2.
その後、『真実の呪文』関連で一悶着あった。
「あの、すみません、榛の妖精さん。元に戻して欲しいんですが~……」
榛の木の元まで行って、俺は頼み込んでいた。けれどあの時は出てきてくれた妖精が、出てこない。榛の木は、静まり返っている。うんともすんとも言わない。
「どうしよう」
「あの、何かお礼をしてみたら」
がっくりと肩を落とした俺に、アーサーが提案する。
「お礼? ええっと……、ありがとう?」
何も起こらない。
「これじゃ駄目か。うーんと」
「タカシ。それ以上近づくな」
木に触れようとすると、トリスタンに制止された。
「えっ、なんで」
「君、この木に何されたか忘れたのかい」
「なにって……」
ちゅーされたよなあ。胸、ばいーんな美女に。
「あー、えー、へへへ」
照れ笑いをすると、なぜか全員が殺気立った。
「俺という者がありながら!」
「わたしの君を、こんな妖精に渡すわけには」
「タカシって、本当に浮気性なんですね……」
なぜアーサーまで殺気だってるんだ。
「いや、実際問題、このままだと俺、生活できなくなるから。何とかしないと、『榛の実を舌に触れさせよ』って、え?」
またいきなり舌が動いた。
「『感謝の心を持って、榛の実を舌に』。ええと。実って……ああ、そう言えば!」
俺は、慌ててポケットをぱたぱたやり始めた。ここの妖精にキスをされた時、確か、ころんと降ってきたのがあった。
「なくしてないよな? なくしてないよな! あちこち振り回されたり、走り回ったりしたから……、確かこのポケット……、ない、ない、ない……、
あった~~~!」
見つけたそれを、思わず天にかかげてしまった。
「実って、あの木の妖精にとってはどういうものなんでしょうか」
アーサーが、小さな実を見つめて言う。
「分身のようなものか」
トリスタンが、ぼそりと言う。
「ううう。タカシがまた妖精とちゅーを」
ケルピーが、うーうーうなっている。
「いや、実だから、妖精本体とは違うだろ。これ口に放り込んで、『ありがとう』って言えば良い? それで良い?」
木に向かって言うが、返事はない。うーん、と思ったが、俺は舌を出した。榛の実を乗せてみる。
で、これでありがとうって……言えないわな。
「んー。むー。んー」
背後の三人に、なにやってるんだ、という顔をされた。えーと。
ふと思いついて、俺は榛の実を指先で撫でてみた。
(ありがとうな)
心の中で、そうつぶやきながら。すると、
「!?」
口の中で、何かが羽ばたく感じがした。俺はまばたいた。実が落っこちそうになる。慌てて舌を引っ込めると、榛の実が震えた。え、なに?
ばらり。
口の中で、実が『ほどけた』。
同時に、舌が。舌の上にある何かが羽ばたいて。
こぼれる。
こぼれる。
力が。揺れる。こぼれる。
「『……よ』」
それでまた、勝手に舌が動く。動く。
「『幼子よ』
『幼子よ』
『われらが愛し子』
『狭間に立ち』
『人であり』
『人でなく』
『妖精であり』
『妖精でなく』
『狭間に立ち』
『立ち続け、生きる者』
『生きよ』
『知恵を得よ』
『歩み続けよ』
『そなたの前に道は開け』
『そなたの後ろに道は生まれる』
『生きよ』
『幼子よ』
『われらが愛し子』
『見いだせ』
『見いだせ』
『見いだせ』
『己が進む道を』
『行く末を』」
舌が動く。言葉は炎のように口の中から生じて、俺の目の前で、何かの光が弾け、弾け続け。
木の葉のざわめきのように、海の波が生まれ続けるように、俺の中と、俺の外で、火花を散らして『言葉』になった。
「『幼子よ』
『幼子よ』
『幼子よ』」
ああ、これ。これが。榛の妖精が、俺にくれたものだ。
俺は進み出ると、榛の木に手を伸ばした。幹を抱きしめる。
(心配してくれたんだ。ありがとう)
彼女は、はるか年下の俺を、小さな子どものように思って、心配してくれたのだ。そうして、祝福をくれた。
間違いではない。だって俺は四分の一、妖精の血を引いている。彼女からすれば、同族の、子どものように見えたのだろう……。
