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妖精の輪と時のロンド〜妖精たちのいるところ  作者: ゆずはらしの
祈りを、ここに。~ロンドは終わる。
31/45

1.

 雲間から、一筋。光が差していた


 はらはらと。光が散る。

 これは、桜……?

 いや、アーモンドの花か。舞い落ちる白い花びら。

 淡い薄紅に染まる白を、ゆるやかに舞い踊らせながら。

 光が。

 一つの場所を、指し示している。


 ピアノ。


 なめらかに磨き込まれた、黒い肌。ゆるやかな曲線と、しっかりとした直線。開いた蓋の形は、今にも飛び立とうとするかのような、鳥の翼を思わせる。

 温かく、穏やかで、どこか懐かしい印象を与える、一台のグランドピアノ。

 それが、彼方にある。

 そうして黒妖犬の側には、幻のような黒髪の青年が佇んでいた。

 ピアノを見つめながら。

 その顔には憧れるような、夢見るような表情が浮かんでいる。


『……メダ』


 うめくように、黒妖犬が言うのが聞こえた。


『ダメダ……見ルナ。ソレヲ、見ルナ』


 振り返った青年が、ためらうような顔をした。けれど静かに、首を振った。


『最後の曲を、弾き終えないと』

『ダメダ!』


 いつの間にか黒妖犬は、体を縮めていた。牛ほどの大きさがあったはずなのに、普通の犬ほどの大きさに戻っていた。毛並みは黒く、目からは炎が噴き出している。けれど。

 なぜか、とても。弱々しく見えた。


『弾イタラ。オマエモ終ワル。終ワッテシマウ……!』


 悲痛な叫び。


「小賢しいことを」


 小さくトリスタンが言うのが聞こえた。気づくと俺は、トリスタンの腕の中にいた。どうも黒妖犬が飛びかかろうとした瞬間に、俺の腕を引っ張って、自分の方に引き寄せたらしい。

