スペクトラムアーティズム
打って変わって美術室。
ここには美術部の生徒が書いたと思われる水彩画や油絵、粘土像などなど非常にアーティスティックなモノたちが戸棚やハンガーに所狭しと飾られている。
なんというか芸術性で殺しにきている。
己の内なる己を最大限表現するのが美術ならばどれもこれも個性的すぎてどこを見ればいいのやら。
美しい青い山の上からこちらを覗く猫の絵。
暗い部屋に飾られた胴体だけの女性の絵。
食卓の上に羊が腹を出して寝ている絵。
そして鼻先より上のない(多分)美人な青年達の像。
猟奇的なまである。
しかし、私達がやりに来たのはそんな芸術鑑賞会でも新たな扉を開くためでもない。間藤 襲命に忍び寄りながら想いを馳せる少女を見つける為。
「手紙を見ればわかるって言ったけれど、どれもこれも長い長い、見ていてこっちが恥ずかしくなるようなまでの愛の言葉ばかりよ?いったいこれから何がわかるっていうの?」
『好き』『愛してる』
彼女が書いた手紙にはありふれた言葉が何度も何度も刻み込まれている。
彼女の表現力が足りないとか無粋な気持ちで言ったわけじゃない。
むしろ彼女はよっぽどすごい。
『月が綺麗ですね』なんて文明人紛いに伝えたいことすら伝えたフリをしているだけの人間とは違う。
純粋な気持ちで、相手を思いやる気持ちで、長文や文学チックなものが嫌いな彼のために本当に必要なことを俳句のように切り詰めて連ねている。
自分を理解して欲しいと思っておらず、相手の全てを知りたいと恋心不乱に書き連ねたからこそ、この手紙に隙はない。
ただ私のそんな想いを悟ってか目の前のーー頭に包帯を巻いたーー彼はカラカラと乾いた嘲笑をする。
努力や恋愛が評価に値しないと言いたいが如く。
「案外愛川さんは観察眼がないんだね。まぁ、気にしないで、そこら辺は誰しも得手不得手があるだろうし」
「……貴方わざと私がイラッとするように言っているのかしら。だったら半殺しにするわ」
「いやぁ。そんなの半殺しだけに生殺しだよ……気を取り直して説明しよう」
半殺しは生殺し。
ある意味救い切れないのも彼にとっては生殺しなんだろう。
いや、今は彼は関係ない。彼の推理だけを吹聴せずに拝聴しよう。
「まず、一通目の手紙には『貴方のことを陰ながら見ていました』と書いてある。陰ながらということは彼に近しい人間でないことがわかる。女友達や幼なじみではない」
「そのくらい手紙を送ってる時点で予想がつくわよ」
そのレベルであればチョチョイと小手先のケータイメールでやりとりすることだろう。
くしくも手紙よりもあのチャラ男には効きやすいというのが、またもどかしいポイントではある。
本当にこの子はどうしてあんな奴のことを好きになったのか。
とりあえず引き続き推理を聞く。
「それから二通目には貴方のどこが好きか、ということが長々と書かれているがその一部に『誰とでも楽しそうに話すところも見ていて好きになる一つの理由でした』と書かれている。これにより犯人はこの『誰とでも』の部分に入っていないことが分かる。実際体験していれば『見ていて』なんて遠い存在のようにいう必要はないからね」
「中々探偵らしい推理ね。でもそれだけじゃまだ分からないわよね?」
言葉尻を捉えているために、もしかしたら書き損じでは?比喩表現では?などと無粋なツッコミを入れたくなるが、それこそ彼女への冒涜。彼のことを本気で思っているからこそいらない描写は省くだろうし、何度も己の手紙を書き直したことだろう。
つまりひっくり返して言えばこの『見ていて』は彼女にとってキーワード、彼女を現すのに必要な言葉だった。
「僕が見る限り彼に密かに想いを馳せているような人物はこのクラスにいなかった。八方美人でいろんな秘密を打ち明けられてきた僕がいうんだほぼ確定さ。つまり、僕らのクラスの生徒ではない。となると他クラスの生徒となるけど、そうなるとこんなに引っ込み思案の彼女がどこで彼と出会ったかってなる」
「そうねぇ……クラス以外で彼女のようなタイプの子が仲良くなる機会を得るとなれば……あ!分かったわ部活動!」
間藤くんは運動部の例に漏れず人気部活のサッカー部に所属している。腕前ーーというか、脚前のことは全く知らないが、それでももしこの奥ゆかしい女子が気にいるとすればその点だろう。
なるほど、サッカーの上手さに惚れ込んだということかしら?
