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【白河歩夢さん、日本!】
外国人の流ちょうな発音で名前がコールされ、会場は歓声に包まれる。
いつものようにコーチとこぶしをぶつけてから、踵を返して一歩を踏み出した。
『さぁ、白河歩夢の登場です。このNHK杯がシーズン初戦。本大会は2年連続の出場です。昨年は惜しくも4位入賞。今年こそメダルを狙います』
俺のような選手にとって、グランプリシリーズは大舞台だ。ここでいい成績をとれば、ファイナルへの道も開けてくる。
――でも、それを意識しすぎてはいけない。
できることをする。練習通りに。それで十分だ。
リンクの中央でブレーキをかけて、スターティングポジションをとる。
そしてトゥーランドットのメロディが流れだした。
ストロークから、音楽を捕まえに行く。
――すぐに捕まった。そこからなんの恐れもなく、速度をつけて。
『さぁ、最初のジャンプは四回転ですが』
切り返しのターンからトウをつく。
『四回転のトウループ、三回転のトウループ!』
自分でも驚くくらい完璧に決まった。回転も完璧で無駄な力が入らず、着氷後のランディングもスムーズだった。
『完璧に決めたッ!』
ちょっとした浮遊感。もう失敗はしないというぞ絶対的なイメージがわいてくる。
さぁ、次のジャンプも。
『代名詞とも言えるアクセルジャンプはどうか』
踏み切るタイミング、回転軸、そして着氷まで、全てが思い通り。音楽と完璧に調和して履行される。
『トリプルアクセル。完璧でしたね』
『アクセルジャンプも決まる!』
難しいジャンプを成功させた後は、いつも以上にのびのびと滑れる。余計な力を入れなくてもすいすいと滑っていける。
『さぁ、最後のジャンプ』
『トリプルルッツ!』
『ジャンプすべて成功!』
これでもう失敗する要素はない。
ここからは、靴についた二枚のブレードで銀盤と向き合う時間だ。
相手はこの銀盤だけ。少しの間、勝負のことは忘れよう。
小さな音符を、一つ、一つ、拾い上げて、このまっさらな銀盤の鏡面に刻み付けていく。
『ストレートラインステップシークエンス。ディープエッジ、チェンジエッジ、ロッカー、ブランケット、難しい技を織り交ぜながら』
『丁寧なスケーティングはジャッジからも評価を受けています』
ステップを終えれば、あっという間に演技は最終盤に。
ありあまるエネルギーを、二連続のスピンにぶつけるだけだ。
一一回転一回転の細部にまで全力を注ぎ――
『白河歩夢、完璧な演技ッ!』
気が付けば二分五十秒が経っていた。
汗が滴り、銀盤に落ちていく。そして顔をあげると、観客たちが国旗や俺の名前が書かれた旗を振っていた。その光景は、日の光に照らされた海面の様に輝いている。
『スタンディングオベーション! 白河歩夢、見事にやり遂げました』
『いやぁ、素晴らしい演技でしたね。去年シーズンは、世界選手権にも出て躍進しましたが、今年はさらに強くなっている、そんな印象を受けました』
会場の声援に丁寧に答えてからリンクを出る。
コーチは両手を大きく広げて俺を迎えた。演技後で疲れ切った体は力のコントロールができず、俺は思いっきりコーチを抱きしめていた。
「最高だよ」
コーチはそう言って称賛してくれる。
自分でも、いい演技ができたという実感があった。
今の俺にこれ以上の力はない。出せる力は全て出し切ったと断言できる演技だった。今死んだって悔いはない。
キスアンドクライへ向かう途中、通路の上から名前を呼ばれる。見上げると、ファンが俺に直接プレゼントを渡そうと待っていた。
「すごい演技でした!」
「本当に感動しました!」
「明日も頑張ってください!」
そんな称賛の言葉をもらうたびに心の底からありがとうと伝えていった。
前から熱心に応援してくださる方は少しいたが、今日は数が多い。リンクに投げ込まれる花束の数も今までとは比べ物にならなかった。
「ちょっとした人気者じゃないか」
コーチがそんな風に茶化してくる。
受け取ったプレゼントを腕いっぱいに抱えて、キスアンドクライに入る。
プレゼントを脇に置いて一息つく。そして、カメラに向かって手を一振りすると、会場から大きな歓声が沸いた。まるで指揮者にでもなったような気分だった。
「さて、どれくらい出るかな」
ベスト超えは間違いない。練習以上の演技ができたのだから。
あとはどこまで点数が伸びるかだが――
【白河歩夢さんの得点――91.21】
――その高得点に会場がもう一度沸いた。
何と自己ベストどころか、90点を超えてしまったのだ。
「まじか」
思わずそんな言葉をつぶやく。
「すごいな」
コーチも珍しく本当に驚いたという表情を浮かべていた。
この得点なら、世界選手権の最終グループでだって上位に食い込める。
90点台なんて、俺にとっては雲の上の得点だと思っていたが。
もちろんジャンプを全て完璧に成功させたのも大きいが、それだけではない。スピンやステップ、そして振付など、ジャンプ以外の要素も必死で磨いてきた。その努力が認められたのだ。
これほど嬉しいことはない。
そして次の瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは弟子の顔だった。この演技なら、あの天才少女にも胸をはれる。
――今頃、テレビの向こう側で見ているだろうか。
いつもなら、一刻も早くカメラの前から消え去りたいと思うが、今日は居座っていてもいいかなという気持ちになった。
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