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その日、いつもよりも早く寝床についた。睡眠で全てをシャットアウトしようと思ったのだ。
食後だったのもあり、意識はすぐに落ちた。
だが、その結果、夜中に目を覚ましてしまう。
無理やり布団をかぶり直して眠りに戻ろうとするが、逆にどんどん意識がはっきりしてきた。
十分ほど格闘したところで、睡眠に戻るのを諦めた。
喉の渇きを感じたので、リビングに行って水を飲むことにする。
みんなを起こさないようにと、抜き足差し足で階段を降りる。
だが――リビングの扉を開けた瞬間、青白い光が差し込んだ。
光源はテレビだった。ちょっと前に買ったそれなりに大きいテレビ。そして正面のソファーにちょこんと正座する未央。
ヘッドホンをしていることもあってか、俺に気がつく気配は一切なかった。
こんな夜中に何をしているのか――と。
画面を覗き込んで驚く。
画面に映っているのは……他の誰でもない。俺だった。
昨年の全日本のショートプログラム。自己ベストを出して2位につけたあの演技。
未央は、白銀の世界を縦横無尽に駆けまわる俺の姿を食い入るように見つめている。
確かにあのヘッドフォンは遮音性が高いので、俺が降りてきた物音に気がつかないのはわかる。だが、俺の顔から未央の顔が見えているのなら、彼女からも俺が見えるはずだ。それなのに、彼女は全く俺に気がつかず、画面の中の俺を必死で追っている。
俺はしばらくその姿を横目に見ていた。
考えて見たら、「誰かが自分の演技を見ているところ」を見るのは初めてだった。
試合の時は大勢の観客に囲まれているが、自分の演技に精一杯で、お客の顔なんて見る余裕がないから。
そうか。
こんなに、真剣に俺の演技を見てくれている人がいたんだって。
いつも、スケートファンが試合会場に来るのは、白河翔馬や近藤レイカの演技を見るためで、俺の演技なんて誰一人興味がないと思っていた。
だけど、今目の前で、こんなにまっすぐ俺の演技を見てくれている人がいる。その事実は、今までのスケート人生のどの瞬間よりも嬉しく感じられた。
しばらく彼女の横顔を見て、そしてそのまま踵を返した。
冷蔵庫に行くと、未央に気づかれてしまう。それはなんだか気恥ずかしかった。
――と、階段を登っていくと、さっきはついていなかった明かりがついていることに気がつく。
階段の折り返し部分で曲がると、部屋の前で、絵里子コーチが壁に持たれかかっていた。
「まだ寝てなかったんですか」
俺が聞くと、
「未央が、あまりにも真剣に曲を選んでいたからな。途中まで付き合ってた」
そんな答えが返ってくる。
「あれは、曲選びだったんですか」
「未央はな、お前の演技を見て、スケートをやりたいと思ったんだよ。だから、コーチはお前以外ありえないんだ。曲もお前の滑った曲から選ぶだろうさ」
白河翔馬や近藤レイカに憧れてフィギュアスケートを始めた人間はごまんといる。だが、まさか自分の演技が他人がスケートを始める理由になるなんて、思いもしなかった。
「生徒を持つのは、結構楽しいぞ」
とコーチはそんな言葉の後を残して、部屋に戻って言った。
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