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妖精の輪と時のロンド〜妖精たちのいるところ  作者: ゆずはらしの
囮になってみました。~Mが多くないですか。
26/45

4.

やっと更新できました。間があいてしまい、すみませんm(__)m

 何かが響いてくる。目の前の青年から。

 俺の中の何か。彼の中の何か。

 それが響き合っている。

 ああ、と思った。彼は。


「これほど世代を経ながら、強く現れたものだ」


 トリスタンがつぶやいた。俺が目線を彼に向けると、妖精の騎士の瞳が一瞬だけ淡く金色に染まって見えた。けれど見直すと、元通りの薄桃色だった。


「ほとんどが人になりながら、そこにある一しずくが我らに響く。おまえ、元々、魂の半分以上が我らの側にあったな。人間であった頃から」

「元々……?」


 俺はつぶやいた。トリスタンは俺に視線を流した。


「わかるだろう?」


 わからない。

 いや、わかる。彼は。


「ぼくは人です。人でした」


 青年が言う。トリスタンは皮肉げな笑みを浮かべた。


「それに異を唱えるつもりはない。その姿は死んだ時のものか? よくその歳まで生き延びたものだ。こうも強く我らの特徴を備えた人間が、人の世で成人できたとは珍しい」


 彼は。

 俺と同じだ。


「音楽に魅せられたか?」

「そうかもしれません」

「それで妖精を魅了したか。人の子の魂の輝きで」

「ぼくにはそれは、わかりません。ただ、ピアノを。ぼくはただ、ピアノが弾きたかった……」


 トリスタンは小さく笑った。


「単純な願いほど、力を持つものだ。黒妖犬を手放せないのも、それでだろう」

「なぜぼくは、彼を手放せないのでしょう」

「私が答える問いではないな。答を知っているのはおまえ自身。他に答えられる者はいない……いや」


 トリスタンは俺を見た。


「君ならばわかるか」

「俺?」


 俺はまばたいた。何を言っている? するとトリスタンは言葉を継いだ。


「君は彼と同じ立場にある。われらの血を継ぎ、人の心を持つ。そうして真実を見抜く目と、今は舌をも持つ。君の目に彼は、どう見える?」


 俺の目にどう見えるかって……?

 視線の先にいる青年は、一見、人に見えた。

 けれど不自然な揺らぎがあった。明らかに。


「二重になっている」


 俺の目には、彼の内側にある炎が見えた。白と黒。絡み合う二つの炎が、いびつな球体となっている。一つはおそらく、彼の魂。白くありながら、濁った色を時に見せる。一つはおそらく、黒妖犬自身。黒く燃え上がり、純粋な輝きを見せる。

 ぶつかり合っているように見える。

 食い合っているようにも見える。

 それでいて、すがり合い、支え合っているようにも見えた。

 終わりのない輪。螺旋の夢。永劫の囚われ人。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。囚われているのは、どちらなのだろう。人か。それとも妖精か。


「あなたは何を願っているのですか。願った事は、ピアノを弾く事だけだった?」


 もう一度、俺は問いかけた。彼は目を閉じた。


「そのはずだった」


 白い炎がきしむように歪む。


「けれど。弾けなかった」

「黒妖犬に触れられて、そのまま?」


 彼は目を開けると、ゆるゆると首を振った。黒い炎がぱっと弾けて、白い炎は持ち直した。


「いいや。ぼくはもう一度弾く事ができた……ピアノを。彼はぼくに、自分自身を与えてくれた。死ぬはずだったのに、もう一度だけ、ピアノの前に座り……腕を。指を。動かす事ができたんだ」

「ではなぜ」

「わからない。覚えていないんだ。ただ、」


 彼は自分自身の手を見下ろした。


「ぼくは、最後の一曲を弾き終えていない。それだけは覚えている。だから、……離せない。彼を」

「最後の一曲……」

「バッハのカンタータ147。ヘスの譜」


 彼は夢見るような表情になった。


「美しい螺旋。彼の為に最後の曲を弾いた。そのはずだった。あの旋律がきらめいていた事を覚えている。ぼくの心は喜びにあふれた。彼の為に最後の曲を、奏でる事ができてうれしかった。けれど……」

「けれど?」

「気がついたらここにいた。そうしてあの曲は、終わっていないんだ」


 白い炎が歪む。きしんで。その色彩が堕ちる。くすんで。

 黒い炎が揺れる。輝いてゆらめく。どこか必死な様子で。

 黒い炎は抱きしめるかのように、白を支える。白い炎はすがるように、黒に食い込む。いびつに輝く白と黒。どちらも歪み、どちらも苦しげで、それでいてどちらも離れる事ができない。

