6.
長いこと更新できませんでした。もう少し進めてから、とも思ったのですが、ここまで上げておきます。
現在、第一話から、WEB上で読みやすいよう、空白を入れたり、字の訂正をしたりして修正中。
妖精という存在は、星の輝きに似ている。永遠に近い時の中を、ただ輝き続ける。静かに、冷たく、変わらない姿で。
人間という存在は、一瞬の火花に似ている。熱く、激しく、指を焼いて。後には何も残らない。ただ、そこにあったと。記憶だけが残り、それもやがて消えてゆく。
交わるはずのない二つの存在。それが稀に混じり合う事がある。
それを偶然と呼ぶのか。必然と呼ぶのか。
幸運と呼ぶのか。不運と呼ぶのか。
俺にはわからない。その結果が悲劇にしかならなかったとしても。
わかるのは、……出会って共に時を過ごした、当人たちだけであろうから。
「今、なんとおっしゃいました?」
思わず尋ねた。トリスタンの背を踏みつけながら。
黒妖犬はじーっとこっちを見つめつつ、うなるように言った。
「踏マレルノ、楽シソウダ」
いや楽しいと言うか、これはやむを得ずの処置なんだが。
「ふふふ。君の愛をあれも感じ取っているようだ」
「ないから。そんなの」
確かにトリスタンは楽しそうだけれど。いや、そうじゃなく。
「えーと、黒妖犬。あなた、ジョン・セバスチャンに踏まれていたりしたんですか? 日常的に」
黒妖犬は、ばちり、と目の奥の炎をゆらめかせた。
「デキナイ」
できない?
「タカシ。黒妖犬に人間が触れたら、死んでしまうんだよ」
足の下からトリスタンが言った。
「え、ああ、そうか。でも、だったらどうして踏まれるのが楽しそうなんて」
俺が言うと、妖精の騎士はくくっ、と笑ってからのそり、と起き上がった。おわ。
「踏むのも踏まれるのも、独立した個人でないとできない事だからねえ」
バランスを崩しかけた俺の足をひょい、とつかむと、彼はそっと地面に下ろした。軽く髪をかき上げて、色気のある眼差しで俺を見て微笑む。
「それにあれは、犬だしね」
「犬……」
思わず納得した。妖精ではあるが、犬は犬だ。きっと彼は、ジョン・セバスチャンと『取ってこ~い』をしたり、追いかけっこをしたりしたかったに違いない。ボールを追いかけて走る黒妖犬を想像して、思わず和みそうになった。
「君が何か考えているのはわかるけれど、それはちょっと違うからね、タカシ」
「え、違うの?」
「形を取るものは性質が似る。あれが犬の姿を選んだ時に、その性質は似たものとなっている。われわれシーリーコートが人間に似た性質を持つように。けれどわれわれは、人間とは違っているだろう?」
「そうだけど……」
「あれは走り、狩り立てるもの。追いかけ、追い詰め、牙にかけて屠るもの。だから犬の形を取った。そういう種類のものだよ。そうしたものが人間の魂なんぞを後生大事に抱えるから、妙な事になる。本質に逆らっているわけだからね」
トリスタンは、ちらりとケルピーを見やると、意味ありげな笑みを浮かべた。ケルピーは嫌そうな顔をした。
「本能に逆らい続ければ、歪みが出る。元々、そうした存在ではないからね。ああ。本当に見るに耐えない」
「おまえの場合は、厭味が言いたいだけみたいに見えるけど」
それでもトリスタンの言葉が、ある意味正しい事を俺は知っていた。俺の中の真実を見抜く資質が、彼の言葉を正しいと捉えている。
歪み。
ジョン・セバスチャンも歪んでいた。
「なあ、黒妖犬。おまえ、彼が好きなんだろう。このままじゃ、彼は歪んでしまうよ」
俺がそう言うと、火のように燃える目の真っ黒な獣は、俺を睨んだ。
「オマエノ、タマシイ、ヨコセ」
「嫌だよ。一つしかないんだもの。おまえにあげたら俺の分がなくなっちゃうだろ」
「ヨコセ。ヨコセ」
「なんで俺の魂なんだ? 二つも魂を抱えたら、おまえ、パンクしちゃうよ」
「シナイ。オマエノ。オマエノガ、アレバ」
ぐるぐる、と唸ると黒妖犬は体に力を溜めた。
「オマエノ、オマエノ、喰ッテ、喰ッテ、キレイ、キレイニ、キレイニスル。喜ブ、喜ブ、ソウシタラ!」
があっ、と吠えて飛びかかってくる。トリスタンが俺の肩をつかんで、ひょいと腕の中に抱き込んだ。そのまままたお姫さまだっこをして軽々と飛ぶ。
うん。
何度されても慣れない。と言うか、泣きたい。
「君を喰らいたいらしいね」
トリスタンがつぶやくように言った。その声音が冷やかで、俺は思わず顔を上げた。
「トリスタン?」
「分を弁えないにも程がある。このわたしが守護する若者を、喰らいたいだと?」
気配が。
「トリスタン……?」
瞳の色が金色を帯びている。白い妖精の騎士の姿が、確かに俺の知っている彼のものであるのに、どこかが違っているように見えた。より深く、より強く、……得体の知れない何かを秘めたものに。
違う。
こちらが本当の彼だ。
「『りんごの花咲く丘のあるじ。歌を歌い、愛を語るもの』」
俺の舌が動く。トリスタンの姿を目にしたまま。
「『そなたの名は』」
「それ以上は言うな、タカシ」
そう言う声と共に、何かが俺の口を塞いだ。柔らかい何か。
……。
え?