 ちょっとでも掠っていたら、俺の命もなかった。だから、ありがたい。ありがたいのだが。


「トリスタン。かばってくれたことには感謝する。でも、いつまでやってるんだ」

「もう少し堪能させてくれ」

「離せ!」


 ぼそぼそ言い合ってから、肘鉄をくらわせると、しぶしぶという感じで離してくれた。


「で、小賢しいってなんだ」

「あの犬妖精。最後の望みをかなえると見せかけて、成就する寸前に中断させた。

 だから、あの人間の願いはかなわないまま。

 体は人の世のことわりに従い、限界がきて滅びたが。魂はどこへも行けず、この世に留まり続ける羽目になったのさ。そうしておいて、自分の中に取り込んだ」

「契約違反じゃないのか」

「契約した相手が共にあり続けるのなら、続行中ということで誤魔化せる。条件である『願い』が成就していないのは、確かなのだからな」


 小さく笑うと、白い妖精騎士は言った。


「決して望みを果たさせず、契約が終わらないよう画策し、魂を取り込んだ。

 実に小賢しい。

 猟犬程度の位階の妖精が、そのようなことを考えるとは」

「妖精王なら良いのか」


 白い妖精の騎士は、含みをもたせた流し目をこちらにくれると答えた。


「王なら、相手が自ら、そう望むよう仕向けるさ。それでも逃げられることはあるがね」

「そいつらにとって、誘惑はお手の物だからな。気をつけろよ、タカシ。自分の意志を曲げられた挙げ句、都合の良いよう操られるぞ」


 青年の姿に戻ったケルピーが、苛立たしげに言った。トリスタンはこの言葉に、唇の端を歪めた。


「言葉を交わすよりも先に、相手のはらわたを食い散らかすおまえに言われたくはないね、アンシーリーコート」

「意志を曲げた挙げ句魂刈り取るおまえらより、俺らの方がよっぽど真っ直ぐだ、糞シーリーコート」

「どっちも問題だから。どっちも困るから」


 魂刈り取られるのも、ばりばり喰われるのも、当事者にとっては大問題だ。どっちが真っ直ぐだとか、そういう問題じゃない。


「なぜだ、タカシ。わたしの方が優しいだろう?」

「俺の方が、おまえをちゃんと見てやれるぞ。根性ねじくれてないからな?」

「俺にとっちゃ、どっちもどっちだよ。て言うか、今そういう事、話している時じゃないだろう」


 黒妖犬とジョン・セバスチャンの間の緊迫感がわからないんですか、二人とも。




『友よ。ぼくは、弾かなければ』


 黒髪のピアニストの姿が、陽炎のように頼りなく揺れて薄れ、またしっかりとしたものに戻る。それでもどこか、現実味のない幻のような姿だ。


『最後の曲が、終わっていない』

『行クナ』

『弾かなければ。それが約束だ』

『行クナ。行クナ。行クナァァァ!』


 叫ぶと、黒妖犬は幻の青年に向かって飛びかかろうとした。

 けれど触れる寸前に、何かに阻まれたかのように、弾かれた。

 光が。

 雲間から差した光が。青年を包んでいる。黒妖犬との間を阻むように。

 それが壁となり、彼らを隔てた。



 うをるるるるるるあああああっ!



 吠えると、黒妖犬は光に向かって体当たりをした。何度も。何度も。

 アンシーリーコートである彼には、清浄な光は毒だ。そのはずだった。

 漆黒の毛並みは、光に焼かれて煙を上げた。

 爪も、牙も、体当たりを繰り返すたびに、ぼろぼろになっていった。

 それでも彼は、やめようとしなかった。

 爪をたて、牙をむき、声を上げ、体当たりを続けた……何とかして青年に触れようと。


『やめろ。君が損なわれてしまう!』


 見かねた青年が叫ぶ。しかし黒妖犬はやめない。


『やめるんだ、友よ!』

『嫌ダ。オマエハ、オマエ、ハ!』


 傷つき、ぼろぼろになった黒妖犬が叫んだ。


『オマエ、俺ノ、キレイ、キレイ、ダイジナモノ。ズット、ズット、一緒。一緒ニイル。一緒ニイル!』


 吠えた声は歪んで割れて荒々しく、お世辞にも美しいとは言えなかった。

 それでも彼の叫びには。輝く何かがどこかにあった。


『もうやめろ』

『一緒ニ、』

『やめろ、体が燃えている!』

『一緒、ニ、イル』


 二人を隔てる光の、ぎりぎりのところまで来て、ピアニストの青年は身を屈めた。

 今やぼろくずのようになってしまった、彼の友の側に。


『友よ。ぼくたちは長らく、共にいた』

『オマエ、』

『君に支えられ、世界を弾いた。ぼくたちは、共にそれを成した』

『オマエ、オマエ、』

『ぼくはピアノで世界を語り、形作った。それは。君の支えがあったからこそ……君がいなければ。全ては始まらなかった。君がいたから。ぼくは、弾き続けることができたんだ』

『一緒、……一緒、ニ』

『一緒にいたい』


 青年は、肩を落とした。


『君と一緒にいたい。けれど。それでも、音楽がぼくを呼んでいる。呼んでいるんだ』

『イ ヤ ダ!』


 黒妖犬は叫んだ。


『俺ヲ、置イテ行クナ……!』


 悲痛な叫びだった。


 置いていかないで。


 それはあらゆる妖精たちが、愛した人間の死を前にして、叫んだであろう言葉。

 人の魂は、天に行く。

 妖精は、地上に残される。

 ばあちゃんが。

 じいちゃんに向かって叫んだ言葉。

 俺が。

 俺もまた。

 じいちゃんに向かって叫び。

 そうしていつかは。トリスタンから。ケルピーから。知り合った妖精たち全てから。叫ばれるであろう、言葉……。


『これも、一つの結末だ。』


 トリスタンの言葉を思い出す。


『せめて一緒に消滅させてやるのが、慈悲だと思うけれどね』


 ああ、これも。確かに、一つの結末だ。妖精の観点からするなら、共に滅ぼしてやるのも、確かに慈悲だろう。

 人間の魂に焦がれた妖精と、

 その妖精に心惹かれた人間。

 互いの思いによって結びつき、絡まりあった二つのもの。引き離せば、

 二度ともう、出会えない。

 それが……お互いにも、良くわかっている。

 それでも。


「ジョン・セバスチャン」


 俺は小さく息をつくと、背筋を伸ばした。意識して、腹の底から声を出す。


「人と妖精の血を受け継ぎ、境界に立ち続けた者。同じ立場の者として、告げよう」


 一歩、前に進み出ると、ピアニストの青年と黒妖犬、双方が俺を見た。

 黒妖犬。俺を恨め。

 おまえの叫びを知っている。

 おまえの嘆きも知っている。

 それでも俺は。この言葉を口にする。


「契約は、成就されねばならない」



 が、ががああああっ!



