2.
「魂を狩りだすものは多くあるがね。狩った魂に囚われた妖精とは。情けない」
トリスタンは言った。俺の言葉を疑いもしない。
「俺の……言った事が、正しいと思うのか、トリスタン?」
「君の目が見た事だ。間違えるわけがないさ」
ケルピーが首をかしげる。
「歪んでるのは歪んでたが、あれって魂、内側にあったせいか?」
「歪んでいるのはわかってたんだ……」
思わず言うと、「まあな」と返事が返ってきた。
「なーんかキモチワリィ感じがした。こう、あるはずのとこにあるものがなくて、余分なものがある感じ」
彼の説明は良くわからないが、手をわきわきさせながら言うその感覚は、何となくわかる気もする。
「違和感は存在した。あれが抱える魂の重みと歪みなのだとしたら、納得できる」
トリスタンはそう言うと、まだアーサーを抱きしめている俺の側につかつかと近寄ってきて、ぐいと引っ張って引き起こした。
「おい」
「君の魂ならば、私も内に抱え込みたくはなるしね」
そのまま自分の腕の中に抱き込んで、トリスタンはふふ、と笑った。
「永遠に虜にする。私の中で逃げられないように。そうしたくはなるよ」
言われた内容に、ちょっとぞっとした。
「そんな事したらおまえ、存在が歪むぞ」
「かまわないよ。君に名をもらわなければ、消滅していた私だ」
「離れろ! 離れろ! は、な、れ、ろ〜!」
ケルピーがぎゃーぎゃー騒いでいる。俺は、トリスタンの言った言葉に少しひっかかった。
「トリスタン。それって……」
「何だね」
「妖精が、人間の魂を内側に取り込むような事って……良くあるのか?」
「例がないわけじゃない」
「前にもそんなことが?」
「あったかもしれないね」
トリスタンは俺の頬をなでた。
「理由は?」
「人の子に魅了される事も、我等にはある」
「魅了……」
「離れろ〜っ! 離れろってばあああっ!」
ケルピーが叫んでいる。うーん。
「あれもそういう一例かな」
「そうだろうね」
「でもケルピーは、俺の魂を取り込んだりはしないよ」
「どうかな」
トリスタンの意味ありげな言葉に、俺は眉を上げた。
「ケルピー。おまえ俺の魂、欲しいか?」
尋ねてみると、水棲馬の青年は真っ赤になった。
「えっ。くれるの?」
「やらないよ」
「ええー」
残念そうな顔をされた。
「そんなに欲しいものなのか、人間の魂って。トリスタン。そろそろ離してくれよ」
「君の魂は、いつでも我等を魅了するよ」
首筋にちゅ、とキスを落とされた。うひい。
「だからどうして、そういう事を無理強いするんですかーっ!」
アーサーが突進してきた。割り込んで俺とトリスタンを引き離す。ありがとう、アーサー。
「おまえ殺すっ! 殺すっ!」
ケルピーが歯をがちがち噛み鳴らしてトリスタンを威嚇している。
「ケルピー。俺は大丈夫だから、落ち着いて。まあ、……人間の魂を欲しがる妖精がいるって事はわかったよ」
俺は首筋をさすりながら言った。
「あの黒妖犬も、それで人間の魂を取り込んだのかな」
「多分ね」
トリスタンが微笑む。
「そんなに欲しい魂だったんだ。それで存在が歪んだ……のかな」
「可能性はあるね」
「誰の魂だったのかな……魅了、ね」
俺はつぶやいてから、首をかしげた。
「わからないなあ……」
「君は、恋情についてうとい」
くすりと笑ってトリスタンが言い、俺は眉をしかめた。
「悪かったな。なあ。それって、黒妖犬が人間に恋をしたって事なのか? それで魂を自分のものにして取り込んだ?」
「そう考えるのがわかりやすいし、自然だろう」
「魂を取り込むなんてどうやって」
「肉体を破滅させて、魂を喰ったのだろう」
トリスタンの言葉に絶句する。
「相手を死なせて、魂を自分のものにした?」
「それが確実だし、手っとり早い」
何でもない事のようにさらりと言われて、悲しみのようなものを感じる。ああ。こいつは妖精だ。人間じゃない。
「そう言えば、おまえに似たような事されたな、昔」
「私は魂を食べたりしないよ」
「俺から魂を引き剥がそうとしたじゃないか」
「君の魂は美しいからね」
何年前の事だったか。この男は、俺の体から魂だけを引き剥がそうとした。
寸前まで、本当にぎりぎりになるまで俺は、気がつかなかった。こいつがそんな事を企んでいたなんて。
トリスタンは、全く害意を持っていなかった。あくまで善意でやろうとしたからだ。