「ああああああ~っ!」
叫ぶケルピーの声。
「タ、タカシ~ッ!」
慌てふためくアーサーの声。
え?
え?
えええ~と?
視界一杯に広がった、綺麗な妖精の騎士の顔。あれ?
おれ、いま、なにされた……?
「そんな目で見ないでくれ、愛しい人」
至近距離で金色に染まった瞳のトリスタンが言って微笑む。
「君をこのまま奪ってしまいそうになる」
「おま、」
えーと、つまり?
「この糞シーリーコートがあああああああ~~~~~ッッッ!!!!」
叫びと共に、どかんっ! という音がした。続いて体にGがかかった。ぶん、と振り回される感覚がして、目が回った。
ずがっ! どごっ! がしいいっ!
何だか危険な音がする。周囲から。土煙やら何やらが舞い上がり、つぶてのようになってびしびし当たる。地味に痛い。目を開けてられない。
「避けるな、陰険色魔野郎ぉぉぉぉっ!」
「避けなきゃ、タカシに当たるじゃないか」
ケルピーの叫びに涼しい声が答えた。うおおお~っ! という叫びが上がって、さらに、どかん、どかんと物凄い音がした。
「えっ、ちょ、け、ケル、おま」
何か言おうにも、トリスタンが俺を抱えてひょいひょい移動するので、振り回される格好になって何も言えない。あたっ。舌かんだ。
「ひひゃい」
「おや。大丈夫かね、タカシ」
涙目になった俺に気づいたトリスタンが、ひょいっ、と飛んだ。ケルピーからかなり離れた所に移動して、俺を地面に下ろす。ぐらぐらしていた俺は、その場にへたり込んだ。
「うわはあ……」
そうして何とか痛みをやり過ごし、ケルピーの方を見た俺は、意味不明な声を上げてしまった。がくりと顎が落ちる。
なだらかな緑の大地だったはずのそこは、一変していた。
穴。穴。穴。
あっちにもこっちにも、穴。
土肌を剥き出しにし、深く抉れた穴が、ぼこぼこと。
ここは戦場跡ですか、と言いたくなるような光景だった。そうしてその荒廃した大地に。黒々とした体にたてがみをなびかせる、怒れる水棲馬が仁王立ち(四本足なのでこの表現は変だが、頭を振り上げてぬうっと立っている姿は、そうとしか言えない。背後にごごごごご、という効果音の書き文字が見えそうだ)している。
「何がどう……うわ、まだ来るっ!?」
身を低くして突進してくるケルピーに、俺は慌てて立ち上がった。土煙が舞い上がって、どんどん迫ってくる。逃げられない。えーとえーと、どうしよう。
「ケルピー! ちょっと落ち着い……だからっ、す、ステイ、ステイ、ケルピーっ!」
咄嗟に出たのが犬に『待て』をさせる掛け声。こんなのが出てくる俺って、どうなんだ。
「……」
「……」
「……」
そうしてまた、それで止まるおまえって何なの、ケルピー。
「躾けは大切だな」
「トリスタン、そのセリフは微妙。落ち着け、ケルピー。おまえ、俺に触れないだろう」
「だって、その陰険騎士が! タカシの! タカシの唇を!」
あ。やっぱりさっきの、キスだったか。
「俺だってしたかったのにぃぃぃ!」
「黙れ殴るぞ」
思わずそう言ってから、無言でトリスタンの腹を殴った。ぐえ、という声が上がって、白い妖精の騎士は前かがみになった。
「タカシ。いきなりひどいじゃないか」
「自業自得だ。おまえこそ、いきなり俺に何した」
榛の妖精はともかく。男にキスされた俺の心の傷は深い。
「そうだーっ! おまえ、ナニしたーっ!」
「うるさいケルピー。黙れ」
「はいすみません」
トリスタンに目をやって睨むと、妖精の騎士は体を起こしてわざとらしく髪を撫でつけ、甘い微笑みを浮かべてみせた。
「たぎる情熱を抑えがたく。君の唇は罪なまでに私を魅了した」
けっ。
「寝言は寝てから言え痴漢野郎」
