名前は?」
アーサーが言った村の名前は、聞いた事もない名前だった。さらに尋ねると、コーンウォール地方であるらしい事がわかる。古い伝統の残る土地なのだろう、と見当をつける。
「だとすれば、妖精との関わりも大きくなるか。変化を嫌うからなあ」
妖精の暦は今もユリウス暦だ。確かそうだった。
「ま、でもそれならどうにかなるかな。そうそう簡単に入り口が閉じる事はないだろうし」
「何のこと?」
「土地によって、魔法の動く日が少し違ってくるんだよ。俺のいた辺りでは別だったから……ああ。俺は日本からこっちに来ているんだ」
「? 日本から来ると祭りは見ないの?」
「そうじゃなくて……ええとね、アーサー。妖精の国では人間の常識ではあり得ない事が良く起こるんだよ。たとえば君は今、英語で話しているだろう?」
「もちろんだよ」
「俺は日本語で話してる」
「え?」
アーサーは目を丸くした。
「だってタカシの英語、綺麗な発音だよ?」
綺麗な発音、の所で『クイーンズイングリッシュ』の音が聞こえた。そうか、と俺は思った。やっぱり上流の子だ、この子。
「それは君が、俺の言葉を自分の知っている言葉に置きかえて聞いているからさ。相手を見て、自分の良く知っている言葉を当てはめている。だから通じる。そういう事が起こるんだよ、ここでは」
「そうなんだ……」
「便利ではあるよ。いちいち通訳を頼まなくても良いからね」
「あっ、そうだね。すごいや」
アーサーはぱっと目を輝かせた。歳相応の顔で、ちょっと可愛かった。俺は笑った。
「俺の言葉が綺麗に聞こえるって事は、君には俺は、乱暴な人間には見えてないって事だね。ありがとう」
「だってタカシ、妖精みたいだし」
「妖精?」
「うん。すごく可愛い」
真面目に言われ、俺はどう返すべきか悩んだ。
「俺、男なんだけど」
「えっ? 嘘っ」
本気で驚いている。
「お姉さんだと思われてたんだー……」
「えっ、違うのっ?」
何だか切なくなった。そりゃ、アングロサクソン基準だと、ひょろひょろかもしれないけどさー。
「さっき抱きついてたじゃないか。胸、あったか?」
そう言うと、慌てた顔になった。
「え、ええと、ごめん。そう言えばないなって……、あ、違う、ええっと。タカシはその、ぼくの知っている人間と少し違って見えるから。東洋の人間だからかな? だ、だから、ちょっと違ってるなって……ええと」
「それは、あるかもしれないね」
鋭いな、と思いつつ俺はうなずいた。立ち上がる。自分が妖精の血を引いている事は別に、話さなくても良いだろう。
「話を戻すけれど。俺はさっきまで日本にいたんだ。それが道を外れたかどうかして、こっちに来てしまった」
「そうなの?」
アーサーは目を丸くしている。
「じゃあぼくはコーンウォールから、タカシは日本からここに来て出会ったの?」
「そう。妖精の国では、時間や空間がねじれたり、変につながったする事が良くあるんだ。前にも似たような事があったから、俺はどうにかなるよ。
問題は君なんだけれど。入ってきた所から出て行くのが一番安全な方法なんだ。だから……そうだね。この辺りを少し歩いてみようか。君を見ていた妖精がいるかもしれないし……どこか覚えのある場所に出るかもしれない」
そう言うと、アーサーはうなずいた。