(大きなお姉さん。はるか年下の弟に、力を貸してくれてありがとう。もう良いよ。もう、大丈夫だから)
心の中でそうささやくと、散っていた火花が消えた。俺の舌が、一度ねじれてほどけた。
そうして口の中にあった『それ』は、ほどけた榛の実と一緒になり。ぐるり、ぐるりと輪を描いてから、縒り合わされ、一本の糸になり。
大気より軽い、輝く何かになって、俺の中から出て行った。
目に見えない輝くそれは、そうして。榛の木の中に戻って行った。
ざわざわ、ざわ。
榛の木がざわめく。葉ずれの音は、笑い声のようだった。
一瞬、そこに緑の髪の美女が見えた。けれど彼女はすぐに、木の幹に溶け込むように、消えてしまった。
「ありがとう」
もう一度言う。それから身を起こし、木から離れる。口や頬をぺちぺちしてみる。
「ん~……? 抜けた。抜けたけど。どうだろう。戻った……、かな?」
トリスタンが近づいてきて、俺の頬をつかんだ。口を開かせて中をのぞきこむ。
「ああ。……消えている」
「ひひぇた?」
「かかっていた祝福が消えた。元に戻っているはずだ。何か偽りを口にしてみたまえ。言えるはずだよ」
手を離されたので、嘘をついてみた。
「トリスタンとケルピーは、とっても可愛い女の子です」
全員に白い目で見られた。
「戻っているようだね。君、本当に女の子が好きなんだね……」
生ぬるい微笑みを浮かべてトリスタンが言う。目が笑っていない。
「普通だと思うけど」
「タカシ……ドレスも着るし、髪も伸ばす。おまえが望むなら俺はそうする」
思い詰めた顔をしたケルピーが言った。本気でドレスを着る事を検討しているらしい。
「いや、おまえがドレス着たら視覚の暴力……ええっと。おまえはそのままが一番良いから。ドレスなんか着なくても」
「そうか。そうじゃないかと思っていたが、俺、おまえに愛されてるんだな」
「はあ?」
「そのままの俺が良いって言うのは、愛の告白だろ。違うか」
この男、どういう思考回路をしているんだ。
「斬っても良いかね」
トリスタンが微笑みながら、すらりと剣を抜いた。うわ。
「いやまて。剣をしまえ、トリスタン。ケルピー。俺、おまえの事、割と好きだけど、」
「タカシ! 俺も愛しているぞ!」
「そうじゃな、って、寄るんじゃないっ」
ばちばちばちばちっ。
もう何度目になるのかわからない。煙を上げて倒れたケルピーに、俺はため息をついた。
「こうまでお馬鹿さんな真似されると、放っておけない気がする……」
「何となくわかります」
アーサーが、倒れたケルピーを見てうなずいた。
「タカシ。そんな間抜けな馬よりも、私の方が頼りがいはあるぞ」
むっとした顔でトリスタンが言う。
「うん、トリスタンの事は頼ってるよ。何だかんだ言ってもおまえ、物知りだし。困った時には助けてくれるし」
「そうか」
「俺を連れて行こうとする所は困るけど。おまえの事、嫌いじゃない。兄弟みたいに感じる事があるよ」
そう言うと、彼はため息をついた。
「私は君を愛しているのだけれどね」
「俺も、おまえの事は好きだよ。でもそういう『愛している』とは違う。俺は、こっちには長くいられない。言っただろう? 俺のほとんどは人間で、俺の生きる世界もあっち側なんだよ。それを選んだ」
トリスタンは、俺を見つめた。
「わたしは妖精で、後悔などはしない。そういう存在だ。
だが、君に関しては、何度となく後悔をする。今もそうだ。
あの時、何としても、君を手元に置けば良かった。歪めても、傷つけてでも。こちらに留めておけば良かった」
俺は顔をしかめた。
「それやったら、おまえとは縁を切るから。ばっさりきっぱり切るから。近づかないし、口きかない」
「切ないね」
小さく笑うとトリスタンはふう、と息をついた。
「それで私は、人間の男に君を盗られる心配もしなくてはならないのだね」
「なあ。俺、ずっと女の子が好きって言ってるよな……」
どうしておまえら、俺の相手は男限定だー、みたいに話すわけ!