 吠え声を上げた黒妖犬が、俺を威嚇する。ケルピーがす、と俺の側に立ち、トリスタンもまた、俺の横に立った。


『君の心には、涙がある』


 幻の青年が俺を見て、言った。


「知っているから」

『そうか』

「俺も、いずれは選択せねばならない」

『そうだな。迷いはないのか』

「迷っているよ。いつだって。人間だから」


 俺の声音にこめられた、何かに気づいたのか。幻の青年は、小さく笑った。


『そうか』

「それでも、ジョン・セバスチャン。あなたは」


 俺は、ぼろぼろの体で地に伏せて、なおも青年を守ろうと威嚇を続ける黒妖犬を見た。

 その側で、触れたくとも触れられない、彼を案じながら光に包まれている青年を見た。

 しんと静まって、彼方にあるピアノを見た。

 横に立っていてくれる、アンシーリーコートとシーリーコート、二人の妖精の青年の気配を感じながら。


「あなたは、弾いて。終わっていない曲を、終わりにしなければ。そうして、彼を解放しなければならない」


 その瞬間。全ての音が消えた。

 俺の言葉は、静まり返った世界に響いた。

 何かが。

 何かが、……小さく。

 ぱきり、という音をたてて壊れ、

 解放され。

 自由にされた。


「ああ。そうだ」


 ピアニストの青年の姿が、鮮明になった。幻ではなく、肉を持って世界に存在するものとなる。


「ぼくは、弾かなければ」

『行クナ!』


 黒妖犬が叫んだ。けれど。

 ピアノが。

 彼方にあったはずのピアノが。

 立ち上がった青年の、すぐ側にあった。

 振り向いた、彼の。目の前に。


『行クナ。行クナ……』


 音もなく、ピアノの蓋が開く。

 立ち上がった青年が、その前にある椅子に腰かける。

 それは、まるで。


『俺ヲ。置イテ、行カナイデ……ッ!』


 一つの、完成された魔法のような光景。

 その中心にいる鍵となるべき青年が、ふと、こちらを見る。黒妖犬に向かって微笑んだ。


「友よ。君のためにこの最後の曲を贈る。ぼくは、君を解放しよう」


 絶望にも似た叫びを黒妖犬が上げ。

 そして、

 最初の音が響いた。



 なんと表現すれば良いのだろう。それを。その現象を。

 雲間から差す光のように。

 舞い落ちるアーモンドの花びらのように。

 水面に広がる輪のように。

 透明で、優しい音が連なって、

 彼の指先から生まれ出る。

 三連符。

 祈りの音。

 その音で彼は、世界を作る。世界に作られながら。

 その音で彼は、全てを生み出す。全てから生み出されながら。

 全てが動きを止めて、その音に聞き入る。

 全てが頭を垂れて、その音楽に聞き入る。

 彼は音楽を生み出す者であり、

 音楽そのものであり、

 祈る者であり、

 祈りそのものでもあった。

 静謐で、透明な音は続く。

 豊かに、豊かに。全てを愛し、全てに愛され。祝福し、祝福されながら。

 これが、人。(これが、妖精)。

 これが、境界にあるもの。(これが、どちらの世界にも立つもの)。

 人でありながら、妖精と心を同じくし、

 妖精に近しくありながら、人の世で育てられ、花開いた。

 人と妖精の狭間に立って、そのどちらをも拒絶することなく、

 愛し、愛され、育み、育まれた、

 一つの存在の、生きた証。

 願いにして、祈り。



 苦しげに、黒妖犬が身じろぐ。

 光は彼の体を焼き、音楽は彼を打ちのめしていた。それでも、彼は顔を上げていた。

 彼の愛した青年の姿を、その目に焼き付けようとでもするかのように。



 遠く離れた所では、アーサーがこの全てを見ていた。

 少年には、何が何だかわからなかった。

 黒妖犬は恐怖そのもの。それに囚われていた青年は、解放されるべき存在。そのように見えていた。だが。

 なぜだろう、と少年は思った。

 黒妖犬の姿が、泣いているように見えるのは。



 音が広がる。

 世界が広がる。

 祈りが広がる。

 広がった音は、世界は、祈りは、

 やがて、収束に向かう。

 終わりに向かって。

 始まったもので、終わらないものはない。

 奇跡のようなこのひとときも、終わろうとしていた。

 青年の手が動く。ピアノの鍵盤を指が叩く。その動きが。

 最後の和音を弾いて……、



 止まった。



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