18
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交流試合から一週間。
明日からとうとう関東大会が始まる。
電気を消した暗い部屋で仰向けになって、明日の大会はどうなるだろうと思案する。
試合前最後の練習を終えて、俺は確かな手ごたえを感じていた。たった一週間でも、未央はどんどん成長している。今の未央は一週間前の彼女とは別人と言ってもいい。その成長の速さを見ていると、近いうちにこの子に追い抜かれるんじゃないかと、そんな恐怖さえ感じるほどだった。
だが、それでも未央にとっては初めての公式戦。
完璧に仕上げて大会に乗り込んでも、ちょっとしたことで総崩れなんてことは決して珍しくない。俺なんてショートは絶好調だったのに、一転フリーでジャンプが一つも決まらなかったことがある。
そんな風に考えていると、別に俺が滑るわけじゃないのに、だんだん不安になってくる。
もうほとんど親の気持ちだ。
と、そんなことを考えていると、突然、ガチャリと部屋の扉が開く音がした。
電気が消えていたので顔はよく見えなかったが、身体の輪郭で弟子だとわかった。
「どうした?」
部屋の入口から少し入ったところで突っ立っている弟子にそう声をかけると、彼女はぼそりと言った。
「眠れない」
ああ、なるほど。
「コーチなんだからなんとかしてください」
と未央はそんな要求をしてきた。
内心、そんな無茶なと思った。
俺は単なる一選手で、コーチのまねごとをしているだけだ。自分のメンタルさえ管理できやしないっていうのに、一体どうしろっていうんだ。
「まぁ、とりあえずこっち来れば」
部屋の入口で突っ立たせておくのもと思って手招きした。そしてベッドの壁側に自分の身を寄せてスペースを開ける。
「とりあえず布団入りなよ。風邪ひくから」
「何、小学生をベッドに連れ込むわけですか?」
未央は俺の優しさに、ビンタで返してくる。
なにこいつ。しばきたい。
「とにかく風邪ひくだろ」
俺が言うと、彼女はゆっくりとベッドまでやってきて、布団に下半身を入れた。
こうして一つのベッドで二人並んで入ると――ふと大昔のことを思い出した。
俺が初めて全日本ノービスに出場することになったとき。
今の未央と同じように、前日眠れなくて、それで当時姉弟子だった恵理子コーチを頼ったのだ。
今思えば、男のくせにまったくもってプライドがないが……。
「試合前って超緊張するよな」
俺が言うと、みおは「別に緊張はしてない」と謎の強がりを見せる。じゃぁお前は何でここにいるんだと心の中でツッコミを入れた。
でも、まぁその弱さを認められるくらいなら、恐怖心なんてないのと同じだ。
ただでさえ、フィギュアスケートは孤独なスポーツだ。ひとたびリンクの扉が閉まってしまえば、スケーターは広大なリンクに取り残される。たった一人、全てを映し出す銀盤の上で、数分という永遠にも思える時間、大勢の観客の前にさらされる。
その怖さを、彼女はこの間知ったばかりだ。
そしてそれからたった一週間後に初めての公式試合。しかもその結果次第で今後スケートを続けられるかどうかが決まる。
緊張しない方がおかしい。
「まぁでもさ、お前は超絶天才少女だからさ」
「そんなお世辞言っても何にもならない」
確かに、このタイミングで言っても、ただのお世辞に聞こえるだろう。
だが、俺はそこに説得力のある証拠を加える。
「お前は三か月でトリプルアクセルを跳べるようになった」
それが高橋未央と言う少女が規格外の天才である証拠。
「世界女王にまでなったレイカでさえ、六年かかったんだ」
あの近藤レイカよりも、24倍も速くトリプルアクセルをマスターした。天才をはるかに超える天才。それが高橋未央だ。
「だから安心しろ。別に今日寝れなくたって、どのみちお前は明日、超スゴイ演技をするんだから」
俺の言葉を未央は黙って聞いていた。だが「ねえ」と口を開いて、そして俺にこんな質問を投げかけてきた。
「わたしと未希、どっちが強いですか?」
あまりに率直な――でも、切実だと、俺にはわかる――質問をしてきた。
「うーん。そりゃ、未希ちゃんかな」
俺は笑いながら正直に答えた。すると、未央はムッっとした口調で言った。
「嘘でもいいから、わたしのほうが強いって言ってよ」
確かに、試合前なのだから、そうするのが一番良かったかもしれない。
でも、やっぱり、今の未央が未希ちゃんより強いとは、嘘でも言えなかった。それくらい、二人の実力差は歴然としている。
「でも、何も全部で勝てないなんて言ってない」
「じゃぁ、わたしのほうが勝ってるところって何ですか」
「そうだな、やっぱトリプルアクセルが跳べることとか」
これは嘘偽りない事実だ。未希に勝っている、どころか、この世の全ての女性に勝っていることだ。
だが、
「……他には?」
傲慢な少女は、それだけでは満足できないようだった。
「いや、……え、そうだな」
確かに未央のトリプルアクセルはすごい。でも、他は――ジャンプ、スピン、ステップ、スケーティング、それに表現力と、どれをとっても未希ちゃんの方がすごい。未央がまだ未熟なのもあるが、未希ちゃんがすご過ぎるのだ。
「なに、ないの」
正直、スケートでは勝てるところはない。
でも、それでは未央が意気消沈してしまう。
未央の瞳が、まっすぐ俺を見つめる。こんなにまっすぐ見つめられたのは初めてかもしれない。
――と、俺はようやく答えを見つけた。
「……可愛いところかな」
俺が言うと、
「ロリコン」
と、彼女は布団から飛び上がって、部屋を出ていってしまった。
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