2.
「それで。何がどうなったんだ? 黒妖犬はどこに?」
尋ねると、トリスタンが「消えたよ」と答えた。
「消えた……?」
「印に弾かれて、すぐに。私が矢をつがえたら、溶けるようにして消えてしまった。どうしようかと思ったが、君が倒れてしまったのでね。介抱が先だと思った」
それで膝枕なんですか……。
「あいつ、いきなり方向転換しやがって。俺に向かってくると見せかけて、おまえの方に飛びかかりやがった」
ケルピーが、歯をがちがち噛みならしながら言った。
「おまえが倒れた時には胆が冷えたぞ。どこもおかしな所はないな?」
「ああ……大丈夫」
さっき見ていた夢を思い出して、俺はちょっと額を抑えた。夢……だと思う。
光と影の問答。
あれは……何だ?
「タカシ?」
心配そうなアーサーの声。
「大丈夫。ちょっと……夢を見て」
「夢?」
「うん……何だろう。大事な事のような気がする……けど」
何だろう。
何だったろう。すごく大事な事のような気がする。
でも。
「ああ、駄目だ……わからない」
「どんな夢だったのかね」
トリスタンが声をかけてくる。
「光と影が問答していた。おまえは何者かって、何度も何度も光が影に尋ねてた」
「ほう」
「影は、……あれは……、」
俺は目を閉じて首を振った。
「トリスタン。あの黒妖犬、普通だったか?」
「普通、とは?」
「変じゃなかったか? 俺、何か変なもの見た気がする。あいつを見た時に」
トリスタンはまばたいた。
「さて。変と言えば変だが……そこの馬に尋ねた方が早いのではないかね。アンシーリーコートの事は、アンシーリーコートに尋ねた方が良かろう」
「ケルピー?」
視線を向けると水棲馬の化身の青年は、恐ろしく不機嫌な顔をしていた。
「タカシはどうしてそんな奴に頼るんだ……」
「は? 頼るって?」
「俺に! まず! 声をかけるべきだろう。アンシーリーコートについてなら。なのにどうして、そこの陰険色魔騎士に声をかけるんだっ!」
ええっと。
「いや、話の流れって言うか……」
「私の方が貴様より、信頼されているからに決まっているだろう」
なだめようとした俺をさえぎって、トリスタンが言う。嬉々として。
「んだと、この色魔野郎」
「嫉妬は醜いぞ、馬」
「ちょっ、やめてくれよ!」
言い合いに発展しそうな二人の間に割って入り、俺はため息をついた。
「トリスタン、ちょっと黙ってて。ケルピー、順番にあまり意味はないよ。トリスタンの方が近くにいたから、声をかけただけ。……ああ、そうだ。さっきはアーサーをかばってくれて、ありがとう」
ふと思い出して付け加えると、ケルピーが目を丸くした。
「う? ああ。……いや。おまえの頼みだったから」
はにかんで、頬を染める。
「おまえが……喜んでくれたなら……うれしい」
もじもじしている。
「おまえ、……属性が時々、乙女だよな……」
何なんだ、こいつ。そう思って言うと、首をかしげられた。
「俺は妖精だぞ」
「どちらかと言うと妖怪だろう」
ぼそりとトリスタンが言う。ケルピーはじろりとそちらを睨んでから、俺に目線をもどした。
「乙女というのは、人間の若い女の事だろう。それに俺の属性は水だ」
「そうだけど。ええっと……ゲーム用語というのがあって。あー、なんて説明すれば良いのかな。純粋な意味での属性とかじゃなくて、性格とかを『属性』と呼ぶ事が」
説明している内に自分でも混乱してきた。
「スラングか」
トリスタンが言う。
「人間は、色々な意味で言葉を使うものだしな。近ごろでは性格を属性と呼び習わすのか」
「うーん……まあ。あまり一般的じゃない……と思うけどね。妹属性とか、俺さま属性とか、そんな風に使う事もある……かな」
「ほう」
「へえ」
妖精二人が興味深そうに俺を見る。こういう事教えて良かったのかな。変な風に広まって、『自分は妹属性』とか、『乙女属性』とか、言い出す妖精が出てきたらどうしよう。
「なるほど。タカシには時折、この馬が、経験の足りない娘のように情けなく見えるのだな」
にこやかに言ったトリスタンに、ケルピーが愕然とした顔になる。
「タカシ。俺が情けなく見えているのか……?」
「え、いや、違うっ! 違うって!」
慌てて否定する。言葉ってムズカシイ。
「いや、だからさ。おまえ、いつもは乱暴で大ざっぱな感じなんだけど。時々妙に繊細と言うか、初々しいと言うか? そんな反応見せるからっ」
言っている事が何だか変だ。
「繊細? この馬が?」
「言いたい事はわかりますけど……」
トリスタンが眉をあげ、聞いていたアーサーが首をかしげた。ケルピーは、ずい、と一歩前に出た。
「繊細と言うなら、おまえの方が繊細だ」
真面目な顔で俺を見下ろして言う。
「いつも怖くなる。触ったら壊れるのじゃないかと思って。おまえは俺にも優しい。それでいて強い。だが、……脆い」
「え……と」
「おまえを見ていると、花を思う」
はい?
「人間はみんな、花のようだ。おまえを見ているとそう思う。脆く、はかない。朝に咲いて、夕方には散る。俺の蹄の下で、ちぎれて壊れてしまう。だが俺は……」
ケルピーは静かに言った。
「おまえを壊したくはない。本能に逆らったとしても」
俺は絶句した後、ちょっと赤くなった。ケルピーの眼差しは妖精に特有の純粋なもので、言葉も小さな子どものように真っ正直で、思い切り直球だった。純粋さを忘れゆく人間としては誰だって、動揺してしまうだろう。
「ありがとう」
「なぜ礼を言う?」
「壊したくないと思ってくれたから」
「そうか」
ケルピーはさらに、真面目な顔で言った。
「俺にとってはおまえの方が、属性が乙女だ。どんな乙女よりも繊細で美しく見える」
沈黙が落ちた。
ばちいっ!
「誰が乙女かあっ!」
「ぐおあああっ!?」
思わず殴ってしまった。ケルピーは煙を上げて、ひっくり返った。