 限界だ。

 わけもなくそう思った。


「どれぐらい前から、ここに?」

「さあ。ぼくはほとんど眠っていたようだ。時折ふと、何かを見る。けれど夢の中の出来事のようだった……さっき、君に呼びかけられて。ようやく意識がはっきりとしたよ」


 旋律。

 螺旋を描くきらめき。


「あの黒妖犬は、俺の魂がほしいと言った」


 そう言うと、彼は俺を見つめた。俺は言葉を継いだ。


「なぜです」

「わからない」

「あなたの魂をもう持っているのに」

「君にはどう見える。天に愛されし妖精の愛し子」


 彼は静かに俺に尋ねた。俺は眉を上げた。


「天に愛されし……?」

「君はまるで、夜明けに一筋現れる光のようだ。一瞬の鮮烈な、それでいて夢のような。儚く、それでいて何よりも強い、人の子そのものでありながら、希有なもの」


 青年は微笑んだ。


「それこそ楽の音のようだ。鮮烈にそこにあり、過ぎ去ると消えて残らない。それでいて、……永遠に近いものを人の心に残す」

「そう思うのは、……あなたが人間であるから」


 俺は言った。


「妖精は違う感想を述べる。俺は永遠ではないし、……どこにでもいる、ありきたりな存在だ」

「それこそが人間だろう。永遠を内にはらむ、矛盾に満ちたもの。ありきたりでありながら、特別。特別でありながら、どこにでもあるもの」

「あなたもそれは同じだ」

「そうかもしれない。かつては」

「今もそうだ」


 俺たちの問答は、穏やかなものだった。けれど言葉の裏には抜き身の刀で打ち合うような、緊張したものが漂っていた。

 トリスタンは沈黙して、成り行きを俺に委ねている。アーサーは不安げに俺たちのやりとりを見つめている。ケルピーですら口を挟まない。俺は続けた。


「黒妖犬に触れられかけた時、意識を失った俺は夢を見た。そこでは光と影が問答をしていた」

「そうか」

「光は命を歌うと言った。影は死を運ぶと言った。影は光を闇に墜とすと言い、光は影に何に囚われているのかと尋ねた」

「そうか」

「『はるか彼方の血族よ。そなたはどこにいるのか。そなたをとらえる鎖はどこにある。そなたを閉ざす檻はどこに』」


 すらりと舌が動く。俺の言葉に黒髪の青年は眉を上げた。


「『知れ。そなたをとらえる鎖は、そなた自らが作り上げたもの。囚われ人にしてとらえる者よ』」

「君は何者だ?」


 彼の問いかけに俺は答えた。


「人間だ。ただの」

「永遠をはらむ矛盾」


 ささやくように言うと、彼は腕を広げた。


「君から音楽が泉のように生まれ、あふれて来るのが見えるよ。祝福された魂の持ち主」

「人は誰であれ、そうした存在です」

「そうか。そうだね。誰も皆、忘れてしまうけれど」


 微笑む。その微笑みにどこかで戦慄を覚える。何だろう。見えない刃があるような。


「先ほども言いましたが。あなたもそうだ。そういう存在です」

「そうだろうか」

「そうです」

「そうだろうか」


 繰り返すと彼は、自分の胸に手を置いた。


「君にはわからないか。このきしみが。……歪みが」


 その目が、視線が、俺を射抜く。


「ぼくは彼を歪めてしまった」


 彼には微笑みがある。そのはずだった。その表情は確かに、笑みの形になっていたから。

 けれどその目の奥にあるものは。


「純粋に音楽を愛してくれた存在を。歪めて。引きずり落した」


 怒り。

 どうしようもないほどの。

 白い輝きが歪む。きしんで。


「夜明けに輝く光にも似た者よ。オマエは。オマエ、」


 ぐにゃり、と。その姿が歪む。


「オマエ、……の、たま、シイ、タマ、シ、イ」


 ぼこり。

 ぼこ。

 ぼこり。


 歪む。きしむ。いびつになる。目が。赤く光る。炎のように。

 体がかしいで、前かがみになった。その腕が獣の足に代わり、全身がくすんで黒く変化した。顔が歪んで犬の形になり、口が裂けてずらりと牙が並んだ。


「ヨコセ、ヨコセエエエエ!」


 叫んで黒妖犬となった彼は、俺に向かって突進してきた。

 その中でもがく魂の光。

 後悔と。切望と。怒りと。悲しみにくすんで歪む、人間の魂。

 動けなかった。

 突然の豹変と彼からの害意に、俺はなす術もなく、立ち尽くした。




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