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――未央のコーチを始めて一か月。それは本当にあっと言う間に過ぎ去った。
たった一か月半で試合に出て、しかも関東ブロック大会を勝ち抜くというあまりに無謀なその挑戦。だが、それはにわかに現実味を帯びてきていた。
「よし、じゃぁ通しでやってみよう」
午前の部の最後の10分。未央がリンクを独占して使える貴重な時間。
未央だけが銀盤に取り残される。そして、トゥーランドットの劇的なメロディが鳴り響く。
未央は覚えた振付をこなし、ジャンプにスピン、ステップとエレメンツをこなしていく。
もともと跳べたアクセル、フリップ、トウループに加えて、新たにサルコウとループも三回転を揃えた。
――唯一、アクセルの次に難しいトリプルルッツだけはマスターできなかったが、これについては向き不向きもあるので仕方があるまい。
もちろんジャンプ以外のエレメンツや、振付がまだまだ拙いのは間違いない。ギリギリ人様に見せられるかどうかというレベルだ。
それでも、なんとか一つのプログラムとしてまとまりつつはあった。
フィギュアスケート界でしのぎを削るのはたぐいまれなる才能の持ち主たち。
だが、未央は天才たちをはるかに上回るスピードで成長を続けている。そのスピードは、天才たちの10倍、いや100倍以上だ。このペースで成長を続けたら、一体彼女はどんな高みへと昇って行ってしまうのだろう。
「ブラボー。スタンディングオベーションだ!」
プログラムを終えた未央に、俺はそう語りかけた。
未央は息を切らしながら、
「どうもです」
と、めんどくさそうに言った。
まぁ、3分の演技を終えた後は誰でもクタクタになる。少しくらいの塩対応は許してやろう。
――関東大会まで後二週間。だが、その前に。明日には大きなイベントが控えている。
横浜のリンクとの練習試合に参加するのだ。非公式戦だが参加人数は関東大会と同じくらいと言う規模の大会だ。未央にとって一生忘れられない日になるだろう。
「よーしじゃぁ、明日に備えて、ゆっくり休むとしよう」
今日はリンクの都合で練習は午前しかできない。俺も未央も久しぶりに家でゆっくりする。
着替えて二人で家に帰る。俺はリビングに入るなりバッグを投げ出して、ソファーにずとんと座り込む。
「どーしようかな」
さて、昼ごはんをどうするか。
コーチが昨日から泊まりがけで振付の指導に行っているので、我が家にはシェフがいない。
俺は料理が一切できないので、自炊すると言う選択肢はない。
ちょっと遠出して外で食べるか、コンビニの弁当でも食べるか。あるいは出前という選択肢もあるか。
「未央、昼飯だけど、外に食べにいくか、弁道買ってくるか、出前か三択なんだけど、なんか食べたいもんある?」
俺の質問に、未央は黙り込む。
いや、自分で聞いておいて何だけど、よく考えたらどんな選択肢があるのかもわからない状態で何が食べたい?って一番困るよな。
「えっと、食べにいくなら、焼肉ランチとか、後パスタもまぁまぁ美味しい。出前だったら、ベタだけどラーメンとかそばみたいな麺類か、後奮発してお寿司って手もあるかな」
と言うと、未央はしばらく俯いて考えを巡らせる。
そして、2分ほど黙り込んだ後、出てきたのは意外な答えだった。
「チャーハン」
「ん? チャーハン? えっと、まぁ多分出前にあると思うけど……」
と言うと、未央はブンブンと首を振った。
「作る」
「え?」
「わたしが作る」
どうやら、自分で料理をしてくれる、と言うことらしい。
「何、料理できんの」
「学校で習った」
お、おう。
期待したのは、「お父さんもお母さんも家にいないことが多いから、自分で料理する」とか、そんな感じの返事だったんだが。どうやら腕前は素人に毛が生えた程度のようだ。
いや、でもまぁ、作ってくれると言うのであれば作ってもらうか。外に行くのもめんどくさいし、出前も高い割にそんなに美味しくはないし、何より、弟子が俺のために飯を作ってくれると言うのだ。こんなに嬉しいことはない。
「じゃぁ、お願いしようかな」
俺はソファーから立ち上がりキッチンに向かう。
「えっと、フライパンと油は確か――ああ、あったあった。塩胡椒の類はこれな。あと、冷凍ご飯と卵は……ちゃんとあるな」
と一通り説明をすると、未央は意気込んでガスの前に立った。
だが、その姿を見て俺は「ちょっと待った」と声をかける。
「なに」
俺は駆け足で階段下に向かって、あるものを取ってきた。
「ほれ、これに乗れ」
持ってきたのは台。コーチのお父さんが、昇降運動をするために使っていた一品だった。
「キッチン、小学生にはちょっと高いだろ」
俺がそう言うと、未央は一気に不機嫌そうな表情を浮かべた。
「チビにチビって言わるなんて」
「いや、俺はお前ほどチビじゃないからな!?」
人がせっかく心配してあげたのに。それがコーチに対する態度か。
小学生に完全に舐められている俺。悲しすぎる。
これ以上チビと罵られたくないので、おとなしくリビングに避難する。キッチンは対面式になっているので、角度をつければここからでも未央の様子が見える。
遠目に未央がフライパンと格闘するのを見るが、どうにも危なっかしく見えた。普段見るのが、プロ並みの腕前をもつコーチの料理姿なので、それと比較してしまうからなのかもしれないが……。
まぁ、料理なんて全くできない俺には、何も言う権利はないだろう。
とりあえず事故だけ起きないように暖かく見守る。
「あう」
と、ちょっとした悲鳴が聞こえた時は流石に立ち上がって様子を見にいったが、なんてことはない、ちょっとご飯が溢れただけだった。
大事ではないと一安心する。と同時に、改めて、ちょこんと台に乗ってコンロに向かい合う姿を見て、小動物をみているような穏やかな気持ちになる。
「……何ニヤニヤしてるんですか。キモい」
お腹も減ってきたので、テキパキ料理を進めてもらうために退散する。
それからものの10分ほどで、焦げのいい匂いが漂ってきた。
ガチャガチャと食器を用意する音がしたので、俺は背筋を伸ばしてソファーに座り直した。
「はい」
と、未央はぶっきらぼうに皿を差し出した。
高橋未央(11歳)の渾身の一皿を見つめる。
ぱっと見、普通のよくあるチャーハン。ママが作ったらこうなるよね、的な感じな見た目。つまり、パラパラでは決してない。そしてよく見ると、卵が全体に行き渡っていなくて白い部分があったり、かなり焦げている部分があったり、全体的に水分が残っていたり……うん、うちのかあちゃんの方が上手いな。
俺は、未央が座ったのを見て、
「では、いただきます」
レンゲで一番美味しそうにできている部分をすくって口に運ぶ。
うん、やっぱり、ちょっとネチョっとしている。でも、弟子が作ってくれたものならなんでも美味しい。
と、顔をあげると、弟子が真剣な表情で俺の顔色を伺っていた。それが妙に年相応なあどけない表情ででおかしかった。
「うん、美味しいよ」
「……じゃぁ、どうしてニヤニヤしているんですか」
しまった。隠したつもりだったんだけど。
「いや、弟子の愛が詰まっているなと思ったら嬉しくて」
愛は最高の調味料である。
「別に愛は詰まってません。醤油に塩コショウだけです」
その後黙々と食べ進める。
「ごちそうさまでした」
うん、明日に向けて力を補充できた気がする。
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