俺の言葉にトリスタンが引きつった。
「痴漢……」
「痴漢だろう」
「タカシ。恋の炎は、情熱は、時に無謀な行いや、理不尽を人に強いるものだよ」
「それで貴様の仕出かした事が帳消しになるとでも思っているのか、性犯罪者」
「そう言われても。あの程度では挨拶と変わらない……」
「貴様の常識が全てのスタンダードだと思うな。俺の国ではれっきとした犯罪だ、歩く猥褻物男」
「歩くわいせつぶつ……」
言葉のイメージが強烈だったらしい。トリスタンがよろめいている。
「やーいやーいタカシに怒られた~」
「だから黙れと言ってるだろう、ケルピー。大体、アーサーを放り出して何してるんだ、貴様」
あ。という顔になって、ケルピーは慌てて周囲を見回した。離れた所にいる少年に気づく。
「あ~、悪い。すっかり忘れてた」
「忘れるな!」
脳みそ筋肉なのは知ってるが、マジで鳥頭かおまえは!
「ごめん、タカシ。タカシに悪さしたこいつを踏みつけてやろうって、それしか頭になかったからさあ」
「俺の仇は俺自身が取る。邪魔をするな」
じろり、と睨み付けると、慌てた様子でケルピーはアーサーの所にすっ飛んで行った。
「えーと、タカシ?」
トリスタンが困ったような顔で俺を見る。
「なんだ、痴漢騎士」
「その呼び名って……」
「呼び名がどうした、性犯罪者。痴漢騎士じゃ不満か、歩く猥褻物男。なに勝手に手出ししてくれてるんだ、下半身無節操男」
無表情に言い募ると、さらに引きつってくる。
「どんどんひどくなって……いや、何でもないです」
睨み付けると、トリスタンは慌てた様子で言った。
「ほう。なら、認めるんだな下半身無節操男」
「ハイ。ワタシは痴漢騎士で、下半身無節操男デス」
棒読み状態でトリスタンが言った。俺はふん、と鼻を鳴らした。
「じゃあまず一発」
「さっき殴っただろう!?」
「あれはあれ、これはこれだ。貴様に拒否する権利があると思うのか」
拳を握って口の端を上げると、なぜかトリスタンは頬を染めた。
「なぜ赤くなる」
「いや、君、……素敵すぎる」
「やっぱりマゾだろうおまえ」
「そうではないが! そんな凶悪な顔で微笑まれたりしたらもう、私の理性が消し飛びそうだ。この場で押し倒してなめまわして共に悦楽の宴を……ぐふうっ!」
とりあえず殴っておいた。
「アーサーは良く無事だったな」
一発殴って気が済んだので、周囲を見回して俺は言った。ケルピーはアーサーの側にいる。黒妖犬の姿は見えない。
「ああ、あの馬が離れたからかい?」
結構本気で殴ったと言うのに、トリスタンはけろりとしている。鍛え方が違うのだろう。腹が立つ。
「黒妖犬が騒ぎに乗じて、アーサーを狙う可能性はあっただろ」
「そうだが。だがまあ、あの状態では、何かする気にもなれないだろう」
「あの状態?」
「あそこだよ」
トリスタンが示した先には、巨大な穴。底に見えているのは……まさか。
「不運だったね。あの馬妖精が暴れ出した時、進路の先に彼がいた。真っ先に吹き飛ばされてたよ」
黒い何かが伸びている。
「え、でも、起き上がってこっちに来ようとか……」
「していたな。だがそこにまた、あの馬が突進してきて蹄で蹴飛ばした。馬妖精にはそのつもりはなかったようだが、結果として踏みつける事になっていたな。結構痛そうな音がした」
うわあ。
「それも、二度や三度じゃなかった。健気にも、何度も起き上がってね。君を襲おうとしていたんだが、そのたびに馬妖精にはじき飛ばされたり踏みつけられていた。それで今、力尽きているようだ」
不運すぎる。
俺は穴の底に横たわる、牛ほどもある黒い体を見つめた。慰めの言葉はいるだろうか。
どうしてこう、シリアスにならないんだろう。