唯一無二/有象無象
放課後の人の気配のない場所に男女、二人きり。何も起こらないはずもなく女によって殺害予告がなされる。男はそれを恍惚とした表情で受け入れあまつさえ協力すらしてしまう。
何か思っていたのと違うわね。
艶やかな誘いをしなかった私が雰囲気をぶち壊したんだけど、この男もなかなかに変態なのだから仕方がない。自分が殺されることすら快楽だという。
私の異常性を殺人衝動と称するなら彼のソレはいったい何と呼べばいいのだろうか。
承認欲求?性愛?被虐体質?滅私奉公気質?
私には見当もつかない。
ただただ私よりも異常。そう評価するしかない。殺す踏ん切りはつきやすくても殺される踏ん切りなんてどんな状況に陥ってもつくはずがない。
自分が嫌いだから?
諦めているから?
快楽を求めてるから?
私には彼の思考が分からない。だから、彼のことを知りたいと思うのだろう。
~翌日・教室にて~
彼はまたクラスメイトからいい顔で掃除当番を変わって、部屋を隅々まで清掃している。
それが親切心からくるものじゃなくて元来の性癖に依存するものだと考えるとぞっとする。あの笑顔が快楽の笑みだと知ったらみんなはどんな反応をするのだろうか。まるで死体を見たときのようにドン引きするに違いないと私は思う。
「あなたは自分の欲求に素直よね」
「そうかな?」
「大衆の前で性的快楽を得るなんて見られてて恥ずかしくないの?」
「別に。いいことしてるんだから、それを恥じることはないって学校の先生に言われたからかな」
「イイこと、ね」
先生もまさか『気持ち』いいことだと思っていったわけではないと思うけど。
「愛川さんは二律背反だよね。自分の欲は解放したい。けれど人として正しくありたい。だから僕みたいなのに頼ることにする。そう言うことでしょ?」
「私は不服だもの。本当はこんなことしたくない。でも溢れそうだから一時的に抑えるためにあなたをーーごめんなさい」
あなたをーー利用する。
「謝る必要があった今の?」
「いや私はまるであなたをただの消耗品のように言ってしまったから」
「別にーー他人なんて消耗品でしょ?僕がみんなを気持ちよくなるために使い潰すように、愛川さんも僕のことを使い潰せばいいと思うけど」
そういった彼の顔は灰色に見えた。
なにも感じていない顔。
上辺だけの慈悲も配慮も、深層の利己主義的な背景もない純粋になにも思うことがないという顔。
彼に何かを好むという感情があるのは分かっていたからこそ、きっと何かを嫌う感情もあると思っていた。
でもこれは違う。
有意義でないものは全て彼にとっては無いものと同じなのだ。
最初に私に見せた路傍の石を見るような目、あれはどうあれちゃんと認識していた。
でも、彼の手を離れたものに彼は一切の感情を抱いていない。
思い出も禍根もない。
そして今私にも自分を同じ消耗品として考えろと言った。
それは彼の『他人に捧げることで快楽を受ける体質』を最大限活かすためのものなのだろう。
私が罪悪感を覚えれば、それは彼の至高の時を邪魔することにつながるから。
彼は彼自身の快楽のためならどんな扱いを受けても構わないんだ。
たとえ殺されようとも。
どうやら私は触れてはならない怪物の口の中に手を突っ込んでしまったようだ。
相楽という男は何より深い狂気だ。
「あなたは、本当にそれで「さーがーらー!ヤベェんだ、助けてくれ!」
私の言葉は唐突に現れた男子生徒によって阻まれた。
シリアスな空気も、相楽の顔も一瞬にして弛緩して元の学校に戻る。
「どうしたの?間藤くん。また赤点?」
いきなり入ってきた男子生徒、個人的には見てるだけでイラつくいかにも浮ついた馬鹿という雰囲気を受ける。だからこそ記憶に残っていたのか名前を思い出した。
間藤 襲命。
一度チラリと名簿表で見た時、しゅうめいという読みに反して命を襲うというワイルドすぎる名前で目を擦った覚えがある。
襲命とは一体どんな意味を込められてつけられたのだろうか。
もしかしたら両親は凄腕のハンターかアサシンかも知れない。
3秒くらいそんな想像をして流木のように流していたが、こうして私の目の前に現れるとは。
「いや、赤点よりもやべぇ!命狙われてる!」
いや、あんたが襲われる方かーい。