この男なりの愛情だったのだろう。
けれど人間がそんな真似をされたら。確実に破滅する。
「俺は自分の肉体に愛着があるんだ。人間として生きていたいんだよ」
ため息をついて言うと、「残念だ」という言葉が返ってきた。
「言ってろ。人間には人間の都合があるんだ。妖精の都合を優先しないでくれ」
「だから無理は言っていないだろう。あの黒妖犬がどうだったかは、知らないがね。アンシーリーコートは、欲望に忠実だ。相手の言い分を聞いたかどうか」
ケルピーが顔をしかめた。だが何も言わない。
「ケルピー。アンシーリーコートが人間の魂に魅了される事ってあるのか?」
「あるだろうさ」
低く言われる。
「それで、……喰ったりするのか?」
「すげえ惚れたなら、するだろう」
「相手は嫌がるんじゃないか」
「関係ねえさ。惚れたんなら喰うだろう」
「それって……恋なのかなあ……」
「ある種の恋ではある」
トリスタンは言った。ケルピーを見やる。
「そこのアンシーリーコートが君を喰ったとしても。それもまた恋だと、このものは言うだろうね」
「俺はタカシは喰わない!」
ケルピーが、きっとした顔になって叫んだ。トリスタンは冷やかな表情でケルピーを見やった。
「どうかな。おまえたちの愛は、肉を裂き、骨を砕き、血をすすりあう事だろう。相手を破壊し尽くして、やっと満足する。違うかね」
「俺はタカシと約束したんだ。その約束を破る事はない」
「本能が勝ったなら、いつかは彼を破滅させる」
白い騎士は言った。
「おまえの約束を信じたりできるものか。欲望に忠実なアンシーリーコート。たとえ己が破滅したとしても、いつかは約定を破り、本能で行動するのだろう」
「破壊は俺たちの本能。それが俺たちだ。だが俺は約定を違えたりはしない。
タカシ。俺は、今でもおまえを喰いたいと思っている」
ケルピーが、俺の方を向いて言った。
「だが、約束した。だから喰わない」
「……。うん」
「おまえの肉はうまいだろう。血も、骨も、喰らったら夢心地になるだろう。そう思う。
だが喰わない。
けれど、もし。俺の本能が勝ってしまったら。おまえを喰おうとしたなら。その時は俺は消滅する事を選ぶ。そう約束する……信じてくれるか」
妖精と付き合う事は、色々と怖い事もある。
困った事も。
でも、こういう時には。少し感動する。
こんな風にまっすぐに相手を見て、約束をする存在が。今の人間の世界に、どれだけいるだろう。
真摯な言葉。本能に逆らう事を言っているのに。約束だからと、まっすぐに俺を見る水棲馬。何も飾らない、裏のない言葉だからこそ、人間である俺は心を動かされる。
危険な存在だ。それは知っている。言われている内容を考えれば、どれほど危険かわかる。こいつは本来、人を喰う存在なのだ。
でも俺は、……こいつを嫌えない。
「おまえは約束を守る存在だ、ケルピー。その点については信用している」
そう言うと、ケルピーは笑った。
「そうか」
トリスタンは逆に、むっつりした顔になった。
「君は甘過ぎるよ、タカシ」
「仕方ないだろ。これが俺だ」
俺はケルピーを見やり、続いてトリスタンに目をやった。
「ケルピーも、トリスタンも。俺は好きだし、信頼もしている」
そう言うと、二人は真面目な顔になって俺を見た。
「俺は人間だ。人間である事を選んだ。おまえたちは妖精だ。だからどうしても違ってしまう。わからない所もある。それは仕方ない。でも俺は。おまえたちが約束を守ってくれる事を知っているから、信頼している。そうしておまえたちが妖精であって、人間の事を理解しきれない事も知っているから。その点で信じ過ぎないようにもしている。……俺とおまえたちは、違う存在だから」
言葉を切ると、俺は二人を見つめた。
「その上で俺は、おまえたちが好きだよ。人間としての部分で、おまえたちや、他の妖精たちの事が好きだ」
そう言って微笑む。心からの言葉だった。俺に言える、俺がこいつらに渡せる、ぎりぎりの所の言葉でもあった。
するとなぜかケルピーが赤くなり、トリスタンも頬に血の色を上らせた。
「タ、タカシ……」
「君、どうしてそういう……」
二人して挙動不審になっている。あれ?
つんつん、とアーサーが俺の服の裾を引っ張った。見下ろすと少年は真面目な顔でこちらを見上げてきた。
「ぼく、人が誰かをタラす所、初めて見ました」
……。
タラしたつもりはない。断じてない。