「半分正解。でも彼の部活サッカー部のマネージャー達は既に彼氏持ちなんでした。だから部内恋愛というわけじゃない。でも、一通目の手紙の一文に『この間はサッカーで大活躍でしたね、あと少しで優勝。私も手に汗握りました』とも書いてある。今年サッカー部は全国大会の地域予選で準優勝してて、彼女はきっとそれを見に行ったんだろう。その試合があったのが最初の手紙が送られてくる約1週間前。となれば、あの時サッカー部の試合を観戦していたのは誰?」
サッカー部の全国大会を見て好きになった。
つまり、時系列的には初めて接触したのはその場となる。であればきっかけは……なんだ?
奥ゆかしい彼女がわざわざ関係のないサッカー部の大会に応援に行く理由があるだろうか?
しかも、『誰』とは?
この時点でもう絞り込めるのなら強制的に行かざるおえない人を指名するのが妥当。
マネージャーが彼氏持ちの今、強制的に応援に行かなければならない生徒の中で彼を純粋に好きになる生徒が果たしているのだろうか?
「え、誰?誰って……サッカー部の試合に来るのなんて、先生くらいじゃないの?手紙の時期的にもその子がまだ間藤くんに恋心を抱いていない時期よね?つまり自主的に観戦をしたんじゃない……えぇ誰よ?」
八方塞がり。
思考のどん詰まり。
奥歯に物が挟まったみたいなもどかしそうな顔でこちらを見られても出ないものは出ない。
別段喉元まで答えが出てきているわけでもなし、そんな呼吸不全に陥ったような顔に変わるくらいならさっさ答えを教えて欲しい。
「運動部の勇姿を記録する部活といえば?」
目の前の彼は残念そうにはぁ、とため息をついて脱力した垂れ目で私を見ながらそう言った。
彼がそうローテンションになるのに反比例して一気に私に答えが降りてくるくらいにはそのヒントは的を射過ぎていた。
記録!そう!記録といえば本校はあの部活しかない!
「あぁ【写真部】!そういうことね!」
由緒正しき写真部。
その黒子的な存在ながらも密かに野球部やサッカー部と肩を並べるくらい長くこの学校に根付く古株の一つ。
その目的は美しい写真を撮ることだけに収まらず、部活ないの活動を記録するセルフ撮影係。これにより毎年の年中行事に呼ぶカメラマンの数を減らせるためコスト削減にもつながっている縁の下の大活躍な部活。
確かにこの部活ならサッカー部の試合を『記録』という名目で観戦しに行ってもおかしくない。
「そう、写真部。写真部の全体人数は男子7人女子6人。サッカー部の試合を撮影しに行ったのは男女合わせて4人のグループ。内上級生の男女が1組。残った一年生に男女が1組。そしてその一年生の女子こそが今回のストーカー事件の犯人な訳だよ」
「す、すごい。変態なくせに頭は回るのね……」
「ま、変態だからこそね」
「結局犯人は写真部ってまではわかったけど、その犯人って具体的に誰なのよ!?間藤 襲命に手紙を送り続けた他クラスの写真部の女子、その正体は!?」
ついに喉元まで出かかった犯人像。
完全に照明に照らされその姿は実体となる。
愛のために追うその子を私は純粋に応援したい。
けれどもそれ以上に汚れた私欲ーー犯人を知りたいという私欲が優ってしまうのが悔しい。
目の前の彼は興奮した私を同類を見るような目で見ている。
あぁ、悔しい。
結局は私もこいつと同じ獣だったんだ。
蛇とは違えど猪か何かか。
怪物であることには違いない。彼女の恋路を阻む汚れた障害に過ぎないと、悔悟が興奮冷めやらぬ心の端に静かに着床した。
「1年4組矢坂 未咲さん。写真部。僕も面識のない彼女だが、今呼び出した」
「呼び!?面識もないのにど、どうやって!?」
「いやぁ、昔この僕も写真部の手伝いをしたことがあってね、それで部長の連絡先を持っていたんだ。だから、今写真部のグループで彼女に美術室にくるように伝えて貰った」
こんな人柄だから人脈はさぞ広いんでしょうね。
心の中で皮肉を吐き捨てる。
全ては間藤くんが手紙を渡した時点で決着がついていた。
だからこの男は既に快楽をいかに多く得るかしか考えておらず、間藤くんにあんな接吻をかましたのだろう。
私が介入する余地も、解決する余地も、化け物の前ではなかったのだ。
「終幕は放課後。僕の計画は終わった。良い快楽を」
そう言って美術室を後にする彼。
全て解決しきったその後ろについていくほど私は馬鹿になりたくない。
そんな解決も決着も認めない。
部外者が決めたシナリオで主人公がいないところで全てを決着させるだなんて、そんなの許しはしない。
あの怪物が残した油断を私は利用してやる。
「良い快楽を?笑わせないで。良い結末をよ。なんとしても」