心の中で冷ややかかつ冷静に突っ込む。
この手のタイプは浮ついて二股をかけて、2人に同時に半殺しにされるタイプ。
人の恋路を弄ぶ輩は、やむなし。殺されて然る。
この人に恨みがあるわけではないし、恋愛面で昔深い傷を負ったわけでも『決してない』がとりあえず嫌悪感が激しい。
「また例のストーカーかい?最近は如何も多いようだね」
「あ、あぁ、また手紙が俺の靴箱の中に入ってたんだ」
「え?何がどういうことなのよ?」
ついつい割り込んでしまった。
この学校にストーカー?学生にして早くも異常な執着愛が発露したとでもいうのかしら?まぁ、少なくとも変態と殺人鬼がいるような学校なのだから、そんな生徒がいてもさほどおかしくはないのかもしれない。
「あー、話せば長くなるんだけれど、彼こと間藤くんはここ最近誰だかわからない人からすごい濃密な愛の詰まった手紙を受けてるんだ。それもこれまでに十件以上も。俗にいうストーカー行為をされてるわけだ」
「へぇ、普通に手紙返してあげればいいじゃない」
手紙で愛の告白とはスマホ社会にほぼほぼ置き換わった今では中々ないことだが、別段不思議でもない。
それに十件も送るだなんてそれだけ愛が深い証だろう。
それが呑気そうに聞こえたのかどうかは知らないが、彼は焦ったように口をついた。
「俺も返したよ!『長文すぎて読めません』って!そしたら今度は髪の毛の束がいつの間に鞄の中に……」
愛をなんだと思ってるんだ。
「それで今度は僕がその手紙の内容を読んで代筆で断る手紙を書いたんだ」
お前も愛をなんだと思ってるんだ。
「相良のおかげもあってさ、それから二日〜三日は大人しかったんだ……でも、今日になってこれだよ!」
半ば恐怖で正気度の下がった間藤くんは手に持っていた手紙を教卓の上に叩きつけて私たちに見せた。
『近日中に会いに行きます。私の思いは手紙だけでは伝わらないようだから……』
なるほど。実に良い判断だと私は思う。
彼が長文を読めないと言ったのだから、数日間かけて決心し今会うことを決めたのだろう。この手紙の差出人はなんて奥ゆかしくもしっかりした人なんだ。
ただそんな私の評価とは裏腹に彼は半狂乱状態でよくわからない戯言を言い出した。
「絶対殺される!俺漫画で見たぞこういうのは大体『貴方を殺して私も死ぬ!』のパターンだ!アァァァァ!」
「せっかくの相手の思いをどうしてそこまで曲解するのよ。会ってみたらなかなか良い子かもしれないじゃない」
「ないないない!良い子は髪の毛送ったりしない!」
あ、それもそうか。失念していた。
いつの世も甘い誘いに乗った男が殺されるというのは相場がきまっているというか、運命つけられてるというか。因果応報というやつだろう。
軟派者死すべし。
「まぁ僕はなんでも良いけど、間藤くん。これが君の困りごとだね?」
その一瞬、彼の欲心が一斉に口を開けて咲き誇ったように見えた。
桜のような白蛇のような彼の強欲。牙は剥かずに人の心を魅了し、揺蕩わせ最後に退廃的に溶かして啜る。
彼の前ではどんな人間も弱くなる。
彼に頼ればいずれは堕落させられ一人で歩くことが困難になる。やがては自分で立ち上がれなくなり、彼に涙しながら弱い赤子のように咽び泣きながら懇願するしかなくなる。
助けて、と。
その願いを赤子ごと喰らうのが彼。
苦楽どちらも彼のものなのだ。
残忍に傲慢に、骨までしゃぶり尽くす快楽主義者。人を溶かして殺す殺人鬼。
人を殺したいと願う私よりも怪物的な男だ。
「あぁ…俺をストーカー女から助けてくれよ!」
「んふふーーいいよ。どうにかする。でも、手っ取り早くは終わらない。じっくり氷を口の中で転がして溶かすみたいに繊細な作業になりそうだ」
「お、おう?よく分からないが、宜しく頼んだぞ!」
強く相楽の手を握って懇願する間藤。
それを恍惚とした表情で受け入れる相楽。
その様子はどことなく悪魔に救いを求める貧民のようなものを感じさせた。
間藤は知らないだろう、目の前の人間が悍ましさだけだったら悪魔に及ぶことを。
それにしてもーー氷を口の中で溶かすみたいに繊細な作業、ねぇ。
その実噛み砕けば終わってしまう簡単な作業を味わうっていうことかしら?
氷に味はしないというのに。




